上 下
10 / 125
同僚と一緒にいたら好きな人に「お似合い」と言われてしまった女騎士は、喫茶店のイケオジマスターに告白する。

前編

しおりを挟む
 春の昼下がりの光を浴びながら、ザラは小腹が空いたと通りを見回した。
 騎士であるザラの今日の仕事は、城で行われる夜会の警備だ。そのため、本日は午後三時から十一時までの勤務となっている。現在の時間は一時四〇分。まだ一時間以上の時間があった。
 ザラは隣を走り抜けていった猫に導かれるように裏通りに入った。すると、小さな喫茶店が目に入る。喫茶ヴォルニーと書かれているその扉を開けると、カランと乾いたベルが鳴った。店の奥には、マスターらしき男性が穏やかに微笑んでいた。

「いらっしゃいませ」

 耳に心地いい低音が、その男性の口から発せられた。四十歳くらいだろうか。若くてチャラついた男よりよほどいいと、ザラはカウンターに座った。客は他に二人いたが、それぞれが静かにカップを口につけている。

「なににいたしましょうか」
「軽く食べたいんですが、サンドウィッチは作れますか」
「もちろんです。お好みの具材はございますか?」
「食べられないものはないから、お任せしても?」
「喜んで。お飲み物はいかがいたしましょう」
「レモネードで」
「かしこまりました」

 何気ない、客とマスターのやりとり。
 だけど、なぜだろうか。その柔らかい口調はザラの心をほっとさせた。
 チラリとマスターの方を見ると、口元にはほんの少し笑みをたたえていて、まるで愛おしい我が子に触れるようにサンドウィッチを作っている。
 初めて入った喫茶店で少し不安だったが、中は狭いながらも清潔感と雰囲気があって、素敵だと息をもらした。

「小さな店でしょう?」

 店を見回していたら、マスターの低くて心地よい声が聞こえてきた。

「ええ、でもとても良い雰囲気でなんだか温かいです。このお店の『ヴォルニー』というのは、どういう意味なんですか?」
「私の祖国の言葉で、『人々の心』という意味です。多くの人の心が集う場所になってほしくて名付けました」
「へぇ、素敵ですね」
「ありがとうございます。できましたよ、どうぞ」

 そういって出してくれたのは、ハムとチーズとレタスが挟んであるポピュラーなものと、少しボリューミーなアボカド入りツナサンド、そしてサーモンサンドだ。
 どれも美味しかったが、サーモンサンドはマスタードが効いていてほっぺがとろけおちるのではないかと思うほど美味しかった。
 最後にレモネードを飲み終えると、お腹も心も満たされていた。

「ありがとう、マスター。とってもおいしかったです」
「喜んでいただけて、光栄です」

 にっこり微笑んでくれるマスターの目尻に、優しい皺が現れた。
 改めてじっくり見ると、かなり容姿が優れている。きっと、十年前ならイケメンだと騒がれたことだろう。
 彼は「失礼」とザラの前を離れると、別の客の会計を始めた。

「いつもありがとうございます、ブランドンさん」
「グレンのコーヒーは絶品だよ。こちらこそありがとう。また来るよ」

 老紳士がそう言いながらお金を払い、店を出て行く。マスターの名前はグレンというのかと、ザラは記憶に留めた。
 今何時だろうと懐中時計を見ると、まだ二時一〇分だ。ゆっくり食べるつもりだったのに、あまりの美味しさに一瞬で食べてしまったようである。

「今からお仕事なんですか?」

 グレンに聞かれて、「ええ」とザラは答えた。

「今日は三時からの出勤なんです。まだ早いし、どうしようかと思っていて」
「騎士様のお仕事は大変そうですね。よろしければ、ここでゆっくりと過ごしていってください」

 グレンはザラの着ている騎士服を見てそう言ってくれた。その物腰の柔らかさは、普段共に仕事をしている仲間には一切ないものだ。
 ザラはコーヒーを頼み、ゆっくり楽しんだ後、グレンにお礼をいって店を出たのだった。


 それからザラは、グレンの経営するヴォルニーという喫茶店に、一日と空けず通い詰めた。
 ヴォルニーは朝六時オープン、夜は八時まで営業している。交代制の騎士職であるザラは、ある時は朝に寄って朝食を食べ、ある時は仕事終わりに行った。
 ヴォルニーは多くの人で賑わうタイプのお店ではなかった。しかし長い時間営業しているし、ふらりと立ち寄ってもグレンが優しい笑みで迎えてくれるので、客は多くなくとも常連がつくタイプのお店だ。

 ある日、ザラはグレンの特製モーニングを食べた後、立ち上がった。

「今日もおいしかったです。ありがとう」
「こちらこそ、いつも来てくださって嬉しいです。朝、ザラさんのお顔を拝見すると、元気が出るんですよ」

 優しい笑みでそんなことを言われたザラは、社交辞令だろうと頭では理解していても、顔が熱くなった。
 お代を払うときに手が触れると、心臓はどくんと跳ねてしまう。通い詰めているうちに、グレンのことが気になって仕方なくなってしまったのだ。
 グレンは聞き上手で優しくて、大人の包容力がある。そして、彼が作るものはなにを食べても最高に美味しい。

「ありがとうございました。今日もお仕事、頑張ってくださいね。ザラさん」

 出勤時にそんな言葉をかけられては、胸がきゅうきゅうと音を立てて鳴っても仕方ない。

「はい……いってきます」
「いってらっしゃい」

 いってらっしゃいと送り出してもらえることに、どれだけザラが喜びを感じているか、グレンは気づいていないだろう。
 ザラは表情がそれほど豊かな方ではないし、女らしさなどは皆無だと自分でわかっている。
 グレンはきっと、近所の男の子にでも声を掛けるように「いってらっしゃい」と言っているだけに過ぎない……そう思うと、ザラの胸は締め付けられた。
しおりを挟む

あなたにおすすめの小説

仲の良かったはずの婚約者に一年無視され続け、婚約解消を決意しましたが

ゆらゆらぎ
恋愛
エルヴィラ・ランヴァルドは第二王子アランの幼い頃からの婚約者である。仲睦まじいと評判だったふたりは、今では社交界でも有名な冷えきった仲となっていた。 定例であるはずの茶会もなく、婚約者の義務であるはずのファーストダンスも踊らない そんな日々が一年と続いたエルヴィラは遂に解消を決意するが──

白い結婚は無理でした(涙)

詩森さよ(さよ吉)
恋愛
わたくし、フィリシアは没落しかけの伯爵家の娘でございます。 明らかに邪な結婚話しかない中で、公爵令息の愛人から契約結婚の話を持ち掛けられました。 白い結婚が認められるまでの3年間、お世話になるのでよい妻であろうと頑張ります。 小説家になろう様、カクヨム様にも掲載しております。 現在、筆者は時間的かつ体力的にコメントなどの返信ができないため受け付けない設定にしています。 どうぞよろしくお願いいたします。

今日も旦那は愛人に尽くしている~なら私もいいわよね?~

コトミ
恋愛
 結婚した夫には愛人がいた。辺境伯の令嬢であったビオラには男兄弟がおらず、子爵家のカールを婿として屋敷に向かい入れた。半年の間は良かったが、それから事態は急速に悪化していく。伯爵であり、領地も統治している夫に平民の愛人がいて、屋敷の隣にその愛人のための別棟まで作って愛人に尽くす。こんなことを我慢できる夫人は私以外に何人いるのかしら。そんな考えを巡らせながら、ビオラは毎日夫の代わりに領地の仕事をこなしていた。毎晩夫のカールは愛人の元へ通っている。その間ビオラは休む暇なく仕事をこなした。ビオラがカールに反論してもカールは「君も愛人を作ればいいじゃないか」の一点張り。我慢の限界になったビオラはずっと大切にしてきた屋敷を飛び出した。  そしてその飛び出した先で出会った人とは? (できる限り毎日投稿を頑張ります。誤字脱字、世界観、ストーリー構成、などなどはゆるゆるです) hotランキング1位入りしました。ありがとうございます

結婚式後に「爵位を継いだら直ぐに離婚する。お前とは寝室は共にしない!」と宣言されました

山葵
恋愛
結婚式が終わり、披露宴が始まる前に夫になったブランドから「これで父上の命令は守った。だが、これからは俺の好きにさせて貰う。お前とは寝室を共にする事はない。俺には愛する女がいるんだ。父上から早く爵位を譲って貰い、お前とは離婚する。お前もそのつもりでいてくれ」 確かに私達の結婚は政略結婚。 2人の間に恋愛感情は無いけれど、ブランド様に嫁ぐいじょう夫婦として寄り添い共に頑張って行ければと思っていたが…その必要も無い様だ。 ならば私も好きにさせて貰おう!!

【完結】私の婚約者は妹のおさがりです

葉桜鹿乃
恋愛
「もう要らないわ、お姉様にあげる」 サリバン辺境伯領の領主代行として領地に籠もりがちな私リリーに対し、王都の社交界で華々しく活動……悪く言えば男をとっかえひっかえ……していた妹ローズが、そう言って寄越したのは、それまで送ってきていたドレスでも宝飾品でもなく、私の初恋の方でした。 ローズのせいで広まっていたサリバン辺境伯家の悪評を止めるために、彼は敢えてローズに近付き一切身体を許さず私を待っていてくれていた。 そして彼の初恋も私で、私はクールな彼にいつのまにか溺愛されて……? 妹のおさがりばかりを貰っていた私は、初めて本でも家庭教師でも実権でもないものを、両親にねだる。 「お父様、お母様、私この方と婚約したいです」 リリーの大事なものを守る為に奮闘する侯爵家次男レイノルズと、領地を大事に思うリリー。そしてリリーと自分を比べ、態と奔放に振る舞い続けた妹ローズがハッピーエンドを目指す物語。 小説家になろう様でも別名義にて連載しています。 ※感想の取り扱いについては近況ボードを参照ください。(10/27追記)

家出したとある辺境夫人の話

あゆみノワ@書籍『完全別居の契約婚〜』
恋愛
『突然ではございますが、私はあなたと離縁し、このお屋敷を去ることにいたしました』 これは、一通の置き手紙からはじまった一組の心通わぬ夫婦のお語。 ※ちゃんとハッピーエンドです。ただし、主人公にとっては。 ※他サイトでも掲載します。

私が愛する王子様は、幼馴染を側妃に迎えるそうです

こことっと
恋愛
それは奇跡のような告白でした。 まさか王子様が、社交会から逃げ出した私を探しだし妃に選んでくれたのです。 幸せな結婚生活を迎え3年、私は幸せなのに不安から逃れられずにいました。 「子供が欲しいの」 「ごめんね。 もう少しだけ待って。 今は仕事が凄く楽しいんだ」 それから間もなく……彼は、彼の幼馴染を側妃に迎えると告げたのです。

【完結】「俺は2番目に好きな女と結婚するんだ」と言っていた婚約者と婚約破棄したいだけだったのに、なぜか聖女になってしまいました

As-me.com
恋愛
完結しました。  とある日、偶然にも婚約者が「俺は2番目に好きな女と結婚するんだ」とお友達に楽しそうに宣言するのを聞いてしまいました。  例え2番目でもちゃんと愛しているから結婚にはなんの問題も無いとおっしゃっていますが……そんな婚約者様がとんでもない問題児だと発覚します。  なんてことでしょう。愛も無い、信頼も無い、領地にメリットも無い。そんな無い無い尽くしの婚約者様と結婚しても幸せになれる気がしません。  ねぇ、婚約者様。私はあなたと結婚なんてしたくありませんわ。絶対婚約破棄しますから!  あなたはあなたで、1番好きな人と結婚してくださいな。 ※この作品は『「俺は2番目に好きな女と結婚するんだ」と婚約者が言っていたので、1番好きな女性と結婚させてあげることにしました。 』を書き直しています。内容はほぼ一緒ですが、細かい設定や登場人物の性格などを書き直す予定です。

処理中です...