どうも、邪神です

満月丸

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冒険者編

終わりの後

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「………ぐ」

ぱしゃり、と、音のない暗闇で水音が響いた。
ひたひた、びしゃびしゃ、水がぼこぼこと溢れ落ちたその後に、ずるりと這いずり落ちる音。

「………」

それは、老人だった。片目がなく、真っ白い髪を赤く染めた、老人だ。
クレイビーは、杯から這い出た己の手を見て、ゆるゆると首を振った。

「………しくじった、か…?」

負けたのだと察し、身の内でゾッとするほどの感情が目まぐるしく動いたのを察する。
成し得なかった、勝てるはずの戦いだった。
しかし実際は…虚公を失い、片割れを失い、大穴の空いた自身だけが打ち捨てられている。
クレイビーは、ズルズルと這いずる。
血の跡を遺しながら向かうのは、一つの卵石だ。
白く、つるりとしたそれは、しかし歪な文様が彫り込まれ、薄く輝いている。
それに手を触れ、クレイビーは………笑った。

「ひっ…ひひひ!なんとまあ、無様を晒すものだ…」

自嘲じみた、軋んだ笑い。
しかしそこには、明確な憤怒が籠もっていた。

「よかろう、此度の戦いは…我らの負けだ。だがしかし!次の戦いは違うであるぞ…!!次こそは!我輩を始めとした新たなる虚無の勢力によって…貴様らを、神を!その使途共を!肉の一片も残らず殺し尽くしてくれようぞ!!忌々しきルドラよ!!!」

天を仰いで呵々大笑。
赤い血を滴らせながら笑うそれは、まさに狂人のそれ。

「せ、先生…?」

背後の声に、クレイビーはぐるりと振り返る。
そこにいる怯えた黒髪の子供…アズキエルを目にして、クレイビーは片目を見開いてから、再び卵石へ向き直る。

「アズキエルよ…此度の戦いは我らは負けた。故に、次の戦いに備えて準備をするであるぞ。そう!我らが虚無と定命の者と神々の戦いは…永遠に繰り広げられるのであるからなぁ!!次こそは!!我ら虚無が!この世界を食い尽くしてやるであろうぞ!!!」
「先生…」
「故に」

クレイビーはぐりん、と目を向け、アズキエルに近づく。
アズキエルは怯えたように後ずさるも、決して逃げることはしなかった。…否、できなかった。

「次は最善を尽くすべきである…そう、最善の力、最善の肉体…最善の、兵器を」

クレイビーは、アズキエルの顔を掴み、覗き込む。
虚無のように真っ暗な空洞が、アズキエルを睨めつけている。
アズキエルは、紫の瞳を反らすことも出来ず、ただそれを見つめることしか出来ない。

「死にかけていたお主を手に入れたのは、実に僥倖であった…故に、恩返しをすべきではあろう?」
「は、はい…」
「だからな、アズキエル」

白い導士は、ニヤリと顔を歪めて、嗤った。

「御前の目を、寄越すのだ」


※※※


「…終わった、か」

ヴェシレア、その王城にて。
死屍累々の死者だらけのそこで、ヴァリル王は息も絶え絶えで座り込んでいた。その周辺には、王を守ろうと立ち向かった戦士たちと、何故か王を殺そうと歯向かってきた者たちの死体ばかり。
血と死体の合間で、自身も血塗れになりながら、彼は天を仰いで歯を食いしばる。

「カシウス…何故だ、何故…!」

既に殺めた者を思い、ヴァリル王は牙をかみ鳴らす。
反乱を起こしたものは皆、正気ではない目をしていた。それに、ヴァリルは思う。

「操られていたってのか…カシウスも、他の連中も…」

カシウスはヴァリルの乳母兄弟であった。そんな懐刀に等しい存在が利用され、消費され、自らの手で殺めたという事実に、ヴァリルはこの上もない怒りと、焦燥を覚えた。
ゆっくりと立ち上がって王宮を出れば、夜の中でも城下は燃え、赤い輝きを放っている。
人々の喧騒と兵たちの怒声、そして悲哀の呻き声に、ヴァリルは天を仰いで彼方を見る。

「あの黄金の柱、あれこそまさに、神の御業……その神の手によって、俺達は生き残った。だが、大勢の仲間が死んだ…それは。帝国も同じ、か…」

かの巨大な異形の被害は、きっと帝国の方が大きいだろう。進軍すべきか、という脳裏の声に、ヴァリルは首を振った。

「敵はあまりにも巨大。そんな只中で、戦争なんかしてる場合じゃねぇな…おい!誰かいないのか!?生き残ってる奴らの中で動ける者は!?」

王の怒声に、幾人かの者たちがやってくる。足が速い氏族ではなかったが、ヴァリルは一通の親書を認めるため、書記官を呼んだ。

「デグゼラスとは休戦協定を結ぶ。やっこさんも、俺たちも、もう戦争どころじゃなさそうだからな」
「ですが、連中は応じるでしょうか?」
「応じなきゃ血みどろの殺し合いだ。応じると願うしかねぇな…だが、勇者がこの事態を解決したんなら、応じるはずだ。あの敵の存在は、俺たち、この大陸に生きるすべての者にとっての、敵だからな。だから戦なんぞしている場合じゃねぇ!今すぐ休戦を申し出て、復興に全力であたれ!帝国と協力して、この大地を狙う魔王共から国を守るぞ!」

そう断言するヴァリル王の予想通り、送られた親書の返事は後日、すぐに届いた。


 こうして、長年不仲であったヴェシレアとデグゼラスは休戦協定を結び、長きに渡る不安定な情勢に、終止符を打つことになる。


※※※


『ふむ、此度の騒動は収束した、と、夜人より神託が下った。これにて、魔物の大波は終りを迎えた、と皆に伝えよ』

夜魔族の神殿にて。
宗主と呼ばれる少女は呟き、結んでいた印を解く。すると、夜魔族の集落を覆っていた結界が薄れ、腐臭のする空気が里を覆った。波の如く襲いかかってきた魔物は一匹たりとも里に入る事はなく、戦士たちのおかげで被害は最小限に済んだが、土に帰った魔物の嫌な匂いは暫く続くだろう。

ほっと息を吐いた途端、宗主はぐらりと頭を揺らして倒れかかる。

『宗主様!』

ミイは咄嗟に支え、介抱する。
宗主の顔色は白に近く、玉のような汗が幾つも浮き出ていた。
お付きの者たちが慌てて寄ってくるのを横目で、同じく印を組んでいたレンシュウはため息を吐きながら肩を竦めている。

『ご負担が大きかったご様子ですねぇ、宗主様』
『まったく…アカナに代替わりしたばかりというのに、こんなことになるとはなぁ…すまぬな、我が腕達よ』
『いえ、ご無理をなさらず…』
『宗主様、寝所の手配は済ませておりますので、すぐにそのお体をお休めください』
『うむ…あとは頼むぞ、レンシュウ…』

そう言ったきり、宗主はコテン、と眠りに入った。長時間の結界の維持に、流石に年若い体が持たなかったのだろう。
宗主をお付きの者に任せれば、彼女はそのまま背負われ、奥へと去っていった。
その背を見つめ、ミイは心配げに眉を寄せるが、隣から聞こえた声に思わず顰めた。

『まったく…アカナにも困りますねぇ。もっと修練を積んでもらわねば、このような不測の事態に対処しきれませんのに』
『…レンシュウ殿、彼女はよくやっていたはずだ。貴方の十分の一も生きていない少女に、それ以上を求めるのは酷では?』
『それ以上を求められるのが、人柱としての役目でしょう?』
『だが!』
『綺麗事の御託は結構。やるべき事は多いのだから、あまり手を煩わせないでおくれ、ミイシェア』

それだけ言い、レンシュウは冷たい表情の儘に去っていく。皆へ先程の言葉を告知しに行くのだろう。
いけ好かない男だ、とミイはその背を睨めつけながら、疲れたようにため息を吐く。

『…師父、私はあのような男と一緒に、やっていけるのでしょうか?』

今はもう居ない師を思い起こす。無愛想だがミイにとっては育ての親であり、血は繋がらぬが、それ以上の存在である男を思う。胸中で問いかけるも、されどその魂から答えが返ってくることはない。
自身の傍に居て、見守り続けてくれているはずなのに、それが無性に寂しく思う。

『…いかんいかん、弱音を吐いている暇はあるまい』

首を振って、彼女はやるべきことへと向かう。

『まず夜王の元に向かわねば…戦士達も疲弊しきっているはずだから、休息と…被害状況の把握に、宴の準備も…ああ、神殿の左手というのも大変だな』

愚痴りつつも、歩みを止めることはない。時は待っていてはくれないのだから……もっとも、彼女の体はもはや時を刻むことはないのだが。
神殿より去る間際、ふとミイは天を仰いで、思った。

『…ひょっとして、此度の騒動。それを止めたのは…』

―――あの者達なのかも、しれないな。


※※※


…深い、深く深い暗闇の底で、微睡んでいる。

赤い瞳を開ければ、視線の先には黄色い月が、こちらを見つめている。
ゆらゆらと揺れる安楽椅子に腰掛けていると察し、彼女は自らの右腕を見た。

「………」

それは人の、自身の腕だ。奇怪な捻じれた腕ではないそれに、少しだけ心がホッとしたのを感じる。

「目が覚めたのかね」

冷たい声に、目線を向ける。
向かいの椅子には、フードに顔を隠した人物が、座っていたのだ。
その存在を目にしても、彼女は常と変わらぬ様子で手を挙げる。

「…やあ、御機嫌よう、冥王」
「………」

彼女が挨拶すれば、相貌の見えぬローブの男は、不機嫌そうにしている。
冥府の主、冥王の姿をしたルドラは、椅子に揺られるアーメリーンへ口を開く。

「実に厄介で回りくどいことをしたものだな。敵に塩を送ってまで自殺をこなすとは…私には理解できんよ」
「その口ぶりでは、私は無事に死ねたようだね」
「左様。御前の肉体は滅び、その歪な魂を捕まえてここに捕らえた。ここは、我が牢獄だ」

リーンは周囲を見渡した。

そこは、球形のガラスドームのようだった。椅子に座る己とルドラ以外、何も無い真っ暗な空間…しかし、ドームの外には星々が瞬き、天高く月が見下ろしている。
リーンは皮肉げに笑って、こう評する。

「牢獄という割には洒落ているな」
「何もないからこそ牢獄に相応しいのだ」
「そういうものかな?…まあ、いいさ」

キィ、と安楽椅子を揺らしながら、リーンは眼前の男を見つめる。

「改めて、始めまして、我がもう一つの主」
「私は御前の主になったつもりはない」
「つれないな。貴方が吸血鬼が生まれるように、と願ったからこそ、私が生まれたのに」
「あんな一言が影響するとは思わなかったんでね」
「ご自分の成したことには責任を持つべきだ。しっかりと認知していただきたいものだね」
「断る。私の子はヴァルス一人だ」
「おや、残念」

肩を竦めて力なく笑う。
今、リーンの魂はルドラの掌の上だ。これから何をされるのだろう、とリーンは思う。
バラバラにされて塵となって消えるか、拷問の限りを尽くされて壊されるか、それとも想像もできないような苦しみだろうか?とはいえ、そのどれもが彼女にとっては苦痛たりえはしないのだが。

「何を笑っている?」
「いや、恐ろしき冥王がどんな刑を執行するのか、と思ってね」
「ほう?どんな刑がお好みだ?永遠に同じ場所を歩き続ける無限地獄か?記憶を奪い、自身が殺してきた被害者の経験を追体験し続ける観劇地獄か?それとも…御前が食い殺してきた者達からあらゆる責め苦を受ける、逆殺地獄か?」
「ああ、それはいい地獄だ」

まるで温泉に浸かるかのようなそれに、ルドラは舌打ち混じりに指を鳴らした。

次の瞬間。

リーンは、幾百もの異形に食い殺される情景を感じた。
大勢の人間に焼かれ、拷問される光景を感じた。
無限の時を歩み続ける永遠の世界を感じた。
…幾度となく、友に殺される夢を、見た。

それは永遠のような、されど、刹那。

ふ、と、リーンは顔を上げた。
一瞬で何百年も経ったようだった。
一瞬で、何万という苦しみを味わった気がした。
おそらく、魂に針を何万本も突き立てられるかのような、苦しみだった、はずだ。

しかし、

「…嗚呼、これは良いね」

まるで、本当に温泉に浸かるかのごとく、夢見心地でそう言った。
心の底からの言葉と察して、ルドラは呆れのため息しか出なかった。

「…化け物だな。御前には感情も痛覚も、もはや苦しみにはならないと来たか。それどころか安心されるとは…まったく、やはり虚無へと帰したほうがよっぽどいい」
「どうして、そうしないんだ?」

ブツブツするルドラへ、純粋な興味本位でリーンは尋ねる。
ルドラのフードから顔が覗く。
それは、白い骸骨の顔だった。
冥王の姿のルドラは、指を組んでリーンを睨め付ける。

「御前は許されざるものだ。この世界の、全ての存在から憎まれ、疎まれ、蔑まれる、罪人そのものだ。到底、存在することを看過してはならないほどの、危険で歪んだ存在なのだ。本来、私は御前を捕らえてすぐに消し飛ばすはずであった」
「それが、何故?」
「………………………」

すごく、それはもうすっごく嫌そうに、ルドラは言った。

「『世界』が、御前を生かせと言ってきやがったのだ」
「………なんだって?」
「だから、『世界』だ。この世界、そのもの。我らを呼び寄せた世界が、御前の助命を訴えてきやがったのだ」
「………………………世界」
「だからこんな七面倒なことをやっているんだ。ヴァーベルとティニマが便乗して「やっぱ可哀想だから~」とか言うし、私一人が否定してもどうしようもないし。まったくさぁ、どいつもこいつも甘ちゃんなことで……けっ!」
「………………………………あはっ」

リーンは笑った。
唐突に、壊れたゼンマイ人形のように、カタカタと椅子を揺らして大笑いしたのだ。
思わずルドラが目を丸くする前で、リーンは腹を抱えて、言った。

「あっはははははっ…!!!…ああ、そうか。私にアレを与えたのは、その世界が原因か…そいつが、私が苦しんだ元凶…」
「…一つ聞くが、奴は御前に何をしたんだ?」
「…はっ、さしたるものじゃない。ただ、私に…人間性を与えた」

人間性、それに、ルドラは顔を上げる。
リーンは歪んだ笑みのままに続ける。

「本来、虚無の眷属というのはおそらく…もっと冷血で、冷酷で、喜んで世界を破壊するような性格破綻者だ」
「クレイビーは…」
「彼は非常食だよ。だから、感情という人間性を与えられている…当人はそれを心底に嫌がっているようだがね」
「他人事のように言うものだな」
「実際、他人事だよ。かつて一つでありはしたが、今はもう別個の存在だ。…まあ、兄弟と称して良いかも知れないね。あっちは嫌がりそうだが」
「それで、御前は人間性を…感情を与えられて?苦しんだと?」
「………」

リーンは皮肉げに顔を歪める。

「魔物のように、会う者全てを食い殺す化け物の方が、よっぽど楽なのだよ。感情とは、コミュニケーションの受け皿だ。魔物はそれを持たないが、我らはそれを持つ…故に、否が応でもその受け皿に、相手の投げてきた感情が流れ込んでくることもある…忌々しいことにね」
「共感性、というやつか。まあ確かに、殺人の才能の如何は共感性の欠如こそが一番に重要だ。刺した相手の痛みを想像するような奴に、人が殺せるとも思えん」
「時折、殺した相手へ同情する時がある。その度に自身の本能が疼いて、傷つけてくるんだよ。その自身が噴出する感情は…実に、美味でね」
「自分喰らいとか、業が深いにも程があるぞ」

救いようがないな、とさしものルドラも思う。
とはいえ、世界の奴がそれを仕掛けたというのなら…実に最悪な方法である。

「やっぱあいつ、性格糞だろ」
「同意見だ。私はずっと声を聞き、言われるがままに進んできた。貴方がその声なのだと思っていたが…違うのなら、殴るのは止めておこう」
「そうしてくれ、私もあいつをぶん殴りたいからな」

意外なところで共感しあってしまったが、まあそれはそれとして、とルドラは仕切り直す。

「ともあれ、そのお陰で御前は我らの勝利を願い、ゲンニ大陸は無事に救われたわけだ…なるほど、それなら助命には足り得るか」

ハディという吸血鬼、そのイレギュラーは間違いなくリーンの功績だ。そしてあの子供がいなければ、ここまで見事な着地が決まるとは思えなかった。実際、ルドラは大陸を滅ぼす寸前だったのだから。

「まるで薄氷の上を綱渡りするかのような芸当だな…あいつ、それを見通して御前を引き込んだのか。まあ、本当に見えているのかも知れないが」
「嗚呼、そう考えれば忌々しい…実に、忌々しいね。結局、私は虚公と、世界の操り人形で有り続けたわけだ…そして、今」

リーンは、赤い瞳をギラリと光らせて、ルドラを見た。

「私を再度利用するために、貴方を利用してオモチャ箱に仕舞おうとしている」
「………」

リーンという人形には、まだ利用価値がある。
世界はそう言っているのだ。

【ですから、彼女はまだ消しません。ここで消滅させるなど、『資源』の無駄にもほどがあります。糸が切れてボロボロのガラクタになるまで何千年も酷使させ、世界のために摩耗させ続けてから捨てる方が、ずっと合理的ですよね。
それが、虚無を「使う」ということですよ、ルドラ神よ】

「………はぁぁ」

思わず脳裏で幻聴まで聞こえてきた。
ルドラは、心底から頭が痛そうに額を抑える。完全にウンザリしていた。

「やっぱあいつ、最高に性悪だわ」


・・・・・・・・・・・


ゆらゆらと、リーンは一人、真っ暗な星々の元で椅子に揺られている。
天の月を仰ぎながら、揺り籠のようなそれに揺られ続けて、微睡むように彼女は目を伏せる。

「………嗚呼」

有限の身は辛いものだ。
虚無に帰せれば、きっと楽だろうに。

そうは願えど、世界は、神すらもそれは叶えてはもらえない。
これが罰なのだろう、と胸中で呟きながら、頬に当たる優しい光を感じた。
焼け付くような、焦げるような焦熱ではなく。
静かに触れるような、優しい包容。

「…そうだな」

柔らかなここでは、きっとあの悪夢はもう、見ないだろう。
生の中で苦しみ続けてきた本能と飢餓に苛まれることも、もう無いのだろう。

ここでは、夜を恐れる必要は、ないのだ。

リーンの腕が、肘掛け椅子から、だらりと落ちた。

「………あの、光を、また………」

見てみたいものだ、と、そう呟く声だけが、夜の中で響く。


………揺り籠は、ゆらゆらと、揺れ続けている………。


・・・・・・・


手の中のその情景を見つめながら、ルドラはため息を吐く。

手には、黒い透明な球体が一つ。
真っ黒で、けれどもぼんやりと明かりの灯るそれは、夜刻神お手製の封印。
その中にリーンの魂を安置し、次の時まで眠らせ続けることにした。

黒い光沢のそれを一撫でしてから、ルドラは自室…荒小屋の戸棚の隅っこに、そっと置いた。隣の妙にへんてこな土偶がやけに存在感を主張するのでで、きっと誰もこれには気づかないだろう。

それを眺めながら、ルドラはぼんやりと思考を呟く。

「システム的に処理するのではなく、人間のように柔軟な思考を持つ…まったく、自我を持つコンピュータみたいだな」

この世界には存在しない故郷の道具を思い出し、やはり嘆息を一つ。

「もう全部、あいつに任せたらいいんじゃね?」

ハディやリーンの存在を必要としたのは、今回のことを見透かしていたからに他ならない。虚公が現れることも、それに対峙するメルサディールの存在も、全て予知していた上で、世界は英雄を育てろとルドラに言った。
ならば、あそこの土壇場でルドラが動くことも、あの世界にはお見通しだったのだ。そう、世界がこんな遠回しな手を打ってきたのは、「ほらほら動かないとみんな死んじゃうぞ~」と煽る為である。ルドラやティニマが動いて、ゲンニ大陸を守るため。そのための布石。
説明が面倒だったのか、それとも他に要因があるのか。ゲンニ大陸を守れとは一言も言わず、世界は神自身が動くよう策を弄した。

ぶっちゃけ、ルドラもまた世界の操り人形でしかないのだ、と、そう改めて実感し直し、げんなりと意気消沈していたのだ。

「あ~あ…ふて寝してぇ」

「ふて寝している時間はありませんよ、主上」

「うわ…」

ババーン!と扉を開けて入ってきたのは、笑顔のヴァルスである。
マイサンのそんな笑顔に、父はなんだかいや~な顔をした。

「おいヴァルス。どうした唐突に…」
「いえ、主上のご帰還に臣下として息子として、いの一番に挨拶をしたく」
「そして私を冥府に連れ帰るためか?」
「主上にしか出来ぬ仕事は山積みですよ?」
「………」
「………………」
「いやだあぁぁぁ~~!!私はまだダラダラしていたいんだぁぁぁ!!!おうちで寝るぅぅ~~~!!!」
「父上!!今回ばかりは逃しませんよ!?今回の出来事でゲンニ大陸の死者が大行列なんですからね!!父上も手伝ってくれなければ過労で倒れます!!」
「神が過労で倒れるものかよ!?」
「心意気の問題です!!」
「なんだよ心意気って!?」

駄々をこねる全世界最高齢の御仁と、その息子の不毛な言い争いはしばらく続いたが、結局は迎えに来たエルシレアの笑顔の恫喝に屈して、泣く泣くルドラは仕事へと戻ったのであった。

で、冥府の間にて。

「あ~…くっそ。エレゲルの野郎からまぁた書状が届いてら。何通目だよこれ」
「今回の沙汰について、神界は揉めているようですからね。父上の行動は軽挙妄動だと批判する者達と、いや結果論としては正しかったのだと反論する者達で割れているとか」
「良いか悪いかで言えば、間違いなく最悪手だったんだがな。たまたま上手くいったわけで」
「そのたまたま、が他の者達にはわかりませんから。父上にもお考えがあったのだろう、と皆が囁いております」

いえ、行きあたりばったりだったんですが、とルドラは胸中で思った。
なお、件の出来事を見ていた補佐神には口止めしているので、流れに関しては他言されていない。

「…まあ、あのエーティバルトへ頼るようにアドバイスしたのはお前だからな。あいつの知恵のお陰でなんとかなったようなものだし」

下界へINしてから無計画に気づき、「さぁてどないすっぺ?」と今更ながらに考え込んだルドラへ、テレパシーでヴァルスがアドバイスしたのだ。そして流石は古代の田人、エーティバルトはルドラの案を取り入れつつ、ものの数分で何かをメモ書きし、件の魔法陣…血の繋がりを利用してエネルギーを集め、虚公すら吹き飛ばす大魔法を作り出したのである。
やっぱりあの爺さんの頭の中、異次元だわ、とルドラは改めて思った。

「しかし、カルヴァンで見たクレイビーの例の儀式と直前のケルトの魔法で『元○玉とかロマンの塊じゃん』とか思って、なんとなく記録しといたんだよな。まさか世界を救うとは思わなかった」
「問題は、もうあの手は使えないだろう、ということでしょうね」
「ああ、まあなぁ…ハディとエーティバルトが居ることが大前提で、かつ我ら原初神が必要…こんな布陣、次の虚無が許すとも思えん」

虚無は進化する。ならば、前任者の戦いの経験も獲得していると見るべきか。
そもそも、次も同じことを虚無がするとは思えないが。

「一度、失敗した作戦を、また懲りずにやろうって気にはならんだろうなぁ」
「虚無は狡猾になってきています。今回のように最後に姿を見せて…という方法ではなく、最後まで密やかに終末作戦を実行するかも知れません」
「密やかに世界を滅ぼすって、どんなんがある?」
「そうですね…我らのエネルギーが奪われる、とか」

時エネルギー、ルドラの管理する神の為の資源。
それの枯渇は、たしかに痛手だろう。

「とはいえ、それだけでは世界は滅びませんが、現在の均衡を乱すには十分でしょう。そこから新たな方法が出てくるやも」
「あ~…そうか、時エネに関しては忘れていたな。もし時エネの所有権が奪われていたら…」

実はかなりやばい事になっていたかも知れない、と密かに冷や汗を流したり。

親子は目を合わせてから、ははは、と力なく笑う。

「いやぁ、上手くいってほんっとうに良かったよなぁ、マイサンよ」
「えぇ本当に。上手くいかなかったら、などと考えるなど不毛ですよね、我が父上」
「そうそう!さぁてさっさと仕事を終えて…げっ!またエレゲルのとんがり野郎からの手紙!もう結構だっつーの!!」

手紙をポイ捨てするルドラに、ヴァルスは嘆息しながら落ちた手紙を拾う。
しかし、とそれを手にして、ヴァルスは眉をひそめる。

(…どうにも、図々しくなってきているような)

ルドラへの恐れが消えつつあるのだろうか。
約束を破った件に関して、ルドラが全面的に非を認めたのも大きい。ティニマ達のフォローも実を結ばず、ルドラへの風当たりは非常に強いのが現状だ。
そんな神界に、子として思うところは大きい。

(…トラブルにならねばいいが)

そう思いながら、ヴァルスは手紙を、くしゃりと握りつぶした…。
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