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一章 姉の仇

4、桃莉公主【2】

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「わたしも未央宮びおうきゅうの庭で、蜜柑を摘みますから。その時に、ご一緒しましょうか。蛇の嫌う匂いを知っていますので。それを利用しましょう。樟脳といって、少し臭いのですが」
「いいの?」

 桃莉タオリィの声が弾む。
 その時。遅れてやってきた由由ヨウヨウが、皿の塔を持ったまま公主と話す翠鈴を見て、目を丸くした。

「すごいわ。翠鈴ツイリン
「慣れたら、片手でも持てるわよ」
「いや、お皿じゃなくって。桃莉さまは、人見知りが激しくていらっしゃるのに」

 由由の言葉通り、桃莉は体を固くした。そして翠鈴の背中に隠れてしまう。

「そうでなくとも翠鈴は目つきが怖いし」
「うーん、ちょっと失礼かな?」
「それに柔らかな女性らしさもないし」
「由由は、ちょっと言葉を選んだ方がいいかな」

 顔を引きつらせながらも、翠鈴には桃莉が自分に懐く理由が分かるような気がした。

 由由に悪気があるわけではないが。子供は、大人が考えているよりも会話の内容をしっかりと聞いている。「人見知り」は、桃莉がいちばん言われたくない言葉だろう。

 母親である蘭淑妃が社交的であるので、よけいに桃莉の内気な部分が目立ってしまう。

 まだ皇帝には、太子となるべき立場の男児がいない。皇后にも貴妃、徳妃にも子はない。そして賢妃には赤子の女の子がいるばかり。
 九嬪の女性たちが産んだのも、女児ばかりだ。

(いずれは男の子がお生まれになるだろうけど。今の時点では、淑妃のお子さまでいらっしゃる桃莉公主が注目されるのも仕方がないわ)

 翠鈴は、桃莉を子供扱いはしない。内気な点をバカにすることもなければ、やたらと敬うこともしない。

 公主という特別な立場であればあるほど、桃莉に普通に接する人は皆無だ。

 桃莉は、ふいっと背を向けて回廊を走っていった。
 ひるがえる袖と、淡い色の髪。ぱたぱたと軽い足音が去っていく。
 小さな背中にのしかかるのは、一国の姫としての重圧だろう。

 自分と比べるわけにはいかないが。
 翠鈴もまた、小さい頃は薬師になるべく気負っていた。

 薬師の親族が住まう村で、自分が一番知識があったから。使いすぎれば毒になる薬草の加減も、すぐに覚えたから。

(わたしが父さんの跡を継ぐと分かっていたから。姉さんは、あのクズ男と村を出る決意をしたのよ)

 もっと自分が物覚えが悪ければ、よかったのだろうか。

 この一年。翠鈴はすれ違う宦官の顔をじっと見つめた。そのたびに宦官達は怯えた顔で立ち尽くす。あるいは翠鈴を罵倒する。
 相手からすれば、下女に睨まれたと感じたのだろう。

 姉は婚約者をいずれ紹介すると言っていたけれど。その前に悲劇が起きたので、翠鈴は男の顔を知らない。
 けれど、姉は男に印をつけてくれた。

(きっと見つけてみせるわ。姉さん)

 後宮の医局に勤める幼なじみが、教えてくれたことがある。
 明玉を捨てた男は、罪を犯して宮刑に処せられた、と。
 かつて翠鈴が推測した特徴にそっくりな宦官が、医局を訪れたとも。

 名は知っている。だが、あまりにも宦官の数は多い。
 その男の名を出して、どこにいるのかと人に尋ねることは難しい。宮女が、宦官を探していると噂が立つのは避けねばならない。

 捨てた女の妹が復讐に来たと勘づかれては、元も子もないからだ。

 姉を捨てた男は、まだ見つからない。
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