私は彼のメイド人形

満月丸

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「どうしてそんな事、するんですか」

 俯く彼女が小さな、しかしはっきりとわかる声色でそう言えば、目の前の男は少しだけ意外そうに眉を動かした。
 会う度に成される理不尽な行いに、彼女はうんざりしてきた。時には髪を掴まれる事もある、まるで奴隷のような扱い。
 そんな現状に、彼女は諦めにも似た気持ちで受け流していたのだが、親友が目の前の男に食ってかかり揉み合いになったのを見て、さすがの彼女も堪忍袋の緒が切れた。

「セーレ、駄目よ! 下がっていなさい」
「いいの、カティア……ねえ、ラクル様。どうして貴方はいつも、そんな事をするんですか? そんなに私が憎いですか」
「憎いだと?」

 目の前の男、ラクルは鼻で笑いながら、ふてぶてしくこう言った。

「そうだな、憎いぞ? ただの隠し子風情が、まるで貴族の一員かのように振る舞ってやがる。お前なんか、力がなければ何の価値もないゴミみたいな存在のくせに」
「だから、私に酷い事をするんですか。こんな暴力まがいな事をして、多くの人を悲しませて、周囲全てを手にして……そんな自己満足のために?」
「ちっ、ペラペラ無駄口を叩きやがる。二度とそんな口が利けないようにしてやろうか、あぁ?」

 柄悪くラクルが迫れば、傍に控えていたメイドが無雑作に近づいてくる。その硬質的で無機質な顔に彼女は心の底から震えたが、しかし決して顔を下げはしなかった。

「私を殴りたいなら、殴ればいいわ。好きに何でもすればいい。でも友達を傷つけるのだけはやめて。それだけは絶対に許せない」
「許せないから何だってんだ、この端女風情が……この俺そんな口を聞いたことを後悔させてやるぞ!」
「セーレ!」

 ラクルは彼女の髪を掴み、首に爪を立てて引き寄せる。ギリギリと遠慮会釈もなしに突き立てられるそれは、彼女の白い肌を傷つけただろう。
 しかしそれでも、彼女は目線を逸らすこともなく、その赤い瞳で目前の男の瞳を覗き込む。
 まるでルビーのような鮮烈な色合いは、彼女の意思に呼応するように、静かに瞬いた。

「どうして、そんな顔をするの?」

 不意に彼女が発した言葉に、腕が震えた。
 それには構わず、彼女は言葉を続ける。

「どうしてそんなに怯えているの。まるで小さな子供みたい。見るもの全てを拒絶して、そして一人なのを嘆いているみたい……貴方はどうしてそんな風に」
「……っ! 黙れ!!」

 ラクルが彼女を突き飛ばせば、彼女はふらりと蹌踉めいたが、決して倒れることはしなかった。
 しかし変わらず、その美しく煌めく瞳は、真っ直ぐ彼を見つめている。

「この、下劣な女の癖に……くだらねえことを宣いやがって……!!」

 そう言いつつも、ラクルは思わず視線を彷徨わせていた。その視線の先にあったものを見て、彼女は眉を潜める。

「貴方、ひょっとして……その人のことを……」
「……っ!!」

 全てを言う前にラクルは目を剥き、息荒く腕を振り払った。

「下らんっ!! お前の妄言にはうんざりだっ!!」

 そう叫び、ラクルは怒り肩で踵を返し、去ってしまう。
 友人が心配げに声をかけてくるのを呆然と聞き流しながら、彼女は胸中で得た、その奇妙な確証について考えていた。

・・・・・・・・・・・

「……来ちゃった」

 一人呟き、彼女はその古ぼけた屋敷の前で、所在なさげに佇んでいた。どう見ても人の手が長らく付けられていないであろうその外観は、どこからどう見ても幽霊屋敷だった。
 草が好き放題に生えまくっている前庭を通り過ぎ、門のノッカーへと手を伸ばすも、決心がつかずに固まったままに唸る。

「ううぅん……危ないのは確かなんだけどなぁ。でも気になるっちゃ、気になるし」

 彼女なりに婚約者の態度が気になった故の来訪ではある。別に、婚約者の家を尋ねるのは悪い事ではないのだが、相手は社交界に悪名をバラまきまくっているあの王子様である。自然と腰が引けてしまうのも、無理からぬことであろう。
 何度もうーんうーんと唸っていたのだが、ついに観念したかのように、ノッカーを思いっきり振った。
 のだが、

 ボギン!

「あ」

 ノッカーは錆びていたらしい。根元からポッキリ折れてしまったそれを手に、彼女は青ざめた顔でどうしようかとしばし考えていたが、とりあえずと家人に会ってから考えればいいか、と思考を放棄した。怒られたら土下座しよう。
 ともあれ、恐る恐る扉を覗く。
 軋んだ音を立てて開かれた玄関扉に頭を突っ込めば、やはり寒々しい玄関ホールがお出迎えする。

「本当にお化けでも出そうだわ……すみませ~ん!」

 もう一度、大きな声で尋ねてみるのだが、反応らしい反応はない。返事どころか衣擦れ一つすらしない。
 差し込む陽光に埃が反射してキラキラと舞い飛ぶその光景は、ここの住人の無頓着さをありありと表しているかのようだ。

「すみません~入りますよ~……入っちゃった。本当にこんなところに人が住んでいるのかしら」

 思わず彼女もそう思ってしまうくらいの閑静さである。
 抜き足差し足、やましいところは無い筈なのだが、なんとなく好奇心の駆られる儘に彼女は屋敷へと足を踏み入れる。必要最低限の掃除はされているようなのだが、少し廊下を逸れれば、きっちりと締め切られた窓と蜘蛛の巣にまみれた通路が見えた。明らかに人が踏み入れた気配がしない為、そちらに向かうことはやめておく。
 耳を澄ましてみても人の声は……、

「……あれ」

 意外な事に何か物音が聞こえた。ゴトン、と硬い何かが地面に叩きつけられたかのような、酷い音だ。
 二度目のそれに思わずビクリと体を震わせた彼女だったが、されどここまで来て帰るのも癪ではあるので、儘よとばかりに足早に向かった。
 通路の先、階段を上り、見知らぬ他人の家の中をそろそろと散策していると、締め切られて暗い廊下の先に、仄かな灯りが見えた。閉まりきっていない扉がわずかに開いていて、そこから室内の明かりが漏れているのだ。
 彼女は足音を殺しながらゆっくりと近づいて、そっと室内を覗き込んで……

 と同時に、鼻先を掠めて花瓶の破片が飛び散った。

「ひぇっ……!?」

 思わず漏れた悲鳴は、同時に起こった、けたたましい破裂音によって掻き消える。
 口を塞いだ彼女が驚きで硬直していると、再び室内から破裂するような音が響く。

「くそっ……ちくしょうっ…!!」

 ドガン、ドゴンと、規則正しく叩きつけられる何かの音。それは当たるを幸いとばかりに何かを叩き壊しているかのような音に聞こえた。
 二、三度瞬きをしてから、ゴクリと息を飲んだ彼女は覚悟を決めて、ゆっくりとドアの隙間に瞳を覗かせた。

 ……想像通り、室内は無残な惨状だった。
 壁紙は所々が剥がれ、絨毯すらもズタズタで、家具という家具は見るも無残に破壊されていた。
 その惨状の中心地で、剣を振り上げた一人の男が、人のような何かに叩きつけているのを見た。

 すわ殺人事件か! 遂にやってしまったのか!?

 などと混乱の渦中で思っている最中、冷静な自分がそれに気づく。倒れている人間からは、血が流れていなかったのだ。
 メイドの格好をしたその人形に、男は剣を何度も何度も突き立てている。振り下ろす度に口端から漏れるその呪詛は、もはや彼女には理解できない何かで満ち溢れている。
 幾度も同じ行為を繰り返していた彼は、汗が滴るばかりに疲弊した様子で、無造作に剣を取り落とした。その顔は俯いていて、表情を見ることはできない。
 しばしの沈黙の後、彼は膝を付いてから、無雑作に転がっていた人形の首を手に取った。

 ……メ、ア、リ

 低く小さく、その言葉を彼女は聞きとった。人形の名だろうか。
 そう思う間にも、彼は静かに首を抱きしめていた。小さく震えながら、まるで何かに耐えるかのように。
 震える呼吸の音だけが響く中、覗き見と言う大層体勢の悪い格好のまま、彼女は身じろぎ一つする事もできなかった。
 自分で壊しただろうに、その首を抱いて泣くだなんて、なんだか酷く不安定だと、彼女は思った。

 その時だ。

 彼の腕の中にいた人形が、不意に目を見開いてこちらを見たのだ。
 思わずゾクリとした彼女が鋭く息を吸った時、

「……誰だっ!?」

 彼が、こちらへ顔を向けたのだ。
 思わず発した間の抜けた大声で目が合ったそれに、彼女はだらだらと冷や汗を流した。

 これはもしかしなくとも、かなりヤバイ状況なのではないだろうか。明らかに踏み込んではいけない状況で踏み入ってしまっている手前、一切の言い訳が通用しない。激昂した相手に剣で切り捨てられたとしても文句は言えない立場だろう。むしろどうぞどうぞ首を差し出さねばならないような、そんな妄想が脳裏を掠めた時、

「……お、前、いつから……」

 完全に虚を衝かれた相手の顔を見て、彼女の直感はパトスの溢れ出るままに行動を実行した。

「ほんっとにすいませんでしたぁっっ!!!」

 謝罪である。しかも紛うことなき見事な土下座であった。
 唖然としている相手を置いてけぼりに、彼女は口早に全てを捲し立てる。

「お昼の時に思いっきり生意気言っちゃってて、それで謝罪しようと思ってたんですけど、ノックしても誰も出てこないし人の気配はないし玄関の鍵は開いてるしで、ひょっとしたら誰もいない間にひっそり死んでるじゃないかな~ってちょっと心配になっちゃって入ってきちゃっただけなんです、他意はなかったんですよ本当に、貴方が心配で心配でそれはもう」

「……何だお前は」

 驚愕から立ち直ったラクルから、理解できない何かを見る目をされた。
 明らかにゲテモノを見るような目をされているのだが、元は下町育ちで平民の彼女、その程度の視線など下町を通る貴族から常日頃から向けられていた代物だ。彼女にとっては屁でもない。
 しばし彼女は謝罪のポーズのまま、微動だにせず頭を下げ続けていた。これで許してもらえなかったらマジでどうしようという悩みが脳裏を掠めまくっていたのだが、いくら待てども剣が振り下ろされることはなかった。
 不意に、空気が動く。
 足音が彼女の頭の前までやってきて、頭上から声が降って来た。

「……パトリックの差し金か?」
「……へ?」

 思わず顔を上げて仰ぎ見るのだが、相手の表情は意外な事に能面のような真っ白で。
 血の気の引いてるそれに、彼女は思わず心配になった。

「大丈夫ですか? かなり顔色悪いですけど」
「……お前が来たせいで今日一番に気分が悪い」
「ええと、それはすみません……っ、ああっ!? 腕から思いっきり血が出てますよ!?」

 あわあわしながら立ち上がった彼女が、反射的にその手を取って傷を見る。ガラスで切ったのだろうか、鋭い裂傷から止めどなく血が滴り、服を汚していた。
 とりあえず止血を、と自分の着ていたスカートの端を引き裂いて、足が露出することも構わず相手の掌をぐるぐると巻いていく。一方、相手は仮にも淑女が目の前で足を大きく露出させると言う常識外れな事をしでかし、完全に言葉が無いようだった。
 とりあえず、なされるがままに黙っているので、彼女は必死な形相で応急処置を終えた。

「ふー、これで大丈夫!」
「……擦り傷程度で、大騒ぎな奴だな」
「何を言ってるんですか! 小さな傷が悪化して指を切り落とす羽目になるんですよ!? 傷を甘く見てはいけません!」
「…………不法侵入しておいて偉そうな物言いだな」

 その言葉でハッと再び我に返った彼女が必殺・土下座を敢行しようとするが、「やめろ見苦しい」という相手の言葉によってそれは阻止された。
 しかし、ここへ来て互いに無言になる。
 二人とも顔面は蒼白で、その空気はとてもではないが、穏健なものとは言い難い。

(うう……ど、どうしよ……)

 まるで沙汰を伝えられる罪人の面持ちで、じっと固まっていれば、

「……はぁぁ」

 先にあちらが音を上げたようだ。
 がしがしと髪を掻き上げながら、どことなく憑き物が落ちたかのような風貌で、そっぽを向いた。

「もういい、行け」
「え」
「とっとと目の前から失せろ。家に帰って、好きにこの事を言い触らせばいい……お前ら女が好きそうな噂話とかな」
「い、言いませんよこんなことっ!?」

 頓狂な声を上げるのだが、むしろ相手からますます怪訝な目をされる。

「何故だ? 癇癪持ちの暴力癖のある男が人形を抱きしめて泣いていたという、それだけの話だろう。それで被害者ぶりながら結婚破棄でも言い出せばいいだろう」
「え、ひょっとして泣いてたんですか?」
「…………」
「じゃあ尚更、そんなことは絶対に言い触らせませんよ! 女神様に誓ってここでのことは口外しないって宣言します! 烙印でも血判でもなんでもしますよ!」
「……何故だ。お前、俺のことが嫌いだろう。何故陥れない?」
「何故って……」

 その問いに彼女は困ったような顔で、されど小さな子供に対して言い含めるかのような優しい口調で答えた。

「嫌いでもなんでも、その人の傷に塩を塗るような行為はしちゃいけませんって、お父さんとお母さんに教えられましたから」

「……はっ、両親、か」

 ひどく物憂げで、疲れたような笑い。
 しかしそれも一瞬のこと、すぐに能面のような顔を貼り付けて、彼はそっぽを向いた。

「まあいい、今回のことは不問にしてやるからさっさと行け」
「えっと、本当にいいんですか?」
「くどい。それとも? 今ここでその首を刎ねられたいのか?」
「ひぇっ…! し、失礼しますぅっ!!」

 本気で凄まれて、彼女は涙目になりながら屋敷を飛び出した。スカートがやや不恰好になってしまっているが、そんなことを気にしてはいられない。
 彼女はそのまま脇目もふらずに、自宅となっている自分の屋敷へと逃げ込んだのである。

 自室で一息をついた頃、そこでようやく彼女は思い出した。

 そういえばあの人形、出る時はもう目が閉じていたけれど、どういうことだろう、と。

・・・・・・

「……何? ラクル・イズレルカの事について?」

 後日、彼女は学園の休み時間に、自主練中のグランへ会いに行っていた。グランは真面目で実直な人柄であり、よく彼女のことを気にかけてくれているので、こうして何度か相談に乗ってくれることもあったのだ。
 今日、彼女が尋ねたその名は予想外だったようで、ひどく難解な顔をされてしまった。

「えっと、ほ、ほらあたしって、あの人のことをなんにも知らないなぁって思って。まあ一応は婚約者だし~って」
「概ね、お前も知ってることだと思うが」

 そしてずらずらと挙げ連ねられる悪行の数々。中にはカティアへの暴行にも話が至り、彼女はかなり眉を顰めた。

「そんなことまで……あの人って何であんな風に、見境なしに人を傷つけるのかしら」
「さあな、あの男の心までは預かり知らん。パトリックにでも聞いたらどうだ、あいつなら知ってるかもしれん」
「いやぁ、でもそれはちょっとタブーって言うか」

 新参者の彼女であっても、あの腹違いの兄弟の間に横たわる大きく深い確執は、嫌が応でも察せることができる。彼女にとってパトリックは婚約者の乱暴癖から守ってくれるいい人なのだが、今更ながらにその心の深い所までは知らないのだなぁ、と思い返す。

「どちらにせよ、あの男に関して自ら近づく事はない。できるだけ遠ざかる……事は無理かもしれないが、こちらも可能な限り手を貸そう。何かがあれば言ってくれ」
「あら、意外に太っ腹なのね。それってあたしが同じ聖者候補だから?」
「お前のおかげで、討伐隊の犠牲がほとんどない。例年稀に見る快挙だからな」

 彼女の癒しの力は、グランにとってもありがたい存在のようだ。如何な青薔薇であろうとも、たった一人で全ての魔物から国民を守れるわけではないのだ。
 話もそこそこに切り上げ、立ち上がったところで、「あ、そうだ」と彼女は今思い出したことを尋ねた。

「そういえば、メアリって人、知ってる?」
「…………メアリ? それは……?」
「ラクルが呟いてたの、メアリって。誰のことかなぁ?」
「…………」

 グランはしばし黙したまま、いつもより眉間に皺を寄せて考え込んでいた。彼女が訝しげに顔を覗き込めば、その紫色の瞳が何か思い起こしたかのように、静かに瞬いた。

「……あの男がその名を言ったのならば、該当するのは一人しかいない」
「え?」
「あの男の家……イズレルカ家に侍女として仕え、ライザ・イズレルカの乳母姉妹として育った、メアリという女性」

 彼は、酷く苦々しい表情で、その事実を吐き出した。

「その名は、メアリ・ハートストン……かつて俺が敬愛した、叔母にあたる女性だ」

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