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2、生意気なメイド長

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 翌日の午後。フロレンシアは自室で刺繍をしていた。
 刺繍は得意だ。鳥や花の模様を組み合わせて、ベッドカバーやテーブルクロスを飾っていく。

 男爵の実家は古い家系だが、領地は狭く収入も少なかった。
 それゆえ、フロレンシアは手芸の腕を高めた。
 フロレンシアの刺繍は、結婚式のドレスやベールで人気だ。しかも王族が日々使用するハンカチやリネン類に施された頭文字の刺繍も、彼女の手になるものだ。

 結婚してからも、刺繍の注文は途切れることなく入ってくる。

『今度、ドレスの刺繍の打ち合わせに王宮に来てほしいのだけれど。でも、都合がつかないのなら、わたくしが伯爵家に参ります。デザイン画を用意しておくわね』

 モニカ王女からの手紙を、フロレンシアは思いだしていた。
 ほかにも、刺繍のお礼の手紙をくれる令嬢や夫人も多い。

 上流階級のなかで、フロレンシアは名の売れた刺繍作家だ。

「生きていくだけのお金なら、あるんだけれど」

 窓の外を眺めながら、フロレンシアはため息をついた。
 庭の木々はほとんどの葉を落としている。重く曇った空から、ちらほらと雪が舞い降りてきた。

「でも妹が出戻れば、お兄さまの縁談がまとまらなくなってしまうわ」

 一人暮らしをしてもいいのだけれど。夫が素直に離婚に応じるかは分からない。

「愛情なんてかけらもないのにね。あの人は平民の愛人と結婚できないから、仕方なくわたしを妻にしただけだし。両親も伯爵からの求婚を断ることはできなかったもの」

 ささくれだった心は、一針一針と模様を刺していくごとに落ちついてくる。
 足もとが冷えるが、暖炉のない部屋なので我慢するしかない。

 静寂を破る音が響いた。
 苛立たしげにドアがノックされたのだ。

「夫は今日は帰らないと聞いていたけれど」

 返事をする前に、ドアは勢いよく開く。

「奥さま。なんですか、この服は。汚れが落ちてないじゃないですか。臭いも残っています」

 入ってきたのは年配のメイド長だった。背後にはランドリーメイドをふたり、伴っている。

「わたしたち、ちゃんと奥さまに頼んだんですよ。仕事が忙しいから、お願いしますって」
「でも、奥さまは意地が悪いから。ちょっと水で濡らしただけで終わらせてるんです」

 まるで自分たちが正しいかのように、メイド達は訴えている。
 メイド長は、眉間にしわを寄せてフロレンシアを睨みつけた。

「伯爵に捨てられているくせに。たかが男爵の娘のくせに。なにが『奥さま』ですか! この館に住まわせてもらっているだけでも、あなたは感謝しないといけないんですよ」

 きんきんと甲高い声が、室内に響く。
 メイド長もランドリーメイドも、夫である伯爵も知らない。フロレンシアの刺繍が、王族から贔屓にされていることを。

 フロレンシアは、思わず笑いをこぼしてしまった。
 副団長のエミリオが想像していたよりも、メイド達の質がずっとずっと悪かったからだ。

「メイド達が仕事をさぼるのは許すのに、わたしが手を抜くと怒るんですね。あなたは面白いですね。それで部下の教育ができるのですか? ああ、だからまっとうなメイドがこの家にはいないんですね」

 すらすらと言葉が出てきたのは、今朝、エミリオが味方になってくれたからかもしれない。
 洗濯の不備は、副団長に文句を言えとエミリオは言ってくれた。当然口にはできないけれど。

 メイド長は顔をまっ赤にした。
 指の筋が浮き立つほどに、乾いた洗濯物を握りしめている。

「旦那さまに言いつけてやりますっ。じきに戻っていらっしゃいますから、覚悟なさるように!」

 バンッ、と派手な音を立ててドアが閉まる。

「今日は夕食抜きかしら」

 フロレンシアは肩を落とした。

 メイド長を怒らせれば食事抜き。夫が外で夕食をとる日は、フロレンシアの食事は硬くなったパンに、野菜くずが浮いているだけのスープ。使用人達の方が、まともなもの食べている。
 結婚してから五年の間に、フロレンシアはやせ細ってしまった。

 夫とベッドを共にしたことはないけれど。もし体を重ねたとしても、この栄養状態の悪さでは、子供などできないだろう。

 実家の両親には、自分が虐待にも似た扱いを受けていることは話していない。
 心配をかけさせたくないのだ。

(それでも噂は耳にしているはずだわ。いつでも戻ってきなさいと、お父さまもお母さまも話してくれたことがあるもの)

 ただ男爵家の娘である自分から、は伯爵である夫に離縁をつきつけることはできない。
 離婚してくれれば、楽になれるののに。
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