上 下
4 / 11

4、迷子の少女

しおりを挟む
「大丈夫ですか?」

 小さな女の子が、エレオノーラのスカートにしがみついていた。店内の狭い通路を、前を見ずに歩いていたようだ。
 女の子は五、六歳くらいに見える。まるで子どもの頃のエレオノーラのように、ふわふわのはちみつ色の髪をしている。

「お、おとうさまがぁ、いなく、なっちゃったぁ」

 今にも消え入りそうな声だった。

「迷子なのね」と言いかけて、エレオノーラはその言葉を飲みこんだ。
 女の子の言葉は、年齢を考えればたどたどしい。

(もしかして、近隣の国から来ているのかもしれないわ)

 だとすれば、異国で父親とはぐれてしまったことを指摘するのはよくない。不安が増大して、パニックを起こすかもしれない。

「お父さまは、どこにいらっしゃるのかしら。一緒にお店に入ったの?」
「ううん。あのね、きれいなキラキラがあったから、ラウラね、しらないあいだにお店にはいってたの」

 ラウラと名乗った少女は、店に陳列されているビーズの束を指さした。ビーズは糸を通して束になっている。大きなビーズは、まるで宝石を連ねたネックレスのようにも見える。

「おとうさまに、きれいよねって話しかけたの。そしたらね、おとうさまがいなくて。ごえーのおにいさんもいなくて」

 ラウラは、サマーグリーンの大きな瞳を涙で潤ませた。

「泣かないで、大丈夫よ。お父さまはすぐにここにいらっしゃるわ」

 エレオノーラはしゃがんで、ラウラの小さな背中を撫でた。

「どうしよう。おとうさままでいなくなっちゃったら。ラウラ、ひとりになっちゃう」

 ああ、この子は母親をすでに失っているのだ。自分と同じなのだとエレオノーラは直感した。
 細い体をきゅっと抱きしめると、日なたの匂いがした。

「ふぇ、ぇぇ。おかあさまぁ」

 ラウラが、エレオノーラの胸もとにしがみつく。袖や襟がすりきれ、何度も繕った使用人同然の服を着ているエレオノーラとは違う。ラウラは、上質で愛らしいフリルのついたピナフォア・ドレスをまとっている。

(ごえーのおにいさん、というのは護衛のことなのね)

 高貴な身分のお嬢さまなのだろう。さぞや父親も護衛も不安になっていることだろう。

「ラウラさん」
「ラウラ、でいいの」
「では、ラウラ。いちど外に出ましょう。そこでお父さまの名前を呼べますか? できるだけ大きな声で」

 こくりとラウラはうなずいた。エレオノーラに手を引かれて、店から出る。

「オリヴェルおとうさまぁーーっ」

 子どもの声は高い。
 空気を震わせて、ひときわ高い声が風にのる。
 道行く人が立ちどまっては、ふり返る。

 ほんの数瞬で、店内に男性二人が走って入ってきた。
 一人は見るからに護衛で、がっしりとした体躯の持ち主だ。逆光になって、顔は暗くて分からないが。まるで岩のような体つきをしている。

 もう一人は、護衛ほどではないがやはり体格のよい男性。彼は、ラウラと同じサマーグリーンの澄んだ瞳と銀に近い短い髪だ。
 護衛が背後に控えて光を遮っているので、彼の整った顔ははっきりと見える。

「ラウラ。心配したぞ、どうして消えたんだ」
「だって、だって。きらきらがきれいだから」
「うっ」

 父親であるオリヴェルは言葉を詰まらせた。
 すぐに娘を保護してくれたのが、エレオノーラであると気づいたのだろう。自分の前に立つ護衛を下がらせて、エレオノーラに礼を告げる。

「娘を見つけてくださり、感謝します。ラウラは国を出るのが初めてなので、どうも浮かれてしまったようで」

 凛としたなかにも、優しさのにじむ穏やかな声だった。

「いいえ。わたしは偶然居合わせただけです。それにラウラさんの気持ちも分かります。きっと綺麗なビーズがあると、お父さまに教えてあげたかったのではないでしょうか」

 エレオノーラの言葉に、ラウラが目を輝かせた。

「そう。そうなのっ。ラウラね、きれいなきらきらを、おとうさまにみせてあげたかったのよ」

 いつの間にか、ラウラはエレオノーラの手を握っていた。
 ふと、何かを見つけたのかオリヴェルが床に手を伸ばした。

「これは、あなたの物ですか」
「はい。母の形見のブローチです」

 ゆがんだブローチをオリヴェルが返してくれる。

「スフェーンですね。ほとんど見かけない希少な石ですね。まるで故意に壊されたかのようだ」

 今朝の義妹の横暴さを思いだして、エレオノーラはまぶたを伏せた。
「失礼ですが」と、オリヴェルが頭を下げる。

「いずれのお屋敷の使用人だと思っておりましたが。私の勘違いのようですね。言葉遣いや立ち居ふるまいから、上流の令嬢とお見受けしますが。お名前をうかがってもよろしいですか?」
「いえ、わたしなんて」
「失礼、こちらからまず名乗るべきでした。私はオリヴェル・シルヴァと申します」

 シルヴァ? シルヴァ侯爵?
 家政婦長のヨンナから聞いた名前が、頭をよぎった。

(この方は、ダニエラの婚約者候補だわ)

 いけない。まさかダニエラの姉である自分が、使用人と同じ格好をしているなんてばれたらアディエルソン家の恥になる。


(でも、本当に?)

 長女をメイドとして扱っているのは、父も義母も義妹の全員だ。虐げられている自分が、彼らの名誉を守る義務はどこにあるのだろう。

「わたしはエレオノーラと申します」

 名前だけを告げ、アディエルソンの姓は伏せた。
 長女である自分がいかに不当な扱いを受けているかを、きっとこのオリヴェルなら見抜くことだろう。

 冷たい父も意地悪な義母も、悪意をぶつける義妹の体面も守る必要などないのに。
 それでも子爵令嬢としてのプライドが、家の恥をさらすのを止めた。
しおりを挟む

あなたにおすすめの小説

どうやら夫に疎まれているようなので、私はいなくなることにします

文野多咲
恋愛
秘めやかな空気が、寝台を囲う帳の内側に立ち込めていた。 夫であるゲルハルトがエレーヌを見下ろしている。 エレーヌの髪は乱れ、目はうるみ、体の奥は甘い熱で満ちている。エレーヌもまた、想いを込めて夫を見つめた。 「ゲルハルトさま、愛しています」 ゲルハルトはエレーヌをさも大切そうに撫でる。その手つきとは裏腹に、ぞっとするようなことを囁いてきた。 「エレーヌ、俺はあなたが憎い」 エレーヌは凍り付いた。

覚悟は良いですか、お父様? ―虐げられた娘はお家乗っ取りを企んだ婿の父とその愛人の娘である異母妹をまとめて追い出す―

Erin
恋愛
【完結済・全3話】伯爵令嬢のカメリアは母が死んだ直後に、父が屋敷に連れ込んだ愛人とその子に虐げられていた。その挙句、カメリアが十六歳の成人後に継ぐ予定の伯爵家から追い出し、伯爵家の血を一滴も引かない異母妹に継がせると言い出す。後を継がないカメリアには嗜虐趣味のある男に嫁がられることになった。絶対に父たちの言いなりになりたくないカメリアは家を出て復讐することにした。7/6に最終話投稿予定。

姉の引き立て役として生きて来た私でしたが、本当は逆だったのですね

麻宮デコ@ざまぁSS短編
恋愛
伯爵家の長女のメルディナは美しいが考えが浅く、彼女をあがめる取り巻きの男に対しても残忍なワガママなところがあった。 妹のクレアはそんなメルディナのフォローをしていたが、周囲からは煙たがられて嫌われがちであった。 美しい姉と引き立て役の妹として過ごしてきた幼少期だったが、大人になったらその立場が逆転して――。 3話完結

【完結】すべてを妹に奪われたら、第2皇子から手順を踏んで溺愛されてました。【番外編完結】

三矢さくら
恋愛
「侯爵家を継承できるという前提が変わった以上、結婚を考え直させてほしい」 マダレナは王立学院を無事に卒業したばかりの、カルドーゾ侯爵家長女。 幼馴染で伯爵家3男のジョアンを婿に迎える結婚式を、1か月後に控えて慌ただしい日々を送っていた。 そんなある日、凛々しい美人のマダレナとは真逆の、可愛らしい顔立ちが男性貴族から人気の妹パトリシアが、王国の第2王子リカルド殿下と結婚することが決まる。 しかも、リカルド殿下は兄王太子が国王に即位した後、名目ばかりの〈大公〉となるのではなく、カルドーゾ侯爵家の継承を望まれていた。 侯爵家の継承権を喪失したマダレナは、話しが違うとばかりに幼馴染のジョアンから婚約破棄を突きつけられる。 失意の日々をおくるマダレナであったが、王国の最高権力者とも言える王太后から呼び出される。 王国の宗主国である〈太陽帝国〉から輿入れした王太后は、孫である第2王子リカルドのワガママでマダレナの運命を変えてしまったことを詫びる。 そして、お詫びの印としてマダレナに爵位を贈りたいと申し出る。それも宗主国である帝国に由来する爵位で、王国の爵位より地位も待遇も上の扱いになる爵位だ。 急激な身分の変化に戸惑うマダレナであったが、その陰に王太后の又甥である帝国の第2皇子アルフォンソから注がれる、ふかい愛情があることに、やがて気が付いていき……。 *女性向けHOTランキング1位に掲載していただきました!(2024.7.14-17)たくさんの方にお読みいただき、ありがとうございます! *完結しました! *番外編も完結しました!

【完結】妹が欲しがるならなんでもあげて令嬢生活を満喫します。それが婚約者の王子でもいいですよ。だって…

西東友一
恋愛
私の妹は昔から私の物をなんでも欲しがった。 最初は私もムカつきました。 でも、この頃私は、なんでもあげるんです。 だって・・・ね

【完結】義母が来てからの虐げられた生活から抜け出したいけれど…

まりぃべる
恋愛
私はエミーリエ。 お母様が四歳の頃に亡くなって、それまでは幸せでしたのに、人生が酷くつまらなくなりました。 なぜって? お母様が亡くなってすぐに、お父様は再婚したのです。それは仕方のないことと分かります。けれど、義理の母や妹が、私に事ある毎に嫌味を言いにくるのですもの。 どんな方法でもいいから、こんな生活から抜け出したいと思うのですが、どうすればいいのか分かりません。 でも…。 ☆★ 全16話です。 書き終わっておりますので、随時更新していきます。 読んで下さると嬉しいです。

求職令嬢は恋愛禁止な竜騎士団に、子竜守メイドとして採用されました。

待鳥園子
恋愛
グレンジャー伯爵令嬢ウェンディは父が友人に裏切られ、社交界デビューを目前にして無一文になってしまった。 父は異国へと一人出稼ぎに行ってしまい、行く宛てのない姉を心配する弟を安心させるために、以前邸で働いていた竜騎士を頼ることに。 彼が働くアレイスター竜騎士団は『恋愛禁止』という厳格な規則があり、そのため若い女性は働いていない。しかし、ウェンディは竜力を持つ貴族の血を引く女性にしかなれないという『子竜守』として特別に採用されることになり……。 子竜守として働くことになった没落貴族令嬢が、不器用だけどとても優しい団長と恋愛禁止な竜騎士団で働くために秘密の契約結婚をすることなってしまう、ほのぼの子竜育てありな可愛い恋物語。 ※完結まで毎日更新です。

悪役令嬢のお姉様が、今日追放されます。ざまぁ――え? 追放されるのは、あたし?

柚木ゆず
恋愛
 猫かぶり姉さんの悪事がバレて、ついに追放されることになりました。  これでやっと――え。レビン王太子が姉さんを気に入って、あたしに罪を擦り付けた!?  突然、追放される羽目になったあたし。だけどその時、仮面をつけた男の人が颯爽と助けてくれたの。  優しく助けてくれた、素敵な人。この方は、一体誰なんだろう――え。  仮面の人は……。恋をしちゃった相手は、あたしが苦手なユリオス先輩!? ※4月17日 本編完結いたしました。明日より、番外編を数話投稿いたします。

処理中です...