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第111話 二年前も同じ事言ってたから

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 デニスが怪我を負ってから、一週間が過ぎた。
 毎日「もう治った」と言い張るデニスを、村の外に出さないようにするのは苦労した。
 村の中に友人がいるならまだしも、一人で暇を持て余すだけなら、怪我をしていても狩りに出掛けたかったようだ。サビーナが絶対にそれを許さなかったので、デニスは仕方なく家で過ごしているようだったが。
 その日、サビーナが仕事から帰ると、デニスは家の前で剣を持って素振りしていた。体が鈍って仕方がないと言うので、これくらいは許可してあげている。

「おー、おかえり、サビーナ」
「ただいま、デニスさん。汗だくじゃないですか」
「良い汗掻いたぜ」

 そう言いながら、デニスは袖で汗をグイッと拭いている。呆れたサビーナは、家からタオルを持って来てあげた。

「汗はちゃんとタオルで拭いてください!」
「どうせ洗うんだから、一緒だろ?」
「そういう問題じゃないからっ」

 口を尖らせると、デニスは笑いながらタオルを受け取り、汗を拭き取っている。

「よっしゃ、じゃあ一緒に飯作っか? 今日は何にする予定だ?」
「何にしようかな……デニスさんは何が食べたいですか?」
「そうだなぁ、ビールに合うもんならなんでも良いけどな。今日から飲んでも良いんだろ?」

 デニスの嬉しそうな問いに、サビーナは苦笑いしながら頷いた。
 彼はいつも夕食時にお酒を飲む習慣があったのだが、流石に怪我をしていたこの一週間は飲ませていなかった。特段文句を言うでもなかったが、やはり飲みたかったのだろう。
 デニスは「よっしゃー!」と嬉しそうな声を上げて、手に持っていたタオルをポイと空に向かって投げている。それがサビーナの頭にバサッと被さり、慌てて剥ぎ取った。

「うっ、汗臭ぁあっ」
「あー、悪ぃ悪ぃ」

 そのやり取りに既視感を覚えた二人は、思わず顔を見合わせて、ぷっと吹き出す。

「もう、デニスさんてば変わってないっ」
「あんたも変わってねーな!」

 そんな風にクックと笑い合いながら家の中へと入る。汗臭い人に料理を手伝わせるのは嫌だったので、先にお風呂に入ってもらう事にした。

「さて、何作ろうかな」

 サビーナは基本的にお酒は飲まないし、ビールも飲んだ事がないので、どんな物がビールに合うのかがよく分からない。何を作ってもデニスは文句を言わずに喜んで食べてくれる為、気にしなくても良いのかもしれないが。
 適当に料理を作り終えたところで、デニスが風呂から上がって来た。湿った白銅色の髪が、この美青年の色気をより一層際立たせている。

「ふー、さっぱりした! 悪ぃな、全部作らせちまって」
「大丈夫。次はデニスさんにも手伝って貰うから」
「おう。おー、今日は唐揚げかー!」

 そう言いながらデニスは手で摘んで口に放り込んだ。揚げたてなので、ハフハフ言いながら食べている。

「もう、デニスさんたら手掴みで行儀悪い。それにちゃんと座ってから食べてください!」
「そういやぁあんたは昔俺ん家で、唐揚げを手掴み一気食いしてたよなぁ」
「……っう!」

 当時の事を思い出してしまい、サビーナはピキンと固まった。
 しかしデニスは意地悪で言っているわけではないようで、実に楽しそうにケラケラと笑っている。

「も、もうあの時の事は忘れて……」
「んでだよ? 良い思い出じゃねぇか」
「どこがですかーっ!! 」
「俺はあんたとああやって過ごせた時間は宝物だったけどな。あんたは、違ったのか?」
「それは……っ」

 勿論、デニスと一緒に過ごした時間は、サビーナにとっても大切なものだ。が、あの件に関してだけは、あまりの失態に消し去りたい過去となっている。
 恥じ入るように俯いていると、デニスが頭をポンポンと叩いて来た。

「子供生まれたら、また一緒に飲もうな」
「の、飲まないですよっ」
「良いじゃねぇか。前後不覚になってたサビーナも、可愛かったぜ」

 簡単に『可愛い』なんて言葉を使うデニスに、サビーナは顔を赤らめさせる。
 彼はあの時の大失態サビーナを見て、一体どこが可愛いと思ったのか……甚だ疑問だ。

「こ、子供が生まれてからも飲みませんからっ」
「んあ? 何でだ?」
「母乳に影響するらしいですよ。だから母親はアルコールを飲めないんです」
「成程なぁ。大変だな、母親ってのは」

 元々お酒を飲むつもりは無いので、それに関しては全然大変ではないのだが。割とお酒好きなデニスには、一大事のようだ。

「あのよ、サビーナ」
「はい?」

 デニスは唐突に真面目な顔になり、まっすぐにこちらを見つめている。何事かと瞠目すると、相変わらずの直球が投げ込まれてきた。

「俺と、結婚してくれねぇか」
「……っえ」

 いきなり過ぎて言葉を詰まらせていると、デニスはその整った顔をふと緩ませる。

「まだ未練が残ってんのは分かってる。けど、俺と一緒になって欲しいんだ。子供が生まれる前に。俺をちゃんと、この子の父親にさせてくれ」
「デニスさん……」
「駄目か?」

 その問いに、サビーナはそっと首を横に振った。
 血は繋がっていなくとも、カティとは真の母娘だったと思っている。それと同じように、お腹の子供もデニスとは父と子になれるはずだ。
 デニスはそっとサビーナの手を取り、そして何かを決心するようにその手をギュッと握ってくれる。

「絶対に幸せにすっから。あんたも、この子も。後悔なんか、させねぇから」

 優しい声音と思いの丈に、胸がギュッと締め付けられる。

「俺と結婚してくれ、サビーナ」

 真っ直ぐ、サビーナの心を射抜くようなデニスの言葉。
 頼れる人が傍にいてくれるのは、単純に嬉しい。
 デニスなら、きっと生まれてくる子供も大切にしてくれる事だろう。
 彼の言葉にいつも嘘はない。

「私……幸せに、なれるんですか?」
「おう、任せとけ! あんたが笑って生きられんなら、俺は何だって出来っからよ。泥舟に乗ったつもりでいろよ!」

 自信満々に胸を叩くデニスを見て、サビーナは思わず吹き出す。やはりデニスは、あの頃から全く変わっていない。

「デニスさん、それを言うなら泥舟じゃなくって大船だから。泥舟だと沈んじゃうよ」
「んあ? あー、言われてみりゃあ本当だな! 俺、ずっと泥舟だと思ってたぜ!」
「知ってます。二年前も同じ事言ってたから」
「マジかー! そん時に教えてくれりゃあ良かったのによ」
「デニスさんのやる気に水を差したくなくて」

 クスクスと肩を揺らしながら答えると、デニスもサビーナを見て笑っている。どうやら言葉を間違えて使っていた事への羞恥は、全くないらしい。それもまたデニスらしいと言うべきか。

「これからは何でも言ってくれよ。夫婦になんだかんな」
「……はい」

 言葉では肯定しながらも、小さな蟻に噛まれたような痛みが胸に走る。
 セヴェリがクリスタと結婚した今、もうデニス無しでは生きて行けそうもないというのは、確かな事だ。
 デニスの事は勿論好きだし、傍にいて欲しいと願っている。
 しかし。

「サビーナ」

 デニスの手が伸びて、サビーナの体を抱き締めてくれる。しかしその先を求めるように耳の辺りに手を掛けられると、体が勝手に硬化してしまった。まるで何かの結界を張るかのように、デニスを拒否してしまうのだ。
 それを察知したデニスは一歩下がり、少しだけ寂しそうな瞳で微笑んだ。

「悪ぃ。大丈夫だ、あんたが俺を受け入れられるまで、ちゃんと待つからよ。な?」

 そう言ってワシワシと頭を撫で回される。
 サビーナはこんな態度を取ってしまう自分に、もどかしさを感じながら彼を見上げた。デニスは屈託無く笑っているが、拒否するような状態で夫婦になる事に、罪悪感を覚える。

「そんな顔すんな! それとも、俺と一緒になんのがそんなに嫌か?」
「逆ですっ! デニスさんのような純粋で優しくって格好良い人の相手が私だなんて、申し訳なくって……」
「ああん? 何言ってんだ。どんな形であれ、あんたと結婚出来んなら……俺は世界一の幸せ者(もん)だって、胸張って言えるぜ」

 ニカッと歯を見せて笑う姿は、本当に幸せそうだった。
 まだ、心がセヴェリにあるのは変わらない。変わらないのだが、そんなのはちっぽけな事だと言わんばかりに笑っているデニスを見ると、少しホッとした。

「ありがとう、デニスさん……デニスさんが居てくれて、私も幸せ者です」
「おう! 家族三人で、仲良く暮らそうな!」

 デニスは少ししゃがむと、サビーナのお腹を撫でて「よろしくな!」と声を掛けてくれている。それに応えるかのようにトントンと胎動が鳴り、サビーナは顔を綻ばせた。
 セヴェリへの思いを断ち切り、デニスと共に生きる……誰もが幸せになる方法は、これしかないのかもしれない。
 いつこの気持ちを断ち切れるのかは分からないが、それは時間が解決してくれる事だろう。生まれてくる子供にも、デニスが父親として居てくれる方が良いに違いない。

 サビーナは、これでいいのかという自問をする事はやめた。
 悩んで同じ所をグルグルと回るだけでは、何も進まない。自分の為にも、デニスの為にも、何より生まれてくる子供の為にも。
 辛いのは、きっと一時期だけだ。
 今さえ耐える事が出来れば、きっと幸せな未来が見えてくるはずだから。
 サビーナはそう信じる事にし、かつて恋心を抱いた人と、夫婦になる事に決めたのだった。
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