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第1章 天地開闢(その1)

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「俺の名は足立克樹(あだちかつき)――世界で一番幸運で不幸な男!」

 中学の入学式の後、クラスに分かれたあとオリエンテーションを行うことになっている。
1年G組、男女38人のクラスメイトは順番に自己紹介をすることになった。

 足立克樹――それが俺の名前だ。
 出席番号1番。一番最初の自己紹介が俺だった。

 自信満々に自己紹介をした結果、大成功を収め、俺はこのクラスで人気者になった。
 短い休憩時間で俺に話しかけようとする者は、常に互いを牽制し合い、睨み合う。その末、結局誰も俺に話しかけられる者はいない。

 6月の年間行事であった、遠足でもそうだった。

 班分けを指示されたクラスメイトは俺の人気を独占することを恐れ、最後まで俺を選ぶことはなく、俺は教師に名指しで、最後まで余った者たちをまとめるよう依願された。

 俺は快くそれを受け入れ、見事にクラスの日陰者たちをまとめ上げたのだった。
 その結果、俺のクラスでの評価が更にウナギ登りになったことは、言うまでもないだろう。



「――兄ちゃん。その前向きな性格は美徳ではあるけれど、ちゃんと自分のことは客観視してくれよ」

 自宅の2階にある俺の部屋に、弟――足立慶太(あだちけいた)が顔を出し、俺に話しかけた。

 慶太は、俺の1つ下の弟、小学6年生。
 俺と比べて非常に頭が良い優等生で、自慢の弟だ。

 両親の教育方針で今年、私立の中学校を受験することになった。それが半年後に控えているせいか、ここ最近はカリカリしている。

「何を言う。夏休みの日記に嘘偽りは書けん。ありのままの事実をそのまま書くのに、俺も多少の気恥ずかしさは感じるが、仕方ないのだ」
「……夏休みの日記には、“夏休みの日記”を書くものだよ、兄ちゃん。前書きや前置きは要らないから、本題に入りなよ」

「それは不親切だろう? もし俺のことを知らない人が見た場合、何が何だか分からないことになる」
「学校の宿題なんだから、赤の他人が読めるはずないじゃん」

「それを現実に起こすところが、俺のスゴいところさッ。慶太、忘れたのか? 5年前、お前が交通事故に遭った時に救った――」
「――いい加減にしてッ!」
 俺の発言を慶太が遮った。

「もう中学生なんだから、現実を見てよッ! 兄ちゃんは”普通の人”なんだよッ! から学校の状況を聞かされる、おれの身にもなってよッ!」
 言うだけ言って、慶太は部屋から立ち去った。

 今日、あいつは塾の夏期講習があるからそれに向かったのだろう。
 慶太の叫びを心の中で反芻していた俺は、カレンダーが目に入った時にふと思い出す。

「――あっ、しまった。今日は俺が当番か」

 今日は8月8日。

 俺が所属している美化委員会は夏休みの間、日替わりで校庭の花壇に水遣りを行うことになっていた。
 俺は久しぶりに猛暑の中、中学校に向かったのであった。



「――あれ?」
 正午、意気揚々と校庭を訪れた俺は、花壇の土が湿っていることに気が付く。
 水を溜めたジョウロを手に、校庭にある全ての花壇を見廻った。

 ――やはり、どう見ても水遣りを終えている。

 今日の水遣り担当は俺だ。それはiPhoneに保存している担当表をしっかり確認したから間違いない。
 IQ5000の俺はすぐに気が付いた。

「――怪奇現象だッ!」

 今日は8月8日。
 こうしちゃいられないと、俺はすぐに帰宅しようとする。
 ジョウロに溜めた水は勿体ないのでバケツに移し替え、自宅で育てているヒマワリにやることにした。

 水を溜めたバケツをえっさほっさと運ぶ俺。
 道中、同級生と思われる制服を着た女子生徒を見つけた。

 俺が通う中学校はカバンの色で学年を区別している。彼女の背負うカバンが俺と同じ橙色であったから、同級生と分かった。

 彼女は道端に立ちぼうけ、彼女のものと思われる日傘を道端にかざしていた。

「――おいっ、そこで何をしている」
「――!? なっ、誰ですか、アナタッ! 警察呼びますよッ!?」
 急に俺に話しかけられた女子生徒は驚き、振り向きながら飛び退いた。その拍子に日傘は地面に落ちる。

 彼女は眼鏡をかけていて、三つ編みをユラユラと揺らす。身長はやや低め。俺は紳士なのでどことは言わないが、発育が良いことが伺える。
 彼女の手にはどこから取り出したのか、防犯ブザーが握られていた。

「おいおい、俺を知らないって、お前、モグリか? 俺の名前は足立克樹。世界で一番幸運で不幸な男とは、俺のことだぜッ」
「……あっ!? アナタがあの、“G組の不審者”――足立克樹! ……さん」
「そう! “G組の裏番長”こと、足立克樹だ! ……ん?」

 俺は彼女がいた道端に目を向けると、段ボール箱が置かれていた。
 そしてその中には――弱った小犬がいた。

「……これは、捨て犬か?」
「――多分」
 互いに同級生と分かったものの警戒を未だ解かない彼女は、防犯ブザーを握りしめつつ、俺に恐る恐る近づき、日傘を拾う。

 俺は座り込み、犬の様子を伺う。
「……脱水症状を起こしているな。急いで水を飲ませないとッ」
 俺は自分が持っていたバケツの水を手で掬い、小犬に飲んでもらえるように口元に持っていく。

 しかし、弱った小犬はぐったりとしており、水を飲むことができない。

「……くそッ! 飲まないッ!」
「そうなの。呼びかけても何の反応もなくて――どうしよう」

「スポイトみたいなものがあれば口に流し込めるんだが……ッ」
「――スポイト」
 彼女はそう呟くと、カバンの中からスポイトを取り出した。

「これ使ってッ! 未使用のものだから大丈夫!」
「サンキュー! って、なんで持ち歩いてんだよッ!?」

「私、化学部だから。部活動の一環で家に道具を持ち帰ろうと……って、今はいいから、早くッ!」
 俺は急かされるままに、スポイトで小犬に水を流し込む。

 何度か繰り返すと――、
 ――ケホッ、ケホッ。
 小犬は咳込んだ。

「意識が――ッ」
 女子生徒は喜びの声を上げる。

 俺は小犬が元気になったことに心の中で喜びつつ、一切動揺せず、冷静沈着に水を飲ませ続けた。

 その甲斐あってか、小犬は目を薄く開く。

「――日陰に連れて、休ませよう」
「う、うん」

「ついでに、ご飯を買ってきてくれないか? 犬用のウェットフードを頼む。あ、えーと……」
「……あっ。私は――天道栞菜(てんどうかんな)。1年B組、出席番号14番」
 彼女は買ってきてくれ、その後も俺と栞菜は小犬の面倒を看た。



 相談の結果、小犬と段ボール箱は校舎の隅にポツンとある倉庫の陰に移した。

 時刻は14時頃。太陽がジリジリと照り付け、蒸し暑い夏真っ盛りだ。
 一日中、日陰になるところを見つけられて良かった。そうでなければ、また熱中症を起こすのではないかと気が気でなかった。

 お互いの家は犬が飼えず(俺は親が犬アレルギー、栞菜はペット禁止のマンション住み)、公園や公道に置くと悪戯や保健所に連れていかれるかもしれないと考えてのことだった。
 いつまでも学校の敷地内に置いておけないが、今は後回しにした。

 水を飲めるほど回復したとはいえ、油断は禁物。元気に走り回れるまで見守ることになった。

「……でも、本当は保健所に連絡しないといけないんだよね」
 栞菜が悲しそうにつぶやいた。

「――飼い主になってくれる人を探そう。夏休み中は教師も部活動に気を取られて気が付かないはずだ。夏休みが終わるまでに見つければいいんだ」
 俺はそういってiPhoneを見る。今日は8月8日。夏休みが終わるのもあと3週間程度だ。
 初めての里親探しをするにあたって、時間が少ないのかすら分からない。

「里親探しをポスターで宣伝するか。SNSで探してもいいが、遠方の人には頼みにくいし、俺たちの住所が割れる可能性もある。近所で見つけ出せると、俺たちも気軽に会えるしな……」
 ふと、栞菜が俺を見ているのに気づく。

「? どうした?」
「あ、いえ、何も」

 栞菜は誤魔化すように話題を変える。
「そういえば、どうしてバケツで水を持っていたの?」

 ああ、それか――と俺は言った。
「俺は美化委員会でな。今日は花壇の水遣りの当番だから、校舎に来たんだが……既に誰かに遣られていたんだ」
 ちなみに、バケツはちゃんと校舎の元の場所に戻しておいた。

「そうだ! 早く怪奇現象を調べないと! ≪花壇の水遣り幽霊の謎≫! これは日記の特大見出しになるぞ! 残り3週間に亘り続く、長期連載日記だ!」
「あ、それは……って、え? 何を言っているの?」

「職員室で話題沸騰! 生徒間にも出回るほどの大ウケ! SNSに上げられて即日100万リツイート達成! テレビからのインタビュー! 雑誌の特集! 止まぬ電話、メール、インターホン! 書籍化! 漫画化! ドラマ化! 映画化! 文明開化! 歴史に名を残す俺の覇道は、今日から始まるんだッ!」
「ちょちょちょッ!? ちょっと待って!? ちょっと待って!? ほんとに待って!?」

「ん、なんだ? サインの話ならもちろんお前が第一号だぜ? 心の友であるお前には、これから何百回ものインタビューに答えてもらうことになるからな。そのお礼で――」

「――私!」
「ん?」

「……その、≪花壇の水遣り幽霊≫は、私、だよ」


 かくかくしかじか。


「――なるほどなるほど。生き物が好きなお前は、実は夏休みに入ってから毎日毎日、水遣りに訪れていたんだな。俺の担当は今日で4回目だが、俺よりも早く来れたのは今日が初めてだったわけか」
「うん、そういうこと。脅かしてごめんね? 水遣りしたときはいつも花壇に残って、担当の人に挨拶をしていたんだけど……正午過ぎても来なかったから、おやすみなのかと思って帰っちゃって」

「気にするな! お前は担当表を知っているわけじゃないからな!」
 とはいえ、他の委員たちも、こうした有志がいると、事前に情報共有してくれれば良かったのに。無駄足を踏んでしまったわけだ。

 ――とはいえ。
 俺は足元の段ボール箱で、スヤスヤ眠る小犬を見下ろす。

「ハッ! 無駄と考える行動にも、思わぬ収穫があったりするものだな!」
「あっ、撫でたらダメだよ!」

「撫でてないッ。撫でたい気持ちに抗っているだけだッ」
「その手の動きが怪しいよ!」
「愛いヤツめ♡ 愛いヤツめ♡」
 俺が手をワキワキと動かしているのが、栞菜は気になるらしい。

「ふぅ…………なんだか噂で聞いていたよりも――」
「ん? 何か言ったか?」
「あ、いや、何も」
 栞菜はプイッと横を向いた。

「コホンッ。改めまして。私の名は、天道栞菜(てんどうかんな)。1年B組、出席番号14番。化学部および生物委員会所属。そして――」
 一通り、自己紹介を聞き、また後日聞いた話も含めると以下のようだ。

 成績上位常連でそれなりに名が通っている。それに引き換え、運動面は不得手だということも。美化委員会に限らず、他の委員会にも手伝いを申し出たり、陰ながら手伝ったりと、どうやら献身的な性格なようだ。

 ふむ。俺の心の友と呼ぶに相応しいスペックのようだ。類は友を呼ぶらしい。

「――ふっ。やはり、会うべくして会ったということか」
「何を言っているの?」

 ――クウゥン。

「「――!」」
 小犬が寝言を上げたようだ。

「……ふぅ。とりあえず、峠は越えたようだな」
「ね。ほんとに良かった」

「そういえば名前どうするよ? ずっと小犬呼びもなぁ……」
「名前、か……」
 俺たち2人は顔を見合わせた。

「最終的に別れることになるんだから、あまり愛着を持たないように、サラリと付けよう!」
「……うん、そうだね!」
 辛いが仕方がない。いずれ別れることが決まっている運命――本当の名前は、飼い主になる人間に名付けてもらうのがいい。
 あくまで、を付けることにした。


「黒き漆黒の黒犬――『ブラックダークネスシャドウ』はどうだ!?」


「ダサッ!?」
「ダサくないッ!」
「いや、ダサいよッ!?」
「いや、ダサくないッ!」
「しかも、黒犬じゃないし……」
「姿形に実を委ねるな! 名は魂に宿るもんだ!」
「……キラキラネームって、知ってる?」
「銀河に浮かぶ煌めく星々のように、人間社会という名の荒ぶる銀河で、その短くも刺激的で、儚くも劇的で、溜め息が漏れるほど美しい命の輝きを放つ存在……だろ?」
「何を言っているの? 日本語で喋ってよッ!」
「日本語だよッ!?」

 俺たちはその後も話し合ったが結局名前は決まらず、各々勝手に呼ぶことになった。

 その日から時間を特に決めず、自発的にご飯や飲み物を持ち寄った。
 2人がバッタリ出くわすこともあったが、1人だけで小犬を育てることもあった。

 ――それから、4日後。
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