33 / 176
二章 麟美の偽者
10、光柳の依頼
しおりを挟む
「どうしたの? このあいだ頼んだ枇杷と無花果の葉よね。蘭淑妃から追加の注文があったの?」
翠鈴は胡玲に問いかけた。
北風が吹き、胡玲が身を震わせる。未央宮にこの荷を届けて、すぐに医局に戻るつもりだったのだろう。胡玲は厚着をしていない。
すっと足を横に動かして、翠鈴は風上に立った。
「翠鈴姐が使うって、聞いてますよ。違うんですか?」
「聞いてないわ」
翠鈴はふるふると首をふる。
そもそも薬湯は高価だ。宮女が気軽に使えるものではない。
だからこそ、翠鈴も剪定された木の葉や、たくさん生えている蓬は、せっせと集めている。
地面に筵を敷いて、天気の良い日に乾かしておくのだ。
今から光柳の元へ行くのに、荷物にはなるけれど。一度、未央宮に戻るのも面倒だ。
「まぁ、このままでもいいかな」
胡玲は翠鈴と分かれて、歩きだした。
去っていく胡玲が、立ちどまった。ふり返り、翠鈴に手をふる。
「ありがとう、翠鈴姐。やっぱり私、翠鈴姐といたいです」
翠鈴が風を防いでくれていたことに、胡玲は気づいたらしい。晴れやかな笑顔だった。
――ツイリンジェ。明日もまたあそんでね。
子供の頃の胡玲も、やっぱり夕暮れに思いっきり手を振ってくれていた。
山に生える木イチゴを摘んだり、花冠を作ったり。
白三葉草や紫雲英で編んだ首飾りや花冠を、胡玲はとても喜んでくれた。
どちらも姉の明玉が、生前に翠鈴に編み方を教えてくれたのだ。
胡玲には、年の離れた兄がいる。薬師の勉強で忙しい彼は、まだ幼い妹の相手などするはずもない。
翠鈴と胡玲は、花畑で甘い花の香りに包まれて笑っていた。。ミツバチが寄ってきて、怖い思いをしたこともあるが。
姉を喪って寂しい思いを抱えていた翠鈴にとって、胡玲との日々は今でも大事な思い出だ。
「あの子ったら」
ふふ、と笑みをこぼしながら、翠鈴は歩きだした。
「ところでわたしが薬湯を使うって、どういうことなんだろ」
その問いの答えはすぐに分かった。
書令史の部屋の扉を、宦官の杜雲嵐が開けてくれる。雲嵐は、光柳の護衛だ。煌びやかな光柳の傍で控えていることが多いから、あまり目立たないが。
雲嵐は精悍な体躯に、柔和な面立ちをしている。
「大荷物だな」
席についていた光柳が、筆をおく。背筋を伸ばして、所作のひとつひとつが丁寧だ。
今日も光柳は、美しさが有り余っている。
「さきほど、医官の胡玲から渡されました」
「ああ、もう薬湯の用意できたのか。それは助かる」
「光柳さまが、医局に依頼なさったんですか?」
意外だった。まさか宮女の肌荒れを気にかけてくれるんだろうか。
胡玲に話したように、翠鈴は椿油を髪にも肌にも使っている。それでも朝夕の仕事で冷たく乾いた風に吹かれるので、乾燥気味ではある。
「そうだ。君には麟美として表に出てもらう」
「は?」
自分が麟美になるということは、彼女の代理である光柳のさらに代理?
訳が分からなくて、混乱する。
しかも代理と薬湯の関係が理解できない。
「この間、話しただろう? 麟美の偽物の詩が出回っていると」
「ああ。わたしも見ました。甘露宮の侍女が、えーと名前はなんだったっけ、まぁいいや。その侍女が高値で買ったと話していましたね」
紙に毒が塗りつけてあったので、よく覚えている。
たしか麻で作った紙だ。
麻のぼろ布をほどいて、その繊維を用いる。
(侍女の名前はなんだっけ。記憶力はいいはずなんだけどな)
嫌がらせをして、しかも自慢しにくるような意地の悪い陳燕の名前は、翠鈴の頭から抜けていた。
(ま、いいか。必要のない情報は捨てた方が、頭の中が整理できるものね)
哀れ、陳燕の情報は処理されてしまった。
「その薬湯で美しさに磨きをかけて、偽の麟美を叩きのめしてやれ」
指示を出す光柳の声は、妙に張りがあった。
「えーっ?」
「詩の才も、美しさも私の方が上だ」
「だったら、ご自分でやればいいじゃないですかっ」
「男が女装して勝てるわけなかろう」
光柳は立ち上がった。目が真剣だ。
(ダメだ。この人、偽者に対してめちゃくちゃ怒ってる)
しかも翠鈴を巻きこもうとしている。
翠鈴は胡玲に問いかけた。
北風が吹き、胡玲が身を震わせる。未央宮にこの荷を届けて、すぐに医局に戻るつもりだったのだろう。胡玲は厚着をしていない。
すっと足を横に動かして、翠鈴は風上に立った。
「翠鈴姐が使うって、聞いてますよ。違うんですか?」
「聞いてないわ」
翠鈴はふるふると首をふる。
そもそも薬湯は高価だ。宮女が気軽に使えるものではない。
だからこそ、翠鈴も剪定された木の葉や、たくさん生えている蓬は、せっせと集めている。
地面に筵を敷いて、天気の良い日に乾かしておくのだ。
今から光柳の元へ行くのに、荷物にはなるけれど。一度、未央宮に戻るのも面倒だ。
「まぁ、このままでもいいかな」
胡玲は翠鈴と分かれて、歩きだした。
去っていく胡玲が、立ちどまった。ふり返り、翠鈴に手をふる。
「ありがとう、翠鈴姐。やっぱり私、翠鈴姐といたいです」
翠鈴が風を防いでくれていたことに、胡玲は気づいたらしい。晴れやかな笑顔だった。
――ツイリンジェ。明日もまたあそんでね。
子供の頃の胡玲も、やっぱり夕暮れに思いっきり手を振ってくれていた。
山に生える木イチゴを摘んだり、花冠を作ったり。
白三葉草や紫雲英で編んだ首飾りや花冠を、胡玲はとても喜んでくれた。
どちらも姉の明玉が、生前に翠鈴に編み方を教えてくれたのだ。
胡玲には、年の離れた兄がいる。薬師の勉強で忙しい彼は、まだ幼い妹の相手などするはずもない。
翠鈴と胡玲は、花畑で甘い花の香りに包まれて笑っていた。。ミツバチが寄ってきて、怖い思いをしたこともあるが。
姉を喪って寂しい思いを抱えていた翠鈴にとって、胡玲との日々は今でも大事な思い出だ。
「あの子ったら」
ふふ、と笑みをこぼしながら、翠鈴は歩きだした。
「ところでわたしが薬湯を使うって、どういうことなんだろ」
その問いの答えはすぐに分かった。
書令史の部屋の扉を、宦官の杜雲嵐が開けてくれる。雲嵐は、光柳の護衛だ。煌びやかな光柳の傍で控えていることが多いから、あまり目立たないが。
雲嵐は精悍な体躯に、柔和な面立ちをしている。
「大荷物だな」
席についていた光柳が、筆をおく。背筋を伸ばして、所作のひとつひとつが丁寧だ。
今日も光柳は、美しさが有り余っている。
「さきほど、医官の胡玲から渡されました」
「ああ、もう薬湯の用意できたのか。それは助かる」
「光柳さまが、医局に依頼なさったんですか?」
意外だった。まさか宮女の肌荒れを気にかけてくれるんだろうか。
胡玲に話したように、翠鈴は椿油を髪にも肌にも使っている。それでも朝夕の仕事で冷たく乾いた風に吹かれるので、乾燥気味ではある。
「そうだ。君には麟美として表に出てもらう」
「は?」
自分が麟美になるということは、彼女の代理である光柳のさらに代理?
訳が分からなくて、混乱する。
しかも代理と薬湯の関係が理解できない。
「この間、話しただろう? 麟美の偽物の詩が出回っていると」
「ああ。わたしも見ました。甘露宮の侍女が、えーと名前はなんだったっけ、まぁいいや。その侍女が高値で買ったと話していましたね」
紙に毒が塗りつけてあったので、よく覚えている。
たしか麻で作った紙だ。
麻のぼろ布をほどいて、その繊維を用いる。
(侍女の名前はなんだっけ。記憶力はいいはずなんだけどな)
嫌がらせをして、しかも自慢しにくるような意地の悪い陳燕の名前は、翠鈴の頭から抜けていた。
(ま、いいか。必要のない情報は捨てた方が、頭の中が整理できるものね)
哀れ、陳燕の情報は処理されてしまった。
「その薬湯で美しさに磨きをかけて、偽の麟美を叩きのめしてやれ」
指示を出す光柳の声は、妙に張りがあった。
「えーっ?」
「詩の才も、美しさも私の方が上だ」
「だったら、ご自分でやればいいじゃないですかっ」
「男が女装して勝てるわけなかろう」
光柳は立ち上がった。目が真剣だ。
(ダメだ。この人、偽者に対してめちゃくちゃ怒ってる)
しかも翠鈴を巻きこもうとしている。
44
お気に入りに追加
713
あなたにおすすめの小説
後宮で立派な継母になるために
絹乃
キャラ文芸
母である皇后を喪った4歳の蒼海(ツァンハイ)皇女。未来視のできる皇女の養育者は見つからない。妃嬪の一人である玲華(リンホア)は皇女の継母となることを誓う。しかし玲華の兄が不穏な動きをする。そして玲華の元にやって来たのは、侍女に扮した麗しの青年、凌星(リンシー)だった。凌星は皇子であり、未来を語る蒼海の監視と玲華の兄の様子を探るために派遣された。玲華が得意の側寫術(プロファイリング)を駆使し、娘や凌星と共に兄の陰謀を阻止する継母後宮ミステリー。※表紙は、てんぱる様のフリー素材をお借りしています。
どうやら夫に疎まれているようなので、私はいなくなることにします
文野多咲
恋愛
秘めやかな空気が、寝台を囲う帳の内側に立ち込めていた。
夫であるゲルハルトがエレーヌを見下ろしている。
エレーヌの髪は乱れ、目はうるみ、体の奥は甘い熱で満ちている。エレーヌもまた、想いを込めて夫を見つめた。
「ゲルハルトさま、愛しています」
ゲルハルトはエレーヌをさも大切そうに撫でる。その手つきとは裏腹に、ぞっとするようなことを囁いてきた。
「エレーヌ、俺はあなたが憎い」
エレーヌは凍り付いた。
わたしのことがお嫌いなら、離縁してください~冷遇された妻は、過小評価されている~
絹乃
恋愛
伯爵夫人のフロレンシアは、夫からもメイドからも使用人以下の扱いを受けていた。どんなに離婚してほしいと夫に訴えても、認めてもらえない。夫は自分の愛人を屋敷に迎え、生まれてくる子供の世話すらもフロレンシアに押しつけようと画策する。地味で目立たないフロレンシアに、どんな価値があるか夫もメイドも知らずに。彼女を正しく理解しているのは騎士団の副団長エミリオと、王女のモニカだけだった。※番外編が別にあります。
お兄様の指輪が壊れたら、溺愛が始まりまして
みこと。
恋愛
お兄様は女王陛下からいただいた指輪を、ずっと大切にしている。
きっと苦しい片恋をなさっているお兄様。
私はただ、お兄様の家に引き取られただけの存在。血の繋がってない妹。
だから、早々に屋敷を出なくては。私がお兄様の恋路を邪魔するわけにはいかないの。私の想いは、ずっと秘めて生きていく──。
なのに、ある日、お兄様の指輪が壊れて?
全7話、ご都合主義のハピエンです! 楽しんでいただけると嬉しいです!
※「小説家になろう」様にも掲載しています。
わたしは夫のことを、愛していないのかもしれない
鈴宮(すずみや)
恋愛
孤児院出身のアルマは、一年前、幼馴染のヴェルナーと夫婦になった。明るくて優しいヴェルナーは、日々アルマに愛を囁き、彼女のことをとても大事にしている。
しかしアルマは、ある日を境に、ヴェルナーから甘ったるい香りが漂うことに気づく。
その香りは、彼女が勤める診療所の、とある患者と同じもので――――?
片想い婚〜今日、姉の婚約者と結婚します〜
橘しづき
恋愛
姉には幼い頃から婚約者がいた。両家が決めた相手だった。お互いの家の繁栄のための結婚だという。
私はその彼に、幼い頃からずっと恋心を抱いていた。叶わぬ恋に辟易し、秘めた想いは誰に言わず、二人の結婚式にのぞんだ。
だが当日、姉は結婚式に来なかった。 パニックに陥る両親たち、悲しげな愛しい人。そこで自分の口から声が出た。
「私が……蒼一さんと結婚します」
姉の身代わりに結婚した咲良。好きな人と夫婦になれるも、心も体も通じ合えない片想い。
家族から冷遇されていた過去を持つ家政ギルドの令嬢は、旦那様に人のぬくもりを教えたい~自分に自信のない旦那様は、とても素敵な男性でした~
チカフジ ユキ
恋愛
叔父から使用人のように扱われ、冷遇されていた子爵令嬢シルヴィアは、十五歳の頃家政ギルドのギルド長オリヴィアに助けられる。
そして家政ギルドで様々な事を教えてもらい、二年半で大きく成長した。
ある日、オリヴィアから破格の料金が提示してある依頼書を渡される。
なにやら裏がありそうな値段設定だったが、半年後の成人を迎えるまでにできるだけお金をためたかったシルヴィアは、その依頼を受けることに。
やってきた屋敷は気持ちが憂鬱になるような雰囲気の、古い建物。
シルヴィアが扉をノックすると、出てきたのは長い前髪で目が隠れた、横にも縦にも大きい貴族男性。
彼は肩や背を丸め全身で自分に自信が無いと語っている、引きこもり男性だった。
その姿をみて、自信がなくいつ叱られるかビクビクしていた過去を思い出したシルヴィアは、自分自身と重ねてしまった。
家政ギルドのギルド員として、余計なことは詮索しない、そう思っても気になってしまう。
そんなある日、ある人物から叱責され、酷く傷ついていた雇い主の旦那様に、シルヴィアは言った。
わたしはあなたの側にいます、と。
このお話はお互いの強さや弱さを知りながら、ちょっとずつ立ち直っていく旦那様と、シルヴィアの恋の話。
*** ***
※この話には第五章に少しだけ「ざまぁ」展開が入りますが、味付け程度です。
※設定などいろいろとご都合主義です。
※小説家になろう様にも掲載しています。
ユーザ登録のメリット
- 毎日¥0対象作品が毎日1話無料!
- お気に入り登録で最新話を見逃さない!
- しおり機能で小説の続きが読みやすい!
1~3分で完了!
無料でユーザ登録する
すでにユーザの方はログイン
閉じる