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悪役令嬢です。婚約破棄された婚約者から「お前は幸せになれ」と言われたんだけどどうすればいい?

前編

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「婚約は破棄だ、アリエット・バレンティア。お前は幸せになれ」

 そう言われたギリアム王子のお顔は、ほんの少し笑っていた。
『幸せに』とは、一体?
 私はたった今、あなたに婚約破棄されたばかりなのですが。

 そもそも、私は悪役令嬢。
 一応伯爵家の端くれではあるけれど、我が領地は未曾有の大災害が起こり、領地経営が立ち行かなくなってしまった。
 現地で大わらわの両親に代わって、王家に人員とお金を貸していただけないかと懇願に来た私に、話を聞いてくださった第一王子のギリアム王子は仰ったのだ。

『悪役令嬢となり、俺の婚約者となれ』と。

 初めて聞く言葉、悪役令嬢とは。
 どうやら王都では、悪役令嬢ものの歌劇が大流行りしているらしい。

 悪役令嬢が王子の婚約者を蹴落とし、王子を奪い取る。しかし結果的に制裁されて、落ちていくというもの。
 世の人々は『ざまぁないな!』と笑ってスカッと爽快な気分になれるとのことだ。

 その悪役令嬢役の現実版に、私は抜擢された。
 上手くいけば、潤沢な資金を援助すると約束してくれたものだから、私は飛びついた。

 私の役目は、ミレーナ侯爵令嬢をギリアム王子の婚約者の座から引きずり落とすこと。どんな手段を使っても構わないし罪には問わないが、彼女の体を傷つけるのはダメだと言われた。

「どうしてそのようなことをなさるのですか?」

 不思議に思ってそう聞いたけれど、ギリアム王子は眉尻を少し落としただけで、答えてはくださらなかった。
 噂によると、ギリアム王子には忘れられない人がいるらしい。
 割とロマンチストな方なのかもしれない。

 ギリアム王子は切長の目に、少しきつい眉をしていらっしゃる。
 なので無表情でいられると、怖い印象を持たれてしまうことが多いだろう。
 さらさらと風に靡くゴールデンブロンドの髪も迫力だし、ダークブルーの瞳は見る者すべてを飲み込んでしまいそうな目力がある。

 そんなギリアム王子の婚約者の座に、私は就くことになった。元婚約者のミレーナ様を、私は見事に蹴落としたのだ。
 もちろん、本当に蹴ったりなんかしていない。
 私は彼女の能力の無さを、徹底的に白日の下に晒した。
 彼女はできるフリをしていただけで、内実は他の者にやらせていたり、誤魔化していたりしただけだった。
 立場が上の者には媚び、下の者には横柄に接していたりもしたし、なにかあればお金で解決している節もあった。
 私はすべてを調べ上げると、その真実を証拠と共に彼女に関わる人物に伝え続けた。その結果、ミレーナ様はギリアム王子には相応しくないという声が上がり、最終的に陛下のお耳にまで入ったのだ。そして婚約は解消となり──

 代わりに私がギリアム王子の婚約者になった。
 確かに婚約者になれと言われていたけど、そこまでは本気と思っていなかったのだ。ミレーナ様と結婚したくなくて私を利用しただけだと思っていたから。

 そのため、私は正式に婚約が決まった時、大きな溜め息をついてしまった。
 実は私は、幼少の頃に出会った少年に恋をしていたから。

 初めて彼に出会ったのは、おそらく三歳の頃だ。なぜ彼がうちの伯爵家に来ていたのかはわからない。
 両親に聞いても、誰にも言ってはならないと言われただけで、素性はわからなかった。
 名前を聞いても教えてくれなかったので、私はその子のことを勝手にサファイア君と呼んでいた。
 年に一度、夏になると一ヶ月ほど滞在していくサファイア君。同い年の私たちが十二歳になるまで、それは毎年続く恒例行事だった。
 だけど私たちが十二歳になった年に、サファイア君は凛々しい眉を悲しく落として。

「来年からは、あまり来られなくなる」

 そう言われたた。けれど、実感はなかったのだ。
 今までも年に一ヶ月しか会えてなかったせいか、大して頻度は変わらないと思ってしまっていた。年に二週間くらいしか会えなくなるのかな、くらいにしか考えていなくて。

「アリエットちゃん。君のことが好きだったよ。これをもらってくれたら嬉しい」

 渡されたのは、ロイヤルブルーサファイア。ものすごい値段の宝石。
 当時の私にその価値はあまりわからなかった。ファセットカットされている、ネックレスにも耳飾りにも指輪にもできる裸石ルースだけを渡して──彼は「さようなら」とどこかへ帰っていき、もう会うことはなかった。

 私は、かなり疎かったのだと思う。

 翌年、サファイア君は来なかった。翌々年も来なかった。
 そこでようやく気づいたのだ。私も彼が、好きだったのだという事実に。

 お父様とお母様に、彼の素性を問いただしたこともある。けれど、「彼のことは忘れなさい」と言われるだけだった。
 日に日にサファイア君への想いが募っていったけれど、どうすることもできず、待つしかなかった。
 待って、待って、待って、宝石と共に待ち続けて。
 私は結局、結婚もせずに二十二歳を迎えた。結婚話ももちろん出たけれど、失礼とは思いながらも断り続け、そのうち両親も諦めた。

 私はきっと、一生独り者だ。

 そう思っていたのに、まさかの王太子との婚約。
 ただの伯爵令嬢である私と婚約なんて、普通はあり得ない話だ。けどギリアム王子にすれば、とにかくミレーナ様と結婚したくなかったのだろう。
 悪い人ではないのだろうけど、彼女は男性に媚びるタイプの女性であったから。

 そうして提案された王太子からの婚約話は、さすがの私もお断りできなかった。

「約束通り、俺の婚約者となってもらう」

 そう、すべては援助のために、私は頷いたのだ。
 だけどギリアム王子はとっくに金銭援助も人的支援もしてくださっていて、気づいた時には復興も大幅に進んでいた。すべてギリアム王子の采配だったという。
 なおさら断ることなどできず、私は正式に殿下の婚約者となった。

 急遽始まった慣れない王子妃教育に、私は毎日くたくたになっていたけれど、ご公務の合間を縫ってギリアム王子が様子を見に来てくれた。

「わからぬところはないか」

「アリエットは十分頑張っているのだから、根を詰めず、無理はしなくていい」

「困ったことがあれば、俺を頼ってくれ」

 なぜかとても気遣ってくださるギリアム王子に、私は困惑した。
 王子殿下は、見た目よりもずっとずっと、お優しい方だったのだ。

 私はいつしか、ギリアム王子にサファイア君を重ねるようになっていた。
 サファイア君はもっと可愛くてひょろひょろとしていたけれど。ブロンドの髪や、青い瞳はよく似ている。
 その時になって私はようやく気づいた。きっとサファイア君は、国王陛下のご落胤だったのだろうと。だから彼を詮索することは許されなかったのだ。
 二人がこれだけ似ているのは、義兄弟だからに違いなかった。

 サファイア君は元気なのだろうか。
 どうして彼は十二歳を境に、私の前から姿を消してしまったのだろうか。

 ギリアム王子のお顔を見ると、サファイア君のことばかり思い出すようになってしまった。
 世間から隠され続けた、サファイア君の存在。

 〝アリエットちゃん〟〝サファイア君〟と呼び合った記憶が脳裏をよぎるだけで、身が焦げそうになる。

 会いたい。サファイア君に。
 夏が来るたび、一緒に遊んで、笑って、勉強して。
 私の苦手な人参を、家族に内緒で食べてくれた。

「アリエットちゃん。僕はトマトが嫌いだから、代わりに食べてくれる?」

 サファイア君のお願いならばと食べていたけど、本当はトマトを嫌いなわけじゃなかったって、後で知った。私の大好物がトマトだったから、サファイア君はそう言って私にくれていたのだと。

 ギリアム王子殿下はサファイア君の現状を知っているかもしれない。だけど、婚約者に他の男性のことを聞くなんてできなかった。

 私は、サファイア君のことが好きで、好きで。
 だけど同時に、どこか似ているギリアム王子にも惹かれていく。
 いつも自身に溢れて煌めき、鍛えられた体で人を圧倒させるオーラを持ったギリアム王子殿下がサファイア君に似ているだなんて、おかしな話だとは思うけれど。

「アリエットは、故郷に恋人や婚約者はいないという話だったが、恋もしたことはないのか?」

 悪役令嬢の話が出た時に、恋人も婚約者もいないことは伝えていた。
 どうしてそんなことを聞くのだろうか。ただ単に興味本位からだろうか。

「恋は……あります」
「ほう。いつ、恋をした?」
「十四の年です。それが私の初恋でした」
「……そうか」

 正直に答えると、ギリアム王子は私から視線を外し、一瞬だけ眉間に皺が寄せられたように見えた。

「叶わなかったのか、その初恋は」
「はい」
「もうきっぱりと諦めたんだろう?」
「いいえ、今でも私の胸に燻っております」

 そう答えると、もうギリアム王子は何も言わなかった。
 正直に言いすぎただろうか。けど王子殿下相手に、嘘などつけるわけがない。

 ギリアム王子はそれから、私を城から連れ出してくれることが多くなった。
 と言っても遠くには行けないので、園庭を一緒に歩き、護衛付きだけど城下町へ食事に行ったり、美術館に行ったりと。
 おそらくギリアム王子は、私にサファイア君を忘れさせようとしてくれている。けど、逆に私はますますサファイア君を思い出してしまうこととなった。
 顔立ちが似ているので、サファイア君とこんなところをデートしてみたかったと、どうしても考えてしまって。

 この胸がドキドキしているのは、サファイア君のせいなのか、それとも──

「アリエット。初恋の君を忘れることはできたか?」

 ある日のギリアム王子の問いに、私は答えた。
 忘れることは生涯ありえませんと。
 王子殿下は「そうか」と一言だけ呟き──今に至る。

「婚約は破棄だ、アリエット・バレンティア。お前は幸せになれ」

 いえ、晴天の霹靂なのですが。
 一生独身と思っていた私が、一大決心をしたというのに。まさかの唐突の婚約破棄とは。
 ミレーナ様の時もそうすれば良かったのでは……。
 いえ、あちらは侯爵令嬢。昔から決められていた相手でしがらみもあっただろうし、ギリアム王子の一存で婚約破棄はできなかったのだろう。
 けれども私は別。そもそも婚約する意味も結婚する意味もなかったのだから。ギリアム様が勝手に私を婚約者と決めただけ。国王陛下のご意志はそこにはなかったようだし、ミレーナ様の時ほどには大した問題ではないに違いない。

「婚約、破棄……」

 その言葉を呟いてみる。
 そうだ。私は悪役令嬢だ。
 邪魔者ミレーナを蹴落として婚約者の座についた後は、制裁されて落ちるだけ。そこまでが悪役令嬢の役割。
 私は、サファイア君に似たギリアム様の婚約者になって、知らず知らずのうちに浮かれていたのかもしれない。こんな簡単な結末にも気づかないなんて。
 王子殿下が『幸せに』と言ってくれたのは、せめてもの優しさだったのか。

 何故だろう。胸は針で突かれるように痛く、喉は空気を遮断されたかのように苦しい。

 ずっとサファイア君のことを想っていたはずなのに。いつの間にか、私はギリアム様のことを……

「これまで悪役令嬢役をよく演じてくれた。もうこれでいい。アリエットは故郷へ帰り、想い人と幸せになれるよう、俺は祈っている」
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