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7、守れなかった命令
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薬湯が効いたのか、アルベティーナが目覚めた時には熱は下がっていた。
窓から差し込む光は早朝のためか清澄で、何とか今日の水の清めにも間に合いそうだ。
イザークの姿は寝台にも、室内にもなかった。怠惰な気配を漂わせている神なのに、意外と早起きのようだ。
「あぁ、ようやく熱も下がったようですね。ようございました」
朝食の平パンと湯気の立つ山羊乳、それに赤いルーンベリーを載せた盆を持ったパドマが、アルベティーナの部屋に入ってくる。
「ありがとう。パドマが煎じてくれた薬湯のお陰よ」
「いえ、そんな。食事は召し上がれますか?」
「そうね。少し頂いて、今日の水の清めに向かうわ」
「はぁ……」
パドマの歯切れは悪い。どうしたのだろうか。何か問題でも? 怪訝に思うアルベティーナに視線を向けては、すぐにまたパドマは目を逸らす。
「あの、王太子との約束は二百日の間、一日も欠かさずにでしたよね」
「ええ、そうよ。今日で確か百八十日は過ぎているわね」
壁に掛けられた暦を見ると、この半年近く水の清めが済んだという印がつけられている。王太子妃になりたいわけでもないのに、冬の乙女を……それも自分だけではなく代々の乙女を愚弄されたとの思いから、意地になって続けているようなものだ。
でも、あと少しで終わるのだから。そうすれば、結婚が嫌だなんて我儘も言っていられない。
「アルベティーナさま。もう水の清めは必要ないんです」
「なぜ?」
パドマの言葉は意外だった。
これまで一日も欠かさずに続けてきたことを、殿下は認めてくださったのだろうか。
アルベティーナが思っているほど、非道な人ではなかったのかもしれない。
だが、そうではなかった。
「アルベティーナさまが倒れられてから、もう二日目なんです」
「え?」
「昨日の義務は、果たされなかったんです」
どういうこと? 目の前がくらくらした。
「どうして起こしてくれなかったの?」
「できませんよ。だって昨日はまだ高熱を出していらしたんですよ。それに炎熱の王がアルベティーナの邪魔をするなと、お部屋に入れてくださらなかったんです」
そんな。
アルベティーナは目の前が真っ暗になった。
その時だった。廊下を慌ただしく走る音が聞こえたのは。
神殿では神官も乙女も侍女達も、皆静かに歩く。
場にそぐわぬ騒がしさに、アルベティーナは毛布を握りしめた。
「ここか。冬の乙女の部屋は」
ノックもなしに、乱暴にドアが開かれる。乱入してきたのは王太子ブルーノだった。護衛を伴っているのは当然として、なぜ女性を連れているのだろう。
「殿下。謁見でしたら、こちらからお伺いします。パドマ、殿下を案内して差し上げて」
早朝に寝間着姿の女性の部屋に、女連れで乗り込むとは、なんという無礼な。
たとえ相手の身分がどうあれ、紳士の行為ではない。
アルベティーナは怒りを抑えながらも、丁寧な口調で話した。
「すぐに支度をいたしますので」
「いらぬ。どうせ化粧をしようが、お前のみすぼらしさに変わりはないからな」
ブルーノは隣にいる女性の腰を抱き寄せた。ウエスト部分を細く絞り、スカートは逆に膨らみを持たせた華やいだ姿だ。どうやってその服装で山を登れたのか、と訝しんだが。
すぐにブルーノと二人、輿に乗ってきたのだと納得した。
あの急峻な道を、汗もかかず息も切らさず、靴はこれっぽっちも汚れてもいない。
女性の靴は滑らかな布でできており、そもそも歩くための靴ですらなかった。
窓から差し込む光は早朝のためか清澄で、何とか今日の水の清めにも間に合いそうだ。
イザークの姿は寝台にも、室内にもなかった。怠惰な気配を漂わせている神なのに、意外と早起きのようだ。
「あぁ、ようやく熱も下がったようですね。ようございました」
朝食の平パンと湯気の立つ山羊乳、それに赤いルーンベリーを載せた盆を持ったパドマが、アルベティーナの部屋に入ってくる。
「ありがとう。パドマが煎じてくれた薬湯のお陰よ」
「いえ、そんな。食事は召し上がれますか?」
「そうね。少し頂いて、今日の水の清めに向かうわ」
「はぁ……」
パドマの歯切れは悪い。どうしたのだろうか。何か問題でも? 怪訝に思うアルベティーナに視線を向けては、すぐにまたパドマは目を逸らす。
「あの、王太子との約束は二百日の間、一日も欠かさずにでしたよね」
「ええ、そうよ。今日で確か百八十日は過ぎているわね」
壁に掛けられた暦を見ると、この半年近く水の清めが済んだという印がつけられている。王太子妃になりたいわけでもないのに、冬の乙女を……それも自分だけではなく代々の乙女を愚弄されたとの思いから、意地になって続けているようなものだ。
でも、あと少しで終わるのだから。そうすれば、結婚が嫌だなんて我儘も言っていられない。
「アルベティーナさま。もう水の清めは必要ないんです」
「なぜ?」
パドマの言葉は意外だった。
これまで一日も欠かさずに続けてきたことを、殿下は認めてくださったのだろうか。
アルベティーナが思っているほど、非道な人ではなかったのかもしれない。
だが、そうではなかった。
「アルベティーナさまが倒れられてから、もう二日目なんです」
「え?」
「昨日の義務は、果たされなかったんです」
どういうこと? 目の前がくらくらした。
「どうして起こしてくれなかったの?」
「できませんよ。だって昨日はまだ高熱を出していらしたんですよ。それに炎熱の王がアルベティーナの邪魔をするなと、お部屋に入れてくださらなかったんです」
そんな。
アルベティーナは目の前が真っ暗になった。
その時だった。廊下を慌ただしく走る音が聞こえたのは。
神殿では神官も乙女も侍女達も、皆静かに歩く。
場にそぐわぬ騒がしさに、アルベティーナは毛布を握りしめた。
「ここか。冬の乙女の部屋は」
ノックもなしに、乱暴にドアが開かれる。乱入してきたのは王太子ブルーノだった。護衛を伴っているのは当然として、なぜ女性を連れているのだろう。
「殿下。謁見でしたら、こちらからお伺いします。パドマ、殿下を案内して差し上げて」
早朝に寝間着姿の女性の部屋に、女連れで乗り込むとは、なんという無礼な。
たとえ相手の身分がどうあれ、紳士の行為ではない。
アルベティーナは怒りを抑えながらも、丁寧な口調で話した。
「すぐに支度をいたしますので」
「いらぬ。どうせ化粧をしようが、お前のみすぼらしさに変わりはないからな」
ブルーノは隣にいる女性の腰を抱き寄せた。ウエスト部分を細く絞り、スカートは逆に膨らみを持たせた華やいだ姿だ。どうやってその服装で山を登れたのか、と訝しんだが。
すぐにブルーノと二人、輿に乗ってきたのだと納得した。
あの急峻な道を、汗もかかず息も切らさず、靴はこれっぽっちも汚れてもいない。
女性の靴は滑らかな布でできており、そもそも歩くための靴ですらなかった。
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