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二章 麟美の偽者

18、偽者

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 観月楼の室内に現れたのは、背の高い女性だった。
 控えていた護衛たちが、すぐに帝と淑妃の前に立つ。

「よい。何用だ。話してみろ」

 帝の声は低く、苛立ちを抑えているのが分かる。

 闖入者は、翠鈴と同じように、顔を紗の布で隠している。髪は肩にかかるほどで、さほど長くはない。
 歩くたび、長裙の裾が揺れる。布の沓に包まれた足は大きめだ。

 その女性は腕を払って、ばさっと紙を広げた。
 四行の五言絶句が記されていた。
 二行目と四行目が韻を踏んでいる。

 筆を持つ手が震えたのだろうか。墨で書かれた文字は、読みづらい。

 緊張で文字が書けなくなる書痙しょけいだろうか。
 それにしては陛下の御前に図々しく現れた今は、手は震えていない。

「僭越ながら、陛下に我が詩を贈りとうございます」

 帝は啞然と口を開いた。だが、一瞬にして警戒の色を浮かべる。

「そなたは何者だ。朕は、招いてはおらぬ」
「麟美にございます」

 空気がぴしりと凍りついた。
 目には見えぬ薄氷が、帝を蘭淑妃を、翠鈴を覆う。

「その麟美もどきは、ただの宮女。陛下の御前に現れてよい娘ではございません」

 もうひとりの自称麟美は、たじろぎもしない。

(肝が据わっているのか、それとも単なる怖いもの知らずなのか)

 翠鈴は、隣に立つ自称麟美をちらっと見た。
 というか、本人(といっていいのか迷うけれど)の光柳が出てくるべきでは?

 控えの間の方に視線を向ける。光柳は戸に手をかけて「どうなるんだ」と言いたげに、目を輝かせている。

 ダメだ。あの人、使えない。
 偽者の麟美に対して怒っていたくせに。釣れたことが嬉しいんだ。

 義兄である陛下が混乱するのを見るのも、楽しいのだろう。きっと。

(それって、自分が陛下に大事にされているという自信があるからでしょうが)

 もうっ。面倒ごとはこっちに押しつけるんだから。
 
「麟美。そなたはどう思う」

 陛下はまっすぐに翠鈴を見据えた。
 翠鈴自身のことなどご存じではなかろうが。光柳が麟美の身代わりとして推薦した人物だから、信頼しているようだ。

(わたしを通して、兄弟愛を深められても困るんだけど)

「畏れながら。こちらの方は、最近出まわっている麟美の偽者でございます」
「根拠を申してみよ」

 翠鈴に命じる、陛下の声は鋭い。

 自作の詩を暗記していないから。では、弱いだろう。
 その詩もまだ偽者は詠じていないので、作風の違いを指摘できない。

 ここで詠じさせる? いや、陛下は詩をお聞きになるつもりはなさそうだ。新たに出てきたもうひとりに対して、ろくに視線を向けてもいない。

 こいつはわざわざ不興を買うためにでてきたのか?
 それほどに、麟美の代理が目障りなのか?
 翠鈴は瞬時に考えを巡らせた。

「使用している紙が違います」

 背筋を伸ばして、翠鈴は凛と声を張った。

「紙だと?」

 帝が眉をしかめる。だが、隣の椅子に座る蘭淑妃は「ああ」と納得したように頷く。
 光柳から、麟美の詩を買うことのある淑妃はすぐに分かったようだ。

「はい。麟美の詩はすべて上質な竹紙にしたためられています。ですが、この方がお持ちの紙は麻紙にございます」

 光柳はムダに美形だ。美形であろうとしている。
 それは、麟美の美意識を継いでのことだろう。

 その彼が、麻の古布といえば聞こえはいいが、ボロ布から作った紙など使うはずがない。

「麟美の詩は、ほのかに匂い立つような竹紙に記されてこそ、完成いたします。すっと天を指し、晴れわたる青空に向かって伸びる清らかな竹こそが、麟美の詩を留めるのにふさわしい。決して麻紙は用いません」

 光柳が持っていた紙に、毒が染みこませてあったことは話せない。
 ここで迂闊にしゃべってしまえば、麟美の身が危険であると訴えることになる。

 それは、この闖入者である偽者を極刑に処してほしいと望んでいることになる。

(こいつの目的はなに? 陛下と淑妃の宴に、呼ばれもしないのにしゃしゃり出て。場の雰囲気をぶち壊して。そんな危険な行為をどうしてするの?)

 翠鈴は目をすがめた。
 衣擦れの音がする。もうひとりの麟美が動いた。
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