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第1章 楽園は希望を駆逐する
第5話 砕けぬ絆に乾杯(6日目) その1
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時刻は18時。
B棟4階[カジノ]に到着した織田流水と南北雪花の2人。
閉められているドアの上には、いつも[カジノ]というネームプレートが掛かっているが、今は『玉兎会』という達筆の書が掲げられている。
「……凝ってるなぁ。電さんが書いたヤツだよね。うぅん、やっぱり上手いなぁ」
「ね。こういう個人技は超能力でも真似できないから、すごいなーって思うよ」
小柄な2人はこれでもかとのけ反り、上の書を見上げている。
[カジノ]の壁にも装飾が施されており、普段と少し異なる顔を見せている。
ところどころ勝手に描いたであろう落書きや、ふざけた飾りなどが見られ、仲間たちが楽しそうに飾り付けをしていたことが分かった。
織田流水はそうした準備を手伝うことができなかったことに、やり場のない憤りと少しの負い目を感じた。
入り口のドアを開けると大音量のBGMが流れる。明るくアップテンポな音楽だ。
「おっ、やっと来たなッ! [カウンター]でドリンク配ってるぜッ!」
近くにいた風間太郎に教えられ、中央にある円卓の[カウンター]でドリンクを受け取る2人。
「織田ぁ、聞いたぜぇ? 怪我人は酒禁止なッ!」
花盛清華が明るく言ってメニュー表を渡してくる。
「明るく言わないでよ……まあ、ソフトドリンクから選ぶとなると……」
「ウーロン茶」
南北雪花がメニューを見る前に飲み物を頼んでいた。南北雪花は酒が飲めないから、いつも決まった飲み物を頼んでいる。
「じゃあ、同じので」
南北雪花と織田流水は飲み物を受け取る。
南北雪花はタッタッタと足早に駆けていった。
「あ」
織田流水は追いかけようとしたが思い直す。
彼女のテンションは乱高下する。自分に何も告げずに立ち去るということは、追いかけても無意味だろう。おそらく今のテンションは下り気味、追いついたところで――無視されるだけだ。
織田流水はそのまま[カウンター]の椅子に座り、周囲を見回す。
既に参加予定者は全員いるようで、あちらこちらで固まって談笑している。会話内容はBGMも相まってさすがに聞き取れない。
何人かはお酒を持っており、何人かはお酒ではなくソフトドリンクを持っている。
怪我人の織田流水は当然だが、<再現子>の中でも、酒を飲まない者はいる。
身体の弱い南北雪花や時時雨香澄、お酒を好まない花盛清華や美ヶ島秋比呂などがそうだ。
だが、宴の席は酒がなくても楽しいもの――皆の表情は明るい。開催宣言を待ちきれない様子で、楽しそうな表情だ。
とても――“殺し合い”を命じられたとは思えない明るさだ。
参加者は14名。
欠席者は時時雨香澄、和泉忍、西嶽春人、鬼之崎電龍――そして、大浜新右衛門の5名。
そして、大浜新右衛門の看護をするために、白縫音羽と深木絵梨、中川加奈子の“メディカル三姉妹”が持ち回りで交代する。
この3名もお酒は飲まない上に、時々[カジノ]から離れる。
そのため、会場にいるのは13名だ。白縫音羽は看護で席を外している。
不在の彼らについて疑問に思っている者はいない。携帯端末に葉高山蝶夏からの一斉通知で欠席者の連絡が入っているからだ。
[カジノ]の奥の[舞台]に葉高山蝶夏が立つ。手にはマイクと飲み物を持っている。
『……あーあー。みんな聞こえてるかッッ!! 飲み物持ったかぁぁッ!? 盛り上がってるかぁぁ~~ッッ!!』
「ちょッ、うるさッ!? アイツにマイク必要なくな~いッ?」「早く飲ませろーッ! 早く食わせろーッ! 早く騒がせろーッ!」「始まってねぇんだから、盛り上がってるわけねぇだろッ!?」
峰隅進と風間太郎と美ヶ島秋比呂の野次が飛ぶ。
『オホンッ! 今の状況が大変苦しい状況にあることは皆も周知のことだろうッ! その状況を変えるためッ! 我々は一致団結していかねばなるまいッ! 此度の集会はその意思表示だッ! 我々の変わらぬ絆をさらに強固なものにするためにッ! かつてない強大な敵に立ち向かうためにッ! 砕けぬ絆に――!』
「「「「かんぱーいッ!」」」」
[カジノ]に限らず、B棟は全フロアがそれぞれ1つの大部屋と廊下で構成されている。四角形の大部屋を廊下が囲っているような設計だ。階段やエレベーター、お手洗い、喫煙所などは渡り廊下から離れた2隅の角に設けられている。
C棟が各フロアに複数の部屋があるのに対して、B棟は各フロアに1つの大部屋しかなく、その分、非常にだだっ広い。B棟の大部屋では部屋の中にいる者同士でも、少し離れたところにいると声も届かない。
天井が低めの球場、をイメージすると近いか。
部屋の隅から隅までが見渡せるが、建物を支える柱は点在する。廊下に囲まれている大部屋だが、高窓が数多くある。
その広い部屋に、各テーマに沿った備品や設備がある。
B棟4階の[カジノ]で言うならば、中央に飲食を提供する[カウンター]、奥に芸を披露する[舞台]を始め、ギャンブルを興じる[賭場]や、ダーツやボウリングなど各種遊戯が用意されている[ゲームコーナー]、立ち飲みコーナーの[スタンド台]などが常設されている。
そのフロア全体を天井から差し込むライト、響き渡る音響機器が彩る。
他の部屋と比べて明らかな異質感――教育を度外視した”娯楽”を追及した場所だ。普段使われることは少ない。
今現在も、大音量のBGMや雰囲気を形成するライトが気分を高揚させる。
この場にいる13名にも、同じことが云えた。
18時10分。
[カジノ]内の[ゲームコーナー]にて、運動を好む一部の仲間たちがビリヤードに目を付ける。テーブルにそれぞれのグラスを置き、ビリヤードに興じている。
「おいッ! 今、イカサマしただろッ! イカサマしたよなッ!?」と、美ヶ島秋比呂が指の代わりにキューで相手を指す。
「ハァ~? 証拠はあんのか証拠はよッ! 何時何分地球が何回回った日だ~ッ!?」と、風間太郎が悪者顔で挑発する。
「そのセリフはもはや自白なのでは!?」と、臼潮薫子がツッコミを入れる。
「イカサマできる余地は限られるぞ。台かボールかキューか……<忍者>ならばその限りではないのか?」と、順番待ちをしていた狗神新月が考察をする。
「何か隠し持っているかもしれないよ。身ぐるみ剥いで調査しよー、おー」と、彼女の隣りにいた南北雪花が手を上げる。
「イカサマしてる前提で進めんなやッ!? つーか、イカサマだって実力だっつーのッ!」と、風間太郎が外野の2人に反論する。
「そのセリフはもはや自白でしょ!?」と、臼潮薫子が再びツッコミを入れる。
風間太郎と美ヶ島秋比呂を中心に、[ゲームコーナー]でギャーギャーと騒ぐ彼らを傍目に[カウンター]で歓談する1つのグループがいる。
こちらは酒や料理を味わっているようだ。
「あ、コレ上手い。この味付け、イイんじゃないか」と、中川加奈子がツマミの燻製に目を留める。
「おっ、分かるかッ? 今日はいつもと違う味にしたんだッ! 今夜は特別な宴会、気合入れなきゃなッ!」と、花盛清華が水を飲みながら鼻高々に返す。
「……う~ん、美味いけど、もうちょっと味濃い方がいいんじゃない?」と、峰隅進はツマミを食べ、ファジーネーブルを呑む。
「あ~、ご指摘のところ悪いが、ソッチのは味付け変えちゃいねぇぜッ。お前が以前褒めてた味付けマンマだッ!」と、花盛清華が親指を立てて答えた。
「なッ――!?」と、峰隅進は顔を赤らめる。
「プーッ! あっ、失敬。悪い悪い、思い出し笑いしちまったぜ。決してお前のことを味オンチだなんて、笑ったわけじゃあないぜ?」と、空狐が口元を手で隠す。
「語るに落ちてるわッ! 破戒僧のくせに、調子に乗んないでよねッ!」と、峰隅進が空狐に噛みつく。
「……惜しむらくは、今は禁酒だからな、とても残念」と、中川加奈子は周囲の雑音を無視して嘆息する。
「まったくだッ! お前の分は残しておくからよ、後で味わってくれよなッ!」と、花盛清華が彼女のために取り分ける。
中川加奈子と花盛清華が穏やかに盛り上がる傍で、峰隅進と空狐が口論のようなじゃれ合いをする。
その少し離れたところの[スタンド台]では、残りの幾人かが談笑している。
「ウィ~、ヒック! ぷはぁー-ッ!」と、葉高山蝶夏はもう言葉にならない状態でスタンド台にもたれかかっている。
「ちょ、潰れるの早くないッ!? どんだけ飲んだのッ!?」と、織田流水はアップルジュース(ウーロン茶は飲み終わって2杯目だ)を手に持っていた。
「いや、まだ1杯目だよ。蝶夏はアルコールに弱いからね~」と、矢那蔵連蔵がピーチリキュールを口に含む。
「……適度に呑むようにね」と、深木絵梨は不満げにソーダの入ったグラスを傾ける。
「深木さん……なんというか、ごめんね」と、織田流水は申し訳なさからつい謝罪する。
「あら、アナタが謝ることではないわ。当然、大浜くんのせいでもない。ただただ、タイミングが悪かっただけよ」と、深木絵梨がソーダを飲み干す。
「酒豪のキミが呑めずにいるのに、悪いね。キミの代わりにしっかりと呑んでおくから、安心してね」と、矢那蔵連蔵が悪戯っ子のような笑みを浮かべて言う。
「……そう、ありがとう。ところで、日課のスパーリングがまだだったわね。ここに丁度いいサンドバッグもあることだし、手早く済ませようかしら?」と、深木絵梨が笑顔でボキボキッと拳を鳴らす。
「すみませんでした」と、矢那蔵連蔵が頭を下げる。
18時30分。
[カジノ]内[ゲームコ-ナー]にて、ダーツに興じる面々。ビリヤードに飽きたのか、目に付いたゲームを始め出した。投げるダーツの矢がボードの中央に綺麗に突き刺さる。
――タンッ。
「くっ、やっぱり上手いッ。<軍人>は伊達じゃないなッ」と、美ヶ島秋比呂が歯噛みする。
「いや、<軍人>は関係ないんじゃない?」と、臼潮薫子が苦笑する。
「ふっ……これくらいは朝飯前だ」と、狗神新月がクールに、だが得意げに笑う。。
「ぐぬぬっ……3回やった中の”合計値”で勝負だからなッ! 1回だけ良くても意味ねぇからッ!」と、風間太郎が思いついたようにルールを言う。
「ダーツってそういう遊びなの?」と、南北雪花が純粋な目で問いかける。
「詳しいルールは知らないけど……でも今は皆が楽しめればいいんじゃないかな……」と、臼潮薫子は微笑んで答える。
「――いや、やっぱ3回やった中の”最低値”で勝負だッ! 1回でもミスしたら負けだからなッ!」と、風間太郎がコロコロとルールを変える。
「うわっ、突然ルール変えるなんて、卑怯すぎて目も当てられないよッ!?」と、臼潮薫子が口を手で抑える。
「見苦しいぞッ、イロモノ忍者ッ! 潔く負けろッ!」と、美ヶ島秋比呂が非難する。
「……貴様、生きてて恥ずかしくないのか?」と、狗神新月が真顔で言う。
「うっせぇわッ!? 勝てば官軍なんだよッ!」と、風間太郎は厚顔無恥に叫ぶ。
風間太郎の自分ルールにツッコミを入れつつも、皆ゲームを楽しんでいた。
そして[カウンター]では利き酒を行っていた――。
中川加奈子のアイマスクを目隠し代わりに使い、1番から4番まで番号を割り振られた日本酒を飲み比べていた。
事前にそれぞれの番号の日本酒を飲み、再び目隠しして飲んだ際に、どの番号の日本酒を飲んだか当てるゲームをしているのだ。
「――さて、これは何番だぁッ? 当ててみなッ」と、花盛清華がお題を出す。
「んーこれは……2番」と、空狐が目隠しをされた状態で日本酒を味わっている。
「お、お見事」と、織田流水が驚いた顔で拍手する。
「……ゴクリ」と、深木絵梨が喉を鳴らす。
「ちょっと、アンタは呑んじゃダメなんだからね。水で我慢しな、水で」と、峰隅進が釘をさす。
「……ついでに、こちらにも貰えるかい?」と、矢那蔵連蔵が声を掛けてくる。
「――ムニャムニャ」と、葉高山蝶夏が眠りこけている。
「おいおい、もう酔っぱらって寝てんのかよッ。だらしねぇなッ」と、花盛清華がグチグチ言いながらも水を用意する。
「ありがとう。ちょっと休ませてくるさ」と、矢那蔵連蔵が葉高山蝶夏に水を飲ませ、背負う。
「あっ、手伝おうか」と、織田流水が椅子から立ち上がる。
「いや、大丈夫さ。気にせず楽しんでくれ。ひと1人運ぶだけだからさ」と、矢那蔵連蔵は遠慮して葉高山蝶夏を連れて[カジノ]の一角にある[リラックスルーム]に運んだ。
「…………」
「なに気にしてんのさ。無視して楽もうよ」
無言で矢那蔵連蔵たちを見送っている織田流水の背中を峰隅進の薄ら笑いが叩く。
「そう、いう、こと!」
「うわっ!?」
空狐が織田流水にアイマスクをかけて目隠しをする。突如真っ暗になった己の視界に織田流水が慌てる。
「こっちに座りな。今度はお前がやるんだよ」
「ちょ、ちょっといきなり……ッ! ていうか、僕はお酒は……ッ!」
織田流水が空狐に手を引かれて席につく。
「うわっ!? ちょっと誰かヘンなところ触らなかった!?」
「ヘンなところって、たとえばどんなところだ?」
「そ、それは……いや、何でもない」
空狐に逆に質問され、織田流水は口を閉ざす。
「…………」「なぁにぃ? 言いたいことがあるなら、黙ってないで言えばぁ?」
中川加奈子の無言の視線に、峰隅進は悪びれずに言う。
「今のお前はお酒禁止だから、ソフトドリンクで”利き酒”なッ。それじゃ、これ当ててみろッ」
「お酒じゃないのに”利き酒”とは、これ如何に――」
織田流水は疑問を口にしつつも呑み比べる――。
19時。
「――そろそろ順番だから、私はこれで失礼するわね」
深木絵梨がそう言って、[カジノ]から退出しようとする。
「え? 順番って?」と、織田流水。
「あっ、看護のか? 今は……白縫だっけ?」と、徳利からトクトクと自身のおちょこに酒を注ぐ空狐。
「あ~、1時間ごとか? ならよ――」と、花盛清華。
ポンッと花盛清華は料理が盛られた皿を深木絵梨に渡す。
「? これは?」
「大浜に渡してやってくれッ。病み上がりとはいえ、丸1日、ろくに食っちゃいねぇんだッ。腹減ってるだろッ。酒はねぇがなッ」
肉団子やミニトマトなど、1口サイズの料理ばかりだ。噛み応えも少なめのものばかり。
花盛清華なりに気を遣っているようだが、とはいえ――。
「――何日も寝たきりだったんだし、いきなりは胃に厳しいんじゃ?」
織田流水が常識的なことを言う。
「よゆーだろッ!」
そんな彼に対して花盛清華は笑顔で突っぱねる。
「……まあ、貰っておくわ。ただ……」
「どうした?」
言い淀む深木絵梨に空狐が問う。
「私のご飯と飲み物をどう運ぼうかと思ってね。さすがに一度には持っていけなさそうね」
「あ、それなら僕が持っていくよ」
「それは……ありがたいけど、悪いわ」
「大丈夫だよ、ついでに寄りたいところもあるし――」
織田流水と深木絵梨は料理と飲み物を手に、C棟1階[医務室]に向かった。
――ガラッ。
ドアを開け[医務室]に入ると、ベッドに座った大浜新右衛門に、白縫音羽が包帯を新しいものに入れ替えていた。
「む」「あら?」
大浜新右衛門と白縫音羽が同時に、入室してきた織田流水と深木絵梨に気づく。
目を覚まし動いている大浜新右衛門に、織田流水は喜びを覚えつつも怪我を心配する。
「大浜くん、大丈夫?」
「ああ。だいぶ快復した、と言ってもこのナリでは説得力は薄いがな」
織田流水の心配の声に大浜新右衛門は自嘲する。
彼は上半身を包帯で覆われている状態だ。
「それは?」
白縫音羽が、2人が手に持つ料理や飲み物に注目している。
「彼への晩御飯にと、持ってきたの。花盛の気持ちが、少々ワイルドだけどね」
「ふふ、病み上がりにガッツリと食べさせるとはね。気持ちは嬉しいけど、前のめりが過ぎるんじゃないかしら?」
白縫音羽は大浜新右衛門の顔を伺う。
「……空腹は感じる。だが、食欲が…………少しずついただこう。お皿など食器下げは我輩が明朝にするから、気にせず楽しむといい。人間、生きるならば食事は欠かせん。必ず、復帰への足掛かりにしよう」
大浜新右衛門は意を決した表情だ。
食器下げを明朝にする――という彼の発言に、織田流水は苦笑する。一晩かけて乗り越える彼の意気込みに押されたのだ。
「む、無理しないようにね……」
織田流水は心中慮った。
食事の配膳が済んだとはいえ、すぐに会場に戻るのも素っ気ない。自然と雑談を始める4人。
そんな中、大浜新右衛門が織田流水に声を掛ける。
「――どうした? 元気がなさそうだな?」
「え、そうかな?」
大浜新右衛門が天然水を一口ずつ飲む。
「ああ。気掛かりなことでもあるのか」
「……ちょっとね」
察しの良い大浜新右衛門に織田流水は視線を逸らす。
「相談に乗るぞ、話してみろ」
「あ、いや大丈夫! 些細なことだから!」
織田流水はうっかり口を滑らせたと自戒する。
「――なに?」
「ごめん! でも本当に大丈夫だから!」
織田流水は会話に興じる深木絵梨と白縫音羽を一瞥し、口を線に結び口を閉ざす。
ついさっき白縫音羽に尋問されかけたばかりなのに、気の置けない仲間についつい気を許して口が軽くなる己の性分に嫌気が差す。
白縫音羽だけでなく、もう仲間全員に秘密にする気概が必要だ――と、織田流水は反省した。
織田流水の咄嗟の言い訳に大浜新右衛門はジロリと彼を睨む。
「…………」「…………」
織田流水は無言に耐えれず顔を逸らす。そんな正直な彼に、大浜新右衛門はクスリと笑う。
「そうか。差し迫ったら言いなさい」
大浜新右衛門の優しい言葉に、織田流水はホッと胸を撫で下ろす。
大浜新右衛門は織田流水の目配せ(本人は無自覚だが)に気が付いていた。さすがに”ことの真相”には辿り着いていないが、あまり口外しない方がいいのだと察したのだ。
ただ――。
「織田、もう少し度胸をつけるべきだな。我輩だからいいものの、相手によっては通じないぞ」
小声で大浜新右衛門が織田流水に忠告した。
織田流水はショボンと身を縮こませる。
「――内緒にするというならば、我輩は何も言えん。だが、仲間に頼ることを恐れるなよ」
「え」
「我々は仲間だ。1人で生きていける者であろうと、2人で生きれば更により善く生きていける。それを忘れるな」
「……うん」
織田流水はその肝心の“仲間”に頭を悩ませているわけだが、大浜新右衛門は知る由もなし。
だが、彼の言葉にはその事情を飛び越えて彼の心に突き刺さった。
大浜新右衛門は口の重い織田流水を見て何か思うところがあるのか、助言を試みる。
「……”頼れないこと”があるなら……もしくは”頼ることを禁じられている”なら――”それでも頼れる仲間を作ること”を考えてもいいと、我輩は思うぞ」
「え」
「生きていれば、同じ仲間でも話せることや話せないことは生まれるものだ。それは優劣でも、親密度の差でも、信頼度の差でもない。人間関係というか……それこそが人間関係というか。こればかりは口で説明できないな」
「…………」
「<政治家>として様々な人間関係を見てきた我輩だから断言できる。敵対関係も、協力関係も、同盟関係も……味方陣営も。我輩は、”見極め”と”見定め”の使い分けが大切だと思う。…………む、うまく言えたか?」
大浜新右衛門が顎に手を当てて考え込む姿を見て、織田流水はフッと笑う。
「……和泉さんが聞いたら眉を顰めそうだね」
「まったくだ。あいつは白か黒かしか判断しようとしないからな。”人間関係は白と黒以外もある”。人間は数字じゃない。1+1=2なのだろう。遠目で見れば人間も”1”なのだろうが、近く寄って360°――少しでも見る角度を変えれば違う側面が見えるもの、複雑なものだ」
「……うん」
「数学でいうならば、”1”に見える人間も、よく見たら”√1”かもしれん。はたまた、”1の1乗”かもしれん。いや、もしくは――」
「うん。ふふっ」
不器用なりに説明をしていた彼だったが、説明にノってきたのか次々に例えを言い出す様子に、織田流水はつい噴き出した。
織田流水は、大浜新右衛門との雑談の最中、”これから会おうとしている人間”について考えていた。
“彼”にもきっと色々な側面があるのだろう。
“ああ”したから、”ああ”いう人間だと白黒付けるのは簡単だ。だが見る角度を変えればきっと――。
「”見極め”と”見定め”、か……」
織田流水はボソッと呟く。
ここ数日の“彼”の言動や様子、そして、これまでの“彼”との思い出や付き合いを振り返っていた。
自分はどうするべきか、答えを出してから会うべきなのだろう。
大浜新右衛門との雑談で緊張が解れ、気持ちが軽くなった織田流水は決心する。
ある意味で、決着を付けるために――。
雑談もひと段落して、[医務室]にいる面々も行動を起こす。
「他の皆は?」
白縫音羽が深木絵梨に質問した。
「予定通りよ。欠席者もいるけど、大多数は[カジノ]にいるわ」
「そう。じゃあ、私もそちらに行こうかしら」
白縫音羽が席を立つ。
「あっ、僕は寄るところがあるから、先に向かってていいよ」
「あら、そうなの? どこに行くのかしら?」
「え?」
白縫音羽が笑みを浮かべている。織田流水はドギマギする。
「そ、それは、トイレに行くからさッ。待たせるのもなんだし、先に行っててッ」
「えー、じゃあ、”連れション”しましょうか」
「え゛ッ!?!?」
白縫音羽のぶっちゃけトークに織田流水が心底驚いた声を上げる。
「くだらない冗談を言っていないで、さっさと[カジノ]に行きなさい。耳障りよ」
椅子に腰かける深木絵梨が貧乏ゆすりをしながら言う。
「はーい♪」
イライラしている深木絵梨に注意され、白縫音羽は身を引いた。
「――じゃあね」
織田流水が席を立たずに様子見している姿を見て、白縫音羽は先に[医務室]を退室した。
心を見透かすような白縫音羽の視線に、織田流水は息を呑む。今は、極力2人きりで会話をしないようにしようと心に決めたのであった。
「じゃ、じゃあ、僕も行くよ」
「ええ。手伝ってくれてありがとうね。白縫がちょっかいかけてきたら、すぐに呼びなさい。駆け付けるから」
「あ、ありがとう」
禁酒していることがよほど腹立たしいのか、身体を動かせる機会を作ろうと積極的に動く深木絵梨に織田流水は、その頼り甲斐に感謝しつつも心に引っ掛かりを覚えた。
19時30分。
[医務室]を出て、織田流水は白縫音羽がいないことを確認する。白縫音羽も深木絵梨の“本気”を感じ取っていたようだ。
外の景色がふと目に入る。雨の勢いは衰えず、風がガタガタと窓を叩いていた。室内の防音性の高さと頑強さゆえか、悪天候であることを感じさせなかった。
雨雲の多さも相まって、外は真っ暗だ。
彼はすぐに“目的地”に向かった。
目的地は当然――。
「わぁ、よく来てくれたね、りゅーくん! とても嬉しいよッ!」
――西嶽春人の[個室]だ。
呼び鈴を鳴らして姿を現したのは、部屋の主である西嶽春人だ。
「どうかしたのか?」
訪問したのが織田流水だと分かった鬼之崎電龍が、ドアの陰から姿を現す。
「ちょっと様子を見にね」
織田流水はボカシて答えた。
「2人きりで狭い個室に引きこもって、寂しかったところだよぉ。こんな幸福、ボクみたいな害虫が享受してしまっていいのかなぁ」
西嶽春人が恍惚とした表情を浮かべている。
「みな、楽しくしているか? 何も起きていないか?」
鬼之崎電龍の不安の声に織田流水は力強く肯いた。
情報が閉ざされた密閉空間……既に“殺人未遂”が発生したことを知っている者がそこに閉じ込められるとしたら、気が気でないだろう。
自らあずかり知らぬ場所で悲劇が起きてしまっているかもしれないという、不安に駆られるのは当然のことだ。
友好関係を築いていた織田流水と西嶽春人の2人の仲で起きたのだから、他でも起こることは否定できない。
「そっちこそ、何事もなかった? どうやって過ごしていたの?」
織田流水の質問に、2人は顔を見合わせる。
「生け花だよ」「筋トレだ」
個室の奥に花瓶やハサミなどの道具が床に敷かれたシートの上にあり、手前側にはキッチリと敷かれたトレーニングマットがある。
前者は理解できる。西嶽春人は“花屋”が将来の夢だからだ。
後者は――、
「……あ、そっか。書を書くには狭いかな」
「それもあるが、書を書くことに集中してしまうからな。俺の役割はあくまで西嶽の見張り。適度に気を紛らわせれば、それでいい」
<軍人>の狗神新月に勝るとも劣らない使命感と実直さに、織田流水は心の中で敬礼した。
和やかに雑談を交わす3人。
この場の空気に慣れ、心を決めた織田流水は深呼吸して、”彼”に向き合った。
「――西嶽くん。僕は本当は君に会いに来たんだ」
「え」
織田流水の告白に西嶽春人は硬直する。しかしすぐに――、
「ええぇえええぇえええぇえええぇえッッッ!?!?!?」
かつてないほどの大音量で絶叫する。
織田流水がビクッと驚き、鬼之崎電龍は顔を顰めた(ような気がする)。
「ボ、ボクに、リューくんが、ボクにぃッッ!?!? ボクのことを、”好き”ってッ!?」
「言ってないよッ!?」
西嶽春人のあらぬ誤解を懸命に解いた織田流水は、場の空気を落ち着かせて話を切り出した。
「西嶽くん……キミの少年加虐嗜好については色々言いたいことがあるけれど、今は不問にするよ。そもそも僕と君は同い年なんだから、低身長という理由だけで“少年”という判定をされることに対して一言二言あるけれど、今は我慢する。僕が聞きたいのはただ一つ――」
織田流水は意を決して問いかける。
「キミはまた僕を殺そうとするのかどうか!?、だよ」
織田流水の真剣な目に、西嶽春人と鬼之崎電龍は気圧される。
わざわざ自分を殺そうとした男の目の前に立った理由がこれか、と鬼之崎電龍は納得する。
今日の決起集会『玉兎会』を無事に終え、明日以降の行動に際し、明確にしておきたい点ではある。
しかし、それは諸刃の剣だ。
それが自分たちの希望する回答であるならばいい。だがそれがもし、自分たちの希望に反した結果なら――。
「…………」
「…………」
「…………」
3人は口を閉ざしたままだ。
長い時間、沈黙だったと思う。
西嶽春人が厳かに口を開く。
「――”殺す”、と思う」
西嶽春人の悲しい回答に、鬼之崎電龍は息を呑む。
所詮<殺人鬼>は殺人鬼か、と幻滅にも似た感情を覚え、嘆息し“かけた”時――、
「――なんで?」
間髪入れずに織田流水が反応した。
西嶽春人の目を真っすぐに見て――。
「…………」
「殺される側としては、理由を聞いておきたいんだけど……」
織田流水にしてはブラックユーモアの溢れる切り替えしに、2人は内心苦笑する。
「理由か――」
西嶽春人は顔を動かす。個室の天井を見たり、床を見たり、壁を見たり、家具を見たり、キョロキョロと視線を泳がせる。
まるで、答えを探しているかのようだ。
「…………」「…………」
黙って待つ2人に、西嶽春人は顔を上げる。
「――うん、待たせてごめんね。ちょっと整理したよ」
西嶽春人はそう言って、自分の胸に利き手を当てる。
「今回、仲間たちに止められて、現場の証拠を押さえられて、言い逃れができない立場にいるけれども――それでもボクはいつかキミを殺しちゃうんだって確信しているんだ。だって――だってボクは、ボクは、ボクは――」
西嶽春人は目を見開いて、自信満々に言う。
「――ボクは、”愛したいから殺すんだ!”」
「……は?」
西嶽春人の予想外の回答に、見守っていた鬼之崎電龍は間の抜けた声が出る。
「ボクは殺そうとしたんじゃないんだ、ボクは愛そうとしたんだよ! 本当だったら、決して断ち切られない友情の糸が! 決して砕けることのない絆が! ボクらの間に生まれるはずだったんだ! 謂わばあれは……儀式みたいなものさ」
「…………」
「ボクのやり方が間違っているのは分かる。でも、これが一番良いんだ、これが最適なんだ。これが“答え”なんだ。あっ……ご、ごめんッ。急に気持ちの悪いこと言っちゃって。困るよね――”殺人をするためだけに生まれた人間”に、穢れたボクに言われて。迷惑だよね。……でも、これがボクの21年の人生で気が付いたこの世の真理なんだ。”与えるだけが愛じゃない、奪う愛もあるんだって”」
「…………」
自分の心中を語るうちに、目の焦点が失われていくような興奮を見せる西嶽春人に、2人は何も言わずに聞いていた。
「ボクが間違っていることも分かってるし、キミにとって迷惑なのも分かってる――でも、それでも、チャンスを失うわけにはいかなかった。誰かにキミが殺されるのをただ見ているのは、我慢ならなかったんだ――。ボクのもっとも親しくて信頼している友達は、ボク自身の手で殺したかった――」
話しきった西嶽春人がフッと自嘲する。
誰かから殺し合いを命じられた時、おそらく全ての人間が”自分が殺されること”を恐れるだろう。
だが、西嶽春人は――”もっとも親しく、大切な友人が誰かに殺されること”を恐れたのだ。
他人と異なる感性を持っている……これを、異端と呼ぶのだろう。
聞くことに耐えられなくなったように、鬼之崎電龍が話す。
「――何を言っているんだ、貴様は。言っている意味が分からない。もっとも親しいなどと言いつつも、結局殺そうとしたじゃないか。自分が何を言っているのか分かっているのか?」
鬼之崎電龍に詰め寄られて、西嶽春人は自分の髪を掴んで引っ張り、頭をグリングリンと振り回す。
「そ、そうだよね。意味が分からないよね。でも、それで良いんだよ。”ボク”が分かったら、それはそれで問題だよ」
「おいやめろ。真面目に聞け! 貴様はいったい――」
西嶽春人の自傷を止める鬼之崎電龍が、なおも問い詰めようとしたが、それを制したのは織田流水だった。
「――キミの言いたいことはよくわかった」
2人から視線を向けられ、織田流水は続ける。
「――あ、いや、何を言っているのかは分からないけどね? でも、よくわかったよ」
「貴様、正気か?」
鬼之崎電龍に聞かれて織田流水は少し悩んだ末に言う。
「んーと、2人は僕の仲間だから正直言うとね……西嶽くんの返事は重要じゃないんだ。突き放した言い方をすれば、僕にとっては”どうでもいい”んだよ」
「え」「な」
驚く2人に織田流水は意に介さず、彼は西嶽春人に落ち着いた様子で話す。
「僕は、キミがなんと答えようが、返す言葉を決めていたんだ」
真っ直ぐに目を見て言う。
「キミが”奪う愛”を僕にくれるというのなら、僕は”与える愛”をキミに贈るよ。キミがいつか僕を殺すその時まで、僕はキミの傍にいる。キミの傍で喜ぶし、怒るし、哀しむし、笑うよ。ずっとキミの味方でいる。そして――そして、僕が与える愛の大きさに、キミはいつか応えてくれればいい」
「…………」
織田流水は言い忘れていたというように、慌てて付け足す。
「あ! 念のため言うけれど、僕は死にたがりじゃないからね! “その時”が来たら、全力で抵抗するから! 今度起きたら大怪我を覚悟してよ!? それと、普段から警戒するから! それはそれ、これはこれ、だからね!」
西嶽春人が勘違いしないように織田流水は補足する。
「……正気か?」
黙っていた鬼之崎電龍が織田流水に言う。
「正気だとも! そ、そもそもね! 僕は一度、射殺されかけたんだからね!? もう、仲間の一人や二人に襲われたくらいで、騒ぐほどじゃないから!」
「――フッ、そうか」
織田流水の空元気に鬼之崎電龍は微笑みで称えた。
きっと恐怖はあるのだろう。しかし、それに打ち勝って仲間と協力することを選んだという、織田流水の心意気を鬼之崎電龍は称賛したのだった。
織田流水は言い切ったと肩で息をする。
すると、西嶽春人が――、
「……ボクが言うのもなんだけど、怒ってないの?」
「え?」
――怪訝な表情で織田流水に質問した。
「ボクが常識を語るのもなんだけど……普通はまず怒るところじゃない? 織田くんはボクに理不尽に暴力を振るわれたどころが、殺されかけたんだから。キミが一人でここに来た時、正直言うと、烈火のごとく激怒していると思っていたよ」
「…………」
思わぬ言葉に織田流水は呆然とする。
理不尽に怒る――?
言われてみればそうだと織田流水は心中思う。
「……あ」
織田流水は思い当たることがあった。
「……香澄ちゃんといい、”ハルカちゃん”といい、和泉さんといい、僕に理不尽に当たる人は昔からいたからかな、耐性があったのかも。理不尽に怒るなんて発想、ちっとも思わなかった」
「――そうなの?」
「あ、口に出てた!?」
織田流水は自分の口を押さえるが、既に口から出たあとだ。
「フッ、聞かなかったことにしよう。知ったら怒る者がいるだろうからな」
「……そうだね。2人ほどね」
鬼之崎電龍と西嶽春人は顔を見合わせて笑った。
またあらぬ誤解が生まれそうだと織田流水は慌てて補足する。
「あ、でもそれだけじゃないよ! えぇと……言いにくいけれど、和泉さんから悪玉<再現子>の不幸な生い立ちを、常々聞かされていたからかもしれない。だから何というか、ちょっとだけ、その……」
「――同情しているのか?」
「……う、う~ん、まあ、そんな感じ。それに、僕もまったく怒っていないかというと、人並みに痛かったし、許していないからね」
「…………」
西嶽春人は無言で織田流水を見る。
「西嶽くんに同情はする、でも仲間を襲うという行動に対しては軽蔑もしているよ。その上で、僕たちは仲間だと思ってる」
織田流水が力強く言う。
「――そう、なんだね」
西嶽春人は目を伏せる。
「よくわかったよ。キミの気持ち。キミの考え。キミの――覚悟が。本当に、皆で生き延びようとしているんだね」
「う、うん、そういうこと」
覚悟――と西嶽春人に言われて、そんな話をしたかなと織田流水は若干首を傾げたが、気恥ずかしさが勝った。
「…………」
西嶽春人は目を上げて、織田流水を真っすぐ見る。
「――キミは僕を断罪しないし、キミは僕を許さない。それなら――ボクはまず織田くんに”贖罪”をするよ。許してもらえるように、キミに尽くそう。”愛”を渡すなら、まず前提として対等でいないとね。これは、ボクが勝手にやること。”愛”に許可が要らないように、”贖罪”に許可は要らない。キミが拒むとしても、ボクは関係なくキミに尽くすよ」
西嶽春人は膝を突き、首を垂れる。
「――ボクは、キミの“覚悟”に……キミの海より深い友情に、ボクは報いたい」
西嶽春人は織田流水の手を取って言った。
思わぬ反応に若干戸惑いつつも、織田流水は応えた。
「うん――これからもよろしく」
西嶽春人が笑顔で言う。
「――気持ちのいい完璧な”愛”を遂行するために、頑張るよ」
「……それ、僕にとってはバッドエンドだよね……」と、織田流水。
「ふっ、その時が来たら、俺たちが守るさ。そしてまた贖罪の日々を送らせてみせる」と、鬼之崎電龍。
こうして、織田流水と西嶽春人は妙な和解をしたのであった。
――ピンポーン!
ちょうどいいタイミングで呼び鈴が鳴った。
「…………」
自分以外にピンポイントで訪問する者がいたのかと織田流水が警戒するが、鬼之崎電龍はスタスタと歩き迷いなくドアを開けた。
「――お待ちどおさま。って何この状況」
中川加奈子が料理と飲み物を持参して訪れたのだ。
「え、なんで中川さんが?」と、織田流水が戸惑いを見せる。
「つい先ほど、中川に食事の配膳を頼んだのだ。時間も時間、空腹には抗えん。個室から離れられぬ以上、事情を知る者に持ってきてもらう他ない」
「中川さんは自然に『玉兎会』から途中退室できるからね、ついでにお願いしたんだ」
中川加奈子から料理と飲み物を受け取りながら、鬼之崎電龍と西嶽春人が説明する。
なるほど。”メディカル三姉妹”は大浜新右衛門の看護で途中退室が発生する。
「織田がここにいるとはね。素面の連中が心配していたから、早く戻った方がいい。酔いつぶれたんじゃないかと噂になっていたよ」
中川加奈子に言われ、織田流水は時計を見る。
もう20時前だ。[医務室]と西嶽春人の[個室]で長いこと話し込んでしまったようだ。
「あ、じゃあ、僕はこれで失礼するよ」
「うむ」「またね」
鬼之崎電龍と西嶽春人が名残惜しそうに見送る。
「あ、一つだけ情報共有しておく」
織田流水と共に退室しようとした中川加奈子が言う。
「――例の西嶽の暴走の件、十中八九、白縫にバレている」
「え!?」「なんだと!?」「わお、さすが白縫さんだね」
三者三様のリアクションを披露する一同。
「私に探りを入れてきた。白縫がどこまで知っているか分からない。勘で動いているのか、確信があるのか。口ぶりから、織田、鬼之崎、和泉が関わっていることは見抜いていそう。だけど――空狐はまだバレていないと思う。これは和泉と空狐にはまだ言っていない」と、淡々と話す中川加奈子。
「二人の携帯端末にメールを送って知らせるか?」と、鬼之崎電龍。
「いつ読んでくれるか分からないし、覗かれたり誰かの手に携帯端末がある状態だと見られちゃうよ。頃合いを見て、直接伝えよう」と、織田流水。
「がってん承知」と、西嶽春人。
片や飲酒中、片や療養中と行動が読みにくいタイミングだ。織田流水もここ数日で随分、冴えてきた。
最低限の情報共有を済ませ、中川加奈子と織田流水は退室した。中川加奈子はそのまま[医務室]に向かい、深木絵梨と交代しに行った。
いったいどこから情報を仕入れたんだ、と織田流水は一抹の不安を覚えながら、一足先に[カジノ]に戻るのであった。
B棟4階[カジノ]に到着した織田流水と南北雪花の2人。
閉められているドアの上には、いつも[カジノ]というネームプレートが掛かっているが、今は『玉兎会』という達筆の書が掲げられている。
「……凝ってるなぁ。電さんが書いたヤツだよね。うぅん、やっぱり上手いなぁ」
「ね。こういう個人技は超能力でも真似できないから、すごいなーって思うよ」
小柄な2人はこれでもかとのけ反り、上の書を見上げている。
[カジノ]の壁にも装飾が施されており、普段と少し異なる顔を見せている。
ところどころ勝手に描いたであろう落書きや、ふざけた飾りなどが見られ、仲間たちが楽しそうに飾り付けをしていたことが分かった。
織田流水はそうした準備を手伝うことができなかったことに、やり場のない憤りと少しの負い目を感じた。
入り口のドアを開けると大音量のBGMが流れる。明るくアップテンポな音楽だ。
「おっ、やっと来たなッ! [カウンター]でドリンク配ってるぜッ!」
近くにいた風間太郎に教えられ、中央にある円卓の[カウンター]でドリンクを受け取る2人。
「織田ぁ、聞いたぜぇ? 怪我人は酒禁止なッ!」
花盛清華が明るく言ってメニュー表を渡してくる。
「明るく言わないでよ……まあ、ソフトドリンクから選ぶとなると……」
「ウーロン茶」
南北雪花がメニューを見る前に飲み物を頼んでいた。南北雪花は酒が飲めないから、いつも決まった飲み物を頼んでいる。
「じゃあ、同じので」
南北雪花と織田流水は飲み物を受け取る。
南北雪花はタッタッタと足早に駆けていった。
「あ」
織田流水は追いかけようとしたが思い直す。
彼女のテンションは乱高下する。自分に何も告げずに立ち去るということは、追いかけても無意味だろう。おそらく今のテンションは下り気味、追いついたところで――無視されるだけだ。
織田流水はそのまま[カウンター]の椅子に座り、周囲を見回す。
既に参加予定者は全員いるようで、あちらこちらで固まって談笑している。会話内容はBGMも相まってさすがに聞き取れない。
何人かはお酒を持っており、何人かはお酒ではなくソフトドリンクを持っている。
怪我人の織田流水は当然だが、<再現子>の中でも、酒を飲まない者はいる。
身体の弱い南北雪花や時時雨香澄、お酒を好まない花盛清華や美ヶ島秋比呂などがそうだ。
だが、宴の席は酒がなくても楽しいもの――皆の表情は明るい。開催宣言を待ちきれない様子で、楽しそうな表情だ。
とても――“殺し合い”を命じられたとは思えない明るさだ。
参加者は14名。
欠席者は時時雨香澄、和泉忍、西嶽春人、鬼之崎電龍――そして、大浜新右衛門の5名。
そして、大浜新右衛門の看護をするために、白縫音羽と深木絵梨、中川加奈子の“メディカル三姉妹”が持ち回りで交代する。
この3名もお酒は飲まない上に、時々[カジノ]から離れる。
そのため、会場にいるのは13名だ。白縫音羽は看護で席を外している。
不在の彼らについて疑問に思っている者はいない。携帯端末に葉高山蝶夏からの一斉通知で欠席者の連絡が入っているからだ。
[カジノ]の奥の[舞台]に葉高山蝶夏が立つ。手にはマイクと飲み物を持っている。
『……あーあー。みんな聞こえてるかッッ!! 飲み物持ったかぁぁッ!? 盛り上がってるかぁぁ~~ッッ!!』
「ちょッ、うるさッ!? アイツにマイク必要なくな~いッ?」「早く飲ませろーッ! 早く食わせろーッ! 早く騒がせろーッ!」「始まってねぇんだから、盛り上がってるわけねぇだろッ!?」
峰隅進と風間太郎と美ヶ島秋比呂の野次が飛ぶ。
『オホンッ! 今の状況が大変苦しい状況にあることは皆も周知のことだろうッ! その状況を変えるためッ! 我々は一致団結していかねばなるまいッ! 此度の集会はその意思表示だッ! 我々の変わらぬ絆をさらに強固なものにするためにッ! かつてない強大な敵に立ち向かうためにッ! 砕けぬ絆に――!』
「「「「かんぱーいッ!」」」」
[カジノ]に限らず、B棟は全フロアがそれぞれ1つの大部屋と廊下で構成されている。四角形の大部屋を廊下が囲っているような設計だ。階段やエレベーター、お手洗い、喫煙所などは渡り廊下から離れた2隅の角に設けられている。
C棟が各フロアに複数の部屋があるのに対して、B棟は各フロアに1つの大部屋しかなく、その分、非常にだだっ広い。B棟の大部屋では部屋の中にいる者同士でも、少し離れたところにいると声も届かない。
天井が低めの球場、をイメージすると近いか。
部屋の隅から隅までが見渡せるが、建物を支える柱は点在する。廊下に囲まれている大部屋だが、高窓が数多くある。
その広い部屋に、各テーマに沿った備品や設備がある。
B棟4階の[カジノ]で言うならば、中央に飲食を提供する[カウンター]、奥に芸を披露する[舞台]を始め、ギャンブルを興じる[賭場]や、ダーツやボウリングなど各種遊戯が用意されている[ゲームコーナー]、立ち飲みコーナーの[スタンド台]などが常設されている。
そのフロア全体を天井から差し込むライト、響き渡る音響機器が彩る。
他の部屋と比べて明らかな異質感――教育を度外視した”娯楽”を追及した場所だ。普段使われることは少ない。
今現在も、大音量のBGMや雰囲気を形成するライトが気分を高揚させる。
この場にいる13名にも、同じことが云えた。
18時10分。
[カジノ]内の[ゲームコーナー]にて、運動を好む一部の仲間たちがビリヤードに目を付ける。テーブルにそれぞれのグラスを置き、ビリヤードに興じている。
「おいッ! 今、イカサマしただろッ! イカサマしたよなッ!?」と、美ヶ島秋比呂が指の代わりにキューで相手を指す。
「ハァ~? 証拠はあんのか証拠はよッ! 何時何分地球が何回回った日だ~ッ!?」と、風間太郎が悪者顔で挑発する。
「そのセリフはもはや自白なのでは!?」と、臼潮薫子がツッコミを入れる。
「イカサマできる余地は限られるぞ。台かボールかキューか……<忍者>ならばその限りではないのか?」と、順番待ちをしていた狗神新月が考察をする。
「何か隠し持っているかもしれないよ。身ぐるみ剥いで調査しよー、おー」と、彼女の隣りにいた南北雪花が手を上げる。
「イカサマしてる前提で進めんなやッ!? つーか、イカサマだって実力だっつーのッ!」と、風間太郎が外野の2人に反論する。
「そのセリフはもはや自白でしょ!?」と、臼潮薫子が再びツッコミを入れる。
風間太郎と美ヶ島秋比呂を中心に、[ゲームコーナー]でギャーギャーと騒ぐ彼らを傍目に[カウンター]で歓談する1つのグループがいる。
こちらは酒や料理を味わっているようだ。
「あ、コレ上手い。この味付け、イイんじゃないか」と、中川加奈子がツマミの燻製に目を留める。
「おっ、分かるかッ? 今日はいつもと違う味にしたんだッ! 今夜は特別な宴会、気合入れなきゃなッ!」と、花盛清華が水を飲みながら鼻高々に返す。
「……う~ん、美味いけど、もうちょっと味濃い方がいいんじゃない?」と、峰隅進はツマミを食べ、ファジーネーブルを呑む。
「あ~、ご指摘のところ悪いが、ソッチのは味付け変えちゃいねぇぜッ。お前が以前褒めてた味付けマンマだッ!」と、花盛清華が親指を立てて答えた。
「なッ――!?」と、峰隅進は顔を赤らめる。
「プーッ! あっ、失敬。悪い悪い、思い出し笑いしちまったぜ。決してお前のことを味オンチだなんて、笑ったわけじゃあないぜ?」と、空狐が口元を手で隠す。
「語るに落ちてるわッ! 破戒僧のくせに、調子に乗んないでよねッ!」と、峰隅進が空狐に噛みつく。
「……惜しむらくは、今は禁酒だからな、とても残念」と、中川加奈子は周囲の雑音を無視して嘆息する。
「まったくだッ! お前の分は残しておくからよ、後で味わってくれよなッ!」と、花盛清華が彼女のために取り分ける。
中川加奈子と花盛清華が穏やかに盛り上がる傍で、峰隅進と空狐が口論のようなじゃれ合いをする。
その少し離れたところの[スタンド台]では、残りの幾人かが談笑している。
「ウィ~、ヒック! ぷはぁー-ッ!」と、葉高山蝶夏はもう言葉にならない状態でスタンド台にもたれかかっている。
「ちょ、潰れるの早くないッ!? どんだけ飲んだのッ!?」と、織田流水はアップルジュース(ウーロン茶は飲み終わって2杯目だ)を手に持っていた。
「いや、まだ1杯目だよ。蝶夏はアルコールに弱いからね~」と、矢那蔵連蔵がピーチリキュールを口に含む。
「……適度に呑むようにね」と、深木絵梨は不満げにソーダの入ったグラスを傾ける。
「深木さん……なんというか、ごめんね」と、織田流水は申し訳なさからつい謝罪する。
「あら、アナタが謝ることではないわ。当然、大浜くんのせいでもない。ただただ、タイミングが悪かっただけよ」と、深木絵梨がソーダを飲み干す。
「酒豪のキミが呑めずにいるのに、悪いね。キミの代わりにしっかりと呑んでおくから、安心してね」と、矢那蔵連蔵が悪戯っ子のような笑みを浮かべて言う。
「……そう、ありがとう。ところで、日課のスパーリングがまだだったわね。ここに丁度いいサンドバッグもあることだし、手早く済ませようかしら?」と、深木絵梨が笑顔でボキボキッと拳を鳴らす。
「すみませんでした」と、矢那蔵連蔵が頭を下げる。
18時30分。
[カジノ]内[ゲームコ-ナー]にて、ダーツに興じる面々。ビリヤードに飽きたのか、目に付いたゲームを始め出した。投げるダーツの矢がボードの中央に綺麗に突き刺さる。
――タンッ。
「くっ、やっぱり上手いッ。<軍人>は伊達じゃないなッ」と、美ヶ島秋比呂が歯噛みする。
「いや、<軍人>は関係ないんじゃない?」と、臼潮薫子が苦笑する。
「ふっ……これくらいは朝飯前だ」と、狗神新月がクールに、だが得意げに笑う。。
「ぐぬぬっ……3回やった中の”合計値”で勝負だからなッ! 1回だけ良くても意味ねぇからッ!」と、風間太郎が思いついたようにルールを言う。
「ダーツってそういう遊びなの?」と、南北雪花が純粋な目で問いかける。
「詳しいルールは知らないけど……でも今は皆が楽しめればいいんじゃないかな……」と、臼潮薫子は微笑んで答える。
「――いや、やっぱ3回やった中の”最低値”で勝負だッ! 1回でもミスしたら負けだからなッ!」と、風間太郎がコロコロとルールを変える。
「うわっ、突然ルール変えるなんて、卑怯すぎて目も当てられないよッ!?」と、臼潮薫子が口を手で抑える。
「見苦しいぞッ、イロモノ忍者ッ! 潔く負けろッ!」と、美ヶ島秋比呂が非難する。
「……貴様、生きてて恥ずかしくないのか?」と、狗神新月が真顔で言う。
「うっせぇわッ!? 勝てば官軍なんだよッ!」と、風間太郎は厚顔無恥に叫ぶ。
風間太郎の自分ルールにツッコミを入れつつも、皆ゲームを楽しんでいた。
そして[カウンター]では利き酒を行っていた――。
中川加奈子のアイマスクを目隠し代わりに使い、1番から4番まで番号を割り振られた日本酒を飲み比べていた。
事前にそれぞれの番号の日本酒を飲み、再び目隠しして飲んだ際に、どの番号の日本酒を飲んだか当てるゲームをしているのだ。
「――さて、これは何番だぁッ? 当ててみなッ」と、花盛清華がお題を出す。
「んーこれは……2番」と、空狐が目隠しをされた状態で日本酒を味わっている。
「お、お見事」と、織田流水が驚いた顔で拍手する。
「……ゴクリ」と、深木絵梨が喉を鳴らす。
「ちょっと、アンタは呑んじゃダメなんだからね。水で我慢しな、水で」と、峰隅進が釘をさす。
「……ついでに、こちらにも貰えるかい?」と、矢那蔵連蔵が声を掛けてくる。
「――ムニャムニャ」と、葉高山蝶夏が眠りこけている。
「おいおい、もう酔っぱらって寝てんのかよッ。だらしねぇなッ」と、花盛清華がグチグチ言いながらも水を用意する。
「ありがとう。ちょっと休ませてくるさ」と、矢那蔵連蔵が葉高山蝶夏に水を飲ませ、背負う。
「あっ、手伝おうか」と、織田流水が椅子から立ち上がる。
「いや、大丈夫さ。気にせず楽しんでくれ。ひと1人運ぶだけだからさ」と、矢那蔵連蔵は遠慮して葉高山蝶夏を連れて[カジノ]の一角にある[リラックスルーム]に運んだ。
「…………」
「なに気にしてんのさ。無視して楽もうよ」
無言で矢那蔵連蔵たちを見送っている織田流水の背中を峰隅進の薄ら笑いが叩く。
「そう、いう、こと!」
「うわっ!?」
空狐が織田流水にアイマスクをかけて目隠しをする。突如真っ暗になった己の視界に織田流水が慌てる。
「こっちに座りな。今度はお前がやるんだよ」
「ちょ、ちょっといきなり……ッ! ていうか、僕はお酒は……ッ!」
織田流水が空狐に手を引かれて席につく。
「うわっ!? ちょっと誰かヘンなところ触らなかった!?」
「ヘンなところって、たとえばどんなところだ?」
「そ、それは……いや、何でもない」
空狐に逆に質問され、織田流水は口を閉ざす。
「…………」「なぁにぃ? 言いたいことがあるなら、黙ってないで言えばぁ?」
中川加奈子の無言の視線に、峰隅進は悪びれずに言う。
「今のお前はお酒禁止だから、ソフトドリンクで”利き酒”なッ。それじゃ、これ当ててみろッ」
「お酒じゃないのに”利き酒”とは、これ如何に――」
織田流水は疑問を口にしつつも呑み比べる――。
19時。
「――そろそろ順番だから、私はこれで失礼するわね」
深木絵梨がそう言って、[カジノ]から退出しようとする。
「え? 順番って?」と、織田流水。
「あっ、看護のか? 今は……白縫だっけ?」と、徳利からトクトクと自身のおちょこに酒を注ぐ空狐。
「あ~、1時間ごとか? ならよ――」と、花盛清華。
ポンッと花盛清華は料理が盛られた皿を深木絵梨に渡す。
「? これは?」
「大浜に渡してやってくれッ。病み上がりとはいえ、丸1日、ろくに食っちゃいねぇんだッ。腹減ってるだろッ。酒はねぇがなッ」
肉団子やミニトマトなど、1口サイズの料理ばかりだ。噛み応えも少なめのものばかり。
花盛清華なりに気を遣っているようだが、とはいえ――。
「――何日も寝たきりだったんだし、いきなりは胃に厳しいんじゃ?」
織田流水が常識的なことを言う。
「よゆーだろッ!」
そんな彼に対して花盛清華は笑顔で突っぱねる。
「……まあ、貰っておくわ。ただ……」
「どうした?」
言い淀む深木絵梨に空狐が問う。
「私のご飯と飲み物をどう運ぼうかと思ってね。さすがに一度には持っていけなさそうね」
「あ、それなら僕が持っていくよ」
「それは……ありがたいけど、悪いわ」
「大丈夫だよ、ついでに寄りたいところもあるし――」
織田流水と深木絵梨は料理と飲み物を手に、C棟1階[医務室]に向かった。
――ガラッ。
ドアを開け[医務室]に入ると、ベッドに座った大浜新右衛門に、白縫音羽が包帯を新しいものに入れ替えていた。
「む」「あら?」
大浜新右衛門と白縫音羽が同時に、入室してきた織田流水と深木絵梨に気づく。
目を覚まし動いている大浜新右衛門に、織田流水は喜びを覚えつつも怪我を心配する。
「大浜くん、大丈夫?」
「ああ。だいぶ快復した、と言ってもこのナリでは説得力は薄いがな」
織田流水の心配の声に大浜新右衛門は自嘲する。
彼は上半身を包帯で覆われている状態だ。
「それは?」
白縫音羽が、2人が手に持つ料理や飲み物に注目している。
「彼への晩御飯にと、持ってきたの。花盛の気持ちが、少々ワイルドだけどね」
「ふふ、病み上がりにガッツリと食べさせるとはね。気持ちは嬉しいけど、前のめりが過ぎるんじゃないかしら?」
白縫音羽は大浜新右衛門の顔を伺う。
「……空腹は感じる。だが、食欲が…………少しずついただこう。お皿など食器下げは我輩が明朝にするから、気にせず楽しむといい。人間、生きるならば食事は欠かせん。必ず、復帰への足掛かりにしよう」
大浜新右衛門は意を決した表情だ。
食器下げを明朝にする――という彼の発言に、織田流水は苦笑する。一晩かけて乗り越える彼の意気込みに押されたのだ。
「む、無理しないようにね……」
織田流水は心中慮った。
食事の配膳が済んだとはいえ、すぐに会場に戻るのも素っ気ない。自然と雑談を始める4人。
そんな中、大浜新右衛門が織田流水に声を掛ける。
「――どうした? 元気がなさそうだな?」
「え、そうかな?」
大浜新右衛門が天然水を一口ずつ飲む。
「ああ。気掛かりなことでもあるのか」
「……ちょっとね」
察しの良い大浜新右衛門に織田流水は視線を逸らす。
「相談に乗るぞ、話してみろ」
「あ、いや大丈夫! 些細なことだから!」
織田流水はうっかり口を滑らせたと自戒する。
「――なに?」
「ごめん! でも本当に大丈夫だから!」
織田流水は会話に興じる深木絵梨と白縫音羽を一瞥し、口を線に結び口を閉ざす。
ついさっき白縫音羽に尋問されかけたばかりなのに、気の置けない仲間についつい気を許して口が軽くなる己の性分に嫌気が差す。
白縫音羽だけでなく、もう仲間全員に秘密にする気概が必要だ――と、織田流水は反省した。
織田流水の咄嗟の言い訳に大浜新右衛門はジロリと彼を睨む。
「…………」「…………」
織田流水は無言に耐えれず顔を逸らす。そんな正直な彼に、大浜新右衛門はクスリと笑う。
「そうか。差し迫ったら言いなさい」
大浜新右衛門の優しい言葉に、織田流水はホッと胸を撫で下ろす。
大浜新右衛門は織田流水の目配せ(本人は無自覚だが)に気が付いていた。さすがに”ことの真相”には辿り着いていないが、あまり口外しない方がいいのだと察したのだ。
ただ――。
「織田、もう少し度胸をつけるべきだな。我輩だからいいものの、相手によっては通じないぞ」
小声で大浜新右衛門が織田流水に忠告した。
織田流水はショボンと身を縮こませる。
「――内緒にするというならば、我輩は何も言えん。だが、仲間に頼ることを恐れるなよ」
「え」
「我々は仲間だ。1人で生きていける者であろうと、2人で生きれば更により善く生きていける。それを忘れるな」
「……うん」
織田流水はその肝心の“仲間”に頭を悩ませているわけだが、大浜新右衛門は知る由もなし。
だが、彼の言葉にはその事情を飛び越えて彼の心に突き刺さった。
大浜新右衛門は口の重い織田流水を見て何か思うところがあるのか、助言を試みる。
「……”頼れないこと”があるなら……もしくは”頼ることを禁じられている”なら――”それでも頼れる仲間を作ること”を考えてもいいと、我輩は思うぞ」
「え」
「生きていれば、同じ仲間でも話せることや話せないことは生まれるものだ。それは優劣でも、親密度の差でも、信頼度の差でもない。人間関係というか……それこそが人間関係というか。こればかりは口で説明できないな」
「…………」
「<政治家>として様々な人間関係を見てきた我輩だから断言できる。敵対関係も、協力関係も、同盟関係も……味方陣営も。我輩は、”見極め”と”見定め”の使い分けが大切だと思う。…………む、うまく言えたか?」
大浜新右衛門が顎に手を当てて考え込む姿を見て、織田流水はフッと笑う。
「……和泉さんが聞いたら眉を顰めそうだね」
「まったくだ。あいつは白か黒かしか判断しようとしないからな。”人間関係は白と黒以外もある”。人間は数字じゃない。1+1=2なのだろう。遠目で見れば人間も”1”なのだろうが、近く寄って360°――少しでも見る角度を変えれば違う側面が見えるもの、複雑なものだ」
「……うん」
「数学でいうならば、”1”に見える人間も、よく見たら”√1”かもしれん。はたまた、”1の1乗”かもしれん。いや、もしくは――」
「うん。ふふっ」
不器用なりに説明をしていた彼だったが、説明にノってきたのか次々に例えを言い出す様子に、織田流水はつい噴き出した。
織田流水は、大浜新右衛門との雑談の最中、”これから会おうとしている人間”について考えていた。
“彼”にもきっと色々な側面があるのだろう。
“ああ”したから、”ああ”いう人間だと白黒付けるのは簡単だ。だが見る角度を変えればきっと――。
「”見極め”と”見定め”、か……」
織田流水はボソッと呟く。
ここ数日の“彼”の言動や様子、そして、これまでの“彼”との思い出や付き合いを振り返っていた。
自分はどうするべきか、答えを出してから会うべきなのだろう。
大浜新右衛門との雑談で緊張が解れ、気持ちが軽くなった織田流水は決心する。
ある意味で、決着を付けるために――。
雑談もひと段落して、[医務室]にいる面々も行動を起こす。
「他の皆は?」
白縫音羽が深木絵梨に質問した。
「予定通りよ。欠席者もいるけど、大多数は[カジノ]にいるわ」
「そう。じゃあ、私もそちらに行こうかしら」
白縫音羽が席を立つ。
「あっ、僕は寄るところがあるから、先に向かってていいよ」
「あら、そうなの? どこに行くのかしら?」
「え?」
白縫音羽が笑みを浮かべている。織田流水はドギマギする。
「そ、それは、トイレに行くからさッ。待たせるのもなんだし、先に行っててッ」
「えー、じゃあ、”連れション”しましょうか」
「え゛ッ!?!?」
白縫音羽のぶっちゃけトークに織田流水が心底驚いた声を上げる。
「くだらない冗談を言っていないで、さっさと[カジノ]に行きなさい。耳障りよ」
椅子に腰かける深木絵梨が貧乏ゆすりをしながら言う。
「はーい♪」
イライラしている深木絵梨に注意され、白縫音羽は身を引いた。
「――じゃあね」
織田流水が席を立たずに様子見している姿を見て、白縫音羽は先に[医務室]を退室した。
心を見透かすような白縫音羽の視線に、織田流水は息を呑む。今は、極力2人きりで会話をしないようにしようと心に決めたのであった。
「じゃ、じゃあ、僕も行くよ」
「ええ。手伝ってくれてありがとうね。白縫がちょっかいかけてきたら、すぐに呼びなさい。駆け付けるから」
「あ、ありがとう」
禁酒していることがよほど腹立たしいのか、身体を動かせる機会を作ろうと積極的に動く深木絵梨に織田流水は、その頼り甲斐に感謝しつつも心に引っ掛かりを覚えた。
19時30分。
[医務室]を出て、織田流水は白縫音羽がいないことを確認する。白縫音羽も深木絵梨の“本気”を感じ取っていたようだ。
外の景色がふと目に入る。雨の勢いは衰えず、風がガタガタと窓を叩いていた。室内の防音性の高さと頑強さゆえか、悪天候であることを感じさせなかった。
雨雲の多さも相まって、外は真っ暗だ。
彼はすぐに“目的地”に向かった。
目的地は当然――。
「わぁ、よく来てくれたね、りゅーくん! とても嬉しいよッ!」
――西嶽春人の[個室]だ。
呼び鈴を鳴らして姿を現したのは、部屋の主である西嶽春人だ。
「どうかしたのか?」
訪問したのが織田流水だと分かった鬼之崎電龍が、ドアの陰から姿を現す。
「ちょっと様子を見にね」
織田流水はボカシて答えた。
「2人きりで狭い個室に引きこもって、寂しかったところだよぉ。こんな幸福、ボクみたいな害虫が享受してしまっていいのかなぁ」
西嶽春人が恍惚とした表情を浮かべている。
「みな、楽しくしているか? 何も起きていないか?」
鬼之崎電龍の不安の声に織田流水は力強く肯いた。
情報が閉ざされた密閉空間……既に“殺人未遂”が発生したことを知っている者がそこに閉じ込められるとしたら、気が気でないだろう。
自らあずかり知らぬ場所で悲劇が起きてしまっているかもしれないという、不安に駆られるのは当然のことだ。
友好関係を築いていた織田流水と西嶽春人の2人の仲で起きたのだから、他でも起こることは否定できない。
「そっちこそ、何事もなかった? どうやって過ごしていたの?」
織田流水の質問に、2人は顔を見合わせる。
「生け花だよ」「筋トレだ」
個室の奥に花瓶やハサミなどの道具が床に敷かれたシートの上にあり、手前側にはキッチリと敷かれたトレーニングマットがある。
前者は理解できる。西嶽春人は“花屋”が将来の夢だからだ。
後者は――、
「……あ、そっか。書を書くには狭いかな」
「それもあるが、書を書くことに集中してしまうからな。俺の役割はあくまで西嶽の見張り。適度に気を紛らわせれば、それでいい」
<軍人>の狗神新月に勝るとも劣らない使命感と実直さに、織田流水は心の中で敬礼した。
和やかに雑談を交わす3人。
この場の空気に慣れ、心を決めた織田流水は深呼吸して、”彼”に向き合った。
「――西嶽くん。僕は本当は君に会いに来たんだ」
「え」
織田流水の告白に西嶽春人は硬直する。しかしすぐに――、
「ええぇえええぇえええぇえええぇえッッッ!?!?!?」
かつてないほどの大音量で絶叫する。
織田流水がビクッと驚き、鬼之崎電龍は顔を顰めた(ような気がする)。
「ボ、ボクに、リューくんが、ボクにぃッッ!?!? ボクのことを、”好き”ってッ!?」
「言ってないよッ!?」
西嶽春人のあらぬ誤解を懸命に解いた織田流水は、場の空気を落ち着かせて話を切り出した。
「西嶽くん……キミの少年加虐嗜好については色々言いたいことがあるけれど、今は不問にするよ。そもそも僕と君は同い年なんだから、低身長という理由だけで“少年”という判定をされることに対して一言二言あるけれど、今は我慢する。僕が聞きたいのはただ一つ――」
織田流水は意を決して問いかける。
「キミはまた僕を殺そうとするのかどうか!?、だよ」
織田流水の真剣な目に、西嶽春人と鬼之崎電龍は気圧される。
わざわざ自分を殺そうとした男の目の前に立った理由がこれか、と鬼之崎電龍は納得する。
今日の決起集会『玉兎会』を無事に終え、明日以降の行動に際し、明確にしておきたい点ではある。
しかし、それは諸刃の剣だ。
それが自分たちの希望する回答であるならばいい。だがそれがもし、自分たちの希望に反した結果なら――。
「…………」
「…………」
「…………」
3人は口を閉ざしたままだ。
長い時間、沈黙だったと思う。
西嶽春人が厳かに口を開く。
「――”殺す”、と思う」
西嶽春人の悲しい回答に、鬼之崎電龍は息を呑む。
所詮<殺人鬼>は殺人鬼か、と幻滅にも似た感情を覚え、嘆息し“かけた”時――、
「――なんで?」
間髪入れずに織田流水が反応した。
西嶽春人の目を真っすぐに見て――。
「…………」
「殺される側としては、理由を聞いておきたいんだけど……」
織田流水にしてはブラックユーモアの溢れる切り替えしに、2人は内心苦笑する。
「理由か――」
西嶽春人は顔を動かす。個室の天井を見たり、床を見たり、壁を見たり、家具を見たり、キョロキョロと視線を泳がせる。
まるで、答えを探しているかのようだ。
「…………」「…………」
黙って待つ2人に、西嶽春人は顔を上げる。
「――うん、待たせてごめんね。ちょっと整理したよ」
西嶽春人はそう言って、自分の胸に利き手を当てる。
「今回、仲間たちに止められて、現場の証拠を押さえられて、言い逃れができない立場にいるけれども――それでもボクはいつかキミを殺しちゃうんだって確信しているんだ。だって――だってボクは、ボクは、ボクは――」
西嶽春人は目を見開いて、自信満々に言う。
「――ボクは、”愛したいから殺すんだ!”」
「……は?」
西嶽春人の予想外の回答に、見守っていた鬼之崎電龍は間の抜けた声が出る。
「ボクは殺そうとしたんじゃないんだ、ボクは愛そうとしたんだよ! 本当だったら、決して断ち切られない友情の糸が! 決して砕けることのない絆が! ボクらの間に生まれるはずだったんだ! 謂わばあれは……儀式みたいなものさ」
「…………」
「ボクのやり方が間違っているのは分かる。でも、これが一番良いんだ、これが最適なんだ。これが“答え”なんだ。あっ……ご、ごめんッ。急に気持ちの悪いこと言っちゃって。困るよね――”殺人をするためだけに生まれた人間”に、穢れたボクに言われて。迷惑だよね。……でも、これがボクの21年の人生で気が付いたこの世の真理なんだ。”与えるだけが愛じゃない、奪う愛もあるんだって”」
「…………」
自分の心中を語るうちに、目の焦点が失われていくような興奮を見せる西嶽春人に、2人は何も言わずに聞いていた。
「ボクが間違っていることも分かってるし、キミにとって迷惑なのも分かってる――でも、それでも、チャンスを失うわけにはいかなかった。誰かにキミが殺されるのをただ見ているのは、我慢ならなかったんだ――。ボクのもっとも親しくて信頼している友達は、ボク自身の手で殺したかった――」
話しきった西嶽春人がフッと自嘲する。
誰かから殺し合いを命じられた時、おそらく全ての人間が”自分が殺されること”を恐れるだろう。
だが、西嶽春人は――”もっとも親しく、大切な友人が誰かに殺されること”を恐れたのだ。
他人と異なる感性を持っている……これを、異端と呼ぶのだろう。
聞くことに耐えられなくなったように、鬼之崎電龍が話す。
「――何を言っているんだ、貴様は。言っている意味が分からない。もっとも親しいなどと言いつつも、結局殺そうとしたじゃないか。自分が何を言っているのか分かっているのか?」
鬼之崎電龍に詰め寄られて、西嶽春人は自分の髪を掴んで引っ張り、頭をグリングリンと振り回す。
「そ、そうだよね。意味が分からないよね。でも、それで良いんだよ。”ボク”が分かったら、それはそれで問題だよ」
「おいやめろ。真面目に聞け! 貴様はいったい――」
西嶽春人の自傷を止める鬼之崎電龍が、なおも問い詰めようとしたが、それを制したのは織田流水だった。
「――キミの言いたいことはよくわかった」
2人から視線を向けられ、織田流水は続ける。
「――あ、いや、何を言っているのかは分からないけどね? でも、よくわかったよ」
「貴様、正気か?」
鬼之崎電龍に聞かれて織田流水は少し悩んだ末に言う。
「んーと、2人は僕の仲間だから正直言うとね……西嶽くんの返事は重要じゃないんだ。突き放した言い方をすれば、僕にとっては”どうでもいい”んだよ」
「え」「な」
驚く2人に織田流水は意に介さず、彼は西嶽春人に落ち着いた様子で話す。
「僕は、キミがなんと答えようが、返す言葉を決めていたんだ」
真っ直ぐに目を見て言う。
「キミが”奪う愛”を僕にくれるというのなら、僕は”与える愛”をキミに贈るよ。キミがいつか僕を殺すその時まで、僕はキミの傍にいる。キミの傍で喜ぶし、怒るし、哀しむし、笑うよ。ずっとキミの味方でいる。そして――そして、僕が与える愛の大きさに、キミはいつか応えてくれればいい」
「…………」
織田流水は言い忘れていたというように、慌てて付け足す。
「あ! 念のため言うけれど、僕は死にたがりじゃないからね! “その時”が来たら、全力で抵抗するから! 今度起きたら大怪我を覚悟してよ!? それと、普段から警戒するから! それはそれ、これはこれ、だからね!」
西嶽春人が勘違いしないように織田流水は補足する。
「……正気か?」
黙っていた鬼之崎電龍が織田流水に言う。
「正気だとも! そ、そもそもね! 僕は一度、射殺されかけたんだからね!? もう、仲間の一人や二人に襲われたくらいで、騒ぐほどじゃないから!」
「――フッ、そうか」
織田流水の空元気に鬼之崎電龍は微笑みで称えた。
きっと恐怖はあるのだろう。しかし、それに打ち勝って仲間と協力することを選んだという、織田流水の心意気を鬼之崎電龍は称賛したのだった。
織田流水は言い切ったと肩で息をする。
すると、西嶽春人が――、
「……ボクが言うのもなんだけど、怒ってないの?」
「え?」
――怪訝な表情で織田流水に質問した。
「ボクが常識を語るのもなんだけど……普通はまず怒るところじゃない? 織田くんはボクに理不尽に暴力を振るわれたどころが、殺されかけたんだから。キミが一人でここに来た時、正直言うと、烈火のごとく激怒していると思っていたよ」
「…………」
思わぬ言葉に織田流水は呆然とする。
理不尽に怒る――?
言われてみればそうだと織田流水は心中思う。
「……あ」
織田流水は思い当たることがあった。
「……香澄ちゃんといい、”ハルカちゃん”といい、和泉さんといい、僕に理不尽に当たる人は昔からいたからかな、耐性があったのかも。理不尽に怒るなんて発想、ちっとも思わなかった」
「――そうなの?」
「あ、口に出てた!?」
織田流水は自分の口を押さえるが、既に口から出たあとだ。
「フッ、聞かなかったことにしよう。知ったら怒る者がいるだろうからな」
「……そうだね。2人ほどね」
鬼之崎電龍と西嶽春人は顔を見合わせて笑った。
またあらぬ誤解が生まれそうだと織田流水は慌てて補足する。
「あ、でもそれだけじゃないよ! えぇと……言いにくいけれど、和泉さんから悪玉<再現子>の不幸な生い立ちを、常々聞かされていたからかもしれない。だから何というか、ちょっとだけ、その……」
「――同情しているのか?」
「……う、う~ん、まあ、そんな感じ。それに、僕もまったく怒っていないかというと、人並みに痛かったし、許していないからね」
「…………」
西嶽春人は無言で織田流水を見る。
「西嶽くんに同情はする、でも仲間を襲うという行動に対しては軽蔑もしているよ。その上で、僕たちは仲間だと思ってる」
織田流水が力強く言う。
「――そう、なんだね」
西嶽春人は目を伏せる。
「よくわかったよ。キミの気持ち。キミの考え。キミの――覚悟が。本当に、皆で生き延びようとしているんだね」
「う、うん、そういうこと」
覚悟――と西嶽春人に言われて、そんな話をしたかなと織田流水は若干首を傾げたが、気恥ずかしさが勝った。
「…………」
西嶽春人は目を上げて、織田流水を真っすぐ見る。
「――キミは僕を断罪しないし、キミは僕を許さない。それなら――ボクはまず織田くんに”贖罪”をするよ。許してもらえるように、キミに尽くそう。”愛”を渡すなら、まず前提として対等でいないとね。これは、ボクが勝手にやること。”愛”に許可が要らないように、”贖罪”に許可は要らない。キミが拒むとしても、ボクは関係なくキミに尽くすよ」
西嶽春人は膝を突き、首を垂れる。
「――ボクは、キミの“覚悟”に……キミの海より深い友情に、ボクは報いたい」
西嶽春人は織田流水の手を取って言った。
思わぬ反応に若干戸惑いつつも、織田流水は応えた。
「うん――これからもよろしく」
西嶽春人が笑顔で言う。
「――気持ちのいい完璧な”愛”を遂行するために、頑張るよ」
「……それ、僕にとってはバッドエンドだよね……」と、織田流水。
「ふっ、その時が来たら、俺たちが守るさ。そしてまた贖罪の日々を送らせてみせる」と、鬼之崎電龍。
こうして、織田流水と西嶽春人は妙な和解をしたのであった。
――ピンポーン!
ちょうどいいタイミングで呼び鈴が鳴った。
「…………」
自分以外にピンポイントで訪問する者がいたのかと織田流水が警戒するが、鬼之崎電龍はスタスタと歩き迷いなくドアを開けた。
「――お待ちどおさま。って何この状況」
中川加奈子が料理と飲み物を持参して訪れたのだ。
「え、なんで中川さんが?」と、織田流水が戸惑いを見せる。
「つい先ほど、中川に食事の配膳を頼んだのだ。時間も時間、空腹には抗えん。個室から離れられぬ以上、事情を知る者に持ってきてもらう他ない」
「中川さんは自然に『玉兎会』から途中退室できるからね、ついでにお願いしたんだ」
中川加奈子から料理と飲み物を受け取りながら、鬼之崎電龍と西嶽春人が説明する。
なるほど。”メディカル三姉妹”は大浜新右衛門の看護で途中退室が発生する。
「織田がここにいるとはね。素面の連中が心配していたから、早く戻った方がいい。酔いつぶれたんじゃないかと噂になっていたよ」
中川加奈子に言われ、織田流水は時計を見る。
もう20時前だ。[医務室]と西嶽春人の[個室]で長いこと話し込んでしまったようだ。
「あ、じゃあ、僕はこれで失礼するよ」
「うむ」「またね」
鬼之崎電龍と西嶽春人が名残惜しそうに見送る。
「あ、一つだけ情報共有しておく」
織田流水と共に退室しようとした中川加奈子が言う。
「――例の西嶽の暴走の件、十中八九、白縫にバレている」
「え!?」「なんだと!?」「わお、さすが白縫さんだね」
三者三様のリアクションを披露する一同。
「私に探りを入れてきた。白縫がどこまで知っているか分からない。勘で動いているのか、確信があるのか。口ぶりから、織田、鬼之崎、和泉が関わっていることは見抜いていそう。だけど――空狐はまだバレていないと思う。これは和泉と空狐にはまだ言っていない」と、淡々と話す中川加奈子。
「二人の携帯端末にメールを送って知らせるか?」と、鬼之崎電龍。
「いつ読んでくれるか分からないし、覗かれたり誰かの手に携帯端末がある状態だと見られちゃうよ。頃合いを見て、直接伝えよう」と、織田流水。
「がってん承知」と、西嶽春人。
片や飲酒中、片や療養中と行動が読みにくいタイミングだ。織田流水もここ数日で随分、冴えてきた。
最低限の情報共有を済ませ、中川加奈子と織田流水は退室した。中川加奈子はそのまま[医務室]に向かい、深木絵梨と交代しに行った。
いったいどこから情報を仕入れたんだ、と織田流水は一抹の不安を覚えながら、一足先に[カジノ]に戻るのであった。
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