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アリシア編

56.やっと嵐が去ったわね……

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 シウリスが去っていった後で、アリシアは溜め息を吐きそうになり、ぐっと飲み込んだ。

「やっと嵐が去ったわね……」
「嵐どころじゃないっすけどね……いてて」

 血みどろの絨毯と五人の遺体がいやでも目に入ってしまう。フラッシュはそんな惨状を見て、腫れ上がった頬を押さえながら顔を歪ませた。

「大丈夫? フラッシュ」
「いや、やばいです。奥歯取れそう」

 あの体躯のいいシウリスに本気で殴られたのだ。それだけで済んでいるのは、フラッシュが日頃の鍛錬を欠かさなかったからと言える。他の者なら首の骨が折れていてもおかしくはない。

「早く医療班のところへ行ってらっしゃい。抜けちゃったら回復薬でも戻らないわよ」
「こうなった理由はなんて言ったらいいすかね」
「私を怒らせて殴られたとでも言っておきなさいな」
「このメンバーじゃ、俺をこんなにできるのは筆頭くらいですもんね!」
「ちょっとぉ、フラッシュ~~?」
「わはは! じゃ、行ってきます!」

 酷い惨状の中でも、こうして笑いを与えてくれるフラッシュに感謝した。
 フラッシュが出ていくと、今度はルーシエが軽く息を吐いている。

「大丈夫? ルーシエ」
「はい。しかしこんなことになる前にどうにか止められればよかったのですが」
「フリッツ王子が殺されないように仕向けてくれただけで上出来よ。助かったわ」
「一時的な措置でしかありませんでしたが……」

 胃を押さえているルーシエに、アリシアは背中を叩き笑顔を見せる。

「大丈夫よ、なんとかなるわ! いざとなれば、フリッツ王子にバルフォアの血は流れていないと言えばいい。事実はどうかわからないけれど……命には変えられないもの」
「……そうですね」

 王家の血が流れていないとなれば、フリッツに王位継承権はなくなる。
 ヒルデがフリッツを出産した時にレイナルドがなにも言わなかったということは、二人の間にも性交渉はあったということだろう。おそらくロメオの子だとアリシアは思っているが、断定はできない。
 しかし今度シウリスがあのような凶行に及ぶようなことがあれば。事実はどうであれ、フリッツを守るためにバルフォアの血は流れていないと言う必要が出てくるかもしれない。

「では私はマックスとトラヴァスさんに状況を伝えて参ります。フリッツ王子殿下にも口止めは必要でしょうし」
「ええ、お願いするわ」
「終わりましたらすぐにこちらの事後処理に当たりますので」
「葬儀や貴族への対応を頼むわよ。私たちはこの部屋をなんとかするわ」
「かしこまりました」

 ルーシエは首肯すると評議の間を出ていった。
 残ったのはアリシアとジャンだけだ。

「ふう……」
「大丈夫、筆頭」

 体を弛緩させると、ジャンが肩を支えてくれる。

「ええ……けど、レイナルド様を守れなかったわね……」

 アリシアは守るべき主君の絶命した姿を見て、唇を噛み締めた。
 まさか、シウリスが王にまで手をかけるとは思わなかった……などとは言い訳だ。
 あの時、アリシアは二人を引き離そうを剣を鞘に収めていた。シウリスが剣を抜いた瞬間、咄嗟にレイナルド王を庇おうとして──ジャンとルーシエに、引っ張られた。
 あのままレイナルドを庇っていたら、アリシアはシウリスに殺されていただろう。
 そしてその後、結局レイナルドも殺されていたに違いない。

「謝らないよ。あなたを助けたこと」
「謝る必要なんてないわ。ルーシエも同じ判断だったんだもの。フラッシュも私を助け出す一瞬の隙を作ってくれて……本当にみんなには感謝ね」

 あの短い間での判断に、己の部下ながら舌を巻く。
 無駄な犠牲を出さない最良の判断だった。おかげで今、アリシアは生きていられるのだから。

「ありがとう……ジャン」
「……別に。それよりその顔、俺の前でしか見せちゃだめだから」
「え? だけど、みんなにもお礼を言いたいわ」
「フラッシュは調子に乗るから言わなくていいよ。奢らされる」
「あはは! いいわよ、それくらいいくらでも!」

 やっと笑顔の出たアリシアを見て、ジャンも薄く笑った。
 その顔を見ると、生き延びた実感と安堵感が湧いてくる。

「さて……これからが大変ね」
「王にはシウリス様がなるってことだよね。いいの」
「いいもなにも、現状そうせざるを得ないわ」
「王族殺しを公にすれば、シウリス様も処刑の対象にな──」

 そこまで言ったジャンの唇を、アリシアは指で押さえて止めた。どこで誰が聞いているかわからない。特にシウリスの耳に入ったらおしまいだ。
 アリシアは声をひそめて、ジャンに答える。

「無理よ。誰があのシウリス様を拘束できるの? その前に事情を知る私たちが全員殺されて終わるわ。それにシウリス様が処刑されたとしても、これを機にフィデル国が攻めてくる。国自体が滅ぼされてしまうわ」

 シウリスは自ら軍を率いて軍功を上げている。血塗られた王子というのは、敵国がシウリスを恐れて言い出したのが始まりの二つ名だ。
 今シウリスがいなくなれば王は不在となる。仮にフリッツが祭り上げられたとしても、結果は変わらないだろう。
 国は大混乱、その間にフィデル軍が攻めてきて、撃退したとしても無用な犠牲を出すことに変わりない。
 つまり、シウリスを王にするしか道はないのだ。

「私たちにできることは、シウリス様をなるべく正しい道へと戻して差し上げることよ」
「難易度高すぎない」
「そうね……ひとつひとつ、こなしていくしかないのよ」

 アリシアは願うようにグッと目を瞑る。

(いつか、昔のような溌剌とした笑みを取り戻してくれたら……)

 思い出そうとしても、今の悲しく恐ろしいシウリスの瞳しか思い出せず。
 アリシアは目を開けると、現実と向き合った。

「さて……まずはご遺体をきれいにしましょう」
「わかった」

 そうしてアリシアと四人の直属の部下、そしてトラヴァスは、事態の収拾に向かって一丸となるのだった。



 その後、フリッツは極力シウリスと会わせないように、王宮の奥へと幽閉状態になっていた。
 自由に動き回れない環境は申し訳ないが、仕方がない。たまにトラヴァスが気分転換にと、王都から連れ出してくれている。

 ルナリア殺しの実行犯の二人は処刑、ヒルデとルトガーも処刑、レイナルドはそれにより、ショック死したということですべてを終わらせた。

 シウリスは、ストレイア王となった。

 その見目と強さで、彼は民衆から一定の人気がある。
 昔から公務をしていたので、政務も滞りなく進んでいる。フリッツが王となっていたら、こうはいかなかっただろう。なんと言ってもまだ経験が足りない。

 数ヶ月もすると、あの悪夢の日が嘘だったかのように、平穏な毎日が過ぎていった。

 そんな中、シウリスは直属の部隊である〝紺鉄の騎士隊〟を作った。
 ストレイアの軍服は群青色だが、それよりもずっと濃く、黒に近い紺色の騎士服だ。
 通常、軍を動かすには総括する筆頭大将……つまりアリシアの承認が必要なのだが、そういう手続きが鬱陶しかったのだろう。
 自分の思惑だけで動かせる、少数精鋭の部隊を作ってしまったのだ。
 アリシアが部隊を編成して現地に着くまでに、紺鉄の騎士隊が解決していたことが何度か続いた。
 いくらアリシアが困ると訴えても、「勝っているのだからいいだろう」と一蹴されて終わるのだ。確かにその通りなのだが、アリシアの頭痛のタネが増えたことは言うまでもない。

 その翌年にはアンナとグレイが正騎士となり王宮に勤め始め、さらに次の年にアンナたちと仲の良いカールも正騎士となった。
 トラヴァス含め全員が優秀で、近年にない大豊作である。将争いは熾烈を極めそうだと、若者の奮闘をアリシアは喜ぶのだった。
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