私は彼のメイド人形

満月丸

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 カノンから東へ進んだ地は、ヘッセム卿の所領している土地となります。なので、行き先を南西から南へ直進した先、村から数時間程度の位置に、ヘッセムの領主館がありました。
 屋敷の周辺だけは水が豊富なようで、荒廃していた周囲とはまったく様相が違います。庭木は生い茂り、緑は溢れ、綺麗に整えられていますが、なんというか人工的な匂いが感じられますね。しかし屋敷を一歩出たらそこは岩だらけの荒野。なにこのギャップ。
 後に聞いた話では、水を操る魔法使いを何十人も雇っているようで、その人達の苦労あっての緑のようで。金で道理を蹴っ飛ばす様に思わず遠い目をしてしまいます。
 庭の向こうの大きな屋敷、というよりは城と言っても差し支えないそれは、まさにヘッセム家の威信を表したかのような有様です。半分くらい我が家にも欲しいものですね。
 で、その領主館を訪れたのですが、ヘッセム卿は事業のために王都へ帰っていて不在とのこと。家令の人が申し訳無さそうに頭を下げてきますが、ラクル様は仕方ないとばかりに頷きます。

「わかった。それじゃ、当初の予定通りにあいつへ奴隷を売るか」

 あ~……嫌な予感がバッチリ当たりましたよ。思わずガン見しますも、ラクル様は素知らぬ顔。ヘッセム卿の奴隷ってアレでしょう? ツバキ達みたいな扱いされるんでしょう? 嫌ですよ私、あんな扱いされた挙げ句に放り捨てるとか、女性として見逃せません。
 という眼光を察したのか、ラクル様はため息を吐いてから言います。

「で、ザリナの奴は居るんだろうな?」

 え、ザリナ? 居るんですか?
 私達二人だけ応接室に案内され(他の人達は別室で休んでます)、家令の人が「それでは呼んで参ります」と出ていったのを合図に相手を見てみれば、ラクル様は手をひらひら。

「王都を発つ前にザリナからの手紙があってな、寒いからパパと一緒に南の館で冬季休みを過ごす、とな」

 手紙って二十日以上前の話ですよね? 学園の冬季休みは年末の数日だけなんですが……まあ、あの調子ですしゴリ押しして休学してきたんでしょうね。ザリナらしく。
 ……ああでも、もう年末なんですよね。王都を発って既に年を越しそうとは、早いものです。ま、こちらの世界に年越しとか年末行事なんて無いんですが。

「あの奴隷たちはザリナに預ける。すぐクビにされるかもしれんが、ああ見えて面倒見は良いほうだ、と思う。変な癇癪を起こさなきゃ大丈夫だろう、たぶん、きっとな」

 自信のなさが節々から滲み出ていますねぇ。それほどまでにザリナの行動は予測不可という事なんでしょうか。乙女心は秋の空、ザリナの心は夏の台風ですね。

「あら、珍しいじゃない。あんたがうちに帰ってくるなんて!」

 バッターンと扉を開けてどでーんっと登場したのは、我らがザリナ。あいも変わらず不変的なぽっちゃり体型と金髪ドリル、安心感すら抱いてしまいますね。

「よお、実は奴隷が手に入ってな」
「ふん、奴隷ねぇ。パパならそこそこの値段で買い取ってくれるんじゃないの?」
「王都まで行くのは面倒でな。いっそ、こっちで引き取ってもらった方が都合がいい。路銀にもなるし」

 人を売り買いする会話とは思えませんねぇ。
 ラクル様のかなり端折った経緯を聞いて、ザリナはお茶菓子をバリバリ食べながらゴックンと飲み干します。

「ふぅん……大方、どこかの犯罪奴隷かしらね。襲撃されたどこの誰かは知らないけど、その商人はご愁傷さまだわ!」
「で、いくらで買ってくれる?」

 ラクル様の問いに、ザリナはしばし思案してから、ベルを思いっきりガンガンガンガンと鳴らします。人を呼ぶ音じゃないですよね。
 耳を塞いでいると、入ってきたのは先程の家令の人。その人へ命じて持ってこさせたのは、銀貨の袋。
 そこから一山取り出して、テーブルに載せます。わお、大金! でも奴隷の価格としてはお安い!

「あたしねぇ、そろそろ新しい使用人が欲しかったのよ。だからあんたの申し出はと~ってもありがたいのよね。忙しいパパに頼むのも大変だから」

 ヘッセム卿、ここへ娘さんと一緒に来た割には忙しかったんですかね。あの口ぶりからすると。
 ザリナは目を細めて笑みを広げます。

「だけど、一から使い物になるように指導するのって面倒なのよ。このあいだ、生意気な事を言ってきたあたし付きの使用人を数名辞めさせちゃったから、新しく入れるにしても指導はしなきゃいけないでしょ? ここのメイド長にやらせてもいいんだけど、仕込むのに時間がかかるって言うのよね。忌々しいことに」

 なんという強権、なんという行きあたりばったり。なんだか雲行きが怪しくなってきましたよ。

「だから、もしあんたがその奴隷たちの教育をしてくれるのなら」

 そしてザリナは銀貨の山を3つ、新たにテーブルへ乗せました。

「これくらいで買ってあげるわ」
「……サービス料金にしちゃ随分と値上がりするな」
「あたしは奴隷を低く買い取るわよ。別に嫌ならカノンまで行って売れば良いんじゃない? まあカノンは表立って奴隷売買なんてやってないし、最近じゃ奴隷の価格自体がまた上がってきたからか、足元見ようとする奴隷商が増えたそうよ。都合よく質の良い奴隷商が居るかどうかなんて、わからないけどね~」

 ああ、なんかもう足元を見られてますよね、これ。最初の一山の時点でツバキたちを購入した時より少ない額ですもの。サービス料金込みでようやく逼迫するくらい。嫌な話ですが女性の奴隷だと値段が上がるそうなので、確実に安値を掲示してきてます。
 ラクル様、かなり面倒くさそうな顔をしていましたが、遂には折れたように首を振りました。

「わかった、売ってやるよこの守銭奴め! 一週間で使い物にしてやるよ!」
「あら、契約成立かしら? 互いにいい買い物ができて良かったわねぇ」

 にまにま笑いでラクル様を虐めてるようですけど、意外とザリナって商魂たくましいんですね。奴隷の相場を抑えてますし、話を聞いた短時間でこの交渉を思いついているのなら、普通に商才があるんじゃありません? さすが奴隷商人の娘。でもなんだか罵倒みたいですね。

「仕方ねぇ、時間が取られるが……メアリ、あの奴隷共を躾けろ。一週間以内にだ」
「承知いたしました」

 面倒がこちらにまで波及してきましたが、致し方ありません。主人の苦難はメイドの苦難、全力で新人教育をこなしてみせましょう!
 と意気込んでいれば、ヤケ混じりにお茶をズズズ―っと飲んでいたラクル様が、こんな事を。

「それで、従業員へ暇を出して、お前の商会は順調なのか? 使用人が従業員なんだろ?」

 ……んん? 商会って……ヘッセム商会ですよね? でもお前のって点から、まさかとは思いますが。

「だから困ってんじゃない。パパに手紙は送ってるんだけどね、なーんかちょっと前から南の奴隷を沢山王都へ仕入れるんだって張り切ってるのよ。数人あたしにくれてもいいのに」

 おやおやぁ、ヘッセム卿は奴隷を南部から大量に? それってまさかとは思いますが……。

「……ヘッセムめ、新たに南方民族から攫ってきてやがるのか?」
「違うわよ、それなら領民を集めて武装させてから向かってるわ。なんか2週間前くらいから北部へ逃げてきた連中をカノンが捕まえてるらしいのよ。それでパパが独占して安く買い叩いた連中を、王都で競りに出してるみたい。カノンって奴隷売買はやってないから、うちは近場の奴隷商会として利用してもらってるってわけ」

 いや、そっちもそっちでどうなんですかね、そりゃ敵国同士ですから違法入国は罪だとは言え。もしこちらと交易をしているという友好的な部族だったら、どうするつもりだったんでしょうかね?
 しかし、多数の人間が北部へ逃げてきたとは。キナ臭いですね。

「逃亡者、か。南部で何か起きたのか……」
「どうせまた部族抗争でしょ、武力で他部族を捻じ伏せて統合するのがあっちの流儀、20年前の戦争で部族がバラバラになったって聞くし、その辺の侵略戦争でしょ。ま、バラバラのお陰でこっちと交易してくれる太鼓持ちな部族もいるんだし、それが気に食わない連中が起こしたんじゃないのぉ? まったく野蛮人どもだわ」

 戦争ですかね、サフィちゃんの東の噂話でもありましたが、どこもかしくも戦争の匂いだらけで嫌になりますね。
 ……でも、抗争なら別に北へ逃げてこなくても良いでしょうに。敵地だってあっちもわかってるでしょうにねぇ。よっぽど大きな戦争なんでしょうか。

「で、そのおかげであたしはパパと連絡がつかなくて、こうして奴隷待ちしてたってわけ。まったく、パパも気が利かないわよね! これじゃ王都のお店からの泣き言が止まないままだわ!」
「王都のお店、ねぇ。まさか、はした金で初めた商会ごっこが、ほどほどにでかくなるとはなぁ。お前も自分の資金を持ってるんだから、買いに行けばいいだろうに」
「あたし個人が買うならともかく、奴隷を商会が直接仕入れるのはうちの商会の流儀じゃないの。ブランドイメージが崩れると客足が遠のくじゃない。うちは庶民向けの、弁当屋よ?」

 ……ん”ん”っ!?
 な、なんか、いろいろと聞き捨てならない情報が目白押しでパンクしそうなんですが……あのザリナが商会? しかも庶民向けの弁当屋? いやいやいや、どこをどう見てもガラじゃないですよね。だってザリナですよ? 庶民なんて路端の石ころ程度にしか思ってないぽっちゃり系悪役令嬢のザリナが、その庶民向けの弁当屋を経営するとか……イメージが……。

「改めて聞いても、絶対に弁当屋とかお前向きじゃないよな。どう考えてもお前は食べる方だ」
「あによ、失礼ね! これでも売れ行きは良いほうなのよ! そもそも、庶民の食事はレパートリーが少ないのよ。あたしが開拓する前の弁当系列のほとんどが、パン切ってキュウリを挟んで重ねた程度の、味もしない代物しか無いなんて! だからあたしが開発させたのは、パンに肉や調味料をつけて挟んだり、チーズを焼いて味付けしたような、いつもよりちょっと奮発したお弁当よ。値段もちょっと高いけど好評なのよ。最近じゃ別店でもホットサンドを売りに出してて、こっちも広まりつつあるわ」

 へぇ……サンドイッチのレパートリーを増やした立役者なんですか……あれ、食料品店のお姉さん推薦の喫茶店、ホットサンドの評判が良かったようですけど、あそこってまさかザリナのお店? えぇ……?

「この国は安価な価格で美味しいものを食べられるような市場を作ってこなかったから、あたしが開拓してるってわけ。手付かずの鉱山みたいなもんだわ。……ま、その弁当屋の一ヶ月分の収入と、貴族向けの香水一つが同じくらいってのは嫌になるけどね。ったく、庶民ってほんっとうにドが付く貧乏よね!」
 
 ああ、ここでも世知辛い話が……それがザリナの口から出てくる事に、妙な非現実感を醸し出します。絶対に世知辛さと無縁な人だと思ってましたから、尚の事。
 しかし、例の奴隷娘達をザリナの使用人、兼、従業員として働かせるとは。そのお弁当屋というのはどういうお店なんでしょうかね。なんだか興味が湧いてまいりました。

 ……というのを、ザリナとの会話を終えて、客間へ戻ってから尋ねてみたところ。

「なんだ、お前知らなかったのか」

 ラクル様は少し意外そうに眉を上げて、それから悪戯げに笑いました。

「うちの屋敷に届ける食料品は、ザリナの商会のものだぞ」

 …………しょ、食料品店の業者のお姉さんは、ザリナのメイドさんだったんですか……ぜんっぜん気づかなかった……。
 しかし言われてみればその通りで、あの初期の人間不信なラクル様が、その辺のお店で食べ物を買うわけがなかったんですね。なるほど納得。
 次にお姉さんに会う時は、是非ともザリナの私生活を根掘り葉掘り聞き出しましょう、そうしましょう。

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