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4、迷子の少女
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「大丈夫ですか?」
小さな女の子が、エレオノーラのスカートにしがみついていた。店内の狭い通路を、前を見ずに歩いていたようだ。
女の子は五、六歳くらいに見える。まるで子どもの頃のエレオノーラのように、ふわふわのはちみつ色の髪をしている。
「お、おとうさまがぁ、いなく、なっちゃったぁ」
今にも消え入りそうな声だった。
「迷子なのね」と言いかけて、エレオノーラはその言葉を飲みこんだ。
女の子の言葉は、年齢を考えればたどたどしい。
(もしかして、近隣の国から来ているのかもしれないわ)
だとすれば、異国で父親とはぐれてしまったことを指摘するのはよくない。不安が増大して、パニックを起こすかもしれない。
「お父さまは、どこにいらっしゃるのかしら。一緒にお店に入ったの?」
「ううん。あのね、きれいなキラキラがあったから、ラウラね、しらないあいだにお店にはいってたの」
ラウラと名乗った少女は、店に陳列されているビーズの束を指さした。ビーズは糸を通して束になっている。大きなビーズは、まるで宝石を連ねたネックレスのようにも見える。
「おとうさまに、きれいよねって話しかけたの。そしたらね、おとうさまがいなくて。ごえーのおにいさんもいなくて」
ラウラは、サマーグリーンの大きな瞳を涙で潤ませた。
「泣かないで、大丈夫よ。お父さまはすぐにここにいらっしゃるわ」
エレオノーラはしゃがんで、ラウラの小さな背中を撫でた。
「どうしよう。おとうさままでいなくなっちゃったら。ラウラ、ひとりになっちゃう」
ああ、この子は母親をすでに失っているのだ。自分と同じなのだとエレオノーラは直感した。
細い体をきゅっと抱きしめると、日なたの匂いがした。
「ふぇ、ぇぇ。おかあさまぁ」
ラウラが、エレオノーラの胸もとにしがみつく。袖や襟がすりきれ、何度も繕った使用人同然の服を着ているエレオノーラとは違う。ラウラは、上質で愛らしいフリルのついたピナフォア・ドレスをまとっている。
(ごえーのおにいさん、というのは護衛のことなのね)
高貴な身分のお嬢さまなのだろう。さぞや父親も護衛も不安になっていることだろう。
「ラウラさん」
「ラウラ、でいいの」
「では、ラウラ。いちど外に出ましょう。そこでお父さまの名前を呼べますか? できるだけ大きな声で」
こくりとラウラはうなずいた。エレオノーラに手を引かれて、店から出る。
「オリヴェルおとうさまぁーーっ」
子どもの声は高い。
空気を震わせて、ひときわ高い声が風にのる。
道行く人が立ちどまっては、ふり返る。
ほんの数瞬で、店内に男性二人が走って入ってきた。
一人は見るからに護衛で、がっしりとした体躯の持ち主だ。逆光になって、顔は暗くて分からないが。まるで岩のような体つきをしている。
もう一人は、護衛ほどではないがやはり体格のよい男性。彼は、ラウラと同じサマーグリーンの澄んだ瞳と銀に近い短い髪だ。
護衛が背後に控えて光を遮っているので、彼の整った顔ははっきりと見える。
「ラウラ。心配したぞ、どうして消えたんだ」
「だって、だって。きらきらがきれいだから」
「うっ」
父親であるオリヴェルは言葉を詰まらせた。
すぐに娘を保護してくれたのが、エレオノーラであると気づいたのだろう。自分の前に立つ護衛を下がらせて、エレオノーラに礼を告げる。
「娘を見つけてくださり、感謝します。ラウラは国を出るのが初めてなので、どうも浮かれてしまったようで」
凛としたなかにも、優しさのにじむ穏やかな声だった。
「いいえ。わたしは偶然居合わせただけです。それにラウラさんの気持ちも分かります。きっと綺麗なビーズがあると、お父さまに教えてあげたかったのではないでしょうか」
エレオノーラの言葉に、ラウラが目を輝かせた。
「そう。そうなのっ。ラウラね、きれいなきらきらを、おとうさまにみせてあげたかったのよ」
いつの間にか、ラウラはエレオノーラの手を握っていた。
ふと、何かを見つけたのかオリヴェルが床に手を伸ばした。
「これは、あなたの物ですか」
「はい。母の形見のブローチです」
ゆがんだブローチをオリヴェルが返してくれる。
「スフェーンですね。ほとんど見かけない希少な石ですね。まるで故意に壊されたかのようだ」
今朝の義妹の横暴さを思いだして、エレオノーラはまぶたを伏せた。
「失礼ですが」と、オリヴェルが頭を下げる。
「いずれのお屋敷の使用人だと思っておりましたが。私の勘違いのようですね。言葉遣いや立ち居ふるまいから、上流の令嬢とお見受けしますが。お名前をうかがってもよろしいですか?」
「いえ、わたしなんて」
「失礼、こちらからまず名乗るべきでした。私はオリヴェル・シルヴァと申します」
シルヴァ? シルヴァ侯爵?
家政婦長のヨンナから聞いた名前が、頭をよぎった。
(この方は、ダニエラの婚約者候補だわ)
いけない。まさかダニエラの姉である自分が、使用人と同じ格好をしているなんてばれたらアディエルソン家の恥になる。
(でも、本当に?)
長女をメイドとして扱っているのは、父も義母も義妹の全員だ。虐げられている自分が、彼らの名誉を守る義務はどこにあるのだろう。
「わたしはエレオノーラと申します」
名前だけを告げ、アディエルソンの姓は伏せた。
長女である自分がいかに不当な扱いを受けているかを、きっとこのオリヴェルなら見抜くことだろう。
冷たい父も意地悪な義母も、悪意をぶつける義妹の体面も守る必要などないのに。
それでも子爵令嬢としてのプライドが、家の恥をさらすのを止めた。
小さな女の子が、エレオノーラのスカートにしがみついていた。店内の狭い通路を、前を見ずに歩いていたようだ。
女の子は五、六歳くらいに見える。まるで子どもの頃のエレオノーラのように、ふわふわのはちみつ色の髪をしている。
「お、おとうさまがぁ、いなく、なっちゃったぁ」
今にも消え入りそうな声だった。
「迷子なのね」と言いかけて、エレオノーラはその言葉を飲みこんだ。
女の子の言葉は、年齢を考えればたどたどしい。
(もしかして、近隣の国から来ているのかもしれないわ)
だとすれば、異国で父親とはぐれてしまったことを指摘するのはよくない。不安が増大して、パニックを起こすかもしれない。
「お父さまは、どこにいらっしゃるのかしら。一緒にお店に入ったの?」
「ううん。あのね、きれいなキラキラがあったから、ラウラね、しらないあいだにお店にはいってたの」
ラウラと名乗った少女は、店に陳列されているビーズの束を指さした。ビーズは糸を通して束になっている。大きなビーズは、まるで宝石を連ねたネックレスのようにも見える。
「おとうさまに、きれいよねって話しかけたの。そしたらね、おとうさまがいなくて。ごえーのおにいさんもいなくて」
ラウラは、サマーグリーンの大きな瞳を涙で潤ませた。
「泣かないで、大丈夫よ。お父さまはすぐにここにいらっしゃるわ」
エレオノーラはしゃがんで、ラウラの小さな背中を撫でた。
「どうしよう。おとうさままでいなくなっちゃったら。ラウラ、ひとりになっちゃう」
ああ、この子は母親をすでに失っているのだ。自分と同じなのだとエレオノーラは直感した。
細い体をきゅっと抱きしめると、日なたの匂いがした。
「ふぇ、ぇぇ。おかあさまぁ」
ラウラが、エレオノーラの胸もとにしがみつく。袖や襟がすりきれ、何度も繕った使用人同然の服を着ているエレオノーラとは違う。ラウラは、上質で愛らしいフリルのついたピナフォア・ドレスをまとっている。
(ごえーのおにいさん、というのは護衛のことなのね)
高貴な身分のお嬢さまなのだろう。さぞや父親も護衛も不安になっていることだろう。
「ラウラさん」
「ラウラ、でいいの」
「では、ラウラ。いちど外に出ましょう。そこでお父さまの名前を呼べますか? できるだけ大きな声で」
こくりとラウラはうなずいた。エレオノーラに手を引かれて、店から出る。
「オリヴェルおとうさまぁーーっ」
子どもの声は高い。
空気を震わせて、ひときわ高い声が風にのる。
道行く人が立ちどまっては、ふり返る。
ほんの数瞬で、店内に男性二人が走って入ってきた。
一人は見るからに護衛で、がっしりとした体躯の持ち主だ。逆光になって、顔は暗くて分からないが。まるで岩のような体つきをしている。
もう一人は、護衛ほどではないがやはり体格のよい男性。彼は、ラウラと同じサマーグリーンの澄んだ瞳と銀に近い短い髪だ。
護衛が背後に控えて光を遮っているので、彼の整った顔ははっきりと見える。
「ラウラ。心配したぞ、どうして消えたんだ」
「だって、だって。きらきらがきれいだから」
「うっ」
父親であるオリヴェルは言葉を詰まらせた。
すぐに娘を保護してくれたのが、エレオノーラであると気づいたのだろう。自分の前に立つ護衛を下がらせて、エレオノーラに礼を告げる。
「娘を見つけてくださり、感謝します。ラウラは国を出るのが初めてなので、どうも浮かれてしまったようで」
凛としたなかにも、優しさのにじむ穏やかな声だった。
「いいえ。わたしは偶然居合わせただけです。それにラウラさんの気持ちも分かります。きっと綺麗なビーズがあると、お父さまに教えてあげたかったのではないでしょうか」
エレオノーラの言葉に、ラウラが目を輝かせた。
「そう。そうなのっ。ラウラね、きれいなきらきらを、おとうさまにみせてあげたかったのよ」
いつの間にか、ラウラはエレオノーラの手を握っていた。
ふと、何かを見つけたのかオリヴェルが床に手を伸ばした。
「これは、あなたの物ですか」
「はい。母の形見のブローチです」
ゆがんだブローチをオリヴェルが返してくれる。
「スフェーンですね。ほとんど見かけない希少な石ですね。まるで故意に壊されたかのようだ」
今朝の義妹の横暴さを思いだして、エレオノーラはまぶたを伏せた。
「失礼ですが」と、オリヴェルが頭を下げる。
「いずれのお屋敷の使用人だと思っておりましたが。私の勘違いのようですね。言葉遣いや立ち居ふるまいから、上流の令嬢とお見受けしますが。お名前をうかがってもよろしいですか?」
「いえ、わたしなんて」
「失礼、こちらからまず名乗るべきでした。私はオリヴェル・シルヴァと申します」
シルヴァ? シルヴァ侯爵?
家政婦長のヨンナから聞いた名前が、頭をよぎった。
(この方は、ダニエラの婚約者候補だわ)
いけない。まさかダニエラの姉である自分が、使用人と同じ格好をしているなんてばれたらアディエルソン家の恥になる。
(でも、本当に?)
長女をメイドとして扱っているのは、父も義母も義妹の全員だ。虐げられている自分が、彼らの名誉を守る義務はどこにあるのだろう。
「わたしはエレオノーラと申します」
名前だけを告げ、アディエルソンの姓は伏せた。
長女である自分がいかに不当な扱いを受けているかを、きっとこのオリヴェルなら見抜くことだろう。
冷たい父も意地悪な義母も、悪意をぶつける義妹の体面も守る必要などないのに。
それでも子爵令嬢としてのプライドが、家の恥をさらすのを止めた。
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