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一章 姉の仇
9、蛇ではない
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「由由。部屋の明かりをつけて。それから、手元を照らす物を」
「は、はい」
てきぱきと指示を出す翠鈴に、由由が返事をする。
蘭淑妃に仕える侍女たちは、ただ寄りそって怯えているばかりだ。
(使えない。でも、しょうがないか)
由由が準備した灯りを持って、翠鈴は寝台に近づく。かけられた薄い帳を開くと、夜具の上に桃莉が横たわっていた。
よほど苦しいのだろう。背中を丸くして、膝を曲げている。
少しでも楽になる角度を探ろうと、小さな体を右に左に動かしている。そのたびに敷布がこすれる音がした。
「いたい。いたい、よぉ」
「桃莉さま。翠鈴です、お分かりになりますか?」
涙をぼろぼろと流しながら、桃莉は小さくうなずいた。灯りに照らされた公主の顔の異様な状態に、翠鈴は息を呑んだ。
唇が腫れてしまっているのだ。上唇も下唇も。
「失礼いたします」
「やぁ。いたい、いたいの」
ごねて、暴れる桃莉の衣の袖と裾をめくりあげる。
蛇に噛まれたのなら、牙の穴が二か所あるはずだ。だが、ない。
腹部を見ても、首や髪の間を確認しても見当たらない。
(淑妃さまの仰るとおり、蛇ではないようだ)
唇が腫れたということは、何かを食べてかぶれたか。
(かぶれる植物ならば、漆に櫨の木。今の時季ならば、銀杏樹の実)
けれど、と翠鈴はあごに指をあてて考える。
公主が、漆や櫨の葉や小枝を口に運ぶとは思えない。銀杏はあまりにも臭いので、黄色い実を手に取るはずがない。
「公主さまは、今日はおやつを召し上がりましたか?」
「山査子の飴がけです。桃莉さまが、たいそうお好きでいらっしゃるので」
侍女はうろたえながら、翠鈴に答える。
山査子の飴がけは氷糖葫蘆とも呼ばれる菓子だ。
山査子は消化不良に効き、胃腸を強くする。女性特有の血の滞りにも薬効がある。
ただし、熟したものだけだ。
「今日の山査子は、大きさが不揃いだったんです。もしかして関係あるのでしょうか」
「山査子の未熟な実は、微量ですが毒を含みます。果実は緑でしたか?」
翠鈴の言葉を聞いた侍女は、表情がこわばった。そして頭が飛ぶかと思うほどに、激しく首を振った。
「どれも赤でした」
「そう。では山査子が原因ではないようね」
回廊を走る足音が聞こえた。医者が来たかと、翠鈴は戸口を見遣った。
「申し訳ございません。淑妃さま。お医者さまは医局におられないようで、お留守でした。すぐに医官の方がお越しくださるそうです」
「すぐって、いつなの?」
蘭淑妃は立ち上がって、声を荒げた。
医局には、翠鈴と同じ村の女性が医官として働いている。医官が何人いるかは、翠鈴には知りようがないが。
(煎じ薬や丸薬の処方の前に、すべきことがあるはずだ)
翠鈴はあごに手をあてて考え込んだ。
「蘭淑妃。公主が急病と伺いましたが」
侍女に続いて部屋に入ってきたのは、松光柳だった。走ってきたのだろう。ひたいにうっすらとかいた汗が、灯りに光って見える。
「松さま。わざわざ来てくださったのですね」
「私で力になれることがあるか、分かりませんが」
蘭淑妃は、光柳にすがりついた。
(書令史は位は低いのに。そんなに頼りになるのか? この人は。書令史でありながら、医術の本も読んでいるとかなのか?)
いや、光柳のことなどどうでもいい。
医官はまだ来ない。医者も遅れるのであれば、自分が桃莉公主の応急処置をしなければならない。
「は、はい」
てきぱきと指示を出す翠鈴に、由由が返事をする。
蘭淑妃に仕える侍女たちは、ただ寄りそって怯えているばかりだ。
(使えない。でも、しょうがないか)
由由が準備した灯りを持って、翠鈴は寝台に近づく。かけられた薄い帳を開くと、夜具の上に桃莉が横たわっていた。
よほど苦しいのだろう。背中を丸くして、膝を曲げている。
少しでも楽になる角度を探ろうと、小さな体を右に左に動かしている。そのたびに敷布がこすれる音がした。
「いたい。いたい、よぉ」
「桃莉さま。翠鈴です、お分かりになりますか?」
涙をぼろぼろと流しながら、桃莉は小さくうなずいた。灯りに照らされた公主の顔の異様な状態に、翠鈴は息を呑んだ。
唇が腫れてしまっているのだ。上唇も下唇も。
「失礼いたします」
「やぁ。いたい、いたいの」
ごねて、暴れる桃莉の衣の袖と裾をめくりあげる。
蛇に噛まれたのなら、牙の穴が二か所あるはずだ。だが、ない。
腹部を見ても、首や髪の間を確認しても見当たらない。
(淑妃さまの仰るとおり、蛇ではないようだ)
唇が腫れたということは、何かを食べてかぶれたか。
(かぶれる植物ならば、漆に櫨の木。今の時季ならば、銀杏樹の実)
けれど、と翠鈴はあごに指をあてて考える。
公主が、漆や櫨の葉や小枝を口に運ぶとは思えない。銀杏はあまりにも臭いので、黄色い実を手に取るはずがない。
「公主さまは、今日はおやつを召し上がりましたか?」
「山査子の飴がけです。桃莉さまが、たいそうお好きでいらっしゃるので」
侍女はうろたえながら、翠鈴に答える。
山査子の飴がけは氷糖葫蘆とも呼ばれる菓子だ。
山査子は消化不良に効き、胃腸を強くする。女性特有の血の滞りにも薬効がある。
ただし、熟したものだけだ。
「今日の山査子は、大きさが不揃いだったんです。もしかして関係あるのでしょうか」
「山査子の未熟な実は、微量ですが毒を含みます。果実は緑でしたか?」
翠鈴の言葉を聞いた侍女は、表情がこわばった。そして頭が飛ぶかと思うほどに、激しく首を振った。
「どれも赤でした」
「そう。では山査子が原因ではないようね」
回廊を走る足音が聞こえた。医者が来たかと、翠鈴は戸口を見遣った。
「申し訳ございません。淑妃さま。お医者さまは医局におられないようで、お留守でした。すぐに医官の方がお越しくださるそうです」
「すぐって、いつなの?」
蘭淑妃は立ち上がって、声を荒げた。
医局には、翠鈴と同じ村の女性が医官として働いている。医官が何人いるかは、翠鈴には知りようがないが。
(煎じ薬や丸薬の処方の前に、すべきことがあるはずだ)
翠鈴はあごに手をあてて考え込んだ。
「蘭淑妃。公主が急病と伺いましたが」
侍女に続いて部屋に入ってきたのは、松光柳だった。走ってきたのだろう。ひたいにうっすらとかいた汗が、灯りに光って見える。
「松さま。わざわざ来てくださったのですね」
「私で力になれることがあるか、分かりませんが」
蘭淑妃は、光柳にすがりついた。
(書令史は位は低いのに。そんなに頼りになるのか? この人は。書令史でありながら、医術の本も読んでいるとかなのか?)
いや、光柳のことなどどうでもいい。
医官はまだ来ない。医者も遅れるのであれば、自分が桃莉公主の応急処置をしなければならない。
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