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02.初めてのキス
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ベアモンドは捨て子であった。
伯爵であるストーンクラッシャー家の目の前に捨てられていたのだ。子どもがおらず信仰の深かったストーンクラッシャー夫婦は、ベアモンドを神からの贈り物だと考えて養子にした。その育てている途中でクマに変身し、クマ獣人の子だとわかった。
それでも夫妻は、ベアモンドを我が子のように愛し育てる。
やがて夫妻に実子が生まれても、ベアモンドを長男として変わりなく大事に扱った。
しかし、ここは人間の国。
獣人国との戦争はしばらくないものの、友好国とは程遠い関係にあった。
ベアモンドのことは、夫妻と、ごく一部の使用人にしか正体を知らされていない。
そのごく一部の使用人ですらも、ベアモンドの真の姿を見ると毎度腰を抜かした。
だからベアモンドは、誰もいない場所で真の姿に戻っていたのだ。
鍛錬が終わり、管理人が掃除に来るまでの鍛錬場で。
「く、くまぁ……」
足元で……と言ってもユーミラの胸のあたりまであるのだが、うずくまっている茶色い毛の塊を見下ろした。
たった今までベアモンド・ストーンクラッシャーだった人物が、なぜか大きな毛玉となってくるまっているのだ。驚かない方がおかしい。
「……そうだ、俺はクマ獣人なんだ……驚かせてすまない」
「クマ……獣人……」
(人だけで構成されるはずの人間国の騎士団に、どうして獣人が?!)
疑問しか湧き出てこないが、この格好はもしや土下座させているのではないだろうかと気づいたユーミラは、急いで声を掛けた。
「ベアモンド様、どうかお顔を上げてください。ストーンクラッシャー伯爵のご令息ともあろう方が、そんな格好をしてはいけません! さぁ、立って……」
「立つと怖がらせてしまう」
「そんなことはありませんから。さぁ、お立ちください」
少し迷っていたベアモンドが、おもむろに立ち上がった。
ユーミラを怖がらせないようにという気遣いが感じられたが、起き上がると天井を見上げるのと同じくらい背中を逸らさなければならない。
(お、大きい……っ)
人間の姿のベアモンドとは頭二つ分の差だが、クマの姿だと頭五つ分くらいの差はありそうだ。
縦にも横にも、とにかく大きい。これは本能レベルで恐怖を感じる。
「すまない……これが本当の俺の姿だ。騙すようなことをして申し訳なかった……」
「あ……えっと……」
知らず知らずの間に体が震えていた。
目の前のクマはベアモンドだと理解できているのに、どうしても震えが止まってくれない。
「……怖い……よな……さっきの俺の告白は、聞かなかったことにしてくれ」
大好きなベアモンドの声で放たれる言葉に、目の前で石を破壊されたような衝撃が走る。
ベアモンドの告白が、なかったことになってしまう。ひいてはユーミラの決死の告白も。
(そんなの、いやよ!!)
奥歯を強く噛み締めると、震えは一瞬で止まっていた。
「ベアモンド様の私を好きな気持ちって、そんなものだったんですか!?」
「いや、そんなことは……けどユーミラ殿は俺のこの姿を怖がって……」
「少し驚いただけです! ベアモンド様がベアモンド様である限り、私はずっとベアモンド様が大好きです!」
「ユーミラ殿」
「私と付き合ってください!!」
ユーミラの言葉に、大きなクマはほろりと涙を見せ。
「俺の方こそお願いする。俺と、付き合ってほしい」
少し震えた声音にほっとしたユーミラは。
「はい、よろしくお願いします!」
元気に声を上げて微笑んだ。
ほんの少し手を伸ばして彼のお腹に触れると、もふっと柔らかな感触が、ユーミラを優しく押し返していた。
***
それからの二人は順調だった。
ベアモンドはいつも鍛錬場に残り、ユーミラと共に掃除をすることが日課となった。
人間の姿はきつい服を着ているようで窮屈だと言い、クマの姿で一緒に過ごすことも多い。
最初こそ怖かったユーミラだが、次第にクマの姿のベアモンドにも慣れていった。
ちなみに変身する姿は初回の時しか見ていない。服を何着も破るわけにいかないし、服を着ずに戻った姿も見せられないからと言って。
いつ破れても大丈夫なように、いつでも着替えは常に持ち歩いているようだったが。
「ベアモンド様、今日も掃除を手伝ってくれてありがとうございました」
「いい。その分、ユーミラとの時間が増えるからな」
クマの状態で掃除をしている姿というのは、なかなかそそるものがある。
あれだけ怖かったクマのベアモンドが、今ではかわいいとしか思えないから不思議だ。
「触っても、よろしいですか?」
「ああ、構わない」
許可を得たユーミラは、その大きな体に包まれるようにぎゅむっと抱きついた。
もふんもふんという毛皮が、なんとも幸福な気分で満たしてくれる。
「はぁ、この感触……最高です!」
「そうか、それは良かった」
存分もふもふを堪能した後、ベアモンドは小さな更衣室に入って行った。
そして人間の姿となり、ちゃんと服を着てやってくる。
「待たせたな」
「大丈夫です。お掃除を手伝ってもらっているので、前より早く帰れますし」
「じゃあその時間分、もう少し一緒にいてもいいか?」
「はい、もちろんです!」
ユーミラが頷くと、ベアモンドは嬉しそうに笑った。
この人が自分の彼氏なのだと思うと、胸がトゥンクトゥンクとベルを鳴らすように揺れる。
(幸せすぎるわ! いいのかしら?!)
掃除をしたばかりの長椅子に、二人で腰を掛けた。
日はちょうど暮れたところで、ユーミラはランプに光を灯す。
小さな灯りが優しくベアモンドを照らしていて、ユーミラはうっとりと彼を見上げた。
「……この姿になると、ユーミラ殿は俺に触れてくれないな」
ベアモンドに言われて、初めてそうだったと思い至る。
なぜかクマの姿なら抱きつけるのだが、人の姿で抱きつける気がしない。
(ベアモンド様は、私に触れてほしかったのかしら)
そう思うものの、触れようと思うだけで体は躊躇してしまった。ユーミラは少し考えると、いいことを思いつく。
「あの、耳を出してもらえませんか?」
「耳? 構わないが」
そう言うと、すぐにベアモンドの頭からピョコンと可愛い耳が現れた。
ユーミラはたまらず手を伸ばす。
相変わらずのふわふわした触感に、口元は勝手に笑顔を作った。
「ふふっ、気持ちいい」
「……そういう意味じゃないんだが」
「え、嫌でした?」
「嫌ではない。少しくすぐったいが、俺もユーミラ殿に触られるのは気持ちがいい」
「よかったです」
両手で両耳にもふもふと触れる。たまにピクリと動く耳が可愛らしい。
「くっ、ユーミラ殿……」
「あ、ベアモンド様。そのユーミラ“殿”って言うのやめませんか? 私たち、恋人ですよね?」
「そう、だな……じゃあ、ユーミラ」
もふもふこねこねしていたユーミラの両手首は、パシンと音を立ててベアモンドに掴まれた。
驚くとそこには、獲物を捕らえる猛獣のような目をしたベアモンドが、ユーミラを見ている。
「ベアモンド……様……?」
「ユーミラだけがいつも俺に触れているのは不公平だ」
「あ……はい、そうですね」
「俺もユーミラに触れたい」
すでに両手首に触れているというのに、どこに触れたいのだろうかとユーミラは首を傾げる。
(もしかして、ベアモンド様も私の耳に触りたいのかしら?)
そう思い至ったユーミラはこくりと頷き、ベアモンドに微笑みを見せた。
「はい、いくらでもご自由にお触りください」
「じゃあ、遠慮なく」
言うが早いか、ユーミラの唇は塞がれていた。ベアモンドの唇によって。
付き合って三ヶ月。
これが二人の初めてのキスであった──。
この数日後、ベアモンドはユーミラを家族へと紹介した。
ベアモンドの両親も弟も、ユーミラは平民であるというのに心から喜んでくれた。
『私たち家族以外で、ベアモンドのすべてを愛してくれる人は初めてだ』と涙を流して。
そうしてベアモンドとユーミラは婚約し、結婚も間近に迫ったある日のことだった。
ストーンクラッシャー家へと、獣人国からの遣いがやってきたのは。
伯爵であるストーンクラッシャー家の目の前に捨てられていたのだ。子どもがおらず信仰の深かったストーンクラッシャー夫婦は、ベアモンドを神からの贈り物だと考えて養子にした。その育てている途中でクマに変身し、クマ獣人の子だとわかった。
それでも夫妻は、ベアモンドを我が子のように愛し育てる。
やがて夫妻に実子が生まれても、ベアモンドを長男として変わりなく大事に扱った。
しかし、ここは人間の国。
獣人国との戦争はしばらくないものの、友好国とは程遠い関係にあった。
ベアモンドのことは、夫妻と、ごく一部の使用人にしか正体を知らされていない。
そのごく一部の使用人ですらも、ベアモンドの真の姿を見ると毎度腰を抜かした。
だからベアモンドは、誰もいない場所で真の姿に戻っていたのだ。
鍛錬が終わり、管理人が掃除に来るまでの鍛錬場で。
「く、くまぁ……」
足元で……と言ってもユーミラの胸のあたりまであるのだが、うずくまっている茶色い毛の塊を見下ろした。
たった今までベアモンド・ストーンクラッシャーだった人物が、なぜか大きな毛玉となってくるまっているのだ。驚かない方がおかしい。
「……そうだ、俺はクマ獣人なんだ……驚かせてすまない」
「クマ……獣人……」
(人だけで構成されるはずの人間国の騎士団に、どうして獣人が?!)
疑問しか湧き出てこないが、この格好はもしや土下座させているのではないだろうかと気づいたユーミラは、急いで声を掛けた。
「ベアモンド様、どうかお顔を上げてください。ストーンクラッシャー伯爵のご令息ともあろう方が、そんな格好をしてはいけません! さぁ、立って……」
「立つと怖がらせてしまう」
「そんなことはありませんから。さぁ、お立ちください」
少し迷っていたベアモンドが、おもむろに立ち上がった。
ユーミラを怖がらせないようにという気遣いが感じられたが、起き上がると天井を見上げるのと同じくらい背中を逸らさなければならない。
(お、大きい……っ)
人間の姿のベアモンドとは頭二つ分の差だが、クマの姿だと頭五つ分くらいの差はありそうだ。
縦にも横にも、とにかく大きい。これは本能レベルで恐怖を感じる。
「すまない……これが本当の俺の姿だ。騙すようなことをして申し訳なかった……」
「あ……えっと……」
知らず知らずの間に体が震えていた。
目の前のクマはベアモンドだと理解できているのに、どうしても震えが止まってくれない。
「……怖い……よな……さっきの俺の告白は、聞かなかったことにしてくれ」
大好きなベアモンドの声で放たれる言葉に、目の前で石を破壊されたような衝撃が走る。
ベアモンドの告白が、なかったことになってしまう。ひいてはユーミラの決死の告白も。
(そんなの、いやよ!!)
奥歯を強く噛み締めると、震えは一瞬で止まっていた。
「ベアモンド様の私を好きな気持ちって、そんなものだったんですか!?」
「いや、そんなことは……けどユーミラ殿は俺のこの姿を怖がって……」
「少し驚いただけです! ベアモンド様がベアモンド様である限り、私はずっとベアモンド様が大好きです!」
「ユーミラ殿」
「私と付き合ってください!!」
ユーミラの言葉に、大きなクマはほろりと涙を見せ。
「俺の方こそお願いする。俺と、付き合ってほしい」
少し震えた声音にほっとしたユーミラは。
「はい、よろしくお願いします!」
元気に声を上げて微笑んだ。
ほんの少し手を伸ばして彼のお腹に触れると、もふっと柔らかな感触が、ユーミラを優しく押し返していた。
***
それからの二人は順調だった。
ベアモンドはいつも鍛錬場に残り、ユーミラと共に掃除をすることが日課となった。
人間の姿はきつい服を着ているようで窮屈だと言い、クマの姿で一緒に過ごすことも多い。
最初こそ怖かったユーミラだが、次第にクマの姿のベアモンドにも慣れていった。
ちなみに変身する姿は初回の時しか見ていない。服を何着も破るわけにいかないし、服を着ずに戻った姿も見せられないからと言って。
いつ破れても大丈夫なように、いつでも着替えは常に持ち歩いているようだったが。
「ベアモンド様、今日も掃除を手伝ってくれてありがとうございました」
「いい。その分、ユーミラとの時間が増えるからな」
クマの状態で掃除をしている姿というのは、なかなかそそるものがある。
あれだけ怖かったクマのベアモンドが、今ではかわいいとしか思えないから不思議だ。
「触っても、よろしいですか?」
「ああ、構わない」
許可を得たユーミラは、その大きな体に包まれるようにぎゅむっと抱きついた。
もふんもふんという毛皮が、なんとも幸福な気分で満たしてくれる。
「はぁ、この感触……最高です!」
「そうか、それは良かった」
存分もふもふを堪能した後、ベアモンドは小さな更衣室に入って行った。
そして人間の姿となり、ちゃんと服を着てやってくる。
「待たせたな」
「大丈夫です。お掃除を手伝ってもらっているので、前より早く帰れますし」
「じゃあその時間分、もう少し一緒にいてもいいか?」
「はい、もちろんです!」
ユーミラが頷くと、ベアモンドは嬉しそうに笑った。
この人が自分の彼氏なのだと思うと、胸がトゥンクトゥンクとベルを鳴らすように揺れる。
(幸せすぎるわ! いいのかしら?!)
掃除をしたばかりの長椅子に、二人で腰を掛けた。
日はちょうど暮れたところで、ユーミラはランプに光を灯す。
小さな灯りが優しくベアモンドを照らしていて、ユーミラはうっとりと彼を見上げた。
「……この姿になると、ユーミラ殿は俺に触れてくれないな」
ベアモンドに言われて、初めてそうだったと思い至る。
なぜかクマの姿なら抱きつけるのだが、人の姿で抱きつける気がしない。
(ベアモンド様は、私に触れてほしかったのかしら)
そう思うものの、触れようと思うだけで体は躊躇してしまった。ユーミラは少し考えると、いいことを思いつく。
「あの、耳を出してもらえませんか?」
「耳? 構わないが」
そう言うと、すぐにベアモンドの頭からピョコンと可愛い耳が現れた。
ユーミラはたまらず手を伸ばす。
相変わらずのふわふわした触感に、口元は勝手に笑顔を作った。
「ふふっ、気持ちいい」
「……そういう意味じゃないんだが」
「え、嫌でした?」
「嫌ではない。少しくすぐったいが、俺もユーミラ殿に触られるのは気持ちがいい」
「よかったです」
両手で両耳にもふもふと触れる。たまにピクリと動く耳が可愛らしい。
「くっ、ユーミラ殿……」
「あ、ベアモンド様。そのユーミラ“殿”って言うのやめませんか? 私たち、恋人ですよね?」
「そう、だな……じゃあ、ユーミラ」
もふもふこねこねしていたユーミラの両手首は、パシンと音を立ててベアモンドに掴まれた。
驚くとそこには、獲物を捕らえる猛獣のような目をしたベアモンドが、ユーミラを見ている。
「ベアモンド……様……?」
「ユーミラだけがいつも俺に触れているのは不公平だ」
「あ……はい、そうですね」
「俺もユーミラに触れたい」
すでに両手首に触れているというのに、どこに触れたいのだろうかとユーミラは首を傾げる。
(もしかして、ベアモンド様も私の耳に触りたいのかしら?)
そう思い至ったユーミラはこくりと頷き、ベアモンドに微笑みを見せた。
「はい、いくらでもご自由にお触りください」
「じゃあ、遠慮なく」
言うが早いか、ユーミラの唇は塞がれていた。ベアモンドの唇によって。
付き合って三ヶ月。
これが二人の初めてのキスであった──。
この数日後、ベアモンドはユーミラを家族へと紹介した。
ベアモンドの両親も弟も、ユーミラは平民であるというのに心から喜んでくれた。
『私たち家族以外で、ベアモンドのすべてを愛してくれる人は初めてだ』と涙を流して。
そうしてベアモンドとユーミラは婚約し、結婚も間近に迫ったある日のことだった。
ストーンクラッシャー家へと、獣人国からの遣いがやってきたのは。
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