R ―再現計画―

夢野 深夜

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第1章 楽園は希望を駆逐する

第4話 玉兎会(6日目) その3

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 ――お前は、自分がであることを自覚しなさい。

 ”彼”が頻繁に『肉親係』に言われた言葉は、自分の全てを否定される言葉だった。
 生後まもなくから子守歌のように聞かされ育った”彼”にとって、それは自分以外の皆も同じように聞かされているものだと考えていた。
 自分のが特別ではないと信じて疑っていなかった。

 ――これが“愛情”だ。

 ”彼”が『同窓』から好かれたり、他の『肉親係』から褒められたり、施設職員から感謝を述べられる機会があった時は、『肉親係』は必ず”彼”を叱り、非難し、拒絶した。
 時には長時間、人格を否定するような言葉で責めたり。
 時には目立たないように体罰を与えたり。

 時には”彼”に自分自身を痛めつけるよう命令したり。

 その際、必ずと言葉を添えて。


 ――あなたは誰からも好かれず、喜ばれず、祝われない人間になりなさい。

 そんな”彼”が周囲と生活環境が違うことに気が付いたのは、10歳のころ。
 集団生活の中で初めて『施設替え』を行った際のことだった。
 特に何も感じずを待っていた”彼”は、『同窓』たちが仲の良い友達と別れるのは嫌だと、『肉親係』に泣きながら訴えている姿を見た。

 物心が付いた時から物わかりの良い子供だった”彼”は、その違和感に気が付いた。
 『肉親係』に自分の感情を伝える行為、自分の気持ちを伝える行為、自分の“境遇”に意見する行為。

 そういった行為を見た”彼”がどのような感情を抱いたのか、察するに余りある。

 ――“これ”を大切に育てなさい。名前は自分で付けていい。

 13歳になる頃に『再現学』が本格的に始まった。
 これから更なる苦痛やストレスが待っていると想像できた”彼”は、しかしその運命から逃れられない責任感と絶望に苦しんでいた。

 或る日、『肉親係』は”彼”に1羽の小鳥を与えた。
 <殺人鬼>として、個別の飼育を指示されたのだ。
 ”彼”はその小鳥を非常に可愛がり、大切に育てた。
 そんな”彼”とペットの絆を、『同窓』も微笑ましく見守っていた。

 大切にするあまり、名前は決められずに保留になった。


 ――心を強く持って、逞しく図太く見苦しく生きなさい。

 <殺人鬼>の『再現学』は想像通り、苛烈を極めた。

 最初は“台無し”から始まった。調理実習でわざと失敗したり、サプライズがあればうっかり口を滑りそれを破綻させたり。

 次は“破壊”が始まった。夜に紛れ『施設』の壁に落書きをしたり、人目に付かない頃を見計らってテレビなどの備品を壊したり。

 今度は“生き物の殺害”に進んだ。遠足などのアウトドア中に昆虫の虐殺をしたり、小動物の殺処分を手伝ったり。

 異常なストレスを感じる毎日が続くほど、”彼”はペットの小鳥に依存するように入れ込んだ。

 “命”を奪いつつ、“命”を大切にする。

 彼はそんな自己矛盾に吐き気を催しながらも、『同窓』には生活環境が違いすぎるために相談ができず、ただひたすらその生活に耐え、耐え、耐え――耐え切った。

 ――“これ”に愛情を込めましょう。

 そんな生活は唐突に終わった。

 『肉親係』に自分のペットの殺害を命じられたのだ。だと言われた。18歳の頃だった。

 苦楽を共に過ごした大切なペット。大切にしすぎるあまりに名前をずっと付けられなかったことを、”彼”は初めて後悔した。
 ”彼”は初めて『肉親係』に反抗したが、『肉親係』に強く強く迫られた”彼”は、数日の忍耐と抵抗の末――そのペットを手に掛けた。

 ――君の名前は、■■■■だ。

 泣きながらペットを殺める時、不意に浮かんだ名前をペットに付けた。
 これまでの“台無し”や“破壊”、“生き物の殺害”では一切覚えなかった感情を抱いた”彼”はようやく気が付いた。


 ――これが、“愛”なんだ。


 自身の悲惨な境遇、辛い教育、『同窓』との差異に一種の恐怖を覚える生活環境、忘れてしまいたい毎日。
 そうした負の感情に答えを出してくれたは、これまでの”彼”を変え、これからの”彼”を支えるものになった。

 ”彼”――西嶽春人はそうした生活の果てに、に走ったのだった。


 さて、そういえば。
 “小鳥の死”を嘆いてくれた事情を知らぬ『同窓』に彼はその心境を漏らしていた。

 せっかく付けたペットの名前は、不思議といつの間にか思い出せなくなった――と。



 閑話休題。

 現在、西嶽春人の個室。
「――うッ! ぐあッ! あぐッ! ……ハァハァ」と、西嶽春人の叫び声が部屋に響く。

 西嶽春人は気絶した織田流水をおんぶして、自室に運んでいた。
 織田流水をベッドに寝かした後、彼は座布団に腰を下ろし、自分の両足を棍棒で叩いていた。

 西嶽春人の部屋には、自身の凶器である刃物類の他、こうした自傷行為に使用する凶器が常備されている。ちなみに、軽い自傷行為には刃物類、重い自傷行為には打撲類を用いることが多い。

「うぅ……い、痛い、痛いよぉ……ッ」
 西嶽春人は痛みに悶絶しながら棍棒を定位置に戻す。
「……ふ、ふふふ、ふふふふふふッ」と、笑みが零れる西嶽春人。

 織田流水を[備品室]で殴り倒した後、織田流水の身体を自室に運んだ。
 移動中に風間太郎と遭遇したが上手く誤魔化せた西嶽春人は、久しぶりの達成感と高揚感に興奮していた。

 メディカル三姉妹は言わずもがな、勘の鋭い和泉忍や猜疑心の強い峰隅進などと遭遇しなかったのが幸運だった。

「ハァハァ、いけない。落ち着かないとッ! うぐうぅッ!?」
 西嶽春人はテーブルに置いてあるポットから熱湯を出し、自身の手にかける。
 ビチャビチャビチャとテーブルに零れる熱湯を眺めながら、西嶽春人は自身の真っ赤になった手を舐める。

「……ううぅ」
 思いのほか熱く、火傷の恐れがあったため、西嶽春人は洗面所に駆け込んだ。興奮するあまり、手加減を誤ったらしい。
 冷水で治療をする中、西嶽春人の頭も冷えてきた。

 ――殺人でもっとも大切なことは、冷静であり続けること。
 犯行の失敗や後始末の不足、証拠隠滅のミスなどが起こるのは、集中力の低下と視野狭窄が原因だと西嶽春人は教えられていた。

 西嶽春人は心が落ち着いた後、自室のドアを開けて、部屋の外の廊下を見回す。
 遠目に[医務室]から中川加奈子が出てくる姿が見えただけだった。
 周囲にひと気がないことを確認した西嶽春人は顔を引っ込め、ドアに鍵を掛ける。

 ドアに背を向け、短刀を手に持ち、奥のベッドにフラフラと向かう。手の痛みは治まり、両足の痛みも引いてきた。

「…………」
 ベッドで眠る織田流水の衣服を剥ぎ、その上半身を露わにさせる。痩せ気味の彼の身体を見ても、西嶽春人は落ち着いていた。

 彼は短刀を構える。

 <殺人鬼>といえども、西嶽春人は生まれて初めて人間を殺めることになるが、想像以上に自身の心が落ち着いていることに驚きを覚えていた。

「…………」

 織田流水の胸に刃が刺さる――。

 ――直前に。
 ふと、何気なく、西嶽春人は後ろを向き、ドアを見た。


「――!」
「――!」


 “ドアの内側にいた人物”と目が合い、西嶽春人とその相手は動揺と驚愕に、互いに目を見張る。
 その相手は、今まさに入室したような姿勢だった。音もなく西嶽春人の[個室]に入室していた。

「…………」
 ――ガチャリ。
 その相手は無言のまま、後ろ手でドアに鍵を掛けた。
 西嶽春人がその相手に声を掛ける。

「……和泉……サン」

 その相手――和泉忍は帽子を洋服掛けに置き、髪を整える。
「――ふぅ。後学のために聞いておこうか。私は気配を完全に絶っていたはずだが、どうして気が付いたんだ?」

 西嶽春人が向き直り、和泉忍と対峙する。
「なんとなく、かな? 理由があったわけじゃないよ。ただ――と教えられたものでね」
「そうか。いい話を聞けた、ありがとう」
 まるで日常のように会話を交わす2人。

 西嶽春人が和泉忍の恰好に目を遣る。いつも通りの、手錠が十個近くスカートについていた。
「……今更だけど、和泉サンって、“無音”で動けるんだね。そんなにも手錠をいっぱい付けてるのに」
「ああ。最初こそ不便だったが、案外慣れるぞ。それに――これはこれで便利だ。無意識に“和泉忍は騒がしい”というバイアスがかかるから、都合がいい時も多い」
 和泉忍は腰をフリフリと左右に揺らし、わざと手錠をガチャガチャ鳴らす。
 和泉忍本人の性格も相まって、余計にそう思わせられるのだろう。

「尾行はされていないと思っていたけどなぁ」
「ふっ、尾行じゃないさ。風間が吹聴していたぞ。『西嶽が気絶している織田を運んでいて見直した』って。目撃者への誤魔化し方は良かったが、目撃者の性格を考えるべきだったな。アイツはアホだが、使えるアホだ」
「……ふぅ、残念。ボクもまだまだ詰めが甘いね」

 和泉忍がそのセリフを聞いて、自戒する。
「私も甘かった。”こんな状況”なのに、<殺人鬼>を警戒していなかったなんて。敵はもちろん、仲間にも油断せず警戒していた……つもりだった。特にお前は、だったのに……己の甘さを自覚できたよ」
「…………ボクのを知っていたんだね。驚いた」

 ――それなら。
 会話を終えた西嶽春人からスゥッと生気が消えていく。まるで死神のような冷酷な雰囲気を纏い、死人のように冷たい目をしていた。

「――和泉サン、悪いけど、引いてくれないかな? ボクは、”初めて”を織田クンで卒業すると決めているんだ」

 和泉忍はニヤリと不敵に笑う。
「<探偵>の本分は謎解きで、治安維持はその副産物であるってのが私の自論だが……目前に起こる殺人行為を見逃すわけにはいかないな。あぁ、否、、か」

 和泉忍がスカートから手錠を1つ取り外して手に持ち、もう片手でスカートに仕込んでいた警棒を取り出す。

「…………」
「…………」

 <探偵>と<殺人鬼>が狭い個室で向かい合い、睨み合った。

 片や仲間を守るために、手錠と警棒を手にし。
 片や仲間を殺すために、短刀を手にする。

 なんの因果か――<再現子>同士の殺し合いは、<探偵>と<殺人鬼>によってその火蓋を切られたのである。

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