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一章 姉の仇
23、失礼な人
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石真の刑が執行されたと聞いた。
あの男の最期がどんなだったか、命乞いをしたか、弁明したか。翠鈴には何も分からないし、知りたくもない。
姉の復讐のための人生は、終わった。
これからの翠鈴は、自分の為の人生を生きていいのだ。
司燈の仕事も、後宮での暮らしも、なにひとつ変わらない。
なのに見える景色の色が鮮やかで、目が痛いほどだ。
「きれいだな」
銀木犀は清らかに白く。秋咲きの薔薇が、春咲きの時よりも濃い赤や黄色の花弁を開いている。
「秋の薔薇が咲いていたなんて、知らなかったな」
これまで菊や秋海棠には気づいていたのに。視界が広く、澄明になったかのようだ。
「ツイリン。いっぱいとれたよ」
元気になった桃莉公主が、小さな両手に白い銀木犀の花を集めている。
袖をひるがえして、元気に翠鈴の元へ走ってくるが。涼しい秋の風が小花をさらってしまった。
雲ひとつない晴れわたる青空のもと、まるで雪のように、花がこぼれていく。
「大丈夫ですよ」
翠鈴は、木綿の手帕をさっと広げた。地面に近い場所で、銀木犀の花が手帕に集まる。
「すごーい」
「本当ね。早技だわ」
桃莉の側には、蘭淑妃が寄りそっている。桃莉が毒に倒れた時は、髪をふり乱し形相も変わっていたのに。
今では、ゆったりと落ち着いた様子で微笑んでいる。
結いあげた髪はつやつやと黒く、歩瑶の簪の連なった真珠が揺れている。
「皇后陛下がね、桃莉のお見舞いに来てくださったのよ」
「そうだったんですか」
「ええ。昔から面倒見のいい方だから」
何かを思い出したのだろう。蘭淑妃は遠い目をして、笑みをこぼした。
「ねぇ、ツイリン。このお花、どうするの?」
「乾燥させて、砂糖水で煮るといいんですよ。桂花醤とも言いますが。体の寒さを追いだして、温めてくれるんです。これから冬に向かいますから、ちょどいいですね」
「わたくしは冷え性だから。飲んでみようかしら」
桃莉と蘭淑妃が、翠鈴を取り囲む。
「お母さまのために、もっとあつめるね」
楽し気に声を上げながら、桃莉は銀木犀の下へと向かう。
「翠鈴。本当によろしいの? 司燈のままで」
淑妃という高い身分であっても、やはり母親だからだろう。翠鈴に声をかける時も、蘭淑妃は娘から目を離さない。
「わたくしはあなたを正式な薬師として推薦できるのですよ。薬師になれば、早朝から寒い外で、灯りを消してまわらなくてもいいのです」
「お誘いのお言葉は、ありがたく存じます。ですが、医局勤めになると、後宮に長く留まることになりますので」
「そんなっ。年季が明けたら出ていくのっ? お嫁入りの予定でもあるの?」
思いがけない大声だった。
桃莉公主が倒れた時は非常事態だったけれど。まさか華やいだ蘭淑妃が、司燈ごときの将来に取り乱すとは意外だった。
「え、嫁入りの予定はありませんが」
翠鈴は声が上ずってしまった。
「なら、ここにいましょうよ。桃莉が寂しがるわ。あの子に泣かれると、つらいのよ。というか、わたくしも寂しいわ」
妃としての言葉が乱れていることに、蘭淑妃は気づいていないようだ。
入内前の娘時代の淑妃の様子は、翠鈴には知りようがないが。
きっとのびのびと育ったお嬢さまだったのだろう。
「でも、わたしは人を射殺しそうな目をしていますよ」
「誰なの。そんな失礼なことを言ったのは」
蘭淑妃は口を尖らせた。
上級妃だから、身分も高いから。特別なお方であるのは間違いないのに。
今、翠鈴の目の前にいるのは同世代の女性だった。
「あ、えっと。松光柳、ですね」
「許しがたいわね。あの人は指先が生み出す言葉と、口から出る言葉が一緒じゃないのよ」
あれ? 翠鈴は、ぷんぷんと怒っている蘭淑妃に目を向けた。
(淑妃は、光柳が女流詩人の麟美であることを、ご存じなんだ)
まぁ、そういうこともあるか。
きっと後で光柳は、蘭淑妃に叱られる。それもまた楽しそうだ。
足音がふたつ、門の方から聞こえてきた。
「ごきげんよう、蘭淑妃」
どこまでも透明な秋の風に吹かれながら、にこやかに光柳が挨拶をする。背後に立つ雲嵐が一礼した。
「やぁ、翠鈴。君にこれを、と思って」
網の袋を、光柳が差しだした。中には小さな球根がいくつも入っている。
「鬱金香の球根らしい。医局の胡玲が、故郷の花だから翠鈴に渡すのだと話していた」
「胡玲は来ないんですか?」
「うん、まぁ」
光柳が言葉を濁す。
あ、これは胡玲から奪ったな。翠鈴は直感した。
きっと未央宮に向かう胡玲に、光柳は声をかけたに違いない。
――私がこれから未央宮に行くので、渡しておいてあげよう。医官の仕事も忙しいだろう?
善意に満ちた笑みをたたえながら。
「見たことがないわ。どんな花が咲くの?」
蘭淑妃が翠鈴の手元を覗きこんでくる。好奇心で瞳がきらきらしている。
「二寸(六センチ)に満たない草丈ですよ。つぼみになるまで、色は分かりませんが。可憐でとても美しいですね。ただ、桃莉公主には触れないように仰ってください」
「毒があるのだったな。確か」
光柳の言葉に、翠鈴はうなずく。
「咲き終わった後の花がらを摘むときは、革の手袋をした方がいいですね。園丁にもその旨は教えた方がいいでしょう。気をつけていれば、危ない物ではありません」
胡国ではラーレと呼ばれる鬱金香。
いずれ、さらに遥か西の国では「チウリップ」と呼ばれることとなる。
あの男の最期がどんなだったか、命乞いをしたか、弁明したか。翠鈴には何も分からないし、知りたくもない。
姉の復讐のための人生は、終わった。
これからの翠鈴は、自分の為の人生を生きていいのだ。
司燈の仕事も、後宮での暮らしも、なにひとつ変わらない。
なのに見える景色の色が鮮やかで、目が痛いほどだ。
「きれいだな」
銀木犀は清らかに白く。秋咲きの薔薇が、春咲きの時よりも濃い赤や黄色の花弁を開いている。
「秋の薔薇が咲いていたなんて、知らなかったな」
これまで菊や秋海棠には気づいていたのに。視界が広く、澄明になったかのようだ。
「ツイリン。いっぱいとれたよ」
元気になった桃莉公主が、小さな両手に白い銀木犀の花を集めている。
袖をひるがえして、元気に翠鈴の元へ走ってくるが。涼しい秋の風が小花をさらってしまった。
雲ひとつない晴れわたる青空のもと、まるで雪のように、花がこぼれていく。
「大丈夫ですよ」
翠鈴は、木綿の手帕をさっと広げた。地面に近い場所で、銀木犀の花が手帕に集まる。
「すごーい」
「本当ね。早技だわ」
桃莉の側には、蘭淑妃が寄りそっている。桃莉が毒に倒れた時は、髪をふり乱し形相も変わっていたのに。
今では、ゆったりと落ち着いた様子で微笑んでいる。
結いあげた髪はつやつやと黒く、歩瑶の簪の連なった真珠が揺れている。
「皇后陛下がね、桃莉のお見舞いに来てくださったのよ」
「そうだったんですか」
「ええ。昔から面倒見のいい方だから」
何かを思い出したのだろう。蘭淑妃は遠い目をして、笑みをこぼした。
「ねぇ、ツイリン。このお花、どうするの?」
「乾燥させて、砂糖水で煮るといいんですよ。桂花醤とも言いますが。体の寒さを追いだして、温めてくれるんです。これから冬に向かいますから、ちょどいいですね」
「わたくしは冷え性だから。飲んでみようかしら」
桃莉と蘭淑妃が、翠鈴を取り囲む。
「お母さまのために、もっとあつめるね」
楽し気に声を上げながら、桃莉は銀木犀の下へと向かう。
「翠鈴。本当によろしいの? 司燈のままで」
淑妃という高い身分であっても、やはり母親だからだろう。翠鈴に声をかける時も、蘭淑妃は娘から目を離さない。
「わたくしはあなたを正式な薬師として推薦できるのですよ。薬師になれば、早朝から寒い外で、灯りを消してまわらなくてもいいのです」
「お誘いのお言葉は、ありがたく存じます。ですが、医局勤めになると、後宮に長く留まることになりますので」
「そんなっ。年季が明けたら出ていくのっ? お嫁入りの予定でもあるの?」
思いがけない大声だった。
桃莉公主が倒れた時は非常事態だったけれど。まさか華やいだ蘭淑妃が、司燈ごときの将来に取り乱すとは意外だった。
「え、嫁入りの予定はありませんが」
翠鈴は声が上ずってしまった。
「なら、ここにいましょうよ。桃莉が寂しがるわ。あの子に泣かれると、つらいのよ。というか、わたくしも寂しいわ」
妃としての言葉が乱れていることに、蘭淑妃は気づいていないようだ。
入内前の娘時代の淑妃の様子は、翠鈴には知りようがないが。
きっとのびのびと育ったお嬢さまだったのだろう。
「でも、わたしは人を射殺しそうな目をしていますよ」
「誰なの。そんな失礼なことを言ったのは」
蘭淑妃は口を尖らせた。
上級妃だから、身分も高いから。特別なお方であるのは間違いないのに。
今、翠鈴の目の前にいるのは同世代の女性だった。
「あ、えっと。松光柳、ですね」
「許しがたいわね。あの人は指先が生み出す言葉と、口から出る言葉が一緒じゃないのよ」
あれ? 翠鈴は、ぷんぷんと怒っている蘭淑妃に目を向けた。
(淑妃は、光柳が女流詩人の麟美であることを、ご存じなんだ)
まぁ、そういうこともあるか。
きっと後で光柳は、蘭淑妃に叱られる。それもまた楽しそうだ。
足音がふたつ、門の方から聞こえてきた。
「ごきげんよう、蘭淑妃」
どこまでも透明な秋の風に吹かれながら、にこやかに光柳が挨拶をする。背後に立つ雲嵐が一礼した。
「やぁ、翠鈴。君にこれを、と思って」
網の袋を、光柳が差しだした。中には小さな球根がいくつも入っている。
「鬱金香の球根らしい。医局の胡玲が、故郷の花だから翠鈴に渡すのだと話していた」
「胡玲は来ないんですか?」
「うん、まぁ」
光柳が言葉を濁す。
あ、これは胡玲から奪ったな。翠鈴は直感した。
きっと未央宮に向かう胡玲に、光柳は声をかけたに違いない。
――私がこれから未央宮に行くので、渡しておいてあげよう。医官の仕事も忙しいだろう?
善意に満ちた笑みをたたえながら。
「見たことがないわ。どんな花が咲くの?」
蘭淑妃が翠鈴の手元を覗きこんでくる。好奇心で瞳がきらきらしている。
「二寸(六センチ)に満たない草丈ですよ。つぼみになるまで、色は分かりませんが。可憐でとても美しいですね。ただ、桃莉公主には触れないように仰ってください」
「毒があるのだったな。確か」
光柳の言葉に、翠鈴はうなずく。
「咲き終わった後の花がらを摘むときは、革の手袋をした方がいいですね。園丁にもその旨は教えた方がいいでしょう。気をつけていれば、危ない物ではありません」
胡国ではラーレと呼ばれる鬱金香。
いずれ、さらに遥か西の国では「チウリップ」と呼ばれることとなる。
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