どうも、邪神です

満月丸

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冒険者編

戦後の魔法都市にて

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…薄暗い、どこかの研究所。

「…がはっ…!!」

隅に安置されていた大きな杯、その赤い水面からズルリと這い出てくる、一人の老人。
掠れた喘鳴を繰り返すそれへ、影から現れた赤い吸血鬼が、揶揄するように笑う。

「やあ、再誕おめでとう。ご気分はいかがかな?」
「せ、先生…!!」

アーメリーンと共に出現した少年、アズキエルは、洗脳されている様子など欠片も見せずにクレイビーへと近づく。

「だ、大丈夫ですか…!?」
「……」

小さく、クレイビーが何事かを呟く。
眉根を寄せる少年など見向きもせず、クレイビーは地を見つめながら、低い声で呟く。

「……神、ルドラ、我が仇敵、神…!!」

クレイビーは顔を上げて、初めて憤怒の表情を乗せて叫んだ。

「我が仇敵!我が生涯の使命の邪魔者!あの老人がルドラだと…!?なんという、なんという数奇なる運命か…!!」
「そうだな、数奇にも程がある。冥府から出てこない月神が、ここで人の形を纏って顕現している。実に、数奇だ」
「…忌々しき神めがっ!……必ず、必ずや…我が全生涯を掛けてでもアレを…!!」

そう言う間にも、クレイビーの身体はボコボコと変形し、まるで感情に合わせるかのように白い異形へと変貌し、部屋中の家具や、たくさんの白い卵を押しのけて膨張していく。おぞましい咆哮の如きそれに、アズキエルが震えながら涙目で下がり、アーメリーンは無感情な目で見つめる。
もはや部屋に収まりきらないほどの巨大なそれは、ギョロリと白い虹彩の1つ目で、アーメリーンを睨めつけた。

「なぜ教えなかった、リーン…」
「面白いからさ。あと、君が本気を出して、それで彼らを食べてしまっても面白くない」

その答えを皆まで言わさず、異形は吸血鬼を食らおうと巨大な牙を晒して襲う。が、アーメリーンは意にも返さず、血の爪による一振りで異形を退ける。
とはいえ、相手も本気ではない、じゃれ合いのような物だ、とアーメリーンは思う。この姿では、クレイビーの方が強力だからだ。

「そうカッカするものではないさ、我が同輩」
「我輩を苛立たせるのは貴様は原因であるぞ…!」
「そうかい?それは悪いことをしたね。ともあれ」

欠片も思っていなさそうな言葉を嘯き、アーメリーンは白い異形へ笑みを向ける。

「ゲームは終わった、次は仕事だ。全ての準備はつつがなく終了している」
「………そして、我らが使命の完遂か?」
「うまくいけばね、しかし、そうはいかないだろう。月神がいるのならば、確実に彼らは抵抗する。最悪、我々もここまで、だ」
「はっ!結構である!貴様との縁もこれで終わりと思えば清々するであるぞ!」
「そうか、私は名残惜しいがね」
「思ってもいないことを言うものではないである」

互いに、魂の片割れ同士、肉体の血の繋がりはなかろうとも、その数奇な繋がりは感じ取っている。それももう終わりかと思えば、アーメリーンも自然と後ろ髪を引かれる思いになった。
ふっと顔を曇らせ、目を伏せる。

「…不自由で虚しい生だったけど、まあ最後に楽しめたよ」
「…なんであるか、急に」

アーメリーンの感慨深い言葉に、異形は胡乱げな眼差しを送る。暴れる様子はないので、傍でアズキエルが恐る恐る近づいていた。
そんな主従へ眼差しを向け、アーメリーンは目を細める。

「生まれも育ちも最低だったが、君と踊れたのは、悪くなかった」
「…一方的に振り回した、の間違いではないか」
「そうとも言うね」

クスクスと笑う吸血鬼、それに嫌そうな視線を向ける異形。
笑みを止め、アーメリーンは天を仰いで呟く。

「…楽しい時は、あっという間だ。ならば、望むべき時も、あっという間に過ぎ去るんだろうかね?」

その問いにクレイビーは答えず、ただそっぽを向いて小さく言った。

「…我々に、楽しいなどという感情は必要ないのである」

…その言葉にアーメリーンは答えることなく、静かに嘲笑った。




「…ああ、そうそう。君が無断で虚無魔法を使用したことで、主殿が激怒されているぞ。損失分の補填をするまで、開放してはくれないだろうね」

「………………おのれ、小童共め…次こそこの雪辱、晴らしてやるであるぞ…!」


※※※


 …あの後、事態が収束したカルヴァンは混乱の渦中にありながらも、次期議長に近しい二人の候補者の指揮により、なんとか混乱を抑え込むことができた。二人のリーダーシップが問われる最中であったが、この時ばかりは、いがみ合うこともなく競い合うこともなく、派閥関係なく人々は行動を起こす事ができていたのは皮肉だろうか。

ともあれ、未曾有の事態を通り過ぎたカルヴァンは、これからも帝国との軋轢による面倒な関係は続いていくだろうが、メルとしては当面は大丈夫だろうという直感があったので心配はしていなかった。
カーマスなどの一部の勇気ある者たちが、魔法士か否かに関係なく指揮を取って魔物を撃退した事は、それまであった格差意識を薄め、また魔法士に不満を持っていた非魔法士の意識を変える切っ掛けにもなったようで、カルヴァンの未来は徐々に変わりつつある。そんなカーマスも、事件が終わればいつもどおりのビックマウスが復活し、有る事無い事を言いふらしは自慢してケルトにダメ出しを喰らうという一幕もあったのだが、ともあれ今回の一件は人々の何かを変える出来事にはなったようである。

さて、そんな忙しない最中、カルヴァンのとある一室。

「………」

アレギシセル三兄弟とメルサディールが顔を合わせていた。が、三者ともだんまり状態が続いており、誰も口を開かない。ゲーティオは後ろめたげに視線を逸らし、ケルトは無表情、コルティスはそんな兄たちを見て口を噤んでいた。

「…はぁぁ」

そんな現状に見かねたメルが、ため息交じりに話の口火を切った。

「黙っていては話も進みませんわね。ともあれ、ここはアタクシが進めます。まず、ゲーティオ様」

指摘されたゲーティオはビクリと肩を震わせる。まるで学園へ来たばかりの頃のような最高法士に、メルは肩を竦める。

「ケルティオの仕出かした過去について、お話くださいませんこと?」
「…それ、は」
「大丈夫、ケルティオには何もさせませんわ。アタクシが確実に止めてさしあげますから」

勇者のお墨付きという、これ以上にない言葉に少し安心したのか、ゲーティオは肩を落としながら、ぽつぽつと語った。

昔、まだ幼かったゲーティオ・ケルティオ兄弟は、比較されながらも交友を持てる範囲で自由を与えられていたようだ。主に魔法の出来が悪いケルティオを、ゲーティオが教えていた、というのが正しい。

「あの頃は、母上も壮健で…魔法が遅れていたケルティオの面倒も、母上が主に見ていたようだ」
「…私も覚えています。よく、貴方に魔法を教えてもらっていましたね。それ以外にも、いろいろと遊んでくれていました…まだ、覚えていますよ」

ケルトの呟きに、ゲーティオは心苦しそうに目線を地面に逸らす。それは罪悪感だろか。

「…ある日のことだ。父上が私を呼び出し、ケルティオへ二度と会うなと言明された」
「それは…なぜ?」

メルの問いに、ゲーティオはしばし黙してから、口を開く。

「父上は、詳しくは話してはくださらなかった。ただ、後に侍従から聞いた話では…ケルティオが、母上に危害を成したのだ、と」
「…私が?」

驚くケルトには、その記憶がまったくないようである。
それに頷きながら、コルティスも同意する。

「僕も、そう聞かされていました。そのせいで、母上はもう魔法を使うことができなくなった、と。だから、ケルティオ…兄上のことは、屋敷では禁句のように扱われていました。なにか、恐ろしい力を持って人を苦しめるような人だって、ずっとそう聞かされていたので…」
「…私が、母上の魔法を?そんな覚えはまったくないのですが…」
「でも、母上が魔法を使えないのは確かなんです。母上はそれ以来、ずっと表には出てきてません。社交界にも顔を見せることもなくなって…父上が良からぬことをしたんじゃないかって、そんな噂も出てくる程で…」
「…私、が」

「なるほど、概要はわかりましたわ」

混乱する兄弟を宥めるように、メルは声を張り上げて話をまとめた。

「ケルティオが何か、アレギシセル夫人へ影響を与えたことで、魔法を使えなくしてしまった。だから、ゲーティオ様はケルティオを恐れていたし、コルティス様は嫌っていた、と。そういう事でよろしいですわね?」
「…左様です。私は、恐ろしかった。弟が母上を傷つけたのならば、私も同じ目に合うのではないかと…そう疑念を持ってしまった。どうしても、その事実から目を逸らせないでいた。私には、魔法しか取り柄がないから………それを奪われてしまったら、と」
「兄上…」

魔法貴族の家系であり、次期当主として教育を受けてきたゲーティオにとって、魔法を取り上げられるというのは、死ぬよりも恐ろしいことだった。だから、その可能性がある弟へ、恐怖を抱くのは致し方がないだろう。
ゲーティオの苦悩に頷きつつも、ケルトへ顔を向けてメルは続ける。

「ケルティオ、貴方、幼少期に強い感情を爆発させた覚えはありませんこと?」
「感情を?………そう、ですね。幼い頃なら、癇癪を起こしてしまったことくらいはあるでしょうが…」
「おそらく、それですわ」

メルの指摘に、ケルトは目を丸くする。

「よろしいこと?お二人にお話するのは初めてですけど、ケルティオの前世は、精霊でした。それも、強い光の精霊。その魂を持つ彼は、人とは違う力を持っていますの」
「せ、精霊…?そんなこと、あるんですか?」
「ありますわ。他の精霊の生まれ変わりに会ったことがありますけど、中にはドラゴンもいましたの。彼ら精霊の転生者は、感情の高ぶりによって、さまざまな力を発してしまうこともあります。たとえば、知り合いの闇の精霊の子は、強い感情の高ぶりだけで相手を殺してしまえます。そういう性質を持つのが、彼らの特徴です」

急な話に唖然とする二人。一方、ケルトは話を理解したのか、表情が固くなる。

「…つまり、私が母上に障害を負わせたのは…私の癇癪が原因?」
「おそらくは。貴方も、納得できないことがあったのでしょうね。アレギシセル夫人は子育てに熱心だったと聞いています。その教育に、貴方が耐えきれなかったのならば…」

その感情の爆発は、如何な効果を周囲に与えたのか、言うまでもなく。

「…私が」

小さな子供が、うまく行かない作業を無理やりやらされ、それに怒って泣き叫ぶこともあるだろう。しかし、そんな些細なことが相手に傷を負わせていたなどと、当事者としてはショック以外の何ものでもない。悪意が無いからこそ、尚の事。

「で、では、母上の障害の原因はやはり…」
「ケルティオの感情…たとえば、「魔法なんていらない」と強く思ってしまえば、精霊が魔法の邪魔をするようになることは、ありえますわね。もしそれが原因ならば、貴方がたのお母様の障害も、ケルティオの手によって取り払うことができるでしょう」
「………は、はは…」

不意に、ケルトが笑った。
驚いた様子の周囲を見もせず、ケルトは両手で顔を覆いながら、小さな声で呟いた。

「…ずっと…ずっと、私は理不尽な環境を恨んでいました…私に魔法が扱えないから、だからあんな風に閉じ込められていたのだ、と。………でも、違った。私が、原因だったんですね…私自身が撒いた種だった…」
「…ケルティオ、貴方のお母様の件について、アタクシは貴方の責任だと思いませんわ。だって、貴方の力に関して、誰もわからなかった。それは貴方自身も同じこと。ならば、貴方のしでかしてしまったことは、貴方だけの責任ではありません。…それは、不幸な事故でしたのよ」
「………違う、違うんですよ、メルさん」

ケルトは顔を上げる。
泣きそうな、しかしどこか清々したような、歪んだ笑みであった。

「…理由なく嫌われることのほうが、ずっと辛いんですよ。何が原因かわからないまま、家族に嫌われ続けることの方が、ずっと。…でも、違ったんです。私の責任だった。だから、私は嫌われていた…………ああ、よかった」

小さく、涙を流しながらも、ケルトは呟く。

「もう、家族を恨む必要がなくなって、本当によかった…」

「…ケルティオ」
「兄上…」

そう呟いてからも、ケルトはずっと笑いながら、泣き続けていた…。


※※※


…あれから数日が経ちましたわ。

 アタクシ達は陛下の依頼を達成することができたのですけども…それでも、この状況を放って帰るのも気後れしましたので、そのまま救命の指揮を取ることとなりました。勇者というネームバリューのおかげかスムーズに事が進み、重傷者の治療に尽力できました。少しでも死者を減らすことができたのは、僥倖でしたわね。
クレイビーの起こした騒動は都市中に波及して、未だにその影響は計り知れません。魔物の襲来によって主に魔法士と、魔法士の身内などの一般人の方々が犠牲になりました。勇者ということで、アタクシ主導による合同葬儀なども済ませて、ようやくカルヴァンも一応の落ち着きを取り戻しつつあります。けれども、その傷跡は大きく、人々が死から立ち直るのにも、もっと時間が必要となるでしょう。

ケルティオですけども、あれからゲーティオ様達と何度か会っているのを見ました。まだぎこちない様子でしたけど、それでもその雰囲気は悪くはありません。以前のような硬い表情も見られないので、良い兆候でしょう。
ゲーティオ様としては、ケルティオの仕出かした事で、随分と思い悩んでおられたようですわ。そもそも、ケルティオの力は特殊ですから、人の歴史を漁ったところでそうそう同じ存在に当たるわけではありませんもの。理解できない力は、それだけで畏怖となる。特に魔法を行使できなくさせるなど、魔法伯の一族としてまさに諸刃の剣。アレギシセル家としては、ケルティオの才能が魔物に由来するものではないかと危惧してらっしゃったのね。伝承にあるグリセル・アーヴェルのような、生まれついての半異形ではないか、と。だから隔離していたのでしょう。
魔法至上主義はアレギシセル家も同じこと。魔法を第一と考えて教育されているゲーティオ様にとって、ケルティオの才能は末恐ろしいものに見えたはず。弟が魔物かもしれないと恐れ、自分も母と同じ目に遭うかもしれないと恐怖した結果が、あの態度なのでしょう。
無理もありませんわね。誰だって才能と努力の座から、無理やり引きずり降ろされたいとは思いませんもの。
ともあれ、その誤解も解けて、三者は今は良好な関係になりつつあります。これ以上はアタクシが関わる必要もなさそうですので、まあ微笑みながら見守ることにしましょう。ケルティオも、その内に実家へ向かうと言っていましたし。…ええ、お母様の障害に関して取り除きたいと、あの子から言い出しましたの。本当に優しく、たくましい子になってくださいましたわ…あら、なんだか感慨深いですわね。いけませんわ、淑女なのに。

しかし、この不幸なすれ違いは、やはり魔法至上主義という考え方にもありそうですわね。魔法を第一に考えるあまり、個人の人格を蔑ろにしている。魔法はたしかに心強い力ですけど、あくまで精霊達の手助けあってのこと。それを忘れてしまっては、あるべき知の道から外れてしまうのでしょうね。
…これは、アタクシが直々に、矯正しなければならないかもしれませんわね、将来的に。

…ああ、それとケルティオのクラスメイトのレティオ・カーマスですけど、意外なことに有事の際に率先して動いて、多くの市民を救ったようですの。その行動に敬意を表してカルヴァンから勲章が貰えることになったのですけど、それをアタクシに嬉々として教えに来ましたわ。元教え子が成長するのは教師としても嬉しく思いますわね…と褒めたのですけど、なんだかガッカリした様子で帰っていきました。なんなのかしら?
カーマスはもともとケルティオと仲が悪かったようですけど、この二人もちょこちょこ一緒にいるのを見ますわね。一緒に騒動を終局させたということで、なにやら距離感が近くなったように思えます。良い関係になればいいですわね。ケルティオって友達が少なそうですし。え、アタクシ?…ノーコメントですわ。

…そうでしたわ。おじい様のことですけど。あの通り、凄まじい力を見せて颯爽と逃…去ってしまったミステリアスなご老人ということで、最近では皆さんから聞かれますの。あの御方はどなたですか?って。
正直に「神です」などと言えませんので、曖昧な笑みで「勇者の旅の頃から指導してくださった、アタクシの心の師匠ですの」と答えておけば、だいたいの方はエーティバルト師匠と間違えますわ…嘘は言ってませんわよ?相談を受けて頂いていたのは事実ですし。まあ、伝説の魔法士に出会ったと喜んでいるのに、水を差すのもアレですので、黙っていますけど。…ラーツェルが鋭く察して胡乱げな目で見てきますけど、なんですの。なにか言いたい事があるのならおっしゃったら如何?と恫喝…もとい笑顔で尋ねてみたら、あいも変わらず、敬意の欠片もない返答でしたわ。まったくこの男は…。

ともあれ、なんとか騒動も収束しましたし、アタクシ達もそろそろ帝都に戻りましょうかしら。血盟決議…今回のことがありますから、もう行われることはないかもしれません。原始的な投票形式に戻るようですけど、その方が良いかもしれませんわね。…投票でわざわざ魔法を使うなんて、精霊を過労死させるつもりなのかしら?

これから、カルヴァンも魔法のあり方を変えていけるかもしれません。クレイビーの事件は、狭い価値観で閉じられていたカルヴァンの壁を、真っ向から叩き壊すこととなりました。世の中には人知を超えた魔法士が居ますし、それに対抗できる存在も居ると。特に、最高法士すら退けたクレイビーとの対決は、ケルティオを退学させたカルヴァンとしてはまさに青天の霹靂でしょうからね。たとえ落ちこぼれと評されようとも、大器晩成というように才能は徐々に昇華させていくべき代物。安易に捨てれば大損をする羽目になると彼らも学んだことでしょう。
上位講師の何人かがケルティオを戻そうとアプローチしているようですけど、ケルティオが答えるはずもなし。というか、アタクシが認めませんわ。人を捨てたり戻したり、安易に物のように扱うのは我慢がなりませんの。まったく、厚かましいですわね。
「アタクシ、人でなしは嫌いですのよ」、とそれとなく言ってみれば、皆さん固まってしまって。なんだか愉快でしたわねぇ、うふふ!


※※※


「…という出来事があって、この僕のアシストによる華麗なる魔法が巨大なる大蛇の魔物の胴体を穿つことに成功したのだよ!」
「はぁ、すごいですね」

昼下がりの食堂にて。
貴族専用の豪奢なサロンに、なぜかケルトが居た。家を壊された避難民だらけの一般食堂だと、人に揉まれて食事どころではないので、特別にこちらに居るという経緯がある。
で、なぜかそこにカーマスがやってきて自慢話をし、その横でコルティスが胡乱げに聞いているという、変な状況である。もともとコルティスがケルトへ、自分が捕まっていた間の経緯を聞きたがったのが話の発端なのだが。カーマスは兎にも角にも、目立ちたがり屋であった。
そんな誇張を理解しているのか、コルティスが聞いてくる。

「それで、カーマス殿はなんだって大蛇に立ち向かおうと思ったんですか?」
「もちろん!魔物が悪逆の限りを尽くしているのを見過ごせなかったからさ!」
「腰を抜かしてませんでしたっけ」
「ななな、何を言っているんだねケルティオ!?こ、この僕が腰を抜かすハズがないじゃないかね!?」

キョドりまくりなカーマスのわかりやすさに、兄弟は揃って似たようなため息をつく

(…というか、なんでこの人は私に纏わり付いてくるんでしょうかねぇ)

ケルト的に、カーマスは嫌いな部類の人間である。過去を思い返せば、いちいち突っかかってきては嫌味を言われ、所作一つとってはバカにされ、とりあえず訳のわからない嫌味を言われ、一方的にディスられて下に見られ、と鬱陶しいだけの存在であった。頭上を飛ぶカナブンの方がまだ静かである。
とはいえ、他の悪質な連中のように魔法をけしかけてくるような真似はしなかったので、鬱陶しいので嫌い、という評価に落ち着いているのだが。それ以下の場合、ケルトは間違いなく相手の存在そのものを無視するので、まあ温情ある対応である。
それと、あの話し合い以来、誤解が解けたコルティスは、ちょこちょことケルトの後ろに付いて回る事があった。どこか余所余所しいのだが、それでも歩み寄ろうとしてくれる態度に、ケルトの心も軟化していた。そのせいか、最近では口調も砕けてきている。

「そんな腰を抜かしていた人が、どうして魔物に立ち向かおうと思ったのか、僕は不思議なのですが」
「こ、腰を抜かしていたわけじゃない!その、ちょっとびっくりして転んだだけだし!すぐに立ち上がって行動を起こしたんだよ!」
「本当ですか?」
「…まあ、どれだけ腰抜けでも、カーマス殿が立ち上がったのは確かですし、そこは事実として受け取ってあげましょう」
「そうですね、兄上」
「…ねぇ、君たち兄弟って性格悪いって言われない?」
「失礼な。私のこの態度は貴方を相手にする時だけですよ」
「全然失礼じゃないよね!?」

ナチュラルに辛辣なケルトへ、カーマスは「ぐぬぬ…!」しているのだが、開き直ったようにふんぞり返って椅子に座り直す。

「…ああそうだとも!僕だけじゃ立ち上がれなかったよ!それもこれも、あのご老人のおかげさ!」
「…ご老人?まさか、カロン老ですか?」
「老人って…あの時、僕を助けてくれたっていう…?」

カーマスは話し出す。
あの議会場に居た老人が目の前に現れ、助言めいたことを言っていたと。
それを聞いて、ケルトはカップを傾け、それをじっと見つめた。

「…珍しい、あの方が誰かへ口を出すなんて」
「話によれば、メル教授の師匠なんだろう?君にとっても」
「ええ、だからこそ驚きました。基本的にカロン老は事なかれ主義なので、目の前で人が死にそうでも手出しはしない方ですから」
「…それ、普通に人でなしじゃないかね?」

人ではないからだ、とは流石に言えなかったが、同意見なので肩だけ竦めておく。

「あの方が口を出したということは、カーマス殿は見込まれたんでしょうね」
「…え、見込まれた?」
「あの状況で、場をよりよい方向へ向けるために必要なキーパーソン。それが貴方だった。むしろ、貴方以外には存在しなかった。だから、あの方は貴方へ発破をかけた。そういうことでしょう」
「僕が…?いや、そんなこと…僕以外にも動いていた魔法士は居たし、先生方だって」
「魔法の腕前など、あの方にとって重要ではないんですよ。あれだけの凄まじい技量を持っているからこそ、あの方にとって、人への評価はそこ以外にある。…カーマス殿が動かなかったら、今頃カルヴァンは壊滅していたかもしれませんね」
「は…はは、そんな、まさか…」

実際、これはケルトの本音である。
カーマスの補助がなければ、あの大蛇を叩き落とすことはできなかった。最悪、暴発だけして死んでいたかもしれない…カロンが助ける可能性もあるが、そのへんは神のみぞ知る。

「つまり、貴方は間違いなく、このカルヴァンを守った英雄の一人、ということですよ。そこは胸を張ってもよろしいと思いますよ。だって、…あの偏屈なご老人に認められたのですからね」

神に認められ、背を押される。それはケルトにも覚えのある代物だった。
背を押された結果、今ここにいるのだから。

一方、カーマスはなんだか背中が痒そうな顔をしていた。

「な、なんだね、なんだか君にそんなことを言われるとムズ痒くなってくるんだが…」
「それはどうも。私だって嫌悪だけで相手の功績を無下にするほど、考えなしではありませんので」
「本当に辛口だな、君は」

呆れつつも、カーマスは少しだけ真剣な表情で呟く。

「でも、まあ…あの老人に言われて、わかったこともあるよ。人はピンチの時、より理想の存在を求めるものなんだ。あるいは、自分自身がそうなることを突きつけてくる」

カーマスにとっての理想とは、姉である。
彼女のように行動できれば、と強く願ったのは記憶に新しい。

「けど、どう足掻いても、人は他人にはなれないんだ。僕が姉上のようになろうと思っても、そんなことは無理だと自分が一番よくわかっている。…理想と現実、この2つにどう折り合いをつけていくかが大切なんだって、そう教えられた気がするよ」
「…コンプレックス、ですか」
「そうかもね、恥ずかしいことだけど」
「……いえ、わかりますよ」

優秀な兄や姉と比較し、弟や妹達を下に見る視線は、人の心の価値を貶める。それは精神に傷をつける行為だと、ケルトも実感していた。

「僕はずっと勘違いをしていた。姉上を超えるかどうか、そんなことは重要じゃないんだ。僕が僕らしく、どうやって立派な魔法騎士になれるか、それが大切なんだ。他人の物真似をしていたところで、望むような結果は手に入れられても、きっと心は満足しなかったに違いないよ。だって、それは僕が評価されているわけではないからね」
「…真似事」

コルティスが呟く。
彼もまた偉大な兄の背を追い、兄のような人間になろうと努力してきたのだから、思うところはある。

「真似事は、辛いのですか?」
「辛いかもね。だって、いつどこでも演技をし続けなきゃいけないんだもの。自分らしくできないってのは、とても…苦痛だよ」

どこか達観したようなセリフだった。
ケルトは、そんなどこか憑き物が落ちたようなカーマスの顔に、少しだけ眉を上げる。ひょっとして、カーマスの普段の高圧的な態度は、その姉の真似事だったのかもしれない、と思ったのだ。
次いで、物思いに耽る傍ら、自然と口端から言葉が漏れた。

「…自分らしく、ですか。それは、どんな存在にでも言えるのでしょうか」

顔を上げる二人へ、なんとはなしにケルトは悩んでいたこと、自身のありかたについて話してしまっていた。…随分と自分らしくないな、と内心で苦笑していれば、カーマスが肩を竦めた。

「やれやれ、君は随分と頭でっかちなんだな」
「貴方に言われると妙に腹が立ちますが、理由を聞いても?」
「だって、元精霊だかなんだか知らないが、そんなのが今の君になんの関係があるんだい?」

サラッと言ったセリフに、ケルトは思わず目を丸くする。

「たしかにさ、君は元精霊で、凄い力を持っていた…ああそうだね、僕も思わず嫉妬してしまうほどの力をね。そして君は魔物と戦って、今じゃメル教授の弟子として傍にいる。いったいそれの何が不満なんだい?」
「不満というか…ただ、疑問に思うだけですよ。精霊から見ても、今の魔法士は良くない傾向があるようです。召使いのように呼び出されることに不満を感じている者もいる。そんな現状を許して良いのか、と」
「…まあ、僕が言えることじゃないかもしれないけど、それってケルティオだけの問題じゃないだろう?というか、君は精霊を召使いのようにしてるのか?」

思わず首を振れば、じゃあ、とカーマスは笑う。

「君はそれでいいじゃないか。今の君は、元精霊で人間でもある精霊思いの魔法士だ。問題は他の…まあ、僕らも含めた魔法士のようだし…っていうか、君のアレを見た後だと、精霊に意思があるってのも本当みたいだしね」
「…僕もそう思います。ケルティオ兄上が精霊を従えて戦っていた光景は、たしかに精霊にも意思があるのだと思えました」

精霊に意思があるかどうかという点は、現在でも論議されている。メルは小さな精霊しか召喚しなかったし、小さな精霊は言葉を発さない。なので、意思ある存在だとは思われていなかった。
しかしケルトの出現に、その辺の疑問は一気に氷解しそうではある。

「これからはさ、精霊との関係にも、話が進んでいくかもね。言い伝えでは精霊を害するものは精霊王に消されてしまうって言うし、そうなるかもしれないと思えば、無駄な魔法も控えるようになるさ」

そう言われ、ケルトは少しだけ瞬きをする。
今回の騒動、意外にも魔法士の意識改革にも一役買いそうである。なんとも、何が起こるかわからないものだ。

「同じように、君だって誰かの真似をしなくてもいいんだろうさ。魔法士とはかくあるべし、なんて皆が言うけど、明確な魔法士像って人それぞれだし」
「僕もそうですね…完璧な魔法士と言われれば、ゲーティオ兄上を思い出しますけど、きっと人によって違うでしょう。魔法士とは何か、と問われても、まだ答えはでませんけど」

人はみなそうやって疑問を抱き、生きていく中で、その回答を導き出すものだ。
そう語る二人へ、ケルトは少し黙してから、初めて柔らかなほほ笑みを浮かべた。

「…なるほど。相談はしてみるものですね」
「ははは!だろう?この僕にかかればどんな悩みもあっという間に解決だとも!」
「参考になりましたよ。ありがとうございます、コルティス」
「いえ、大したことではありませんよ」
「…あれ、僕へのお礼はないの?」

蚊帳の外で騒ぐカーマスを尻目に、ケルトは胸中でふと、先日の会話を思い出す。

『君は、初めて魔法を成功させた日のことを、覚えていますか?』

(…サーテュ教授が、クレイビーだった。なら、あの言葉は…あの老人の言葉だったのだろうか?)

ケルトの抱える問題は、その認識であると老人は言った。人と精霊の間に立つ故に、どちらになるべきか悩んでいるだけ。だが、美しいと思うことに人も化け物も関係はない。

妙に実感の籠もっていた言葉を思い出し、ケルトはぼんやりと天を仰ぐ。

(…あれは、クレイビー自身の経験談だったのでしょうか…?)

…その問いに対する答えは、出そうにない。


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