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五章 女炎帝

19、牢獄の前で【2】

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「書令史ごときが何をしに来た。まさか、この女どもを解放してくれと頼みに来たんじゃなかろうな。正義感からの行動か?」

 まだ宮女たちの歓声はやまない。黄色い声にかき消されながらも、陳天分は問うた。

「いや。頼みに来たんじゃない」

 女性に騒がれるのなど慣れているので、光柳は涼しい表情をしている。そして懐から巻物を取りだした。

「ほぉ。じゃあ懇願か? ならば、床にはいつくばって頭を下げれば話しぐらいは聞いてやらんでもない」

 陳天分の言葉に反応したのは、光柳ではなかった。

「はーぁ? いい加減にしなさいよ」
「そうよ。光柳さまに何をさせようとしているの。この変態オヤジ」
「どうせ自分の方が身分が上だからって、威張ってるんでしょ。光柳さまは階級とか関係なく、気品に溢れているの。あなたには品なんて、これっぽちもないわよね」
「あんたは私たちを人として扱ってないわ。光柳さまとは違うのよ」

 牢の中の女たちが、口々に陳天分を罵りはじめる。
 何日も、彼女らを獄中に閉じ込めた陳天分に対する非難や抗議は止まない。

「あなた方は、酷寒の中で耐え忍んできたのでしょう。大声を出すと、体力を消耗しますよ」

 光柳は、宮女たちを気遣った。

 普段から、事情を聞くなどの必要がなければ、女性と話すことがあまりない光柳だ。本人は女性に対して苦手意識があるのだが。
 周囲は光柳の言葉の少なさにも、神秘性を見出そうとする。

 陳天分に対する宮女らの苦情と批判は、一気に「きゃあああっ」という歓声にとって代わられた。

(何なんだ、こいつは)

 もはや宗教だ。
 陳天分のこめかみを、汗が伝う。こんなにも寒いのに。
 女炎帝を騙る奴を捕らえようとしていたのに。宮女たちの、光柳への信仰にも似た行動を目にして、陳天分は身震いした。

 上には上がいる。

「大理寺卿。これは陛下からの書状だ」

 手にした巻物を、光柳が陳天分に投げた。
 あまりにもぞんざいな扱いに、それが皇帝からの書状であることを陳天分は一瞬忘れた。

「う、うわ」

 慌てて巻物を手で掴む。落としてはならない。

(なんという無茶を。不敬で捕まえてやろうか)

 しかし、光柳のことなど陛下から賜った書状の前には塵も同じ。
 大理寺卿として、後宮の風紀を律したことをお褒めくださったのかもしれぬ。

 陳天分は急いで巻物を開いて、慌てて目を通す。
 壁に据えられた明かりは乏しく、文字を追うのも一苦労だ。

「え?」

 目に入った言葉が信じられずに、瞬きをくり返す。

「皇后陛下のご懐妊のお祝いの準備が、滞っている、だと? 私が謹慎? なぜ私がその責任を負わされるのだ」
「分からないのか?」

 光柳に問いを問いで返されて、陳天分は頭に血が上った。こめかみが痛い。

「あなたが手当たり次第に、宮女や女官を牢に放りこんだからだ。皇后陛下の祝いの準備をするのは、投獄されている彼女たち。つまり、あなたは陛下の祝いに水を差したことになる」

 光柳の言葉を聞いた陳天分は、はっとして目を見開いた。

 侍女は皇后や妃嬪の身の回りの世話をする。だが後宮での儀式や催しで準備にあたるのは、女官と宮女だ。
 彼女らは、もう何日もここにいる。

 命じたのは自分だ。

◇◇◇

 光柳によって解放された女官や宮女は、何度も何度も礼を告げながら後宮へと戻った。

「実際に手柄を立てたのは、私ではないのだがな」

 小さくなっていく彼女らの背中を見送りながら、光柳たちも後宮の門をくぐる。
 外廷と後宮は、距離はあれど壁で区切られているだけなのに。乾いて冷たい外廷と違い、後宮に吹く風はしっとりと湿度を帯びているように思える。

「仕方ありませんよ。女炎帝と呼ばれているのが、翠鈴であるとはおおっぴらにはできませんからね。彼女もそれを望まないでしょう」
「そうだな」

 雲嵐の言葉に、光柳はうなずいた。
 実際には宮女たちを救おうとしたのは、翠鈴だ。光柳が彼女の窮地を助けたのは事実だが。率先して、ひとりで動いたのは翠鈴なのだ。

「あれは、目立つのが好きではなさそうだ。自覚はないようだが、かなり目立っているのにな」
「光柳さまは、自覚がおありですよね」

「うむ」と、光柳は雲嵐を見上げる。

「どうせ子供の頃から執着されることが多いのだからな。派手に仰々しく、麗しく。それに伝説の女流詩人、麟美リンメイが地味であっては皆の期待を裏切るだろう?」
「麟美さまとしては、顔をお出しにならないのに?」

 雲嵐は「いたっ」と声を上げた。

 なんと、光柳が雲嵐のふくらはぎを蹴ってきたのだ。さほどの力はないが。それでも何度も蹴ってくるので、地味に痛い。

「子供じみた仕返しはやめてください」
「雲嵐は他人に対しては言葉少ななのに。私に対しては遠慮がなさすぎる」

 まだ光柳は蹴るのを止めない。

「そりゃあ、光柳さまは他人じゃないからですよ。ほぼ家族じゃないですか」
「家族?」

 稚拙な攻撃が終わった。さっきまで拗ねていた光柳の表情が、まるで花開くように輝いていた。
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