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二章 麟美の偽者
5、面倒な侍女
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昼間。翠鈴は室内の宮灯に油を補充していた。
枠の部分は黒い格子となっており、火袋の部分には赤い布が張ってある。
「なんでこんなに無駄に繊細な作りになってるのかなぁ」
格子部分は細く、しかも周囲には繊細な彫刻まで施してある。
「ツイリン。みてみて」
「うっわ」
翠鈴の背中に、桃莉公主が飛びついてきた。もう少しで桐油の入った壺を倒すところだった。
「ご、ごめんなさい。タオリィ、わるいことした?」
桃莉公主は、しゅんとうなだれる。
左を上に合わせた衿の部分は赤く、軽やかな袖や長裙は白が鮮やかだ。
愛らしい桃莉公主が落ちこむと、どうしようもなく罪悪感を覚えてしまう。
「いえ。大丈夫ですよ。でも背後からいきなり飛びつくのは危ないですね。ほら、わたしは油の入った壺を持っていますから」
「うん。きをつけるね」
元々翠鈴に懐いていた桃莉だが。毒を食べさせられた彼女を救ったことで、さらに心を許してくれたようだ。
「わたしに何か御用があったのでしょう?」
「そうなの」
ぱぁっと桃莉の顔が輝いた。
「みて、これ」
桃莉がふところから出したのは、紙だった。「拝見してもよろしいですか?」と声をかけて、翠鈴は折られた紙を開く。
「これは、犬ですか?」
紙には墨で絵が描かれていた。水墨画というほど立派なものではない。ころころと可愛い子犬だ。
毛並みを表しているのか、線は細かく揺れている。
子犬の潤んだ黒い目が見ているのは、雪のようだ。簡素だからこそ、愛らしさが直接伝わってくる。
「あのね。タオリィがもらったの。ちょっとおばあさんだったよ。おかげんがわるくていらしたのに、がんばりましたねって。ほめてもらったよ」
「よかったですね。では、これは桃莉さまへのご褒美ですね」
「へへっ」
桃莉は照れ笑いを浮かべた。
渡りの鳥と共に秋は去り、静かな冬が始まると思われた。
面倒な侍女が現れるまでは。
◇◇◇
「あなた。これを見なさいよ」
数日後の静かな夕暮れどき。未央宮に、きんきんとした甲高い声が響いた。
「まーた面倒なのが来たよ」
回廊の明かりを点けるため、外に出ていた翠鈴は肩をすくめた。
未央宮の門から続く道を、陳燕が向かってくる。手に持っているのは紙を巻いたものだ。
「まだ何か用なの?」
「ふんっ。あんただけが麟美さまの詩を手に入れられると思ったら、大間違いよ」
「蘭淑妃もお持ちだけど?」
翠鈴の反論に、陳燕はむっと口を結んだ。
「妃嬪さまは別でしょ。わたくしはね、女官とか宮女の話をしているのっ」
陳燕の仕事は終わったのだろう。だが、司燈の勤めは日が暮れる前が忙しい。
(高慢なお嬢さまの相手をする暇はないんだけどなぁ)
やれやれ、だ。
「わたくしはね、叔父が大理寺少卿なのよ。分かっている? あなたが不正に麟美さまの詩を手に入れたのなら、叔父に調べてもらってもいいのよ」
大理寺は刑罰や司法をつかさどる機関だ。少卿は大理寺では二番目の位となる。
「しかも順当にいけば、大理寺卿に選ばれるわ。司法の頂点よ」
(よくまぁ、そんなに自慢できるわね)
翠鈴は陳燕を放っておいて明かりを点けはじめた。由由は室内の担当なので、回廊にはいない。
「ちょっと話を聞きなさいよ」
「聞いてるから、さっさと話して帰って」
「こっちを向きなさいって言ってるの」
下げ灯籠に明かりをともして歩く翠鈴の後を、陳燕が追ってくる。
カツカツと高い踵の音が響きわたる。
(わたしのことを嫌ってるなら、放っておいてほしいんだけど)
翠鈴は知っている。
陳燕が翠鈴を嫌う権利はあるけれど。反対に翠鈴が陳燕のことを嫌いだというと、彼女はとても傷つくことを。
(繊細なのか図太いのか。こういう手合いは困るのよね)
「ほら。目を大きく見開いてご覧なさい」
陳燕は、手にしていた紙を開いた。
枠の部分は黒い格子となっており、火袋の部分には赤い布が張ってある。
「なんでこんなに無駄に繊細な作りになってるのかなぁ」
格子部分は細く、しかも周囲には繊細な彫刻まで施してある。
「ツイリン。みてみて」
「うっわ」
翠鈴の背中に、桃莉公主が飛びついてきた。もう少しで桐油の入った壺を倒すところだった。
「ご、ごめんなさい。タオリィ、わるいことした?」
桃莉公主は、しゅんとうなだれる。
左を上に合わせた衿の部分は赤く、軽やかな袖や長裙は白が鮮やかだ。
愛らしい桃莉公主が落ちこむと、どうしようもなく罪悪感を覚えてしまう。
「いえ。大丈夫ですよ。でも背後からいきなり飛びつくのは危ないですね。ほら、わたしは油の入った壺を持っていますから」
「うん。きをつけるね」
元々翠鈴に懐いていた桃莉だが。毒を食べさせられた彼女を救ったことで、さらに心を許してくれたようだ。
「わたしに何か御用があったのでしょう?」
「そうなの」
ぱぁっと桃莉の顔が輝いた。
「みて、これ」
桃莉がふところから出したのは、紙だった。「拝見してもよろしいですか?」と声をかけて、翠鈴は折られた紙を開く。
「これは、犬ですか?」
紙には墨で絵が描かれていた。水墨画というほど立派なものではない。ころころと可愛い子犬だ。
毛並みを表しているのか、線は細かく揺れている。
子犬の潤んだ黒い目が見ているのは、雪のようだ。簡素だからこそ、愛らしさが直接伝わってくる。
「あのね。タオリィがもらったの。ちょっとおばあさんだったよ。おかげんがわるくていらしたのに、がんばりましたねって。ほめてもらったよ」
「よかったですね。では、これは桃莉さまへのご褒美ですね」
「へへっ」
桃莉は照れ笑いを浮かべた。
渡りの鳥と共に秋は去り、静かな冬が始まると思われた。
面倒な侍女が現れるまでは。
◇◇◇
「あなた。これを見なさいよ」
数日後の静かな夕暮れどき。未央宮に、きんきんとした甲高い声が響いた。
「まーた面倒なのが来たよ」
回廊の明かりを点けるため、外に出ていた翠鈴は肩をすくめた。
未央宮の門から続く道を、陳燕が向かってくる。手に持っているのは紙を巻いたものだ。
「まだ何か用なの?」
「ふんっ。あんただけが麟美さまの詩を手に入れられると思ったら、大間違いよ」
「蘭淑妃もお持ちだけど?」
翠鈴の反論に、陳燕はむっと口を結んだ。
「妃嬪さまは別でしょ。わたくしはね、女官とか宮女の話をしているのっ」
陳燕の仕事は終わったのだろう。だが、司燈の勤めは日が暮れる前が忙しい。
(高慢なお嬢さまの相手をする暇はないんだけどなぁ)
やれやれ、だ。
「わたくしはね、叔父が大理寺少卿なのよ。分かっている? あなたが不正に麟美さまの詩を手に入れたのなら、叔父に調べてもらってもいいのよ」
大理寺は刑罰や司法をつかさどる機関だ。少卿は大理寺では二番目の位となる。
「しかも順当にいけば、大理寺卿に選ばれるわ。司法の頂点よ」
(よくまぁ、そんなに自慢できるわね)
翠鈴は陳燕を放っておいて明かりを点けはじめた。由由は室内の担当なので、回廊にはいない。
「ちょっと話を聞きなさいよ」
「聞いてるから、さっさと話して帰って」
「こっちを向きなさいって言ってるの」
下げ灯籠に明かりをともして歩く翠鈴の後を、陳燕が追ってくる。
カツカツと高い踵の音が響きわたる。
(わたしのことを嫌ってるなら、放っておいてほしいんだけど)
翠鈴は知っている。
陳燕が翠鈴を嫌う権利はあるけれど。反対に翠鈴が陳燕のことを嫌いだというと、彼女はとても傷つくことを。
(繊細なのか図太いのか。こういう手合いは困るのよね)
「ほら。目を大きく見開いてご覧なさい」
陳燕は、手にしていた紙を開いた。
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