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二章

13、仕方がない

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 わたしがクリスティアンさまを見守る……そうでした。
 わたし、求婚されていたのでした。
 そんな大切なことを忘れてしまうくらい、ビルギットとの再会は強烈でした。

 自分の感情が分からなくなります。
 ビルギットと再び離れることができてほっとしている反面、火傷のことが心配で胸の奥にもやもやとした何かがあるんです。

 雨雲のように灰色で、なのに決して雨を降らせることのないじめっとした湿り気を帯びた感覚。

 熱いジャムのほとんどは、床とドレスやペチコート、革靴にかかっていました。
 それでも顔についていた分は……。

 どうしてあんなにわたしのことを嫌って馬鹿にして、そんな子のことを考えてしまうのか、自分でも分からないんです。ようやく解放されて、ほっとしていたはずなのに。もう関わらなくていいと安堵していたはずなのに。

 その時、ぐりぐりと眉間を指で押さえられました。

「え?」

 クリスティアンさまがわたしの眉間に指を触れていました。どうやら眉根を寄せていたみたい。眉間に力がこもっているんです。

「気に病むのは仕方がない」
「でも、ほっとしている自分もいるんです……」
「そうだな」

 沈黙が室内を支配します。クリスティアンさまは、窓の方をご覧になりました。その蒼い瞳は遠くをご覧になっています。そう、ビルギットが去っていった方角です。

――マルガレータ。この子がビルギット、あなたの妹よ。

 微笑みながら、生まれて間もないビルギットを見せてくださったお母さま。その優しい笑顔が頭をよぎりました。
 淡い金髪にふっくらとした頬、瞳の色が同じで。愛らしい妹ができたことを、わたしはとても嬉しかったのです。
 あの時は、幸せを信じて疑いませんでした。お母さまも幼かったわたしも。
 仲良くできると……可愛がってあげようと、そう思ったのです。

「育て方で人は変わるし、親や家族も選べない。だが、家族だからといって一生を縛り付けなければならない理由もない。家族で苦労せずに幸せに育った者は、あなたのことを『妹を見捨てるのか』と責めたりもするだろう。それは己が幸せに育ったことに気づいていないだけだ」
「クリスティアンさま」

「妹もこれまで果たして幸せだったのか。彼女は、あなたを妬んでいたのだな。ずっと」
「妬まれる要素なんて……わたしには。だって、可愛いと褒められ愛されていたのはビルギットなんですよ」

 クリスティアンさまは、そう仰るのですが。
 あんなに誇らしそうに美を見せつけていたビルギットが、地味なわたしの何を妬むというのでしょう。

 あでやかで、華やいだビルギットはいつも男性の取り巻きを連れていました。
 優しい女性が好かれるとか、おしとやかな女性が好まれると皆は思っているようですが。存外、そうでもないのです。

 よく笑い、表情をころころと変えて、我儘すらも愛らしく聞こえる。そんなビルギットは男性の心を掴むのがとても上手いのです。
 無論、結婚となるとまた違うのでしょうが。恋人や男友達という点では、子爵の娘とも思えぬ言動のビルギットは、むしろ彼らに新鮮に映ったようです。
 いつも楽しそうで笑顔で。そんなビルギットがどうしてわたしを?

「違うよ、マルガレータ」

 わたしの手を取ったクリスティアンさまは、荒れてかさついた指を優しく撫でてくださいます。
 畏れ多いことです。
 
「彼女が誇れるものは、可愛さだ。だが、可愛さとはつまり幼さだ。時と共にいずれ失われていく」
「クリスティアンさま?」
「対して、あなたの美しさは聡明さだ。それは時と共に輝いていくんだ。ビルギットはくすんでいく自分に耐え切れずに、あなたを貶めることで自尊心を保っていたんだ」

 確かに、子どもの頃の我儘と違い、年々ビルギットの横暴さは際立っていましたが。でも、あまりにも褒めすぎです。
 わたしは顔を上げることができずに、うつむきました。

 もちろん、恥じ入っているからですが。でも、ビルギットに愚弄された時とは、まったく違います。
 惨めな気分ではなく、照れてしまって……どうしようもなかったんです。
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