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一章

1、結婚しました

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 結婚式の翌朝。日差しが窓から溢れるほどに射しこんで、お庭にある池の水面が寝室の天井に映り、透明にきらめきながら揺れていた。

「天井が……ちがう」

 数回瞬きして、ここが新居であることに気づいた。王宮の主邸と広いお庭を挟んだ向かいにある、こじんまりとした館。

「はっ。そうよ、わたしってば結婚したんだったわ」

 そうよ。昨日からわたしはマルティナ・リンデルゴートになったのよ。
 
 がばっと飛び起きようとしたら、急に首が締まった。
 く、苦しい。そのままベッドに横になったとたん、アレクの寝顔が真横にあった。
 どうやらわたしの上体に、アレクの腕がのっていたみたい。

 いやん、恥ずかしい。わたし達同じベッドで一緒に寝たのよ。
 言葉どおり寝ただけ、っぽいけれど。
 白くてフリルのついた寝間着の襟元は乱れてもいない。というかいつ着替えたのかしら?

 おかしいわ。ロマンス小説では結婚式の夜は、しょ……しょや、と呼ばれて。なんだかいろいろされるみたいなのに。
 まさか熟睡しすぎて気づかなかったとか? さすがにそれはないわよね。

 わたしは自分の手をじっと見つめた。アレクが手を握ってくれていた感触が、てのひらにも指にもじんわりと残っている。

 確かお式とウェディング・ブレックファーストの後に疲れてしまって、アレクの膝で眠ったことは覚えている。あの時はドレスから着替えたけれど、寝間着ではなかったわ。

 アレクはまだ静かに眠っている。存外、長い睫毛。彫りの深い、でも深すぎない顔。そーっと指先でアレクの頬に触れてみる。
 こんな風にアレクの寝顔を見るのって、初めてよね。多分。

 わたしは乱れた髪を編みなおして、ベッドの上に膝を揃えて座った。柔らかなマットレスのせいで、体が傾ぐけれど。

 ふふ、キスでアレクを起こしてあげるの。眠りについた姫(アレクは騎士だけれど)はキスで目覚めるものよ。

 もう結婚したんだから、夫婦になったんだから。キスなんてし放題なのに。
 顔を近づけただけで、胸がどきどき高鳴ってしまう。
 少し開いた窓から吹き込む風が、ゴールデンシャワーの金色の小花を室内に運んできて。「ほら、がんばってマルティナ」と背中を押してくれるかのよう。

 そうよ、アレクはわたしの夫になったの。妻が夫にキスをするのに、なんの後ろめたいことがありましょう。
 
 そーっと上体を倒してアレクの頬にくちづけしようとする。いつものレモンの香りじゃなくて、サイドテーブルに置いてあるラベンダーのサシェの眠りを誘う爽やかな匂いがする。

 ああ、近くで見ても素敵。
 思えばわたしは、小さい頃からアレクを見飽きることがなかったわ。

 頬よりも、唇の方がロマンティックかしら。小説では濃厚なキスをしていたけれど、わたしにはまだ難しいものね。
 頬にするか唇にするか、顔を動かしながら迷っていると後頭部をがしっと掴まれた。

「え? え? ええ?」
「いつまでも寝たふりも大変なので、早くしていただけるとありがたいのですが」
「え、アレク。起きていたの? いつから?」
「『天井が違う』とマルティナ……さまが、仰ったときから」
「それ最初じゃないっ」

 思わず大きな声を出してしまったから、アレクが「お静かに」と口の前で人差し指を立てた。

「まだ早朝ですよ。使用人が起きるにも早いですからね」
「ごめんなさい」

 ぺこりと頭を下げると、おさげにした髪が肩から下がる。

「相変わらず素直でいらっしゃいますね」とアレクは苦笑しながら、上体を起こした。
 そして両腕を広げるの。

 何も言われなくても、わたしはすとんとアレクの胸にもたれかかった。そのまま抱きしめられて、息が苦しくなりそう。

「困りましたね」
「なにが?」

 ぎゅっと抱きしめられているから、アレクの低い声が耳元で聞こえる。体中にアレクの声が染みていくよう。嬉しくてふわふわして、ベッドが雲になったかのような気がして、わたしはアレクにしがみついた。

「姫のキスがないと、騎士はベッドから降りられないんです」
「そんな話、聞いたことがないわ」
「今、作りました。ああ、空腹だなぁ、早くキスしてもらえないかなぁ」

 からかわれてるって分かっているのに、自分からキスすると決めた時は平気だったのに。キスを求められたわたしは、耳が千切れそうなほどに熱くなった。

「ほんのちょっとだけね」
「今日はそれでいいですよ」
「今日は、って」
「徐々に慣れましょう、ということです」

 アレクは首を少し傾けて、わたしに頬を見せた。多分キスしやすいように。
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