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二章

2、一年が経ちました

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 雪に閉ざされた静寂の冬が過ぎ、花が咲き乱れる春も越えて、森は初夏を迎えました。
 鳥は澄んだ声でさえずり、リスが我が家の窓を覗きに来ます。

 不思議ですね。
 森の中で一人きりでいる今よりも、父や妹に蔑まれたり無視されていた頃の方が、孤独を感じていただなんて。
 孤独は、人の中にいる時に強く感じるものなのですね。

  水を運ぶのも大変で、屋敷にいた頃のようなバスタブもなく、盥に沸かしたお湯を張って入浴するしかありません。それでも不便な生活にも慣れてきました。 

 森の小川にかかる橋の木が軋む音がして、わたしは顔を上げました。
 古い橋なので、そろりと歩かないと危ないのです。足音は二人? 三人かしら。

「こんにちは」

 ノックされて、わたしは扉を開きました。
 ドアノブに掛けられたサシェから香る、涼やかなラベンダーの香り。

 森の緑の濃い匂い。昨日は雨が降っていたので、湿った土の匂いもします。
 まだ濡れている木々の葉は初夏の陽射しに煌めいて、まるで緑柱石のようにきらきらと森を彩っています。

 そのお客人は男性でした。澄んだ碧の光に背後から照らされて、その方のお顔はよく見えません。
 見上げるほどに身長が高いのに、威圧感は覚えません。
 でも不思議です。足音は一つではなかったのに。

「ヴェステルグレーン子爵家のジャムを、こちらで購入できると伺ったのですが」
「はい。いらっしゃいませ。何をお求めですか」

 ヴェステルグレーンの長女が森で隠遁生活をしているという噂は、あっという間に広まったようです。
 貴族の世界は狭いですし、噂好きなのですから、当然ですね。

 最近は、ジャムを求めて狭い我が家を訪れる方が徐々に増えています。予約をお受けするようになってから、定量を作ればよいので無理をすることもありません。

「ブラックベリーにカラント、コケモモに桑の実と赤、緑、黒のグーズベリーがございますが。どれになさいます?」

 お客さまに中に入っていただき、椅子を勧めます。
 これもまた座るとぎしりと軋むのです。

「種類が増えたんだな。以前は、薔薇かマーマレードだったのに」
「森で採れる果実を用いているんです。残念ながらオレンジは入手できませんので、マーマレードはもう」

 困りながらも、わたしは微笑みました。薔薇は実家のお屋敷のお庭に咲いているものですし、家を追い出されたわたしが摘みに行くわけにも参りません。
 以前は、放逐された長女を憐れに思った使用人が届けてくれたのですが。
 今では、どうやら使用人の数も減ったようで、薔薇もなかなか手に入りません。
 
 みんな、次の勤め先は決まったのかしら。お父さまはちゃんと紹介状を書いてさしあげたのかしら。
 これまで使用人任せだった生活……お父さまもビルギットもちゃんと自分達でできるのかしら。

 いいえ、わたしが考えることではないわ。
 小さく首を振った時、椅子に腰かけたお客さまと目が合いました。
 凪いだ湖のような、その湖面を思わせる澄んだ蒼い瞳。

 どこかでお目にかかったことがあるような……。彼の美しい湖に、きょとんとしたわたしの姿が映っています。
 今では着ている服も、とうていドレスなんて呼べる代物ではありません。ひとつに結んだだけの蜂蜜色の髪。以前よりも地味さが増しているのではないかしら。

「ジャムの瓶をお持ちしますね」
「あ……っ」

 納戸に向かおうとしたわたしの手首を、その方は突然掴みました。
 彼が立ち上がった所為で、椅子がガタンと床に倒れます。

「あの?」
「失礼。手が勝手に動いてしまった……いや、言い訳にもならないが」

 その男性は視線を落として床を見つめていらっしゃいます。かつての子爵家のような、とろけるような風合いの白い石の床ではありません。
 ささくれた木の床は、どんなに拭いても輝きはしないのです。
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