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二章 麟美の偽者
2、出ていかなくても
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「麟美さまの詩が出回っているらしい。ということは、光柳さまが関与していないということですね」
「話が早くて助かる」
翠鈴の言葉に、光柳は手覆をはめた手をあごにあてている。
ただし手覆が親指部分だけが分離した形なので、妙に可愛らしい。
(美形は悩んでいる姿も様になるけど。やっぱり手覆は五本指の方が、よかったかな?)
西の空の星はもう見えない。
厨房でも朝食の支度が始まったのだろう。立ちのぼる白い湯気が、澄んだ群青の色に消えていく。薪を燃やす匂いが漂ってきた。
「要するに、私の偽者が現れた」
光柳は翠鈴の目を見据えた。
「光柳さまも、麟美さまの代理ですから。偽者の偽者ですね」
ややこしい。
話を聞きながらも、仕事の手を止めるわけにはいかない。翠鈴は下げ灯籠の火を次々と消していく。彼女の動きにあわせて、光柳もついて歩いた。
「どうやらその麟美の詩は、高く転売されているらしい」
「ひどいっ!」
思いがけぬ大声を、翠鈴は出してしまった。
庭の木の枝に止まっていた鳥が、驚いたのか一斉に飛びたった。バサバサと羽が空気を叩く音がする。
「ひどいと思ってくれるか」
「ええ。本当に許せません」
翠鈴の語調は強い。
「そうなんだ。私は麟美として感性を磨き、言葉を選んでいるのに。麟美の上っ面だけを真似したような詩が出回るのは許せないよな」
「わたしだって詩を売るのを我慢しているのに。どこの馬鹿ですか、そんなひどいことをするのは」
「え?」
翠鈴ははっとした。
昇りはじめた朝陽が、光柳の顔を照らした。その表情は、明らかに落ち込んでいたからだ。
飛びたった鳥の羽毛が、風に吹かれて舞い落ちてきた。
「すみません。売ってません。売って、薬やお茶を買いたいとは思いましたけど」
「謝っているのか、謝っていないのか。判断に苦しむな」
「……庭園の草花をむしってもいいのなら、売ろうとは思いませんが。なにしろ宮女の給金は安いですから」
医官になって医局に入れば、薬草も丸薬も種類が豊富だろう。
ただ、それはあくまでも医局のものだ。
後宮の庭には桃や無花果が植えられている。その葉を乾かせば、薬湯の素として売れるのだ。
ただし枇杷は植えられていない。
枇杷の葉は薬効があるので、病人が葉を求めて集まってくる。そのため、縁起が悪いと言われるのだ。
大薬王樹とまで称されるほど、枇杷は果実も種子も葉も健康によい。
(枇杷は、おいしいんだけどなぁ。こっそり種をまけば、簡単に育つけど。でも縁起の悪いものを植えるわけにもいかないし)
貴重な薬草は高いが、果樹の葉はいくらでもある。知識を使い、知恵を働かせれば、その辺に生えているものが宝となる。
「まぁ、姉の件も解決しましたし。いずれ故郷に帰ればいいだけですから」
「帰るのか? 嫁入りの予定でもあるのか? そうでなければ何年も、いや三十年以上も続けている女官もいるぞ」
光柳の声が上ずった。
「予定はないですが。旧い杷国と違い、新杷国では陛下の許可があれば宮女を辞めることも可能ですよね」
蘭淑妃も同じような反応だったなぁ。後宮の人って、知り合いが外に出るのがやっぱり羨ましいのかなぁ。
自分の存在が求められているとは、翠鈴は自覚していない。
「いや。出なくてもいいんじゃないかな。むしろ、出るのならば……そうだな、この杷京で薬師として生きるのはどうだろう」
「店を構えるお金はありませんよ」
「金子ならば、麟美の詩を売ればすぐに稼げる」
「売るなって仰ったじゃないですか」
ころころと主張を変えないでほしいなぁ。
やはり翠鈴は分かっていない。
彼女の為に光柳が詠んだ詩を売ればいい、ではない。
新たに売る為に詠む詩を売ればいい、と光柳は主張していることに。
言葉を扱う職でありながら、光柳もまた本当に必要な言葉が足りていない。
「まぁ、茶が飲みたいなら私の所に来ればいい」
「用事もないのに伺えません」
「……茶を飲むのに理由がいるのか。君は」
やれやれ、と光柳は肩をすくめた。
「話が早くて助かる」
翠鈴の言葉に、光柳は手覆をはめた手をあごにあてている。
ただし手覆が親指部分だけが分離した形なので、妙に可愛らしい。
(美形は悩んでいる姿も様になるけど。やっぱり手覆は五本指の方が、よかったかな?)
西の空の星はもう見えない。
厨房でも朝食の支度が始まったのだろう。立ちのぼる白い湯気が、澄んだ群青の色に消えていく。薪を燃やす匂いが漂ってきた。
「要するに、私の偽者が現れた」
光柳は翠鈴の目を見据えた。
「光柳さまも、麟美さまの代理ですから。偽者の偽者ですね」
ややこしい。
話を聞きながらも、仕事の手を止めるわけにはいかない。翠鈴は下げ灯籠の火を次々と消していく。彼女の動きにあわせて、光柳もついて歩いた。
「どうやらその麟美の詩は、高く転売されているらしい」
「ひどいっ!」
思いがけぬ大声を、翠鈴は出してしまった。
庭の木の枝に止まっていた鳥が、驚いたのか一斉に飛びたった。バサバサと羽が空気を叩く音がする。
「ひどいと思ってくれるか」
「ええ。本当に許せません」
翠鈴の語調は強い。
「そうなんだ。私は麟美として感性を磨き、言葉を選んでいるのに。麟美の上っ面だけを真似したような詩が出回るのは許せないよな」
「わたしだって詩を売るのを我慢しているのに。どこの馬鹿ですか、そんなひどいことをするのは」
「え?」
翠鈴ははっとした。
昇りはじめた朝陽が、光柳の顔を照らした。その表情は、明らかに落ち込んでいたからだ。
飛びたった鳥の羽毛が、風に吹かれて舞い落ちてきた。
「すみません。売ってません。売って、薬やお茶を買いたいとは思いましたけど」
「謝っているのか、謝っていないのか。判断に苦しむな」
「……庭園の草花をむしってもいいのなら、売ろうとは思いませんが。なにしろ宮女の給金は安いですから」
医官になって医局に入れば、薬草も丸薬も種類が豊富だろう。
ただ、それはあくまでも医局のものだ。
後宮の庭には桃や無花果が植えられている。その葉を乾かせば、薬湯の素として売れるのだ。
ただし枇杷は植えられていない。
枇杷の葉は薬効があるので、病人が葉を求めて集まってくる。そのため、縁起が悪いと言われるのだ。
大薬王樹とまで称されるほど、枇杷は果実も種子も葉も健康によい。
(枇杷は、おいしいんだけどなぁ。こっそり種をまけば、簡単に育つけど。でも縁起の悪いものを植えるわけにもいかないし)
貴重な薬草は高いが、果樹の葉はいくらでもある。知識を使い、知恵を働かせれば、その辺に生えているものが宝となる。
「まぁ、姉の件も解決しましたし。いずれ故郷に帰ればいいだけですから」
「帰るのか? 嫁入りの予定でもあるのか? そうでなければ何年も、いや三十年以上も続けている女官もいるぞ」
光柳の声が上ずった。
「予定はないですが。旧い杷国と違い、新杷国では陛下の許可があれば宮女を辞めることも可能ですよね」
蘭淑妃も同じような反応だったなぁ。後宮の人って、知り合いが外に出るのがやっぱり羨ましいのかなぁ。
自分の存在が求められているとは、翠鈴は自覚していない。
「いや。出なくてもいいんじゃないかな。むしろ、出るのならば……そうだな、この杷京で薬師として生きるのはどうだろう」
「店を構えるお金はありませんよ」
「金子ならば、麟美の詩を売ればすぐに稼げる」
「売るなって仰ったじゃないですか」
ころころと主張を変えないでほしいなぁ。
やはり翠鈴は分かっていない。
彼女の為に光柳が詠んだ詩を売ればいい、ではない。
新たに売る為に詠む詩を売ればいい、と光柳は主張していることに。
言葉を扱う職でありながら、光柳もまた本当に必要な言葉が足りていない。
「まぁ、茶が飲みたいなら私の所に来ればいい」
「用事もないのに伺えません」
「……茶を飲むのに理由がいるのか。君は」
やれやれ、と光柳は肩をすくめた。
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