どうも、邪神です

満月丸

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冒険者編

紅い鬼の郷愁

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「…という事がありまして、おじい様とアタクシは帝都学園の騒動を解決してきましたのよ」
「へぇぇ~!なんか面白いことがあったんだね~!」
「ふぅむ、同じ芸術を愛する者としては、少年の行く末を応援したい気持ちでいっぱいですね。…ここは一つ、彼の幸先を祈って歌を歌いましょう!」
「わ~!トゥーくんの歌ってあたし好きだなぁ!」
「あっはっは!貴方に褒められるのなら歌う価値もあるというものです!それでは一曲!」

いつものゲッシュの宿にて。
依頼から帰ってきたメルサディールとカロンは、何故か屯していたティ…もとい、翼種の女性とトゥーセルカに話して聞かせていた。なお、カロンは横で再販され始めた米酒を呷りながら、骨付き肉を齧っている。もはや見慣れた情景であった。

「なるほど、メルさんたちも大変だったのですね」
「ええ、そういうケルティオ達も…」

一方、トゥーセルカ達の騒動をBGMに、ケルトは渋い顔をしていた。
理由は言うまでもない。
ハディがまだ帰ってこないからだ。

「セイラさんはヴェイユさんと一緒に、闇の神殿に向かったそうです。ダーナもハディが心配で、里帰りも兼ねて留まったようですが」
「…で、おじい様。ハディはどうですの」
「そう怖い顔をして睨むな二人共。いいかね、これは必要措置なのだ」
「必要措置?」
「当然だ。よく考えてみろ。虚無連中と戦っていく以上、連中への対抗手段は魔法しか存在せんのだ。それは私とて同じこと。一方、ハディは魔法を扱えない。ならば、あいつが足手纏いになるのは必至」
「…それは、確かにそうですわね…」
「しかしカロン老。その口ぶりではこれから先、我々と虚無…アーメリーン達とはまだ、戦う機会がある、ということですか」
「無論」

頷くカロンに、ケルトは複雑そうな、しかしどこか覚悟の決めた顔で手元を見ていた。
脳裏に翻るのは、赤い吸血鬼の笑み。

「…それで、おじい様はハディに何をしてらっしゃいますの?修行、とは違うのでしょう?」

ケルトを横目で見つつ尋ねるメルへ、カロンはグビッと米酒を含みながら続ける。

「そうだな…どうにもあいつは特殊というか、特別らしい。ひょっとしたら「奴」の手が加えられているかもしれん、とな。なら、多少の苦難は大丈夫だろう、と」
「奴?それって…」
「まあともかく。…ハディは闇の神殿で修行中だ。自分より強い自己を打ち崩す術を身に着けられれば、後から追いついてくるだろうよ」
「自分より強い倒せぬ…闇の試練とは、そういう代物なのですか?」
「おお、そのとおり。闇の中で最悪の光景を見せられ、自己を否定する自身の影と対峙する。そして影は強くて倒せない。条件を満たさないと強制で負けイベントになるわけだ。それに気づかねば、先には進めないようになっている…つまり、勇者本来の試練では、今まで祝福で得てきた力を全て満遍なく操れるようになるまで進めない、というイベントなのだが、ハディにもそれは言える」
「ハディにも…彼の力と言えば、以前の」
「左様。あの力を扱えるようになるには、ちと手荒いがこれしかないのでな。ま、あいつを信じて待つしかあるまい」

カロンの締めに、姉でもあるメルサディールは心配げだ。

「…おじい様、なら、ハディだけ戦闘に出さねばいいのでは?」
「無理だな。この戦いにはあいつの力も必要なのだ。もしも…それでも、しくじるような事があれば…」

瞬間、メルはゾクリとした悪寒を感じた。
思わず息を呑めば、カロンはジロリとメルを撫でるように見る。それに、メルはカロンの本気の度合いを感じたのだ。
しかしそこで、意外なことにケルトが口を開く。

「大丈夫ですよ、メルさん」
「…ケルティオ?」
「ハディなら、私より強いあの子なら、必ず戻ってきます。だから、私たちは信じて待ちましょう。彼なら、絶対に帰って来ますよ」
「………そう、ですわね」

弟子に諭され、なんだか立つ瀬がないですわね、とメルサディールは苦笑する。いつの間にか、ケルトも成長しているのだと察して、メルは少しじんわりしていた。
兎にも角にも、世界のためにハディには頑張ってもらわねばならない。
祈るべき神は眼前に居て肉を齧っているので、メルはハディに向けて祈りを捧げた。

(…ハディール、どうか、どれだけ時間をかけてもいいですから、無事な姿を見せて下さいませ)

そんなメルを横目に見て、カロンは肩をすくめながら酒を呷った。口をひん曲げて、少しだけ後ろめたそうであったのが意外である。

「…あらぁ、主上、探しましたよ」
「わっ!?さ、サレちゃん!?」

と、そこで声が響いて視線を向ければ、緑髪で白翼の古風な衣服を纏った麗人が現れた。誰が見ても思わず見惚れるほどの美麗な面立ちで、事実、宿の薄汚い野郎どもが彼女に見惚れていた。
ニコニコ笑顔で気の抜けた顔の女性は、金髪の翼種の女性へ言う。

「もぉ、また逃げちゃうんですから、マウちゃんがカンカンでしたよぉ。ほら、もう戻りましょうね」
「え~!でも、もうちょっとだけ!もうちょっとだけ遊びたいなぁ~って!…だめ?」
「だめです」
「む~!…あ!カロン!ねぇカロンからもサレちゃんに言ってあげて…って!なんであたしに束縛魔法かけてるの!?」
「ほら、サレちゃん。これで逃げられんから、それ連れて帰りなさい。いい加減、サボってばかりで補佐連中もお冠だろうからな」
「わぁ、有難うございますぅ!それじゃ、またご挨拶しに行きますねぇ。…はい主上、それじゃ帰りますよぉ」
「うぅ…か、カロンのうらぎりもの~!」

などと叫びながら、サレンに引きずられてティの付く人は消えていった。それを見たピンク魔女が「ありえないわ…!何よあの魔法式!?人外だわデタラメだわ!?」と騒いでいるが、まあここではいつもの光景である。

「助けてあげるなんて、お優しいですのね、おじい様には珍しく」
「まあ、かわいい姪っ子みたいなもんだしな。あの子は私が見える貴重な人材だし。…しかしサレちゃんも大変だな、あんなのを上司に持って」
「おじい様、人のこと言えますの?」
「言える。私はサボりではない、休暇だ!!」
「サボりとどう違うのですか…」

などと言い合いながら、その日は何事もなく過ぎていくのである。


※※※


デグゼラス帝国皇城、会議の間にて。

デグゼラス帝国皇帝、アーシュディール・ルレシェント・デグゼラスと元老院議員達は、一堂に会して喧々囂々の会議を繰り広げていた。
半円に広がる座より立って行われる議会は紛糾しており、怒声と罵声の入り乱れる騒乱の渦中、中央の座に座る皇帝は皺深い顔をピクリともさせず、それを眺めている。

「やはりヴェシレアへの宣戦布告は、あまりにも時期尚早すぎますぞ!まだ徴兵も全て終えておりませんし、カルヴァンからの追加人員も満たしておりません!軍としての体裁すら保てていない現状、幾ら兵力が勝っていても被害は甚大とわかりきっております!」
「今更何を…始祖ヴァルスの託宣ということで、既に周知してしまっている。今更、どのような理由でエーメルへ向かわせた兵達を引き戻すつもりだ?戦争が有るにしろ無いにしろ、国境付近へ軍を向けるのは致し方がない」
「ヴェシレアも兵力を国境にて集中しているとのこと。渓谷間際にて砦の建設にも着手しているという報告が確かならば、早々に向かわねば敵に厄介な牙城を与えることになりかねる。やはりすぐにでも残りの手勢を率いて向かうべきだ」
「しかし、南大陸に兵を渡すにしても時間が掛かり過ぎる。船を全て動員しても数千、数万という人員を向かわせるのは手間だ。いささか、攻めるにしても準備時間が足りなさすぎるぞ」
「やはりもっと早くに攻め込むべきだったのだ!メルサディール殿下が居れば、軍が相手でもさしたる弊害にはなりえんのだ!勇者の力を利用せずして何のための神の加護だ!」

そんな勝手気ままに進行する会議を、冷徹な目で眺めるのは、皇帝の隣に佇む男。
ラングディール・ブルーク・セラヴァルス皇子であった。
黒い髪、黒い瞳という相貌だが、人相は精彩に欠ける平凡な代物。しかしその目つきは鋭く、どこか油断ならない印象を抱かせる。
ラングディールは議会場の内容を聞きながら、脳裏で呟く。

(やはり、メルサディールを引きずり出す事が先決となるか。だが、それにメルサディールが了承するものか…あまり期待はできそうにないが)

しかし、皇帝が密かにメルサディールへ当てこすりをしているのは察していたので、ラングディールは内心でため息をつく。どうにも、家族仲が悪くてウンザリする。

「やはり陛下も、もうお年を召されましたし、メルサディール殿下に帝位を譲られれば全て丸く収まるのではないですかねぇ」

誰かの発した一言に、会議場は思わず静まり返った。
ラングディールが皇帝を横目で見れば、当の皇帝は冷え切った目で周囲を睥睨している。
余計な一言を、という周囲の空気を尻目に、皇帝は重い口を開いた。

「メルサディールは、帝位に関して興味が無いと言っている。ならば、無理矢理にそれを与えるような事は本意ではなかろう」

心にもないことを、とラングディールは内心で笑う。
メルサディールから継承権を取り上げようと無茶をしたのは知っている。それでメルサディールの機嫌を、大きく損ねたことも。
この世界で、神の寵愛を受ける勇者という称号が持つ重みは、馬鹿にはできない。
なにより…。

「それに、勇者が帝位の座につくのは、前例を鑑みても懸命とは言い難い。再びあのような事件によって「帝国」が滅ぼされるような事態だけは、避けねばならない」

前例、という言葉に、重鎮たちはどこか互いに目を見合わせている。

(…勇者ガルガリの物語、か)

原初の勇者ガルガリ。彼の国は一夜にして滅んだというそれに、縁起の悪さを感じるものもいる。人々は昔話ながらも勇者という存在への畏怖を、無意識の内に抱いているのだ。
たった一人で軍勢を相手にできるその力量。ならば、それが自らへ向けられれば、それはどれほどの被害となりうるのか。
そしてメルサディールが、帝国を滅ぼさないという保証は、どこにもない。

とはいえ、そんな邪推じみた話に、ラングディールは内心で嘲笑った。
相手の人柄を見ずに能力だけで価値を見定める。なるほど、つまり彼らが見ているのはメルサディールという人間ではないのだ。

(人を縛り付けるもっとも効率的な手法は、情だ。情深いメルサディールが、そのようなことを成す理由が無いだろう…)

しかし、それを議員たちは見ていない。否、見えていない。
勇者という品番で期待と恐れを抱く彼らに、ラングディールは呆れながらも目を伏せ、会議を続けるべく口を開いた。

「では、ヴェシレアへの侵攻を念頭に置きながら、次の議題へ向かう」


※※※


後宮へ向かう大廊下の途中で、ラングディールは向かいから来る相手へ、目を細める。
お付きの者を従える女王のようなそれに、思わず口を開いていた。

「これは、ジュレイゼル公爵。久しぶりだな」

それに、エリエンディール・マグリア・ジュレイゼル・セラヴァルス…長い真っ直ぐな黒髪を持つ中年の女性は、ヒクリと引きつる口元を扇で隠していた。

「あ、あら、ラングディールお兄様。御機嫌よう…」
「メルサディールの行方が知れて以降、ずっと病床で臥せっていたと聞いていたが、もう体は大丈夫なのか?」
「ええ、お陰様で…」
「そのようだな。遊覧会にも欠席していたので、心配していたのだ。お前の身に何かがあれば皇家としても一大事だからな」

欠片もそうは感じさせない口調に、エリエンディールも扇の向こうで顔を歪めている。
そして、明らかにラングディールを避けるように、さっさと歩を進めた。

「…失礼、そろそろお茶の時間ですので…」
「そうそう、エリエンディール。フスト伯についてだが」

その一言に、エリエンディール片眉をしかめて立ち止まった。そんな相手を横目で見据えながら、ラングディールは調べについていたことを告げる。

「君のお気に入りの伯爵が、どうやら皇族殺しに加担していた事が明らかになった。実に残念なことだ。彼の成したことは我が帝国にとって、大きな損失でもある。すまないが、口利きはできないと思っていてくれたまえ」
「フスト…ああ、あの。伯爵はいったい何を行いましたの?」
「ハディール皇子殺害だそうだ。随分と前のことだが、仮にも帝位継承権保持者の暗殺事件だからな。私の指揮にて改めて調査したところ、いろいろとやましい事実が出てきた」

大きく年の離れたハディールについて、ラングディールは多くは知らない。だが、メルサディールが手紙にて調べてくれるように頼まれて調査した結果が、これ。

「どうやらフスト伯はいくつかの仲介者を経て、犯行に及んだようだな。その先が何者かはまだわからないが、いつかは辿り着けるだろう」
「…そう、ですの。それが実ることをお祈り申し上げますわ」
「ありがとう、エリエンディール。君も気になるだろうから、伝えておこうと思ってな。そう、メルサディールをいたく可愛がってた、君ならば」
「…失礼しますわ!」

ギリッと歯をかみ鳴らしながら、エリエンディールは足音高く去っていく。
その背を見送ることもなく、ラングディールはただ、鼻で嘲笑った。
公爵家へ嫁いでも、帝位継承権第二位である彼女の継承権は、まだ失われていない。だからか、相変わらず野心深くあるようだ。

「相変わらず、蝙蝠のように取り入ることだけは得意だな」

かつてエリエンディールは、メルサディールを敵視していた。理由は、彼女が帝位継承権を保持する特別な子供だったからだ。そう、エリエンディールと同じ、特別な黒。
そのためにメルサディールを苛め抜き、冤罪をかぶせて修道院に追いやったのだ。皇帝にうまく取り入るのが得意な姉は、引っ込み思案だった妹を追い出した。それを知ったラングディールとしては、幼稚だ、という意見しか出ない。
そんな彼女ならば、同じく帝位継承権を持つハディール暗殺事件に、一枚噛んでいるだろうと睨んでいるのだが。

「どのみち、邪魔な石ころは道から蹴り飛ばすに限る」

ラングディールにとって、帝国の繁栄こそがもっとも重要視すべきことだ。だからそれの足を引っ張る邪魔者は、必要ない。
彼は実利主義で計算高い人物だ。
メルサディールを幼い頃から何かと擁護してきたのも、彼女に利用価値があったからに他ならない。決して兄弟間の情という代物で、守ってきたわけではないのだ。彼にとって家族とは、さして重要ではないが利用価値の有る絆であると認識している。
結果として彼女が勇者という存在に大化けしたのは驚いたが、過去の投資が無駄にならずに済んで、ほくそ笑んだほどだ。
逆に、エリエンディールは復讐を恐れて、ビクビクしているようだが。
もともと、彼は第一王子にして帝位継承権第一位という、次期皇帝の座に最も近い存在なのだが、ラングディール自身は自らが皇帝の器であると思っていない。母は正妃ではなかったし、カリスマが無いのだと自覚していた。だから、勇者というカリスマを持つメルサディールに、帝国の繁栄のために礎となってもらいたがっているのだが、その返答は芳しくなかった。

(我が皇帝陛下も、頑迷でいらっしゃるようだしな)

皇帝は、どうにも国の繁栄よりも、自らの地位に固執しているようだ、とラングディールは思っていた。もう老齢の粋に達し、いつ世代交代してもおかしくはないというのに、未だにそこから離れる気はないらしい。それどころか、自らの権益を固めようと必死になっている様子。
そんな良くない現状に、ラングディールとしてはため息しか出ない。

(…しかし、どうにもきな臭いな)

ラングディールは思い悩みながら、窓の外から城下を見下ろす。

今回のヴェシレア侵攻に関して、以前から徴候があったとは言え、どちらかと言えば帝国側の挑発行為にヴェシレアが危機感を抱いて防衛を固めようとしている、というのが正しい。実際、ラドリオンのアレギシセル侯爵へ命じて国境付近に兵力を固めているのだから、当然とも言えよう。
それを理由に攻め込もうとする現状に、なにか作為的な意図を感じ取っていたのだ。

(父上が戦争を言い出したのはつい最近…やはり、不穏な者たちが陛下の身辺にいるようだな…候補としては、あの商人か)

数年前から出入りするようになった、魔法士の商人。名は知られておらず、にも関わらず、皇帝自らが招き入れたという、不詳の男。
白髪白目の老人の姿を思い起こし、ラングディールは胸中で呟く。

(もしも件の商人が陛下を唆しているというのならば、元老院の幾人かもあちら側か…陛下が戦争を望まれるようになった時期とは一致している。ひょっとしたら、メルサディールの手紙に書いてあった「虚無教」の手先の可能性もありうる…あるいは、ヴェシレアにも)

先日より、大々的に教会から発布された神々の予言。
虚無教という世界の敵集団への弾圧は、既に開始されている。
数が少ない地下組織のようなカルト集団故に居場所の把握が難しいが、帝都で暗躍していたらしき連中の隠れ家は全て抑えている。だが、まだ頭目らしき者は捕まっていない。
そして、連続して起こっている騒動の数々。
この間起こった南大陸の大規模失踪事件に、ドワーフ王国の街が一つ丸ごと原因不明な爆発で消え、ネーンパルラのエルフの森の一部が丸々焼かれた。ヴェシレア南側の渓谷でも、雨も降っていないのに大洪水が発生して下流の村落が流され、また数十もの小村が疫病にて全滅したと。

どうにも、ゲンニ大陸中に、何かよからぬ流れを感じているのだ。

(18年前とは違う…作為的な騒動、自然すら利用するこれが、何者かの意志だというのならば…連中はどれほど巨大な存在だというのだ?)

魔法でも不可能な事を成しえる相手に、ラングディールは冷や汗が流れるのを感じた。
やはり、これはメルサディールに出てきてもらわねば不味いかもしれない、と思いながら、足を動かそうとした。

「ラングディール殿下!」

と、そこで部下の一人が、早足でやってきた。
何事か、とラングディールが目を向ければ、見知った部下は敬礼しつつ手紙を差し出した。

「あの方よりご連絡が」

差出人に眉を上げ、ラングディールは受け取った手紙の封を切って、中身に目を通した。

…そして、いつも冷徹な彼の表情が、珍しく間の抜けた驚きに包まれたのである。


※※※


「デグゼラスが戦争をしたがっているようだぜ」

王の一言に、円座に並ぶ者たちは顔を見合わせた。

ここはヴェシレアの王宮、会議場の一室だ。南方民族の末裔らしく、岩石を切り出して建てられた建築は北方のそれよりずっと頑強に見え、飾られる調度品もまた違った趣向を凝らしている。
その広い間、豪奢な絨毯が敷かれたそこの上座に座るのは、獅子のしっぽと耳と鬣を持つ、獣のような大男である。
彼こそが半獣の国ヴェシレアの頂点に君臨する王、名はヴァリル。
豪放磊落なその人柄から、半獣達からは多いに慕われているのである。
同じく、円座に座る歴々の戦士でもある者たちは、自らの王の言葉に殺気立っていた。

「へへ、以前は途中で終わっちまったが、今度は終わらせてやるぜ…王!一番槍は是非ともこのボレクに!」

一人の犬耳の大男が、力こぶを作って言えば、

「馬鹿野郎、誰が犬っころ一人に任せられるかってんだ!先鋒はガル氏族が行うって昔から決まってんだよ!」

狼の耳を持つ壮年の男が横から口を出し、互いに胸倉掴んでの睨み合い。

「時代遅れの爺さんは引っ込んでろ!」
「あんだとこらぁ!?シメてやろうかチビ犬が!」
「てめぇが出れば前みたいに戦場で負傷してキャンキャン鳴く羽目になるだろうぜぇ!」
「隅で震えてたお前が言えたことか若造が!」
「おいおい、喧嘩は他所でやれよ」

王の前とも思えない罵詈雑言の嵐だが、当の王は気にした様子もなく杯を呷っている。
そんな中、傍に控える豹の尻尾を持つ剣士へ、ヴァリル王は尋ねる。

「カシウス、お前はどう見る?」
「…解せませんな」

カシウスと呼ばれた剣士は、ちらりと勢力図を見ながら言う。

「内部情報によれば、デグゼラスはまだ軍備が整っていない状況だそうです。カルヴァンという魔法専門の兵科が増えたとはいえ、その運用は未知数。ラドリオンの魔法騎兵隊とは、練度も防備も比べられる代物ではないでしょうな」
「にもかかわらず、連中は攻め込んで来やがるか…グゥ、先代め、厄介な火種を残していきやがって」

唸りながら、ヴァリル王は壁に掛けられた先代王の絵画を睨めつける。土地欲しさにデグゼラスと事を構え、結局はデグゼラス側の大砲や魔法による攻撃で痛い目を見たのだ。とはいえ、頑強な半獣側の被害は、人間側ほどでは無いのだが。

「となれば、やはり懸念事項は勇者か」
「…ええ」

勇者メルサディールの存在は、戦争が起きつつあるヴェシレアにとっては、頭の痛い存在である。彼女は光の神殿へ向かうために南大陸へやってきたのだが、当の神殿が存在する森は東側、ラドリオンの領地なのでヴェシレアは勇者と交流していないのだ。
メルサディールが神界に帰ったと聞いて胸を撫で下ろしたのもしばらく、最近になって再び名が上がったそれに、ヴェシレアは戦々恐々としていた。

「…しかし、勇者か。たいそう強いらしいな」
「ディア族をたった一人で屠る規格外っぷりは、まさしく勇者様に違いないな」
「なんの!勇者だろうと何だろうと、戦場では一瞬の油断が命取りじゃ!我がホレイ氏族が忍び寄って勇者を暗殺してみましょうぞ!」
「やめとけやめとけ、勇者を敵に回す事の方がリスクがでかい。直接、喧嘩売って勝てるなんざ思うべきじゃねえよ」

ディア族からの派生部族であるホレイ氏族は、トカゲの尾と鱗を持つ亜人部族だ。そして姿を消す魔法を生まれながらに体得している。特徴は目がギョロ目ででかい事だ。

「やっぱなぁ、勇者にあてがう人選、間違ってたんじゃねえのか?」

ヴァリル王がガシガシと豊満なアゴヒゲを掻きつつ言えば、周囲の半獣も首を振る。

「王、それはもう言いっこなしですぞ」
「って言ってもなぁ、例の縁談が円満に終わりゃ、こんなことにはならなかったんだし」
「人間のことでもっとも詳しいってことで、例の侯爵をお相手にしたが、まさかワイン浴びせられて帰ってくるとはのぅ」

メルのお相手に選ばれた件の豚侯爵は、半獣では珍しく人間好きであると評判であった。のだが、その好きとはつまり特殊嗜好の好きであって、ようはゲテモノ趣味でもあった。

「まさか、勇者相手に「今後はずっと俺様に従い、傅け!」とか言い放つとは…まさに予想外だ」
「ヤツ曰く、人間の女は強気で攻めればイチコロだぜ、ってことらしいが…」

侯爵は、人間の奴隷を多数所有しているせいだろう。いろいろと間違えまくっていたようだ。
なお、当の侯爵は怒り心頭で帰ってきたのだが、事情を聞いたヴァリル王にぶん殴られてから王命で爵位没収されたようだ。今頃、太った体を痩せさせながら、通りで物乞いでもしているだろう。
現実逃避気味に酒を呷るヴァリル王へ、カシウスは最終意向を尋ねた。

「ともあれ、王。如何致しますか」
「………むぅ、勇者が居るとなればアレだが…居なけりゃ問題はない。勇者は博愛主義者だって話だし、以前と同じく戦争にも乗り気じゃねえはずだ。カシウス、なんとしても勇者をこちらに引き込めないか探ってこい。もともと、やっこさんは帝国でも鼻つまみモンだったんだからな」
「御意」
「そんで、各部族に通達しろ。戦争が始まる、ってな。招集と選任は族長のお前らに任せるが、ホレイ氏族とジャイラ氏族はそのまま国境へ向かえ。砦の建築を優先することと、ラドリオン側を斥候して情報収集だ」
「おう!」
「うむ!」
「ガル氏族、サルス氏族は集まり次第、国境へ行け。できるだけ早期に頼むぞ」
「「お任せあれ!」」

そのような塩梅で指示を出し終え、ヴァリル王は最後に一同を見て言った。

「始祖の名を騙る偽モン共に、ヴェシレアをくれてやる義理はない。我らが血と魂にかけて、連中を蹴散らしてやれ!」

王の言葉に応じるように気勢を上げる者たち。
それ目に映しながらも、一人、カシウスは薄暗い瞳で虚空を眺めていた。


・・・・・・


「…なるほど、ますます戦争に現実味が帯びてきたようだね」
「……はい」

昼間にも関わらず、窓の木戸を締めている室内は、異様なほどに薄暗い。しかしそこに座る人物は、さしたる弊害が無いように手元の書類をめくっている。
その人物、赤髪のアーメリーンは、薄っすらと笑って報告に来た男へ言った。

「実に良い兆候だ…あちらの同輩も上手くやっているようだし、これでゲンニ大陸に災厄を起こすことができる。よくやったよ、カシウス」

豹の半獣は、一切の表情を動かさずに、ただ恍惚の眼差しでアーメリーンを見ている。そんな相手を一瞥すらせず、アーメリーンは指を鳴らして命じる。

「それでは、引き続き王城での諜報を続けろ。何かがあればすぐに私へ連絡を」
「…御意、我が主」

魅了された男は、そのまま騎士の礼をして退出する。
それを横目に、アーメリーンは書類をテーブルに放ってから、赤い瞳を煌めかせる。

「この瞳も便利だな。まさに、我らのために誂えたかのようだ…まあ、我が主はその狙いで私を作ったのだろうが」

ふ、ふ、ふ、と途切れるような笑みを漏らす。どこか暗い影を帯びた声色は、薄暗い部屋の闇に飲まれて消えていく。

「もうすぐか…もうすぐ、辿り着く。彼らがそれに間に合うかは、彼ら次第だが…まあ、期待して待とうか」

呟きながら、アーメリーンは過去を思い出すようにふっと窓を見てから、ひっそりと部屋を出た。

…外は、まるで夜のように真っ暗だった。それに目を眇めながら、アーメリーンはそこ…ヴェシレアの壁街の路地を、悠々と散歩するように歩く。ここは断崖を掘って作られた鉱山跡地であり、排斥された人々が住み着いている裏の界隈。故に、陽の光は差さない、年中暗闇の場所だった。
道を進んでいけば、スラムとなっている領域へ辿り着く。歪に掘り出された建築の合間の道は、歪みながらも迷路のようにどこまでも続いていく。通りには砂利や石塊、汚物やゴミが散乱し、天井も高いとは言えない場所ばかり。
それでも、道行く浮浪者や柄の悪い者たちは、アーメリーンを見て恐れるように逃げ去っていく。

「………懐かしいな」

ある通りに辿り着き、アーメリーンは道端に座り込んだ。誰も通らないそこは静かで、暗くて、まるで世界から取り残されたかのような場所だった。
そこで、かつてのように天を見上げて、彼女は物思いに耽る。
…天井には小さな穴が空いていて、そこから一筋の光が入り込んでいた。
僅かなそれは、ここでは見られない、空だった。

アーメリーンは、ここで生まれ、育った。

常に飢餓に悩まされ、飢えた獣のように徘徊し、弱い浮浪者を襲って糧を奪っていた。

「…人間を食ったのは、いつだったか」

常に飢えに追われていた浮浪児は、遂に弱っていた人間を殺した。わざとではなかったが、特に感慨もなかった。この世は弱肉強食、死者へ悼む心持ちなど、元からなかった。
しかし、地に落ちる血を目にして、ふと良案が浮かんだ気がした。

―――そうだ、人間を食べよう。

「………」

アーメリーンは、暗い瞳で路地の奥を見つめる。
まるで、いつかそこから、誰かが迎えに来るかもしれない、と思っているかのように。

「…馬鹿だな、そんな筈はないのに」

自嘲染みた笑いを貼り付けながらも、彼女はずっとそこに座り込んでいる。

…不意に、チカッと空から輝きが差した。

「……ケルト」

天を見上げる。
空いた穴から見えるのは、輝かしいばかりの陽光。
この時間、微かな間にだけ、太陽はその姿を晒す。

それを、かつての頃のように、眩しそうに見上げながら、アーメリーンは呟いた。

「…君は、まるであの光のような人だね」

焦がれるようなそれは、何かを求めているかのような感情を乗せて、彼女の周囲を去っていく…。

「ああ、終わりが待ち遠しいよ。ケルト」


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