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二章 麟美の偽者
8、湯浴みの手伝い
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初めての雪がちらついた午後のこと。翠鈴は蘭淑妃の湯浴みを手伝っていた。
侍女ではない翠鈴は、淑妃の髪を洗ったり梳いたりするわけではない。着替えも侍女の仕事だ。
「淑妃さまの目下の悩みは、肌が乾燥すること。確かにここのところ風が乾いてるものね」
浴堂には着替えのための間がある。その部屋で、翠鈴は医局からもらってきた生薬を確認した。
枇杷の葉を乾燥させたものは、肌荒れを防いで美肌づくりに効果がある。枇杷の葉は、咳や鼻の炎症にも効く。あえて入浴に用いるのは贅沢だ。
そして無花果の葉。これは皮膚に滑らかさや柔軟性を与える。
(肌の乾燥を防ぐのは、つまり美肌を取り戻すこと。お妃さま達も大変だなぁ)
肌が荒れては美人も台無しだ。しかも帝は至近距離で蘭淑妃と話したり、触れたりもするのだから。
最近は、薬草に関する用事が増えてきた。
その分、以前のように食事の器を運ぶことも減ったので、楽と言えば楽かもしれない。
「ツイリン。タオリィもおふろにはいっていーい?」
「お母さまとですか? いいと思いますけど。薬湯は臭いますよ」
作業をする翠鈴の手元を、桃莉公主が覗きこんでいる。
目の粗い布の袋に、刻んで乾燥させた枇杷の葉と、刻んだ生の無花果の葉を入れる。
時間をかけて鍋で煮出し、それを浴槽の湯に混ぜるのだ。
煎じ薬と違い、一度に作る量が多い。
桃莉公主は、その高い身分から手伝いなどする必要はないのに。鍋の薬湯を、碗に一杯ずつ浴槽に運んでくれる。
小さな両手でしっかりと碗を持つ桃莉の姿を、翠鈴は目を細めて眺めた。
湯の用意ができて、淑妃が入浴する。
壁も床も石でできている浴堂は、ひんやりしている。
浴槽は床よりも低く掘り下げられている。中には渋い茶色の湯が満ちていた。
「わぁ、さむーい」
すでに湯につかっている蘭淑妃の元へ、桃莉公主が走る。
いつもはおとなしい桃莉だが。母親と風呂に入れるのが楽しいのだろう。
「走ってはなりませんよ」と、蘭淑妃にも侍女にもたしなめられているのに気にもしていない。
「あのね。タオリィもツイリンのおてつだい、したのよ」
「そうなの? ふたりともありがとうね」
煌めく歩瑶も簪も、細かな刺繍の入った衣も脱いで入るが。素肌の肩を湯から出した蘭淑妃は、濡れた肌の白さが神々しいほどだった。
「勿体ないお言葉です」
翠鈴は浴堂の端で頭を下げる。
「ツイリンも、はいればいいのに」
湯で温まったからだろう。桃莉の頬が、うっすらと赤く染まっている。
「わたしは宮女にすぎませんから。公主さまと同じお湯に入ることはできませんので」
「えー。つるつるになるよ」
桃莉が一生懸命に誘ってくるが。天地がひっくり返っても、淑妃や公主と一緒に風呂に入ることはない。そもそも宮女は湯浴みをするだけで、湯にはつからない。
髪を洗って流すだけの湯は、湯気は立つが。水しぶきがかかる体はみるみる冷えていく。
蘭淑妃も桃莉公主も下々の入浴方法など、一生知らぬだろう。
(それでも桃莉さまは、やはりお優しくていらっしゃる)
ただ、この時の翠鈴は知らなかった。
さっき自分が用意した薬湯に、入ることになろうとは。
そして肌がつるつる、すべすべになることも。
侍女ではない翠鈴は、淑妃の髪を洗ったり梳いたりするわけではない。着替えも侍女の仕事だ。
「淑妃さまの目下の悩みは、肌が乾燥すること。確かにここのところ風が乾いてるものね」
浴堂には着替えのための間がある。その部屋で、翠鈴は医局からもらってきた生薬を確認した。
枇杷の葉を乾燥させたものは、肌荒れを防いで美肌づくりに効果がある。枇杷の葉は、咳や鼻の炎症にも効く。あえて入浴に用いるのは贅沢だ。
そして無花果の葉。これは皮膚に滑らかさや柔軟性を与える。
(肌の乾燥を防ぐのは、つまり美肌を取り戻すこと。お妃さま達も大変だなぁ)
肌が荒れては美人も台無しだ。しかも帝は至近距離で蘭淑妃と話したり、触れたりもするのだから。
最近は、薬草に関する用事が増えてきた。
その分、以前のように食事の器を運ぶことも減ったので、楽と言えば楽かもしれない。
「ツイリン。タオリィもおふろにはいっていーい?」
「お母さまとですか? いいと思いますけど。薬湯は臭いますよ」
作業をする翠鈴の手元を、桃莉公主が覗きこんでいる。
目の粗い布の袋に、刻んで乾燥させた枇杷の葉と、刻んだ生の無花果の葉を入れる。
時間をかけて鍋で煮出し、それを浴槽の湯に混ぜるのだ。
煎じ薬と違い、一度に作る量が多い。
桃莉公主は、その高い身分から手伝いなどする必要はないのに。鍋の薬湯を、碗に一杯ずつ浴槽に運んでくれる。
小さな両手でしっかりと碗を持つ桃莉の姿を、翠鈴は目を細めて眺めた。
湯の用意ができて、淑妃が入浴する。
壁も床も石でできている浴堂は、ひんやりしている。
浴槽は床よりも低く掘り下げられている。中には渋い茶色の湯が満ちていた。
「わぁ、さむーい」
すでに湯につかっている蘭淑妃の元へ、桃莉公主が走る。
いつもはおとなしい桃莉だが。母親と風呂に入れるのが楽しいのだろう。
「走ってはなりませんよ」と、蘭淑妃にも侍女にもたしなめられているのに気にもしていない。
「あのね。タオリィもツイリンのおてつだい、したのよ」
「そうなの? ふたりともありがとうね」
煌めく歩瑶も簪も、細かな刺繍の入った衣も脱いで入るが。素肌の肩を湯から出した蘭淑妃は、濡れた肌の白さが神々しいほどだった。
「勿体ないお言葉です」
翠鈴は浴堂の端で頭を下げる。
「ツイリンも、はいればいいのに」
湯で温まったからだろう。桃莉の頬が、うっすらと赤く染まっている。
「わたしは宮女にすぎませんから。公主さまと同じお湯に入ることはできませんので」
「えー。つるつるになるよ」
桃莉が一生懸命に誘ってくるが。天地がひっくり返っても、淑妃や公主と一緒に風呂に入ることはない。そもそも宮女は湯浴みをするだけで、湯にはつからない。
髪を洗って流すだけの湯は、湯気は立つが。水しぶきがかかる体はみるみる冷えていく。
蘭淑妃も桃莉公主も下々の入浴方法など、一生知らぬだろう。
(それでも桃莉さまは、やはりお優しくていらっしゃる)
ただ、この時の翠鈴は知らなかった。
さっき自分が用意した薬湯に、入ることになろうとは。
そして肌がつるつる、すべすべになることも。
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