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第1章 天地開闢(その2)
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8月12日。
いつも通り、ドックフードとミルクを持ち寄った俺は、校舎の倉庫裏で小犬にご飯を食べさせていた。
栞菜はいない。
傾向的に、栞菜は早朝と午後にいる確率が高く、俺は正午と夕方によく来る。
「ふっ。やはり俺は、世界で一番幸運で不幸な男……」
「――その自己紹介、まだ使ってるのぉ?」
間延びした声が後ろから掛けられ、俺はおそるおそる振り向く。
「……なんだ、灯里か。この自己紹介は5年前に俺の弟を救ってくれた人がだな――」
「はいはい、その話はもう聞き飽きたよぉ」
ジャージ姿のショートヘア、癖っ毛とバンダナがトレードマークの女子生徒――俺の幼馴染の、星野灯里だ。他人が目を見張るほどデカい俺よりも、さらに一回りデカいのが特徴的だ。
「アンタがデカいって……寝言は寝てから言いなぁ?」
俺の頭をポンポンと叩く灯里。
「おいやめろッ」
せっかく成長期に入っている俺の身長が、止まってしまうではないか。
いつか俺が追い抜いた時に、絶対やり返してやる。めちゃくちゃ頭ポンポンしてやる。
「けいちゃんから聞いたよぉ? 最近、出歩くことが増えたって。こんな日にこんなところでなにしてんのさぁ? アンタ、学校に来る用事なんてそうないでしょぉ?」
「ふん。俺の偉大な一歩はたとえ家族といえど理解されにくいものだ」
「あれぇ? 小犬じゃなぁい! かぁわいいぃッ!♡」
「おい聞けよッ」
灯里が座り、小犬を覗き込む。
――ワンッ!
小犬は新顔の登場にも怯まず、興味深そうに近寄ってくる。
……ずいぶん人懐っこいな。
「おぉ元気だなぁ。ワンコロぉ、お手! お座り! チンチン!」
「おい、ヘンなことを吹き込むなよッ」
灯里は俺のクレームをものともせず、小犬を可愛がる。
「ねぇ、名前なんて言うのぉ?」
「足立克樹だ」
「そのツマラないボケはクーリングオフするわ」
「名前はまだない」
「……夏目漱石?」
「あっちは猫だろッ」
「名無しのワンちゃんかぁ」
「ちなみに俺は『ブラックダークネスシャドウ』って呼んでる」
「車道ちゃん? 変わった呼び名だねぇ」
「言語が違うッ」
「――んぅ? 名前がないのに、呼び名はあるんだぁ?」
「ああ。今は里親探し中だ。いずれ俺たちの手元から巣立つから、名前を付けると別れが悲しくなるだろ」
「……捨て犬だったんだぁ?」
「そうだ」
「ってことはぁ、見つけてまだ数日って感じ? 夏休みが終わるまで、自分たちで面倒見れるから、それがタイムリミットかなぁ?」
「……そうだ」
コイツはずぼらな見た目やのんびりとした口調と異なり、意外と鋭い。
「ふぅん。よく先公にバレなかったねぇ」
「まぁな。ここは穴場だ。用がなきゃ来ない場所だ。言っておくが、お前も口外するなよ?」
「分かってるって――」
「――誰ですか?」
俺と灯里が振り向く。
立っていたのは、栞菜だった。
「ああ。コイツは俺の幼馴染――星野灯里だ」
「あっそうなの。良かった~。誰かに見つかったのかと……」
ホッとする栞菜に分かりやすく事情を説明する俺。見知らぬ外国人にもよく話しかけられ、道案内をしてきた俺にとっては朝飯前だった。
「――誰?」
今度は灯里が俺に話しかけてきた。
割と目が据わったリアクションをする灯里に若干、意外に思いつつも同様に説明した。
「ああ。コイツは――」
かくかくしかじか。
「ふぅん、栞菜……ちゃんね。よろしくぅ」
「よろしくね」
俺を間に挟み、まったく歩み寄らずに挨拶をする2人。なんだか2人とも表情が固い。
「あっ、栞菜。コイツ、もう立ち上がって走り回れそうだ。段ボール箱から飛び出してきそうだぞ!」
「あっ、早太郎♡ 元気だったな~?♡」
「俺の話を聞け」
4日ほど共同作業をして分かったが、コイツは結構前に前に出るタイプだ。
「う~ん、ここに置いておくのも限界か……克樹くんは何か案でも思い浮かんだ?」
「浮かんでないぞ。いくら俺がIQ5000といえど、限界がある」
俺と栞菜が段ボール箱から出ようと前足を掛ける小犬について話していると、灯里が俺たちの間に顔を割り込ませて会話に混ざってくる。
「――栞菜ちゃんと克樹の2人で面倒を看ているのぉ?」
「おっ、おお、そうだぞ」「……ええ、まあ」
灯里は栞菜を一瞥すると、
「――灯里ん家で預かろうかぁ?」
「「え!」」
灯里は腕を組み、上体を反らしつつ言う。
「既に灯里たちは飼っているし、ずっと飼うとなるとムリだろうけど、夏休み中くらいなら、1匹増えるくらい、問題ないと思うよぉ」
「ほ、ほんと?」
「……うん」
栞菜が嬉しそうに反応して、灯里が頷く。
「いいのか?」
「もちろん。灯里も面倒見ることにしたから」
「「え!?」」
俺も栞菜も驚いた。
「なにぃ? 灯里がいるとダメなのぉ?」
むくれる灯里。
「いや、そんなことないぞッ! ありがとうッ! 灯里はいいヤツだなぁッ!」
「別にそんなことないし……」
偉大な俺がせっかくお礼を言っているのに、灯里は顔をそむけてボソボソ呟くだけだ。なぜだ。
「あっ――なるほどね」
「? なにか言ったか?」
「いや、なんにも」
栞菜が小声で言ったが、よく聞こえなかった。
「善は急げぇ。早く灯里ん家に行こー」
「行こうって……お前、部活動はどうしたんだよ」
「終わってからでいいよ。私たちここで待ってるから」
キャンキャン騒ぐ小犬をあやす栞菜。
「そうだな。あと1時間程度で終わりだろう?」
「……そうだけどぉ」
灯里は俺と栞菜を交互に見遣る。
「どうした?」「……ごめんね」
「なんでもない!」
灯里はむくれて走り去ってしまった。
「なんなんだ、アイツ?」
「……ヤレヤレ、仕方のない男ね」
「本当にな……って、男? 俺のことか?」
「あら、聞き違いじゃない? そんなことより――」
栞菜は小犬を抱き上げる。
――キャンキャンッ!
小犬は喜んで彼女の顔を舐める。
「あっ、こら! そんなところ舐めちゃダメだよ!」
言葉とは裏腹に笑顔を浮かべる栞菜。小犬に本当に懐かれているようだ。
「まったく、見せつけてくれるぜ。お前でこの懐き具合なら、俺に対してはどうなるんだろうなッ!」
栞菜から小犬を受け取る俺。
「きっと美女になって夜に現れて恩返しをしようとイッタァッッー-!!??」
俺は突然の痛みに小犬を地面に下ろす。
俺は痛みを覚えた“手”を見る。犬の歯形が残っていた。幸運にも血は出ていない。
「…………」
「…………」
――気まずい空気が流れる。
「か、噛まれた……?」
衝撃のあまり、言葉が続かない俺。
「きっと間違えたんじゃない? アナタがふざけて挙げた例は『鶴の恩返し』だもの。犬なのだから、そこは『花咲かじいさん』でしょうに」
「そこッ!?」
栞菜が小犬を再び抱き上げる。心なしか、小犬も申し訳なさそうに、クーン、と鳴く。
「血が出ていないけれど、念のため、病院に行ってきたら? この懐き具合から飼われていただろうし、狂犬病予防法があるからほぼ心配しなくていいと思うけど、念のため、ね」
「――ち、ちくしょうッ! これも未来の英雄たる俺に降りかかる試練なのかッ! ブラックダークネスシャドウめッ…………ふふ、フフフ、ふふふふ。さすがは世界で一番、幸運で不幸な男……ッ!」
時間が経つにつれショックが大きくなり、涙がちょちょぎれる俺。
栞菜はそんな俺を見て声を掛けてくれた。
「ところでアナタのその自己紹介、破綻していない? 幸運の対義語は不運で、不幸の対義語は幸福なのだから、文としては成立していても頭の悪さが露呈しているわ」
「泣きっ面にハチィッ!」
俺は悔し涙を心に浮かべ、病院に向かった。
――そして、そうこうして2日後の夜、8月14日。
「――つづく、と。今日の日記も面白くなったッ! 第4章もそろそろ終わりそうだが、そろそろ“転”が欲しいな……」
あの後、俺は親と病院に向かったが、何事もなかった。良かった。
小犬は無事に灯里ん家に預けられた。灯里の家族への説明や交渉も紆余曲折あったが、俺の活躍が少なかったため、そこは割愛する。
小犬は順調に元気になり、今や灯里ん家の庭を駆け回り、朝昼晩の散歩を俺と灯里と栞菜が持ち廻りで行うほどだ。それでも小犬は体力が有り余っているようで、灯里の弟たちも遊び相手が増えたと喜んでいた。
灯里が協力する姿勢を見せた時は動揺したが、結果オーライだった。
現在時刻は23時。あと1時間で8月15日だ。
「……そろそろ寝るか」
明日午前中は灯里と栞菜が部活動であるため、俺が散歩に連れて行く手筈だ。早起きするために寝てしまおう。
既に入浴などを済ませパジャマに着替え、寝支度を済ませている。
俺は日記を勉強机の引き出しに入れ、ベッドに入ろうと椅子から立ち上がる。
ふとカーテンが掛かった窓を見ると――
「ん?」
――チカリと何か光った気がした。
「…………」
カーテン、もとい窓を見ていると、閉じられたカーテンの隙間から光がチカチカと漏れ出す。
「……なんだ? ……近所の子供の悪戯か……?」
注意をしようとカーテンを開くと――、
『目覚めたな、我が勇者よ』
――金色に光る白い大型犬が宙に浮いていた。
窓から顔を出した俺を少し上から見下ろしていた。
「――――」
『どうした? 我が勇者よ』
「――え? あ、えーと……こんばんは?」
……いかんいかん。IQ5000の俺としたことが……目の前の光景を受け入れられずに呆然としてしまうとは……なんたる失態。
俺は気を取り直して、大型犬をジロジロと見る。
鳥のような翼や、ロケットのような噴射口もない。それに、サイヤ人のような舞空術を使っているわけでもなさそうだ。
未知の力で浮いている……という表現でいいのだろうか。いや、いかん。分からないモノを分かろうとしても、その知識と心の余裕が足りない。今はやめよう。
すー、はー。
「……オホンッ。えー、アナタはいったい……?」
『その話をする前に、場所を変えよう。ここでは人目を防ぐ手間がいるのでな』
大型犬は空中で身を翻し、背中を俺に見せる。
『乗りたまえ。共に行こう』
「――え?」
「――ハッ!? ここはどこだッ!?」
『むっ、目が覚めたか』
いつの間にか地面に寝転がっていた俺は、ガバッと身体を起こす。
周囲を見ると、木々が鬱蒼と茂っている。奥に鳥居が見えた。後ろには社がある。
真夜中に訪れることが少ないためすぐに分からなかったが、ここは地元の神社の敷地だろうか。
俺は立ち上がり、パジャマを叩き、付着していた土や砂を落とす。
俺はまだパジャマを着ていた。自分の姿を見ると変わったところはない。
『記憶がおぼろげか? 貴様は我の背中に乗った際、我の乗り心地の気持ちよさに放心していたのだ』
「え、ほんと?」
『ああ。やめてくれと全力で叫びながら、涙を流して喜んでいたぞ』
「それ、喜んでないヤツッ!」
『この者たちも目を覚ましたようだ。本題に入る前に状況説明をしておくように。我は準備をしてくる』
大型犬はそう言って、大ジャンプで夜空に消えていった。
俺は俺以外に2人、ここにいることに気が付いた。
2人はゆっくりと身を起こす。
「灯里!? 栞菜!?」
俺は幼馴染と心の友の名前をそれぞれ呼ぶ。
「――ん、え? あれ、ここどこぉ?」
「…………」
灯里は寝惚けた様子で目を擦り、まだウトウトとしている。栞菜は目覚めが良い方なのか、目を見開いた驚愕の表情で周囲を見回していた。
ベッドに着く直前だった俺とは異なり、2人とも既に就寝中だったようだ。
灯里はアイマスクとナイトキャップを付けており、半袖半ズボンの軽装に、膝上まで届く長靴下を履いていた。
栞菜は可愛いキャラクターを模した着ぐるみパジャマを着ていた。
俺はひとまず、寝惚けている灯里は置いておいて、栞菜に話しかける。
「――栞菜、何が起こっているかわかるか?」
「……克樹くんのソックリさんが喋ってる……」
「本人だよッ!」
かくかくしかじか。
「し、信じられないよぉ。これは夢なんじゃあ……」
「で、でも、この土や風、草木の匂い、優しく涼しげな月の光――そして、克樹くんのボケとツッコミっぷりは真に迫っているわ……」
「俺を基準にするなッ」
灯里は自分の頬を引っ張ったり、栞菜は地面を踏みしめている。2人は2人なりに現実を受け入れようとしていた。
「ねぇ、やっぱり、克樹が灯里たちを誘拐したと考えるのが妥当だよぉ」
「やはり……いつかやると思っていたけど、こんなに早く起こすとは」
「ちげぇって! 本当に光って大きくて白い犬が空を飛んでだなぁッ! お前らは寝ていたから――!」
『お、お待たせしましたッ』
灯里と栞菜に疑惑の目を向けられていた俺は、ようやく本人の登場かと喜んだ。
だが、その姿を見て――、
「――だれ?」
と、腑抜けた質問をしてしまった。
『あ、改めましてッ。貴方たちを連れだした大型犬ですッ。今は、人間モードに変わりまして……紛らわしくてごめんなさいッ』
深々と謝罪する女がいた。
「……犬じゃないじゃんッ」
『す、すみませんッ。姿を勝手に変えてしまってッ』
元“大型犬”の女は、ペコペコと頭を下げる。
片目を隠すほどの赤い長髪。灯里よりも一回りデカい身長。真夜中でも目立つ深紅の着物。そして、物腰柔らかな――いや、弱腰ともいえるほどの口調。
……正直信じられない。
『あっ、ああっ。う、疑われているッ。私、疑われていますぅッ。そ、そうですよね、急に現れて怪しいですよね、私ッ』
女はプルプルと震え、顔を手で覆う。
真夜中の深夜に、女の情緒不安定な言動を見て、彼女たちが動揺する。
「え、な、なに? だれなの、結局? 克樹くんのお姉さん?」
「俺にこんな姉貴はいねぇよ!」
「あっ、灯里知ってるよぉ。この人、不審者の顔してるぅ」
「こらっ、不審者に指を差してはいけませんッ」
『ふ、不審者じゃ……って、ハッ』
女は急に夜空を見上げる。
『いけないッ。そうだった、時間が足りないんだった』
女は慌てて俺たち3人に向き直る。
『私、ここ数週間、お世話になりました。“ブラックダークネスシャドウ”、またの名を、“早太郎”、またの名を、“ろっくん”でございますッ。御三方の甲斐甲斐しいお世話のおかげで、神通力を取り戻すことができました。此度は皆さんにお礼をしたく深夜に参ったのです』
いつも通り、ドックフードとミルクを持ち寄った俺は、校舎の倉庫裏で小犬にご飯を食べさせていた。
栞菜はいない。
傾向的に、栞菜は早朝と午後にいる確率が高く、俺は正午と夕方によく来る。
「ふっ。やはり俺は、世界で一番幸運で不幸な男……」
「――その自己紹介、まだ使ってるのぉ?」
間延びした声が後ろから掛けられ、俺はおそるおそる振り向く。
「……なんだ、灯里か。この自己紹介は5年前に俺の弟を救ってくれた人がだな――」
「はいはい、その話はもう聞き飽きたよぉ」
ジャージ姿のショートヘア、癖っ毛とバンダナがトレードマークの女子生徒――俺の幼馴染の、星野灯里だ。他人が目を見張るほどデカい俺よりも、さらに一回りデカいのが特徴的だ。
「アンタがデカいって……寝言は寝てから言いなぁ?」
俺の頭をポンポンと叩く灯里。
「おいやめろッ」
せっかく成長期に入っている俺の身長が、止まってしまうではないか。
いつか俺が追い抜いた時に、絶対やり返してやる。めちゃくちゃ頭ポンポンしてやる。
「けいちゃんから聞いたよぉ? 最近、出歩くことが増えたって。こんな日にこんなところでなにしてんのさぁ? アンタ、学校に来る用事なんてそうないでしょぉ?」
「ふん。俺の偉大な一歩はたとえ家族といえど理解されにくいものだ」
「あれぇ? 小犬じゃなぁい! かぁわいいぃッ!♡」
「おい聞けよッ」
灯里が座り、小犬を覗き込む。
――ワンッ!
小犬は新顔の登場にも怯まず、興味深そうに近寄ってくる。
……ずいぶん人懐っこいな。
「おぉ元気だなぁ。ワンコロぉ、お手! お座り! チンチン!」
「おい、ヘンなことを吹き込むなよッ」
灯里は俺のクレームをものともせず、小犬を可愛がる。
「ねぇ、名前なんて言うのぉ?」
「足立克樹だ」
「そのツマラないボケはクーリングオフするわ」
「名前はまだない」
「……夏目漱石?」
「あっちは猫だろッ」
「名無しのワンちゃんかぁ」
「ちなみに俺は『ブラックダークネスシャドウ』って呼んでる」
「車道ちゃん? 変わった呼び名だねぇ」
「言語が違うッ」
「――んぅ? 名前がないのに、呼び名はあるんだぁ?」
「ああ。今は里親探し中だ。いずれ俺たちの手元から巣立つから、名前を付けると別れが悲しくなるだろ」
「……捨て犬だったんだぁ?」
「そうだ」
「ってことはぁ、見つけてまだ数日って感じ? 夏休みが終わるまで、自分たちで面倒見れるから、それがタイムリミットかなぁ?」
「……そうだ」
コイツはずぼらな見た目やのんびりとした口調と異なり、意外と鋭い。
「ふぅん。よく先公にバレなかったねぇ」
「まぁな。ここは穴場だ。用がなきゃ来ない場所だ。言っておくが、お前も口外するなよ?」
「分かってるって――」
「――誰ですか?」
俺と灯里が振り向く。
立っていたのは、栞菜だった。
「ああ。コイツは俺の幼馴染――星野灯里だ」
「あっそうなの。良かった~。誰かに見つかったのかと……」
ホッとする栞菜に分かりやすく事情を説明する俺。見知らぬ外国人にもよく話しかけられ、道案内をしてきた俺にとっては朝飯前だった。
「――誰?」
今度は灯里が俺に話しかけてきた。
割と目が据わったリアクションをする灯里に若干、意外に思いつつも同様に説明した。
「ああ。コイツは――」
かくかくしかじか。
「ふぅん、栞菜……ちゃんね。よろしくぅ」
「よろしくね」
俺を間に挟み、まったく歩み寄らずに挨拶をする2人。なんだか2人とも表情が固い。
「あっ、栞菜。コイツ、もう立ち上がって走り回れそうだ。段ボール箱から飛び出してきそうだぞ!」
「あっ、早太郎♡ 元気だったな~?♡」
「俺の話を聞け」
4日ほど共同作業をして分かったが、コイツは結構前に前に出るタイプだ。
「う~ん、ここに置いておくのも限界か……克樹くんは何か案でも思い浮かんだ?」
「浮かんでないぞ。いくら俺がIQ5000といえど、限界がある」
俺と栞菜が段ボール箱から出ようと前足を掛ける小犬について話していると、灯里が俺たちの間に顔を割り込ませて会話に混ざってくる。
「――栞菜ちゃんと克樹の2人で面倒を看ているのぉ?」
「おっ、おお、そうだぞ」「……ええ、まあ」
灯里は栞菜を一瞥すると、
「――灯里ん家で預かろうかぁ?」
「「え!」」
灯里は腕を組み、上体を反らしつつ言う。
「既に灯里たちは飼っているし、ずっと飼うとなるとムリだろうけど、夏休み中くらいなら、1匹増えるくらい、問題ないと思うよぉ」
「ほ、ほんと?」
「……うん」
栞菜が嬉しそうに反応して、灯里が頷く。
「いいのか?」
「もちろん。灯里も面倒見ることにしたから」
「「え!?」」
俺も栞菜も驚いた。
「なにぃ? 灯里がいるとダメなのぉ?」
むくれる灯里。
「いや、そんなことないぞッ! ありがとうッ! 灯里はいいヤツだなぁッ!」
「別にそんなことないし……」
偉大な俺がせっかくお礼を言っているのに、灯里は顔をそむけてボソボソ呟くだけだ。なぜだ。
「あっ――なるほどね」
「? なにか言ったか?」
「いや、なんにも」
栞菜が小声で言ったが、よく聞こえなかった。
「善は急げぇ。早く灯里ん家に行こー」
「行こうって……お前、部活動はどうしたんだよ」
「終わってからでいいよ。私たちここで待ってるから」
キャンキャン騒ぐ小犬をあやす栞菜。
「そうだな。あと1時間程度で終わりだろう?」
「……そうだけどぉ」
灯里は俺と栞菜を交互に見遣る。
「どうした?」「……ごめんね」
「なんでもない!」
灯里はむくれて走り去ってしまった。
「なんなんだ、アイツ?」
「……ヤレヤレ、仕方のない男ね」
「本当にな……って、男? 俺のことか?」
「あら、聞き違いじゃない? そんなことより――」
栞菜は小犬を抱き上げる。
――キャンキャンッ!
小犬は喜んで彼女の顔を舐める。
「あっ、こら! そんなところ舐めちゃダメだよ!」
言葉とは裏腹に笑顔を浮かべる栞菜。小犬に本当に懐かれているようだ。
「まったく、見せつけてくれるぜ。お前でこの懐き具合なら、俺に対してはどうなるんだろうなッ!」
栞菜から小犬を受け取る俺。
「きっと美女になって夜に現れて恩返しをしようとイッタァッッー-!!??」
俺は突然の痛みに小犬を地面に下ろす。
俺は痛みを覚えた“手”を見る。犬の歯形が残っていた。幸運にも血は出ていない。
「…………」
「…………」
――気まずい空気が流れる。
「か、噛まれた……?」
衝撃のあまり、言葉が続かない俺。
「きっと間違えたんじゃない? アナタがふざけて挙げた例は『鶴の恩返し』だもの。犬なのだから、そこは『花咲かじいさん』でしょうに」
「そこッ!?」
栞菜が小犬を再び抱き上げる。心なしか、小犬も申し訳なさそうに、クーン、と鳴く。
「血が出ていないけれど、念のため、病院に行ってきたら? この懐き具合から飼われていただろうし、狂犬病予防法があるからほぼ心配しなくていいと思うけど、念のため、ね」
「――ち、ちくしょうッ! これも未来の英雄たる俺に降りかかる試練なのかッ! ブラックダークネスシャドウめッ…………ふふ、フフフ、ふふふふ。さすがは世界で一番、幸運で不幸な男……ッ!」
時間が経つにつれショックが大きくなり、涙がちょちょぎれる俺。
栞菜はそんな俺を見て声を掛けてくれた。
「ところでアナタのその自己紹介、破綻していない? 幸運の対義語は不運で、不幸の対義語は幸福なのだから、文としては成立していても頭の悪さが露呈しているわ」
「泣きっ面にハチィッ!」
俺は悔し涙を心に浮かべ、病院に向かった。
――そして、そうこうして2日後の夜、8月14日。
「――つづく、と。今日の日記も面白くなったッ! 第4章もそろそろ終わりそうだが、そろそろ“転”が欲しいな……」
あの後、俺は親と病院に向かったが、何事もなかった。良かった。
小犬は無事に灯里ん家に預けられた。灯里の家族への説明や交渉も紆余曲折あったが、俺の活躍が少なかったため、そこは割愛する。
小犬は順調に元気になり、今や灯里ん家の庭を駆け回り、朝昼晩の散歩を俺と灯里と栞菜が持ち廻りで行うほどだ。それでも小犬は体力が有り余っているようで、灯里の弟たちも遊び相手が増えたと喜んでいた。
灯里が協力する姿勢を見せた時は動揺したが、結果オーライだった。
現在時刻は23時。あと1時間で8月15日だ。
「……そろそろ寝るか」
明日午前中は灯里と栞菜が部活動であるため、俺が散歩に連れて行く手筈だ。早起きするために寝てしまおう。
既に入浴などを済ませパジャマに着替え、寝支度を済ませている。
俺は日記を勉強机の引き出しに入れ、ベッドに入ろうと椅子から立ち上がる。
ふとカーテンが掛かった窓を見ると――
「ん?」
――チカリと何か光った気がした。
「…………」
カーテン、もとい窓を見ていると、閉じられたカーテンの隙間から光がチカチカと漏れ出す。
「……なんだ? ……近所の子供の悪戯か……?」
注意をしようとカーテンを開くと――、
『目覚めたな、我が勇者よ』
――金色に光る白い大型犬が宙に浮いていた。
窓から顔を出した俺を少し上から見下ろしていた。
「――――」
『どうした? 我が勇者よ』
「――え? あ、えーと……こんばんは?」
……いかんいかん。IQ5000の俺としたことが……目の前の光景を受け入れられずに呆然としてしまうとは……なんたる失態。
俺は気を取り直して、大型犬をジロジロと見る。
鳥のような翼や、ロケットのような噴射口もない。それに、サイヤ人のような舞空術を使っているわけでもなさそうだ。
未知の力で浮いている……という表現でいいのだろうか。いや、いかん。分からないモノを分かろうとしても、その知識と心の余裕が足りない。今はやめよう。
すー、はー。
「……オホンッ。えー、アナタはいったい……?」
『その話をする前に、場所を変えよう。ここでは人目を防ぐ手間がいるのでな』
大型犬は空中で身を翻し、背中を俺に見せる。
『乗りたまえ。共に行こう』
「――え?」
「――ハッ!? ここはどこだッ!?」
『むっ、目が覚めたか』
いつの間にか地面に寝転がっていた俺は、ガバッと身体を起こす。
周囲を見ると、木々が鬱蒼と茂っている。奥に鳥居が見えた。後ろには社がある。
真夜中に訪れることが少ないためすぐに分からなかったが、ここは地元の神社の敷地だろうか。
俺は立ち上がり、パジャマを叩き、付着していた土や砂を落とす。
俺はまだパジャマを着ていた。自分の姿を見ると変わったところはない。
『記憶がおぼろげか? 貴様は我の背中に乗った際、我の乗り心地の気持ちよさに放心していたのだ』
「え、ほんと?」
『ああ。やめてくれと全力で叫びながら、涙を流して喜んでいたぞ』
「それ、喜んでないヤツッ!」
『この者たちも目を覚ましたようだ。本題に入る前に状況説明をしておくように。我は準備をしてくる』
大型犬はそう言って、大ジャンプで夜空に消えていった。
俺は俺以外に2人、ここにいることに気が付いた。
2人はゆっくりと身を起こす。
「灯里!? 栞菜!?」
俺は幼馴染と心の友の名前をそれぞれ呼ぶ。
「――ん、え? あれ、ここどこぉ?」
「…………」
灯里は寝惚けた様子で目を擦り、まだウトウトとしている。栞菜は目覚めが良い方なのか、目を見開いた驚愕の表情で周囲を見回していた。
ベッドに着く直前だった俺とは異なり、2人とも既に就寝中だったようだ。
灯里はアイマスクとナイトキャップを付けており、半袖半ズボンの軽装に、膝上まで届く長靴下を履いていた。
栞菜は可愛いキャラクターを模した着ぐるみパジャマを着ていた。
俺はひとまず、寝惚けている灯里は置いておいて、栞菜に話しかける。
「――栞菜、何が起こっているかわかるか?」
「……克樹くんのソックリさんが喋ってる……」
「本人だよッ!」
かくかくしかじか。
「し、信じられないよぉ。これは夢なんじゃあ……」
「で、でも、この土や風、草木の匂い、優しく涼しげな月の光――そして、克樹くんのボケとツッコミっぷりは真に迫っているわ……」
「俺を基準にするなッ」
灯里は自分の頬を引っ張ったり、栞菜は地面を踏みしめている。2人は2人なりに現実を受け入れようとしていた。
「ねぇ、やっぱり、克樹が灯里たちを誘拐したと考えるのが妥当だよぉ」
「やはり……いつかやると思っていたけど、こんなに早く起こすとは」
「ちげぇって! 本当に光って大きくて白い犬が空を飛んでだなぁッ! お前らは寝ていたから――!」
『お、お待たせしましたッ』
灯里と栞菜に疑惑の目を向けられていた俺は、ようやく本人の登場かと喜んだ。
だが、その姿を見て――、
「――だれ?」
と、腑抜けた質問をしてしまった。
『あ、改めましてッ。貴方たちを連れだした大型犬ですッ。今は、人間モードに変わりまして……紛らわしくてごめんなさいッ』
深々と謝罪する女がいた。
「……犬じゃないじゃんッ」
『す、すみませんッ。姿を勝手に変えてしまってッ』
元“大型犬”の女は、ペコペコと頭を下げる。
片目を隠すほどの赤い長髪。灯里よりも一回りデカい身長。真夜中でも目立つ深紅の着物。そして、物腰柔らかな――いや、弱腰ともいえるほどの口調。
……正直信じられない。
『あっ、ああっ。う、疑われているッ。私、疑われていますぅッ。そ、そうですよね、急に現れて怪しいですよね、私ッ』
女はプルプルと震え、顔を手で覆う。
真夜中の深夜に、女の情緒不安定な言動を見て、彼女たちが動揺する。
「え、な、なに? だれなの、結局? 克樹くんのお姉さん?」
「俺にこんな姉貴はいねぇよ!」
「あっ、灯里知ってるよぉ。この人、不審者の顔してるぅ」
「こらっ、不審者に指を差してはいけませんッ」
『ふ、不審者じゃ……って、ハッ』
女は急に夜空を見上げる。
『いけないッ。そうだった、時間が足りないんだった』
女は慌てて俺たち3人に向き直る。
『私、ここ数週間、お世話になりました。“ブラックダークネスシャドウ”、またの名を、“早太郎”、またの名を、“ろっくん”でございますッ。御三方の甲斐甲斐しいお世話のおかげで、神通力を取り戻すことができました。此度は皆さんにお礼をしたく深夜に参ったのです』
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校長室ならば必ず置かれている黒いソファ。
しかしそれが何のために置かれているのか、考えたことはあるだろうか。
座面にこびりついた幾つもの染みが、その真実を物語る
スケートリンクでバイトしてたら大惨事を目撃した件
フルーツパフェ
大衆娯楽
比較的気温の高い今年もようやく冬らしい気候になりました。
寒くなって本格的になるのがスケートリンク場。
プロもアマチュアも関係なしに氷上を滑る女の子達ですが、なぜかスカートを履いた女の子が多い?
そんな格好していたら転んだ時に大変・・・・・・ほら、言わんこっちゃない!
スケートリンクでアルバイトをする男性の些細な日常コメディです。
クラスメイトの美少女と無人島に流された件
桜井正宗
青春
修学旅行で離島へ向かう最中――悪天候に見舞われ、台風が直撃。船が沈没した。
高校二年の早坂 啓(はやさか てつ)は、気づくと砂浜で寝ていた。周囲を見渡すとクラスメイトで美少女の天音 愛(あまね まな)が隣に倒れていた。
どうやら、漂流して流されていたようだった。
帰ろうにも島は『無人島』。
しばらくは島で生きていくしかなくなった。天音と共に無人島サバイバルをしていくのだが……クラスの女子が次々に見つかり、やがてハーレムに。
男一人と女子十五人で……取り合いに発展!?
就職面接の感ドコロ!?
フルーツパフェ
大衆娯楽
今や十年前とは真逆の、売り手市場の就職活動。
学生達は賃金と休暇を貪欲に追い求め、いつ送られてくるかわからない採用辞退メールに怯えながら、それでも優秀な人材を発掘しようとしていた。
その業務ストレスのせいだろうか。
ある面接官は、女子学生達のリクルートスーツに興奮する性癖を備え、仕事のストレスから面接の現場を愉しむことに決めたのだった。
蘇生魔法を授かった僕は戦闘不能の前衛(♀)を何度も復活させる
フルーツパフェ
大衆娯楽
転移した異世界で唯一、蘇生魔法を授かった僕。
一緒にパーティーを組めば絶対に死ぬ(死んだままになる)ことがない。
そんな口コミがいつの間にか広まって、同じく異世界転移した同業者(多くは女子)から引っ張りだこに!
寛容な僕は彼女達の申し出に快諾するが条件が一つだけ。
――実は僕、他の戦闘スキルは皆無なんです
そういうわけでパーティーメンバーが前衛に立って死ぬ気で僕を守ることになる。
大丈夫、一度死んでも蘇生魔法で復活させてあげるから。
相互利益はあるはずなのに、どこか鬼畜な匂いがするファンタジー、ここに開幕。
小学生最後の夏休みに近所に住む2つ上のお姉さんとお風呂に入った話
矢木羽研
青春
「……もしよかったら先輩もご一緒に、どうですか?」
「あら、いいのかしら」
夕食を作りに来てくれた近所のお姉さんを冗談のつもりでお風呂に誘ったら……?
微笑ましくも甘酸っぱい、ひと夏の思い出。
※性的なシーンはありませんが裸体描写があるのでR15にしています。
※小説家になろうでも同内容で投稿しています。
※2022年8月の「第5回ほっこり・じんわり大賞」にエントリーしていました。
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