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2、下僕のように扱われています
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十八歳になったエレオノーラは、使用人同然の生活をしていた。
子爵令嬢として社交界にデビューしたのは、義妹のダニエラだ。
十六歳のダニエラは、イルヴァによく似た黒髪の、目の大きい派手な顔立ちをしていた。そしてきつい性格もそっくりだった。
「お姉さま。わたくしの寝間着にしわがついているんだけど。どうしてくれるの? こんなんじゃ眠れないじゃない」
夕方。家事室で繕い物をしていたエレオノーラに、妹のダニエラが白い寝間着をぶつけてくる。
やはりダニエラも寒々とした風を思わせる声をしている。
「外出用のドレスは、ちゃんとアイロンをかけているわ」
はちみつ色のふわりとした髪を、ひとつに結んだエレオノーラが椅子から立ちあがる。彼女の手は、長年の洗濯や針仕事で荒れてしまっていた。
誰が見ても、もはやエレオノーラは子爵令嬢ではない。
「腰のリボンも張りがでるようにしているし。スカートの部分もしわひとつないでしょう?」
熾った石炭を入れた鏝で、家族の服のアイロンをかけるのはエレオノーラの役目だった。
今は春なので暑くはないが。石炭を使う仕事は、発する熱で体力を奪われる。
「はぁ?わたくしはね、ドレスの話なんてしていないの。寝具の話をしているわけ。話を逸らして手を抜こうだなんて。お姉さまは、本当にずるいのね」
バシッ、と布がエレオノーラの顔にぶつかった。
床に落ちたのは、白い寝間着と枕カバーだった。
この妹は、いつも身勝手だ。「お姉さま」なんて呼ぶのはうわべだけで、エレオノーラのことは下僕と思っている。
(いつまでもこき使われるわけにはいかないわ)
けれど、この家を出ていく術がない。
高い踵の靴をカツカツと鳴らしながら、ダニエラがエレオノーラの前に来る。伸ばした彼女の手が、エレオノーラの服の袖にかけられた。
びりり、と派手な音を立てて袖が肩から破られた。
「何をするの。ダニエラ」
「あーら、お姉さま。肩をはだけてみっともない。早く繕いなさいよ。ああ、でもわたくしの寝間着が先よ。枕カバーもね、しわがあると気になって寝づらいのよ」
そろそろ夕食の時間だというのに、エレオノーラの仕事が増えた。いくら使用人と一緒に食事をとるにしても、こんな破れた袖では人前に出られない。
(お母さまが生きていらしたら、こんな惨めな思いをせずにすんだのに)
父は、イルヴァそっくりの娘を溺愛している。
かつてエレオノーラを可愛がっていたことなど、忘却の彼方だ。父ですら、長女のことは給金のいらない使用人程度にしか思っていない。
「エレオノーラお嬢さま」
夜も遅くなった頃、家事室に入ってきたのは家政婦長のヨンナだった。彼女はエレオノーラが生まれる前から、アディエルソン家に仕えている。
「食事が残っておりましたから、心配になって。またダニエラさまに無理を押しつけられたのですね」
アイロンを終え、ようやく自分の袖を繕い終えたエレオノーラは、疲れて机に突っ伏していた。
「ちゃんとお食事を召しあがってください。でないとお体を壊してしまいます」
ヨンナは、机の上にトレーを置いた。
豆のスープと、ぼそぼそとしたパン。それにチーズ。今日は家族の残り物の鹿肉の細切れが皿にのっている。
「ありがとう、ヨンナ」
「本当に無理をなさらないでください。エレオノーラさまは、まぎれもなく子爵令嬢でいらっしゃるのに。こんな下僕のような生活を強いられて……」
かつてエレオノーラが愛されていたことを知るヨンナは、よほど現状が悔しいのだろう。唇を噛みしめている。
「大丈夫よ」
なにが大丈夫なのだろう。
スプーンを手に持ち、エレオノーラは考えた。
(本当は大丈夫じゃないくせに。このまま家族にこき使われて、夢も希望もなく一生を終えるだなんて)
けれど、自分にできるのは洗濯や針仕事ばかり。
冷めきった豆のスープは、どろりとして重く感じられた。
「そういえば、ダニエラお嬢さまに縁談があるそうですね」
「そうなの? 彼女は十六歳だから、まだ少し早いのではなくて?」
エレオノーラがちゃんと食べきるのを確認するためか、ヨンナは家事室の椅子に座った。
応接室や書斎の椅子とは違い、簡素な作りなのでぎしりと軋んだ音がする。
「旦那さまも渋っておいでです。年齢のことよりも、婿を取るのではなく嫁として迎えたいとのことで。それも子爵令嬢を」
ああ、とエレオノーラは納得した。
ダニエラを可愛がっている父は、彼女を手元に置いておきたいだろう。残るのが、冴えない下働きの長女だと思うと、良縁であっても乗り気になれないに違いない。
「お相手は、噂によるとクマのような見た目とか。それに野蛮で粗暴。しかもお子さままでいらっしゃるそうで」
「では、お父さまは縁談をお断りになるのね」
「ですが隣国ユーゲンホルムの侯爵家なんですよ。たしかシルヴァ侯爵ですね。ずいぶんと悩んでおいでです」
子爵よりも身分が上の侯爵家から望まれたのでは、父も断りにくいだろう。
母も、この国の公爵家の娘だったから。たとえ母のことは気に入らずとも、結婚したのだろう。
「ダニエラはどうするのかしら」
エレオノーラは他人事のように考えていた。
子爵令嬢として社交界にデビューしたのは、義妹のダニエラだ。
十六歳のダニエラは、イルヴァによく似た黒髪の、目の大きい派手な顔立ちをしていた。そしてきつい性格もそっくりだった。
「お姉さま。わたくしの寝間着にしわがついているんだけど。どうしてくれるの? こんなんじゃ眠れないじゃない」
夕方。家事室で繕い物をしていたエレオノーラに、妹のダニエラが白い寝間着をぶつけてくる。
やはりダニエラも寒々とした風を思わせる声をしている。
「外出用のドレスは、ちゃんとアイロンをかけているわ」
はちみつ色のふわりとした髪を、ひとつに結んだエレオノーラが椅子から立ちあがる。彼女の手は、長年の洗濯や針仕事で荒れてしまっていた。
誰が見ても、もはやエレオノーラは子爵令嬢ではない。
「腰のリボンも張りがでるようにしているし。スカートの部分もしわひとつないでしょう?」
熾った石炭を入れた鏝で、家族の服のアイロンをかけるのはエレオノーラの役目だった。
今は春なので暑くはないが。石炭を使う仕事は、発する熱で体力を奪われる。
「はぁ?わたくしはね、ドレスの話なんてしていないの。寝具の話をしているわけ。話を逸らして手を抜こうだなんて。お姉さまは、本当にずるいのね」
バシッ、と布がエレオノーラの顔にぶつかった。
床に落ちたのは、白い寝間着と枕カバーだった。
この妹は、いつも身勝手だ。「お姉さま」なんて呼ぶのはうわべだけで、エレオノーラのことは下僕と思っている。
(いつまでもこき使われるわけにはいかないわ)
けれど、この家を出ていく術がない。
高い踵の靴をカツカツと鳴らしながら、ダニエラがエレオノーラの前に来る。伸ばした彼女の手が、エレオノーラの服の袖にかけられた。
びりり、と派手な音を立てて袖が肩から破られた。
「何をするの。ダニエラ」
「あーら、お姉さま。肩をはだけてみっともない。早く繕いなさいよ。ああ、でもわたくしの寝間着が先よ。枕カバーもね、しわがあると気になって寝づらいのよ」
そろそろ夕食の時間だというのに、エレオノーラの仕事が増えた。いくら使用人と一緒に食事をとるにしても、こんな破れた袖では人前に出られない。
(お母さまが生きていらしたら、こんな惨めな思いをせずにすんだのに)
父は、イルヴァそっくりの娘を溺愛している。
かつてエレオノーラを可愛がっていたことなど、忘却の彼方だ。父ですら、長女のことは給金のいらない使用人程度にしか思っていない。
「エレオノーラお嬢さま」
夜も遅くなった頃、家事室に入ってきたのは家政婦長のヨンナだった。彼女はエレオノーラが生まれる前から、アディエルソン家に仕えている。
「食事が残っておりましたから、心配になって。またダニエラさまに無理を押しつけられたのですね」
アイロンを終え、ようやく自分の袖を繕い終えたエレオノーラは、疲れて机に突っ伏していた。
「ちゃんとお食事を召しあがってください。でないとお体を壊してしまいます」
ヨンナは、机の上にトレーを置いた。
豆のスープと、ぼそぼそとしたパン。それにチーズ。今日は家族の残り物の鹿肉の細切れが皿にのっている。
「ありがとう、ヨンナ」
「本当に無理をなさらないでください。エレオノーラさまは、まぎれもなく子爵令嬢でいらっしゃるのに。こんな下僕のような生活を強いられて……」
かつてエレオノーラが愛されていたことを知るヨンナは、よほど現状が悔しいのだろう。唇を噛みしめている。
「大丈夫よ」
なにが大丈夫なのだろう。
スプーンを手に持ち、エレオノーラは考えた。
(本当は大丈夫じゃないくせに。このまま家族にこき使われて、夢も希望もなく一生を終えるだなんて)
けれど、自分にできるのは洗濯や針仕事ばかり。
冷めきった豆のスープは、どろりとして重く感じられた。
「そういえば、ダニエラお嬢さまに縁談があるそうですね」
「そうなの? 彼女は十六歳だから、まだ少し早いのではなくて?」
エレオノーラがちゃんと食べきるのを確認するためか、ヨンナは家事室の椅子に座った。
応接室や書斎の椅子とは違い、簡素な作りなのでぎしりと軋んだ音がする。
「旦那さまも渋っておいでです。年齢のことよりも、婿を取るのではなく嫁として迎えたいとのことで。それも子爵令嬢を」
ああ、とエレオノーラは納得した。
ダニエラを可愛がっている父は、彼女を手元に置いておきたいだろう。残るのが、冴えない下働きの長女だと思うと、良縁であっても乗り気になれないに違いない。
「お相手は、噂によるとクマのような見た目とか。それに野蛮で粗暴。しかもお子さままでいらっしゃるそうで」
「では、お父さまは縁談をお断りになるのね」
「ですが隣国ユーゲンホルムの侯爵家なんですよ。たしかシルヴァ侯爵ですね。ずいぶんと悩んでおいでです」
子爵よりも身分が上の侯爵家から望まれたのでは、父も断りにくいだろう。
母も、この国の公爵家の娘だったから。たとえ母のことは気に入らずとも、結婚したのだろう。
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