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5、わたしでいいんですか?
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「デリアさんは、姉の悪口を言う男性を酔い潰していく女性との噂ですが」
どういうこと? 聞いたこともない。
アルマはジェラルドに向かって、首を振った。
「ああ、そうか。レディは酒場になど行かないから、ご存じないのですね。いくら貴族とはいえ、世の男性は婚約破棄された女性のことを批判するものです。デリアさんは、それが我慢ならないのでしょうね」
ジェラルドは話を続けた。
どうやらデリアは、アルマを悪く言う男性に「飲み対決」というものを申し込んでいるらしい。
伯爵令嬢を相手にして、男が酔いつぶれれば相当な恥なのだそうだ。
(そもそも男性よりもお酒に強い令嬢って時点で、おかしいのですけれど)
でもデリアならやりかねない。というか、深酒をして帰ってくることもあるので、きっと事実なのだろう。
「紳士が酔いつぶれて、路上で寝てしまうとか。道で吐いてしまうとか。致命的な醜聞ですからね。供の使用人では隠し切れません」
「は、はぁ」
まともに返事ができないのは、デリアは毎回ちゃんと帰ってきているからだ。たとえ馬車のなかで仮眠をとったとしても、酔いつぶれるほどではない。
そんなにもデリアはお酒に強いのだろうか。
確かに、紅茶入りブランデーをおかわりしても、顔色一つ変わらないけれど。
「あの、妹の体が心配なのですが」
「大丈夫なようですよ。これも伝え聞いたことですが。デリアさんは酒と水を交互に飲んでいるようですね。悪酔いや二日酔いを減らして、体の負担を軽くするんです」
「あの子が、そんなことを……」
「そこまでして姉であるあなたの評判を守りたいのでしょうね。譲れない闘いがあるのでしょう」
ジェラルドは立ちあがり、窓の外を見やった。
外には夏の緑が生い茂っている。アガパンサスの青は涼しげだ。
「以前は、青い花は植えられていませんでしたね」
「アガパンサスですか? 五年ほど前に母が庭師に頼んで植えてもらったものです」
「そうでしたか。あの頃は確か木陰には一面にブルーベルが咲いていました。まぁ季節も春でしたが」
あの頃?
「初めまして、ではないですよ」
まさか。アルマは手で口もとを押さえた。でないと、ぽかんと口を開いてしまいそうだったから。
アルマが五歳になる前だから、もう二十年近くも昔のことだ。
けれど目の前にいるコヴェントリー伯爵には、確かにジェリーの面影が残っている。
「ジェラルドの愛称は、ジェリーなんですよ」
にっこりとジェラルドが微笑んだ。
たったひとりの男の子のお友だち。まさか、時を越えて求婚者として再び現れるなんて。
聞きたいことはたくさんある。なのに喉が詰まったように、言葉が出てこない。
「わたしで、いいん、ですか?」
ようやく紡いだ言葉は、情けないものだった。
「妹で、デリアでなくていいんですか?」
「どちらでもいいわけではありませんよ。私が求婚しているのは、アルマ、あなたです」
「わたしは華やかでもないですし、会話もうまくありません。その、一緒にいてもつまらないと思います」
「そうですか? 清楚でいらしゃるし、話していて楽しいですよ」
「妹のように、自分の品位を落としてでも家族を守ろうとか。そんな勇気も持ちあわせておりません」
デリアが姉を貶めた男に対する復讐は、向こう見ずで蛮勇だ。
けれど彼女なら、たとえ悪評が立ったとしても毅然と生きていくだろう。
誰もがデリアに夢中になる。当然のことだ。
ジェラルドはにっこりと微笑んだ。
「二十年以上前のことですが。この庭であなたと過ごした日々は、とても楽しかった。つまらないことなんて、これっぽっちもなかったですし。当時の私は帰宅を渋ったほどですよ」
確かに覚えている。
ジェリーは滞在の最終日に、年下のアルマの腕にしがみついて離さなかったのだ。
――やだ。帰らない。ぼくはアルマといっしょがいい。いっしょにいるんだ。
ジェリーは涙声で訴えていた。
「約束を果たしに来ましたよ。私は長く隣国に留学していたので、帰国してあなたが二度も婚約を破棄されたことを初めて知りました。どう言えばいいのでしょう、あなたがつらい思いをしたことは悲しく思うのに。他の男にさらわれなくて良かったと、喜びもしたのです」
自分勝手でしょう? とジェラルドは寂しそうに眉を下げた。
「妹のデリアさんが、策略を立てて守りたくなるほどにあなたは素敵なレディなんですよ。自信を持ってください」
「デリアは、ジェラルドさんのことをご存じなのですか? ジェリーがうちに滞在していた時は、あの子はまだ生まれていませんでした」
「留学の合間の帰国時に、パーティで二度お会いしました」
何かを思いだしたのか、ジェラルドは急に右手で顔を覆った。
「失礼。あなたが夜会には参加なさることがないので。つい、デリアさんにあなたのことを尋ねてしまったのです。一度目の婚約の前と、二度目の婚約破棄の後ですが。しつこいと思われたかもしれません」
「ではデリアは、わたしがどうしてジェリービーンズを好きかということも知っていたのですか?」
すべて知っていて、デリアはデイヴィッドにリーのふたりの婚約者を、力任せともいえる方法で排除したのだ。
彼らに真実の愛がないことを確かめて。
きっと酔い潰して、元婚約者たちに本音吐かせたのだろう。
アルマなど、ただの踏み台。文句も言わないお飾りの妻。くだらない女だ、妹の君と最初に出会えていたなら。
そんな姉に対する侮辱を、デリアはひきつった笑顔で聞いていたのだろう。いっそ殴ってやろうかと拳を握りしめながら。
「どうしましょう。デリアに会わなくちゃ」
「きっとすぐに戻ってきますよ。私たちの婚約の話を聞けば、馬を飛ばしてでも祝福しにきてくれるのではないですか? あなたを祝福するために」
「ジェリービーンズを買ってくるって言ってました」
こくりとジェラルドはうなずいた。
「今も変わらずにジェリービーンズが好きで、安心しました」
(了)
どういうこと? 聞いたこともない。
アルマはジェラルドに向かって、首を振った。
「ああ、そうか。レディは酒場になど行かないから、ご存じないのですね。いくら貴族とはいえ、世の男性は婚約破棄された女性のことを批判するものです。デリアさんは、それが我慢ならないのでしょうね」
ジェラルドは話を続けた。
どうやらデリアは、アルマを悪く言う男性に「飲み対決」というものを申し込んでいるらしい。
伯爵令嬢を相手にして、男が酔いつぶれれば相当な恥なのだそうだ。
(そもそも男性よりもお酒に強い令嬢って時点で、おかしいのですけれど)
でもデリアならやりかねない。というか、深酒をして帰ってくることもあるので、きっと事実なのだろう。
「紳士が酔いつぶれて、路上で寝てしまうとか。道で吐いてしまうとか。致命的な醜聞ですからね。供の使用人では隠し切れません」
「は、はぁ」
まともに返事ができないのは、デリアは毎回ちゃんと帰ってきているからだ。たとえ馬車のなかで仮眠をとったとしても、酔いつぶれるほどではない。
そんなにもデリアはお酒に強いのだろうか。
確かに、紅茶入りブランデーをおかわりしても、顔色一つ変わらないけれど。
「あの、妹の体が心配なのですが」
「大丈夫なようですよ。これも伝え聞いたことですが。デリアさんは酒と水を交互に飲んでいるようですね。悪酔いや二日酔いを減らして、体の負担を軽くするんです」
「あの子が、そんなことを……」
「そこまでして姉であるあなたの評判を守りたいのでしょうね。譲れない闘いがあるのでしょう」
ジェラルドは立ちあがり、窓の外を見やった。
外には夏の緑が生い茂っている。アガパンサスの青は涼しげだ。
「以前は、青い花は植えられていませんでしたね」
「アガパンサスですか? 五年ほど前に母が庭師に頼んで植えてもらったものです」
「そうでしたか。あの頃は確か木陰には一面にブルーベルが咲いていました。まぁ季節も春でしたが」
あの頃?
「初めまして、ではないですよ」
まさか。アルマは手で口もとを押さえた。でないと、ぽかんと口を開いてしまいそうだったから。
アルマが五歳になる前だから、もう二十年近くも昔のことだ。
けれど目の前にいるコヴェントリー伯爵には、確かにジェリーの面影が残っている。
「ジェラルドの愛称は、ジェリーなんですよ」
にっこりとジェラルドが微笑んだ。
たったひとりの男の子のお友だち。まさか、時を越えて求婚者として再び現れるなんて。
聞きたいことはたくさんある。なのに喉が詰まったように、言葉が出てこない。
「わたしで、いいん、ですか?」
ようやく紡いだ言葉は、情けないものだった。
「妹で、デリアでなくていいんですか?」
「どちらでもいいわけではありませんよ。私が求婚しているのは、アルマ、あなたです」
「わたしは華やかでもないですし、会話もうまくありません。その、一緒にいてもつまらないと思います」
「そうですか? 清楚でいらしゃるし、話していて楽しいですよ」
「妹のように、自分の品位を落としてでも家族を守ろうとか。そんな勇気も持ちあわせておりません」
デリアが姉を貶めた男に対する復讐は、向こう見ずで蛮勇だ。
けれど彼女なら、たとえ悪評が立ったとしても毅然と生きていくだろう。
誰もがデリアに夢中になる。当然のことだ。
ジェラルドはにっこりと微笑んだ。
「二十年以上前のことですが。この庭であなたと過ごした日々は、とても楽しかった。つまらないことなんて、これっぽっちもなかったですし。当時の私は帰宅を渋ったほどですよ」
確かに覚えている。
ジェリーは滞在の最終日に、年下のアルマの腕にしがみついて離さなかったのだ。
――やだ。帰らない。ぼくはアルマといっしょがいい。いっしょにいるんだ。
ジェリーは涙声で訴えていた。
「約束を果たしに来ましたよ。私は長く隣国に留学していたので、帰国してあなたが二度も婚約を破棄されたことを初めて知りました。どう言えばいいのでしょう、あなたがつらい思いをしたことは悲しく思うのに。他の男にさらわれなくて良かったと、喜びもしたのです」
自分勝手でしょう? とジェラルドは寂しそうに眉を下げた。
「妹のデリアさんが、策略を立てて守りたくなるほどにあなたは素敵なレディなんですよ。自信を持ってください」
「デリアは、ジェラルドさんのことをご存じなのですか? ジェリーがうちに滞在していた時は、あの子はまだ生まれていませんでした」
「留学の合間の帰国時に、パーティで二度お会いしました」
何かを思いだしたのか、ジェラルドは急に右手で顔を覆った。
「失礼。あなたが夜会には参加なさることがないので。つい、デリアさんにあなたのことを尋ねてしまったのです。一度目の婚約の前と、二度目の婚約破棄の後ですが。しつこいと思われたかもしれません」
「ではデリアは、わたしがどうしてジェリービーンズを好きかということも知っていたのですか?」
すべて知っていて、デリアはデイヴィッドにリーのふたりの婚約者を、力任せともいえる方法で排除したのだ。
彼らに真実の愛がないことを確かめて。
きっと酔い潰して、元婚約者たちに本音吐かせたのだろう。
アルマなど、ただの踏み台。文句も言わないお飾りの妻。くだらない女だ、妹の君と最初に出会えていたなら。
そんな姉に対する侮辱を、デリアはひきつった笑顔で聞いていたのだろう。いっそ殴ってやろうかと拳を握りしめながら。
「どうしましょう。デリアに会わなくちゃ」
「きっとすぐに戻ってきますよ。私たちの婚約の話を聞けば、馬を飛ばしてでも祝福しにきてくれるのではないですか? あなたを祝福するために」
「ジェリービーンズを買ってくるって言ってました」
こくりとジェラルドはうなずいた。
「今も変わらずにジェリービーンズが好きで、安心しました」
(了)
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