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一章

3、池のほとりで朝食を【1】

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 新しい家のお庭には、池があって睡蓮の花がつぼみをつけている。
 その池のほとりに、お父さまが新たに四阿あずまやをもうけてくださったから、朝食はそこでとることにした。

 運ばれてきたのはかりっと焼き上げたトースト。薔薇の形をしたバターは、まだ夏じゃないから少し白っぽい。
 牛は冬の間は干し草を食べるから、バターが白っぽくて。春から夏になると、放牧されて生えている草を食べるから、バターの色が濃い黄色になるらしい。

 それにお母さまお手製のジャム。
 ジャムは澄んだ橙色のクラウドベリー。
 お気に入りのアザレア色のジャムディッシュは、実家(といっていいのかしら)から持ってきちゃった。

 半熟の目玉焼きと赤いベイクドビーンズ。カリカリに焼いた燻製のお肉とお野菜が添えてある。果物は瑞々しい苺。

 ジャムディッシュに手をのばしたわたしを、向かいの席のアレクが「姫さま。ジャムからというのは、どうかと思います」とたしなめた。

「まぁ。『姫さま』だなんて他人行儀な呼び方をしないで」
「失礼いたしました。つい」

 メイドが淹れてくれた紅茶を、アレクはわたしに勧める。お砂糖は入れずに、ミルクはたっぷり。澄んだ水色すいしょくの紅茶に、ミルクが一瞬雲のように見えて、そして柔らかな色へと変化した。

「お小さい頃と同じで、甘いものからお召し上がりになるんですね」
「甘いものに始まり、甘いもので終わる。そういうのが好きかもしれないわ」
「理由になっていませんが。まぁ、残さずに召し上がってください。夕食も取っていらっしゃらないのですから」

 そういうアレクは、レモンをカップの中で潰してから紅茶を注いでもらっている。なじんだ清々しい香りが辺りに漂った。

「ね、お砂糖を入れなくてすっぱくないの?」
「どうでしょう。慣れていますから、どちらでも平気なんですが。ひとくち飲んでみますか?」
 
 勧められてソーサごとカップを受け取る。見た目は、あまりよくない。だって皮も果肉も潰れて紅茶に混じっているのだから。
 でも、少し飲んでみてはっとした。目を大きく見開いたくらいよ。

 レモンの香りが口いっぱいに広がって、酸っぱいのにそんなに酸っぱくない。
 もちろん蜂蜜を入れた方がもっとおいしいと思うけれど。
 アレクがいつも飲んでいる物を共有できたことが、とても嬉しかった。

 わたしにとっては十何年も昔からの、懐かしい香り。小さい頃の思い出と今が一緒になって、包まれていくみたい。

「おいしいわ」
「よかったです」

 アレクが柔らかく微笑むから、わたしまで嬉しくなってしまう。返したカップを綺麗な手つきで持って、アレクがレモンの紅茶を飲んでいる。
 手の大きさとか節くれだった指に反して、アレクの指使いはとても繊細なの。

「香りがね、アレクにキスされた時よりももっと濃いのね」

 かちゃん、と音がしてソーサーに紅茶がこぼれていた。アレクはわたしの顔をまじまじと見つめ、そして徐々に頬が赤く染まっていく。
 やだ、乙女みたい。かわいーい。

 膝にのせていた布で、アレクは口を拭いた。ついでに紅茶で濡れた手も。

「あの、そういう話は……朝からするものではありませんよ」
「でも夫婦よ」
「そうですが」

 ちらっとアレクは周囲に目を走らせる。
 大丈夫よ。メイドはこちらから呼ばない限りは四阿には来ないもの。

「そんなあなただから、私は何もできないんですよ? まぁ、時間はありますから。いつまでも待っていますよ」

 あ、やっぱり何もなかったんだわ。ちょっと安心したような、残念なような。自分でもよく分からない気持ちになったの。
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