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同僚と一緒にいたら好きな人に「お似合い」と言われてしまった女騎士は、喫茶店のイケオジマスターに告白する。
前編
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春の昼下がりの光を浴びながら、ザラは小腹が空いたと通りを見回した。
騎士であるザラの今日の仕事は、城で行われる夜会の警備だ。そのため、本日は午後三時から十一時までの勤務となっている。現在の時間は一時四〇分。まだ一時間以上の時間があった。
ザラは隣を走り抜けていった猫に導かれるように裏通りに入った。すると、小さな喫茶店が目に入る。喫茶ヴォルニーと書かれているその扉を開けると、カランと乾いたベルが鳴った。店の奥には、マスターらしき男性が穏やかに微笑んでいた。
「いらっしゃいませ」
耳に心地いい低音が、その男性の口から発せられた。四十歳くらいだろうか。若くてチャラついた男よりよほどいいと、ザラはカウンターに座った。客は他に二人いたが、それぞれが静かにカップを口につけている。
「なににいたしましょうか」
「軽く食べたいんですが、サンドウィッチは作れますか」
「もちろんです。お好みの具材はございますか?」
「食べられないものはないから、お任せしても?」
「喜んで。お飲み物はいかがいたしましょう」
「レモネードで」
「かしこまりました」
何気ない、客とマスターのやりとり。
だけど、なぜだろうか。その柔らかい口調はザラの心をほっとさせた。
チラリとマスターの方を見ると、口元にはほんの少し笑みをたたえていて、まるで愛おしい我が子に触れるようにサンドウィッチを作っている。
初めて入った喫茶店で少し不安だったが、中は狭いながらも清潔感と雰囲気があって、素敵だと息をもらした。
「小さな店でしょう?」
店を見回していたら、マスターの低くて心地よい声が聞こえてきた。
「ええ、でもとても良い雰囲気でなんだか温かいです。このお店の『ヴォルニー』というのは、どういう意味なんですか?」
「私の祖国の言葉で、『人々の心』という意味です。多くの人の心が集う場所になってほしくて名付けました」
「へぇ、素敵ですね」
「ありがとうございます。できましたよ、どうぞ」
そういって出してくれたのは、ハムとチーズとレタスが挟んであるポピュラーなものと、少しボリューミーなアボカド入りツナサンド、そしてサーモンサンドだ。
どれも美味しかったが、サーモンサンドはマスタードが効いていてほっぺがとろけおちるのではないかと思うほど美味しかった。
最後にレモネードを飲み終えると、お腹も心も満たされていた。
「ありがとう、マスター。とってもおいしかったです」
「喜んでいただけて、光栄です」
にっこり微笑んでくれるマスターの目尻に、優しい皺が現れた。
改めてじっくり見ると、かなり容姿が優れている。きっと、十年前ならイケメンだと騒がれたことだろう。
彼は「失礼」とザラの前を離れると、別の客の会計を始めた。
「いつもありがとうございます、ブランドンさん」
「グレンのコーヒーは絶品だよ。こちらこそありがとう。また来るよ」
老紳士がそう言いながらお金を払い、店を出て行く。マスターの名前はグレンというのかと、ザラは記憶に留めた。
今何時だろうと懐中時計を見ると、まだ二時一〇分だ。ゆっくり食べるつもりだったのに、あまりの美味しさに一瞬で食べてしまったようである。
「今からお仕事なんですか?」
グレンに聞かれて、「ええ」とザラは答えた。
「今日は三時からの出勤なんです。まだ早いし、どうしようかと思っていて」
「騎士様のお仕事は大変そうですね。よろしければ、ここでゆっくりと過ごしていってください」
グレンはザラの着ている騎士服を見てそう言ってくれた。その物腰の柔らかさは、普段共に仕事をしている仲間には一切ないものだ。
ザラはコーヒーを頼み、ゆっくり楽しんだ後、グレンにお礼をいって店を出たのだった。
それからザラは、グレンの経営するヴォルニーという喫茶店に、一日と空けず通い詰めた。
ヴォルニーは朝六時オープン、夜は八時まで営業している。交代制の騎士職であるザラは、ある時は朝に寄って朝食を食べ、ある時は仕事終わりに行った。
ヴォルニーは多くの人で賑わうタイプのお店ではなかった。しかし長い時間営業しているし、ふらりと立ち寄ってもグレンが優しい笑みで迎えてくれるので、客は多くなくとも常連がつくタイプのお店だ。
ある日、ザラはグレンの特製モーニングを食べた後、立ち上がった。
「今日もおいしかったです。ありがとう」
「こちらこそ、いつも来てくださって嬉しいです。朝、ザラさんのお顔を拝見すると、元気が出るんですよ」
優しい笑みでそんなことを言われたザラは、社交辞令だろうと頭では理解していても、顔が熱くなった。
お代を払うときに手が触れると、心臓はどくんと跳ねてしまう。通い詰めているうちに、グレンのことが気になって仕方なくなってしまったのだ。
グレンは聞き上手で優しくて、大人の包容力がある。そして、彼が作るものはなにを食べても最高に美味しい。
「ありがとうございました。今日もお仕事、頑張ってくださいね。ザラさん」
出勤時にそんな言葉をかけられては、胸がきゅうきゅうと音を立てて鳴っても仕方ない。
「はい……いってきます」
「いってらっしゃい」
いってらっしゃいと送り出してもらえることに、どれだけザラが喜びを感じているか、グレンは気づいていないだろう。
ザラは表情がそれほど豊かな方ではないし、女らしさなどは皆無だと自分でわかっている。
グレンはきっと、近所の男の子にでも声を掛けるように「いってらっしゃい」と言っているだけに過ぎない……そう思うと、ザラの胸は締め付けられた。
騎士であるザラの今日の仕事は、城で行われる夜会の警備だ。そのため、本日は午後三時から十一時までの勤務となっている。現在の時間は一時四〇分。まだ一時間以上の時間があった。
ザラは隣を走り抜けていった猫に導かれるように裏通りに入った。すると、小さな喫茶店が目に入る。喫茶ヴォルニーと書かれているその扉を開けると、カランと乾いたベルが鳴った。店の奥には、マスターらしき男性が穏やかに微笑んでいた。
「いらっしゃいませ」
耳に心地いい低音が、その男性の口から発せられた。四十歳くらいだろうか。若くてチャラついた男よりよほどいいと、ザラはカウンターに座った。客は他に二人いたが、それぞれが静かにカップを口につけている。
「なににいたしましょうか」
「軽く食べたいんですが、サンドウィッチは作れますか」
「もちろんです。お好みの具材はございますか?」
「食べられないものはないから、お任せしても?」
「喜んで。お飲み物はいかがいたしましょう」
「レモネードで」
「かしこまりました」
何気ない、客とマスターのやりとり。
だけど、なぜだろうか。その柔らかい口調はザラの心をほっとさせた。
チラリとマスターの方を見ると、口元にはほんの少し笑みをたたえていて、まるで愛おしい我が子に触れるようにサンドウィッチを作っている。
初めて入った喫茶店で少し不安だったが、中は狭いながらも清潔感と雰囲気があって、素敵だと息をもらした。
「小さな店でしょう?」
店を見回していたら、マスターの低くて心地よい声が聞こえてきた。
「ええ、でもとても良い雰囲気でなんだか温かいです。このお店の『ヴォルニー』というのは、どういう意味なんですか?」
「私の祖国の言葉で、『人々の心』という意味です。多くの人の心が集う場所になってほしくて名付けました」
「へぇ、素敵ですね」
「ありがとうございます。できましたよ、どうぞ」
そういって出してくれたのは、ハムとチーズとレタスが挟んであるポピュラーなものと、少しボリューミーなアボカド入りツナサンド、そしてサーモンサンドだ。
どれも美味しかったが、サーモンサンドはマスタードが効いていてほっぺがとろけおちるのではないかと思うほど美味しかった。
最後にレモネードを飲み終えると、お腹も心も満たされていた。
「ありがとう、マスター。とってもおいしかったです」
「喜んでいただけて、光栄です」
にっこり微笑んでくれるマスターの目尻に、優しい皺が現れた。
改めてじっくり見ると、かなり容姿が優れている。きっと、十年前ならイケメンだと騒がれたことだろう。
彼は「失礼」とザラの前を離れると、別の客の会計を始めた。
「いつもありがとうございます、ブランドンさん」
「グレンのコーヒーは絶品だよ。こちらこそありがとう。また来るよ」
老紳士がそう言いながらお金を払い、店を出て行く。マスターの名前はグレンというのかと、ザラは記憶に留めた。
今何時だろうと懐中時計を見ると、まだ二時一〇分だ。ゆっくり食べるつもりだったのに、あまりの美味しさに一瞬で食べてしまったようである。
「今からお仕事なんですか?」
グレンに聞かれて、「ええ」とザラは答えた。
「今日は三時からの出勤なんです。まだ早いし、どうしようかと思っていて」
「騎士様のお仕事は大変そうですね。よろしければ、ここでゆっくりと過ごしていってください」
グレンはザラの着ている騎士服を見てそう言ってくれた。その物腰の柔らかさは、普段共に仕事をしている仲間には一切ないものだ。
ザラはコーヒーを頼み、ゆっくり楽しんだ後、グレンにお礼をいって店を出たのだった。
それからザラは、グレンの経営するヴォルニーという喫茶店に、一日と空けず通い詰めた。
ヴォルニーは朝六時オープン、夜は八時まで営業している。交代制の騎士職であるザラは、ある時は朝に寄って朝食を食べ、ある時は仕事終わりに行った。
ヴォルニーは多くの人で賑わうタイプのお店ではなかった。しかし長い時間営業しているし、ふらりと立ち寄ってもグレンが優しい笑みで迎えてくれるので、客は多くなくとも常連がつくタイプのお店だ。
ある日、ザラはグレンの特製モーニングを食べた後、立ち上がった。
「今日もおいしかったです。ありがとう」
「こちらこそ、いつも来てくださって嬉しいです。朝、ザラさんのお顔を拝見すると、元気が出るんですよ」
優しい笑みでそんなことを言われたザラは、社交辞令だろうと頭では理解していても、顔が熱くなった。
お代を払うときに手が触れると、心臓はどくんと跳ねてしまう。通い詰めているうちに、グレンのことが気になって仕方なくなってしまったのだ。
グレンは聞き上手で優しくて、大人の包容力がある。そして、彼が作るものはなにを食べても最高に美味しい。
「ありがとうございました。今日もお仕事、頑張ってくださいね。ザラさん」
出勤時にそんな言葉をかけられては、胸がきゅうきゅうと音を立てて鳴っても仕方ない。
「はい……いってきます」
「いってらっしゃい」
いってらっしゃいと送り出してもらえることに、どれだけザラが喜びを感じているか、グレンは気づいていないだろう。
ザラは表情がそれほど豊かな方ではないし、女らしさなどは皆無だと自分でわかっている。
グレンはきっと、近所の男の子にでも声を掛けるように「いってらっしゃい」と言っているだけに過ぎない……そう思うと、ザラの胸は締め付けられた。
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