私は彼のメイド人形

満月丸

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「ふぅ、緊張したなぁ」

 サフィールは学園長の屋敷を訪ね、休学届けを出してオッケーをもらい、ほっと一息つきながら家路の道へついた。知らない貴族の家へ行くのは、平民感覚では緊張するものだ。失礼がないようガッチガチに神経を使いまくったお陰で、取り立てて大きなミスはなかった、と、思う。とはいえ、こちらの話にあちらは頭を抱えていたのだが。
 仕事が終わってルンルン気分で道を歩いていると、ふとサフィは見知った後ろ姿を見つけた気がして、そちらに目を凝らす。

「あれ、あの目立つ金髪の人は」

「はっはっはー! まさか君が私にお茶へ誘ってくれるとは、これは明日の空から槍が降ってくるんじゃないでしょうかねぇ!」
「息が小煩いぞ、そなたは少しは静かにできんのか」

 あの高らかに煩い男は、メアリに惚れていると公言している変態、ケフストリ・シエンツァ。
 その隣に佇む白銀の髪の美しい麗人は、アメルティト・ジャグハール。 
 同じ北の隣国からやってきた、麗しい二人組である。
 もっとも、サフィールはアメルティトの事を知らなかったのだが。
 しかし、

(二人の男女、妙に仲睦まじく、お茶に誘われどこかへ向かっている……これはまさか、)

 ―――浮気

 ピシャーン!とサフィールの脳裏に電撃が走った。

(そんな……あれだけメアリさんに愛の睦言を囁いていた人が、影でああして美人な人をひっかけて楽しそうに過ごしていただなんて……ケフさん……なんて人……!)

 サフィールの脳裏では昼ドラばりのドロドロとしたメロドラマが繰り広げられているようだった。
 綿が詰まった彼女の脳裏から発された強烈なインパルスに従い、彼女はズザァァァー!とスライディングしながら物陰に隠れ、前を歩く二人の後をつけて行く事にした。正直に言うとあまり隠れられていなかったのだが、あいにくと王都の人々は不審者に声をかけるほど親切ではなかったので、奇異の視線だけが集まるに終わった。
 そんなサフィールの奇怪な尾行は、二人がある喫茶店に入った事で終わりを告げる。サフィールがパトリックと一緒に入った、あの喫茶店だ。

「いらっしゃいませー……ええと、お客様……?」
「あ、お構いなく~」

 こそこそと不審者全開で入り込んだサフィに店員が声をかけたのだが、当人は植木鉢の合間から席に着いた2人を穴が開くほどに観察していた。「店に入ったんなら注文しろや」という店員の強い視線もなんのその、乙女回路全開のサフィは耳を澄まして二人の会話を盗み聞きしていた。

「それで、いったい私に何のご用ですかね、アメル」

 紅茶をオーダーしたケフが、飲み物が来る前にアメルへ尋ねた。笑みを浮かべてはいるのだが、その視線はお世辞にも良いものではない。
 一方、平民向けの店内がやや珍しいのか、アメルは少しだけ店内を見回した後、ようやく相手へ視線を戻した。

「王から帰ってくるように、と実家へ要望があったようだ」
(王?)
「そのようですね、私の実家からも手紙が来ていましたよ。国境が封鎖される前に戻って来いと」
(封鎖!?)

 かなり物騒なその内容にサフィールが驚き戸惑う中、二人の異国人は、店員が出した紅茶に舌鼓を打った。
 しばしの沈黙。

「東が何を考えているのやら妾にはわからぬが、グランがいる内は手を出さないとは思うのだがな」
「聖者、それも彼は攻撃性に特化した魔法を使う聖者ですからね。ナスタシア殿が手放そうとしないのも、わかるというものでしょう。まあそれで教会相手に喧嘩を売るのは、さすが理解できませんが。もしこの国が破門になってしまえば、民心は離れ、下手をすればクーデターが起きかねず、周辺諸国もその隙に目をつけるでしょう。特に南方の者たちは、この国に対してのヘイトが高まっていますから」
「復讐というわけか、それとも奴隷となった者たちを助け出そうとしているのか。烏合の衆の者達が次に攻め入るとしたら、万全を期してくるであろう。また疫病が流行りでもしない限り、20年前とは真逆の光景になるやもしれん。……まあ、それはこの国にも言えることだが」
「疫病ですか。それも、解決できちゃうかもしれませんね。私の友人は有能なので」
「ふむ、変わり種のペースティアか。そなたの友人は、おおむね有能か変人ばかりだからな。どうせなら引き抜いてきたらどうだ? 我が国王陛下は喜ばれるであろうな」
「ご冗談を、彼がイエスと言ったところで、お目付け役の姫騎士様に蹴飛ばされるのがオチですよ。私の美しい顔が蹴り飛ばされるなど、世界にとって重大な損失ですから」
「ふん、どうしようもない自信過剰の誇大妄想家め。少しはその性格を直したらどうだ。自重すれば姫様のお目に叶うこともあったろうに」
「はっはっは! それはこちらからお断りですよ。我らがお姫様は、顔は美しいのですが内面はそうでもありませんからね。トイレの度についてこようとする束縛癖をどうにかしない限り、ご結婚も難しいのでは」
「あいも変わらず不敬な男だな、そなたは」

 完全にサフィールを置いてきぼりに、彼らは歓談を続けている。その目まぐるしい内容から、とりあえず二人は隣国の話をしているという事は分かったのだが。

(で、でも、国境が封鎖って……ええと、グランってのは青薔薇って騎士様のことよね? その人がいるから、東……東の隣国と戦争しないでいる? ってこと? でもそのせいで教会と仲が悪くなって………ああもう、訳がわかんないわ!)

 全ての情報は寝耳に水で、彼女の処理能力を大きく超えている。かろうじて北の隣国アテスティアの姫君は束縛好きのヤンデレ気質だということはわかった。
 そんな混乱真っ最中のサフィールとは裏腹に、二人はどこか冷えた感じで会話を続けている。サフィはそこに横たわる空気から見て、二人の仲はあまり良くないんだろうな、と察する。
 しかし、ケフが紅茶に口をつけた時、アメルの銀の瞳にちらりと見えた色合いに、サフィールは「おや?」と思った。それは、直感だった。

「それで君は、実家に戻るのですか?」

 ケフの質問に、アメルは小首を傾げた。

「冗談を。妾はこの国の、未来の国母であるぞ。おめおめと実家に逃げ帰っては、ジャグハール公爵家の名に恥じる行いとなろう」
「相変わらずお堅いですねぇ。世間体よりも貴方の心の方が大事でしょうに」
「かく言う、そなたはどうなのだ。交換留学生であるそなたの方こそ、この国に留まるような理由はあるまい」

 そもそも、交換に出されていたアテスティア行きの留学生であるザリナは、既にこちらに帰ってきている。あまりケフがここに留まる理由はないのだ、とアメルは言った。
 しかしその問いに関して、ケフは愚問とばかりに髪をバッサァンとやった。

「あいにくと、私にはすべき使命がありますので」
「使命だと? チャランポランの権化のようなそなたが、一体誰にそのような使命を負わされたと言うのだ」
「もちろん」
「妖精という冗談は好かんぞ」
「つれないですねぇ。彼女だったら、それにもちゃんと頷いてくださいますのに」

 ため息まじりのケフの言葉で、アメルは僅かに眉をぴくりと動かした。気に食わない発言だったようだ。

「そなた、まだあのようなメイドを追いかけ回しているというのか。仮にも侯爵家の一員であるそなたが、隣国の王子の従者に色恋を仕掛けるなど、アテスティアの恥に等しい行いであろうぞ」
「おやおや、彼女の美しさを理解できないとは、アメル。やはり貴方と美的感覚を共有することはできませんねぇ。美しいものを美しいと思えないその心、古馴染みといえど理解の範疇を超えますよ」
「ぬかせ、放蕩者が」

 カチャン、と、やや乱暴にカップをソーサーに戻したアメルは、おもむろに席を立った。
 そして去り際に、その怜悧な瞳でケフを見下ろす。

「いい加減、自分の立場を理解するのだな、ケフストリ。国のために自らを捧げる覚悟もない者が、侯爵家を名乗るなど烏滸がましいとは思わんのか」

 そう言い捨ててから、彼女はカツカツと足音高く店から出て行ってしまった。

「どうにも、カリカリしていけませんね。人生、余裕がなければ花を愛でる暇もないでしょうにねぇ」

 ケフが何かへ触れるかのように宙へ指を差し出せば、光る何かが舞った、ように見えた。サフィが思わず目を凝らしてみても、そこには何もない。幻覚だろうか。
 不可解なそれに思わず怪訝な顔になった時、

「それで、何かご用でしょうか、お嬢さん」
「あ……」

 ケフはサフィールへ、誰もが惚れ惚れする、絵画のような微笑みを向けてきた。されど、疚しいところのあるサフィールにとっては、女神の微笑みの如く後ろめたいものであった。

「あ、あはは……! き、奇遇ですね、ケフストリ、様」
「ケフでよろしいですよ、代わりにこちらもサフィールとお呼びしても?」
「あ、全然構いませんよ!」

 ケフが対面の椅子へと掌を差し伸べるので、モゴモゴしつつもサフィールは観念して、彼の前に座った。
 そんな緊張しているサフィールの前で、ケフは白薔薇を一輪取り出しながら、それを愛でつつ口を開いた。

「見たところ、お屋敷の使いという感じではないようですね。それでいったい、どうして私の後をついて来たので?」
「あ~……そこまでバレてるんですね……」
「私には広い視野を持つ友達がいますからね」
「あ、あはは……えっと、その……ケフさんが他の女性と楽しそうに歩いてたから、つい」
「……ああ、なるほど」

 事情を悟ったらしきケフは、髪をバッサァンッと翻しながら、高らかに笑う。

「貴方のような美しいアネモネのごときお嬢さんが、私へ好意を寄せてくれるのはとてもありがたいのですが、生憎と私には既に心に決めたお方が」
「あ、すいません興味ないので」

 バッサリと一刀両断である。サフィ的にもこの手の男はあまり好きではない。

「まあそれは冗談なんですが」
「冗談だったんですか」
「君の懸念はわかっていますよ。私がメアリ以外の女性にうつつを抜かしているのではないか、と。確かに、私は花を愛でる趣味がありますし、彼女たちのような多種多様な花々こそが私という大輪の薔薇の彩らせるのに一番効果的、それ故に周囲へ侍らせていた、というのも確かです」
「堂々とクズ男のハーレム宣言するのはどうかと……」
「しかし問題はナッシング! 私とアメルとの間には、いかなる関係も生じてはおりません。古馴染みなのは確かですかね」

 相変わらず人の話を聞かない男である。分かっていたとはいえ、サフィールは少しげんなりしていた。
 しかし古馴染みという言葉にピンと来て、彼女は尋ねてみる。

「さっきの人……アメルさんって人とは、幼馴染なんですか?」
「いいえ? たまたま同じ国に生を受けた高貴な者同士、家同士の親交を持ってはいたのですが、生憎と私と彼女はとても相性が悪くて」
「ケフさんにも苦手な人がいるんですね」
「苦手という言葉には語弊がありますね。あちらが一方的に嫌っているというのが正しいでしょう。なんといっても彼女、幼い頃から私のことを『ダサい』だと『暗い』だのとボロクソに言ってくださいましたからね」
「そ、そんな風に言ってくる人なんですか」
「ええ、それはもう」

 ケフは遥かな過去を思い出すかの如く、遠い眼差しで天を仰いだ。

「今から10年も前のこと、シエンツェ家の私は家人が主催したパーティーに出席することになったのです。パーティーといっても社交界とは縁遠い、内々による簡単なものでしたが」
「そこで、アメルさんが居たんですか」
「そう、彼女はジャグハールの神童として、密やかに噂になっていました。大人顔負けな知識量、聡明な見識、6才とは思えないその態度に、周囲の大人達はこぞって彼女を持ち上げました。そして、父母は私を彼女の前へと連れ出したのです。当時はまだまだ若輩者だった私へ、少しは彼女の影響を与えられて性格を直して欲しいと言う、父母の願いもあったのでしょう」
「まあ、すごい性格をしてますもんね」
「おやおや、確かに今の私は完成された高嶺の花ですが、当時の私はそうでもありませんでした。妖精さん達から教えられた事実を受け入れることができず、周囲全ての人間が敵のように思えていたのです」

 その台詞に、サフィは思わず瞬きを繰り返した。

「その妖精っていうのは、さっき空中で何かやっていた時のですか」
「……ああ、君には見えるんですね。彼らの輝きが。ですが大半の人間は、全く見えないみたいで。だから私は幼少期から周囲に馴染むことができず、孤立していたわけです。実に根暗でだんまりな少年時代を送っていたものでした」

 なんとも、今の彼からは想像もできないような話である。
 そんなサフィの思いがわかったのか、ケフは微かに苦笑する。

「人に歴史ありと言うように、自己が明確に確立する前の人間は、今とは全く違ったりするものですよ。君のご主人様のようにね」
「ケフさんは……ご主人様のことを知ってたんですか」
「話だけは聞いていましたよ。彼らが教えてくれた。だから私にとっても浅からぬ因縁があるのだがね……まああちらは、そんなこと知りもしないだろうけど」

 少しだけ気難しい顔で言うケフ。その因縁というものがサフィは気になったのだが、ケフはそれ以上を話そうとはしなかった。

「まあともあれ、そんな今と比べてダメダメだった私の前に、あの利かん気の強い猫かぶりの女が現れたわけですよ。彼女は私を見るなり、こう言いました。『なんと無様な男だ。本当にお前がシエンツァの一人息子なのか?』とね。その言葉に私は激昂して、初めて会った彼女と喧嘩になってしまいましたよ」

 はっはっは! と朗らかに笑うのだが、その内容はとても意外である。

「意外と喧嘩早かったんですね。女の子と喧嘩しちゃうだなんて」
「彼女の言葉が癪に障ったんですよ。まあ当時の私は、まだ納得できてない部分が多かったので……彼女に悪意はなかったのでしょうが、それ以来、私と彼女は反りが合わないままでしてね」
「なるほど……ケフさんは、アメルさんが苦手ってことですね。でも……」

 サフィは少し俯いてから、先ほどちらっと見ただけの彼女の印象を、正直に話した。

「アメルさん、ケフさんのことを好きなんじゃないかな、って思えましたけどね」
「……なんですって? 彼女が?」
「ああ、えっと! あくまで私が思ったってだけなんですけどね。アメルさんがケフさんを見る時のあの目は……なんか、ケフさんを憎からず思ってるんじゃないかなぁって」
「…………彼女が?」

 ケフは胡乱げに眉間へ皺を寄せて虚空を見上げた。しかしそこに答えはなかったのか、少し首を振ってから、両手を上げた。

「まさか、顔を合わせれば罵詈雑言、向ける視線は絶対零度、その辛辣な一言は青少年のガラスのハートをド派手に粉砕すると評判なんですよ? 事実、彼女に近づいた男たちはそのことごとくが無残なまでに玉砕していました。彼女はそれほどまでに気位の高い女です」
「そ、そこまでの人なんですか……」
「そうでなければ、人形姫などと言う異名は取れないでしょうね。まあ、そういったあだ名をつけるのは、大抵が恋に破れた男の逆恨みか、あとは彼女の美貌に嫉妬した醜い女性達のどちらかでしょうか」

 ケフもわりと敵を作っていそうな性格をしているが、とサフィは思ったりするも、口には出さなかった。
 とはいえ、そうとまで言われればサフィールも少し自信がなくなってきたのか、八の字眉になりながらしょんぼりする。

「う~ん……それじゃあ、あたしの気のせいだったかもしれませんね。でもなぁ、アメルさんってなんか……」
「うん?」
「……メアリさんの事を話すケフさんを見る時の視線が……なんか、ひどく重々しいと言うか、嫉妬している感じがしたんですよね」
「嫉妬?」
「ええ。まるで恋敵を見るかのような視線っていうのかな。表情は変わらないんですけど、その時だけギラッとした目をするっていうか」

 サフィールは恋話が好きである。学園では割と噂話に上がることが多いせいか、彼女自身もその手の視線にやや敏感になっている。学園でもそれとなく彼女にアプローチしてくる男も多いが、そのほとんどの視線は良くないものなので、メアリの入れ知恵もあってサフィールは速攻で断って速攻で逃げている。
 当然、学園での子息子女達の誰それへ向ける愛を求める視線だとか、恋人同士の目配せなど、彼女は目敏く気付いているのだ。その点は鋭いニコライよりも上だと言えるだろう。もっとも、恋話をするような同僚が誰もいないので、今のところ活用できる目処はないのだが。
 そんなサフィールの所見に、ケフは少し気難しげに眉根を寄せている。

「……アメルが、か」
「ケフさんはどうするんですか? もしもアメルさんが、ケフさんのことを好きだったら」
「……まあ、私はともかく、彼女には既に婚約者がいるからね」
「でも婚約者って、パトリックさんですよね? パトリックさんはセーレという人が好きだったはずですが」
「パトリックに限って、自身の婚約を破棄するような、そんな迂闊な真似はしないさ。だがまぁ、もしも彼女が私のことを好きだというのならば……」

 ケフは、そこで初めて、今までと毛色の違う笑みを広げた。

「実は私、とても、意地悪なんだよね」

 傲岸不遜で悪意を内に秘めた、その表情。
 それを見たサフィールは驚きに目を開きながら、

(なんかケフさんって)

 どこか確信を持って、胸中で呟く。

(うちのご主人様にそっくりよね)

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