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五章 女炎帝

22、切ない琥珀の瞳

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 後日。翠鈴はきれいに洗濯した圍巾ウェイジンを手に、秘書省の書令史の部屋を訪れた。
 光柳と雲嵐の職場だ。

 綿繭わたまゆの紙で作られたまどから、光が射しこむ。壁も床も、銀箔を貼ったかのように美しい。

「やはり、これはさすがにいただけません。わたしには高価すぎます」

 翠鈴が差しだした圍巾ウェイジンを見て、机の席に座った光柳と横に立つ雲嵐は顔を見合わせた。

「翠鈴。お茶でもどうですか?」

 すかさず雲嵐がお茶を勧めてくる。
 これは光柳の意図を汲んで、話を逸らそうとしているな。翠鈴は察した。

 光柳と雲嵐の主従は、言葉にせずとも唇の動きや、目だけで会話ができるという特技を持っている。
 彼らは幼なじみという関係でもあるから。ふたりとも特に疑問を持ってなさそうだが。

 翠鈴と胡玲も幼なじみだ。しかし、言葉にせずに意思の疎通ができるような芸当は持ちあわせていない。

「いえ、お茶は結構です」と翠鈴は断った。それなのに、雲嵐はすぐに湯を沸かすために部屋を出た。

(まぁ、あるじの意思の方を優先するよね)

 翠鈴は、光柳に椅子に座るように促される。
 長居するつもりはないのだが。すぐに帰してもらえなさそうだ。

「贈った物を返されても困る」
「失礼なのは承知しています。光柳さまにとっては、使い慣れているでしょうが。わたしには高級すぎます」

 ただ、この圍巾ウェイジンの肌触りは心地がいいから。あまりにも気に入っているので、翠鈴は常に首に巻いている。

 机の上にたたんで置いた圍巾に、翠鈴はそっと手を触れる。
 なめらかで、優しくて。しかも温かい。

「私と思って大事にするように、と以前に言ったと思うが」
「大事にしていましたよ。しまいこまずに、毎日使っていました」

 寒い夜も朝も、この襟巻に包まれていれば暖かだった。気持ちがほっとしたのだ。

「まーぁ、気にしなくていいんじゃないか?」

 光柳が、急に明るい声を発した。

「気にしますよ。庶民なもので」

 翠鈴は時々、勘違いしてしまいそうになる。光柳たちと一緒にいることが多いから。気軽に話ができるから。
 仲間で、友人でいられるんじゃないか、と。

「そうだ。雲嵐が年糕ニェンガオを焼いてくれるぞ。茶菓子にしよう」
「まだ春節には早いですよ。それに焼くんですか? うちの方では年糕を揚げて、砂糖をかけますよ」
「おいしいものは、いつ食べてもいいんだ」

 よほど好物なのだろう。光柳は満面の笑顔だ。
 お茶のいい香りが漂ってきた。翠鈴は、雲嵐がいる小部屋の方に目を向ける。

 翠鈴は気づかなかった。

 よそを向いた翠鈴を見つめる光柳から、笑顔が消えたことを。
 彼の表情に、やるせない切なさが浮かんでいたことを。

 これまでの人生で、光柳はいろんなものを失ってきた。寂しさを抱えれば抱えるほど、彼の琥珀の瞳は透明さを増していく。

「干し草のような、懐かしい香りがします。白牡丹パイムーダンのお茶を淹れてくださってるんでしょうか」

 翠鈴がふり向いたとき。光柳は笑顔だった。一片の憂いも感じられない表情だ。

「ああ、先日購入した茶葉だ。抽出時間の問題なのか、それとも茶葉の量なのか。私が淹れると渋くなるんだよな」

 繊細な感性を持っているのに。光柳は細かな部分は気にしないようだ。

「それに年糕ニェンガオは『年年高ニェンニェンガオ』に通じるからな。お金儲けにぴったりなんだ。それから。やはりこれは君が持っていなさい」

 光柳は、まるでついでのように圍巾ウェイジンを翠鈴に手渡した。

「私は、君の仕事中の風除けにはなってやれないからな。常に私が後ろにいて、壁になるのもおかしいだろう」
「想像すると怖いです」
「な?」

 光柳の言葉は冗談だと分かっているのに。
 翠鈴が回廊の下げ灯籠を消すたびに、背後にぴたっと立った光柳が一緒に移動する様子を想像すると。あまりにも馬鹿げていて、笑いがこぼれてしまう。

「光柳さま、翠鈴。お茶をどうぞ」

 雲嵐が盆を運んできた。手早く焼いたのだろう。盆には年糕と蓋碗ガイワンが載っている。

白牡丹パイムーダンは、茶葉の白い産毛が牡丹の花に似ているそうですよ。この葉は渋みが出やすいんです。それに茶葉が大きいので、蓋碗ガイワンで淹れる方がいいんです」

「そうなんですね。前に飲んだ時は、急須の茶壺チャフで淹れてしまいました」
「では、今日はぜひ蓋碗で」

 にっこりと雲嵐が微笑む。
 もし彼が茶葉を売る商人であったら、翠鈴は迷わず購入してしまったであろう。
 なぜか、光柳がしたり顔で口の端を上げた。

 碗の蓋を、翠鈴はずらした。ふわっと、かぐわしい香りが鼻をかすめる。

 最近の雲嵐は、主だけではなく翠鈴の好みまで分かってきている。
 これはお茶を断って、席を立つのは難しい。
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