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五章 女炎帝

16、どうして信じて疑わないの

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「何人の女官や宮女を捕らえたの?」

 翠鈴は、警備の宦官の前で足を止めた。

 風が強くなる。翠鈴は、髪をひとつに結んでいた紐をほどいた。
 艶のある髪が、夜風になびく。

「さっき『大理寺に引き渡せば、素直に吐くだろう』って言ったわよね。どういうこと?」

 思わぬ事態だったのだろう。宦官は、口をぱくぱくと開くだけで返事をしない。
 妃嬪やその他の側室や侍女に女官、そして宮女。女で溢れかえる後宮で、苛めなど日常茶飯事だが。下っ端の宮女が宦官に盾突くとは、考えもしなかったようだ。

「女官や侍女に何をしようとしているの? 宮女狩りは楽しい?」
「そ、それは」
「当ててあげようか? 拷問、でしょ」

 ここで怯むことはできない。翠鈴は、自ら女炎帝を名乗ったことは一度もない。それでも薬の神である神農炎帝しんのうえんていの娘に頼ろうとする女性たちを、見捨てることなどできない。

 首に光柳の圍巾ウェイジンを巻いていたなら、きっと握りしめていた。
 いや、むしろ忘れてよかったのかもしれない。
 右手に髪を結んでいた紐。左手にはちぎった菖蒲の葉を掴んでいるのだから。

(大丈夫。きっと来てくれる。光柳さまは、この辺りを見まわると話していたのだから)

 女神を騙り、信者を集めて組織を作る。そんな野望など持ちあわせていない。
 ただ、薬とお茶を買いたいだけ。とてもささやかな願いだ。

 翠鈴はさらに宦官に近寄る。

 ひるむな。弱さを見せれば、負けてしまう。
 視線を逸らすな。人を射殺しそうな目だを言われたではないか。
 
「知ってるわ。新たな大理寺卿は、相手を苦しませるのが趣味らしいわね。刑罰であれば、身体を損なわせる。じゃあ、拷問ならどうかしら。顔に布をかぶせて、水を浴びせて窒息させるの? それとも極寒の牢で、衣をびしょ濡れにさせて凍えさせるの?」

 口にするのも嫌な言葉だ。翠鈴は眉をしかめた。
 だが時間を稼がなければならない。光柳がいつ来るのか分からないのだから。

「それとも爪の間に針でも刺すのかしら」
「まだ何もしていない」
「ふぅん?『まだ』ということは、これから拷問をするのね」

 翠鈴は目をすがめた。

「ねぇ。侍女もこの橋に来るんだけど。どうして侍女は狩らないの?」

 宦官は目を見開いた。
 指摘されたくなかったのだろう。それぞれの妃嬪の侍女は、実家の力が強い。

「さすがに侍女は投獄できないわよね。大理寺卿だいりじけいチェン家は大商家だけど。侍女たちの方が貴族の出身だったりするものね。新しい大理寺卿は、相手が自分より下の者だけを裁くのね。公平なんてクソくらえって、感じかしらね」
「クソ……」

 下女とはいえ、まさか後宮で働く宮女が「クソ」などという言葉を使うとは思わなかったのだろう。
 警備の宦官に隙ができた。

 翠鈴は橋面を蹴って、勢いよく前に出た。
 女官の腕を掴んで、自分の方に引き寄せる。そして女官を背後に隠した。

「怪我はないわね」
「はい。大丈夫です」
「じゃあ、わたしの後ろで守られていなさい」

 夜は深くなっている。だが橋のたもとで人の気配がした。
 他に宦官が潜んでいるのか。
 警戒したが、翠鈴の目に映ったのは女性だった。立ち尽くしているので、脅えているのかもしれない。

「戻りなさい。ここは危険よ」と、翠鈴は叫んだ。

「は、はい」

 かすれた声が闇に溶ける。

「邪魔をするな」

 警備の宦官が、翠鈴に跳びかかってくる。

「ごめんね。毒性は低いから。後でうがいして」
「何を言っているっ」
「ほんと、ごめん」

 翠鈴は詫びながら、ちぎった菖蒲の葉を宦官の口に押し込んだ。
 めり、みし、と葉の繊維が折れる音がする。

 菖蒲しょうぶの葉は長い。それを何枚もまとめてねじ込んだのだ。宦官は口から緑を溢れさせている。

「飲みこむんじゃないわよ。唾液に混じって、菖蒲の毒が体に入るから」

 口いっぱいの菖蒲の葉を、宦官は引き抜こうとする。その両手を、翠鈴は縛った。髪を結んでいた紐で。

「もが……ふがっ」

 宦官は、葉を吐きだすこともできない。
 毒と聞かされて、噛むことも叶わずに、ただ口の端から唾液を垂らしている。

「飲みこめば下痢や嘔吐を催すわ。しばらく我慢なさい。できるわよね? これまで何人もの女官や宮女にひどいことをしたのでしょう?」

 翠鈴は宦官を睨みつけた。
 宦官は涙になりながら、橋の上に倒れ込む。

「ねぇ。どうして自分はひどい目に遭わないって自信があるの? どうして『やる側』であると信じて疑わないの?」

 やり返される可能性を考えないなんて。あまりにも楽観的で、人を信じすぎている。
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