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第1章 楽園は希望を駆逐する
第2話 無為に帰す(2日目) その4
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2日目、朝。
現代人が朝起きた時、まずは何をするだろうか。
カーテンを開けて朝陽を浴びるだろうか。顔を洗ったり水を飲んだりするだろうか。身体を目覚めさせるためにストレッチを行うだろうか。
彼――織田流水が朝起きてまずしたことは、時間の確認だった。
織田流水は枕元に置いてある目覚まし時計を見て固まる。
「…………」
ここでの生活は分刻みでスケジュールを組まれていた。
8時に朝食、12時に昼食、15時に間食、19時に晩食、22時に夜食と決められている。15時の間食と22時の夜食は選択制だった。
その習慣から8時に朝食会を行うと考えていた織田流水は、間に合うように目覚ましを掛けていた、が――。
――時計は12時を差していた。
織田流水は寝ぼけて頭が動いていないのか、時計の針を見てもリアクションを起こさない。
数秒、時間が止まったような沈黙が流れた。
「……っ!? なっ! やばっ!? しまった! 目覚まし掛けていたはずだったのにっ!?」
織田流水は慌ててベッドから飛び上がる。
昨日、食堂で晩御飯を摂りつつ、自分が気絶したあとの情報収集をしていた。解散する頃には満腹感から派生する眠気により、記憶は混濁していた。彼は自室で寝支度を済ませたところで記憶が終わっている。
ただ、もう織田流水の頭の中には次の事実だけ反響していた。
――明朝に話の続きをする。
「どうして誰も呼びにきてくれないのさッ!?」
織田流水は急いで身支度を済ませる。
仲間たちが病み上がりの織田流水に対して気遣いをしたからだとは、彼には知らぬことだった。
織田流水は慌てて自室を出た。
「おっと――」
「あっ、ごめんッ!」
自室の目の前で和泉忍と遭遇した。
慌てて外に出た織田流水の勢いに、和泉忍がぶつからないように綺麗に躱す。
「ごめんねッ、今急ぐから……って、なんで和泉さんがここに?」
食堂に向かおうとした織田流水が我に返り、和泉忍に聞く。
「ああ、お前を呼びに来たのさ。呼び鈴を鳴らす前に出てきたものだから、驚いたぜ」
「え……僕に何か用事?」
「当然だ。でなければ、わざわざここまで来ないだろう?」
「そ、それもそうだね」
ハッキリと言う和泉忍に織田流水はなんとなくイヤな予感がしてタジタジになる。
和泉忍は、逃げるか迷った織田流水の一瞬の硬直を見逃さず、彼の手を取りどこかに向かって歩き出す。
「ど、どこに向かうの!?」
「少しついてきてもらいたくてな」
有無を言わせぬ彼女の様子に気圧されて、織田流水はおとなしく従った。
振り払うこともできるが彼女の真意が読めない以上、無闇に拒否するのはあとが怖かった。
「――ここだ」
織田流水と和泉忍はC棟5階『学習階層』にある[学習室]に来た。
[学習室]は座学の自習室として用意されている。
<再現子>が19名いるが、収容人数はその3倍以上あり、全<再現子>の共有部屋としては最大級の部屋だ。おそらく『肉親係』も同席して使用することを想定しているのだろう。
その名の通り、学習机と椅子が何組、何列にも置かれているだけの殺風景な長方形の部屋だ。
「あ、織田くんを連れてきたんだね」
「……もっと体力と腕力のある男を連れてこないか……」
その場所にいたのは、白縫音羽とクールビューティの美女――時時雨香澄だった。
「な、なにしてるの?」
白縫音羽と時時雨香澄が待っていたその[学習室]では、机や椅子が彼女らによって動かされており、本来の姿ではなかった。
「見ての通り、諸事情で備品を動かしている。人手が欲しくて和泉に人を呼ぶよう頼んだんだ」
時時雨香澄が状況説明をしてくれた。しかし、肝心の理由には触れられていない。
「どうしてそんなことを?」
織田流水が当然の質問を尋ねた。
「<再現施設>には非常事態に備えられた非常口があることは知っているな?」
和泉忍が冷静に返す。
<再現施設>は各棟各フロアに一ヶ所ずつ、非常口が設けられ、それに従うように外壁に非常階段がある。
「え……でもそれって、もう相手に抑えられているんじゃないかな……?」
テロリストに自由行動を承認されているが、人質として認識されている以上、”出口”を放置しているとは到底思えない。
「いや、それは“囮”の非常口だ」
「囮?」
時時雨香澄が和泉忍の言葉を引き継いで、丁寧に説明をする。
「<再現施設>に非常口は複数ある。今回のように外敵がここまで深く侵入してくることを想定していなかったために、我々<再現子>の間でも周知されていない。おそらく事前に我々に知られていると我々に悪戯をされる可能性があると判断したからだろう。きっと、いざという時は職員が率先して導くつもりだったのだ。私も存在は知っているが、場所は知らない。その候補としてこの[学習室]が挙がり、こうして探しているのだ」
織田流水は相槌を打ち素直に聞くが、疑問が浮かぶ。
「……あれ? 非常口ってことは……ここから出るためのものだよね?」
「そうだが?」
「……いや、だって……」
堂々とした時時雨香澄に織田流水が苦笑する。
「――だって、“むい”にバレたら大目玉を食らうのに、かな?」
白縫音羽がニヤリと笑い、織田流水の心の中を当てる。
織田流水は見事に図星を突かれ困惑する。
「う、うん、そうだよ。大丈夫なの?」
時時雨香澄がそんなことかとばかりに鼻で笑う。
「”見つけておくだけ”だ。ヤツは施設から出ることを禁じただけで、出口を見つけることは禁じていない」
「…………そ、そんな屁理屈で」
織田流水は時時雨香澄の理屈に納得していないようだが、彼はひとまず情報を聞き出すために呑みこんだ。
「でも、どうして机や椅子をどかすの?」
「通常の非常口と違い、第二の非常口は見つけづらいことだろう。なぜなら、その非常口を使用するときは囮の非常口が使えない、より非常な状況だという前提があるからだ。常識的な探し方ではまず見つからないと考えるべきであり、となると、隠し扉の形式は“横軸”よりも“縦軸”の可能性が高い」
「……え? なんだって?」
織田流水の頭に?マークが出る。
「隠し扉の形式は“横軸”よりも“縦軸”の可能性が高い」
時時雨香澄がそっくりそのまま言い直す。
「あ、ごめん。聞こえてはいたんだけど……聞こえなかったからではなくて、その……もう少し分かりやすく噛み砕いてもらえると……」
織田流水が頭を掻く。
白縫音羽が携帯端末をイジり、地図の画像を2種類表示して織田流水に見せる。
「壁に扉が付いている場合、その奥に人が通るスペースが必要でしょう? でも、施設から支給された施設内マップにはそのスペースがありそうな場所がない。これは以前、葉高山くんが趣味で自作した施設内マップにも同様なことが云えるから、間違いないわ」
つまり、再現施設側が隠している、または、施設側も知らない扉がある可能性が潰れている――ということらしい。
「平面の地図が我々の手に2種類あり、その2種類ともが同じ答えを出している。となると、平面的な非常口ではなく、立体的な非常口であると考えるべきだろう。つまり――」
時時雨香澄の会話中、出し抜けに和泉忍が床をコンコンと叩き説明を締める。
「非常口の出入り口は、“床”か“天井”だ。さて、お喋りはもういいだろう。調査を始めよう。コバヤシ、お前には大きめの机や椅子の移動をお願いしたい。私たちは非力なのでな」
「そ、そうだね。分かった……織田だけど」
織田流水よりも背が高いどころか、<再現子>全体でも高身長な部類の時時雨香澄と白縫音羽に力仕事を頼まれるのは、彼にとっては複雑な心境だった。
だいいち――、
「香澄ちゃんは身体が弱いから分かるけど、和泉さんは調査が本業の<探偵>なんだから、この程度の力仕事は楽勝なんじゃないの……ブツブツ」
「――何か言った?」
「いえ、なんでもないですッ!」
頼まれると断らない性格である織田流水だが、些か腑に落ちないまま作業を手伝った。
さて、時時雨香澄は上品さと妖艶さを兼ね備えている、<花魁>の<再現子>である。
見た目は全身白づくめの貴人だ。白のつば広帽子、白いヴェール、白い日傘、白のフェザードレス、白のハイヒール。そして眼皮膚白皮症を患っており、全身の色素が薄く病弱である。<再現子>から和装がイメージされるが、彼女は自身の“将来の夢”のためにそれに反抗している。彼女の気の強さと覚悟が窺える。その将来の夢は、<官僚>だ。
――そして、作業を始めること数十分。
「ふうっ、ふうっ、ふうっ」
織田流水は右に左に、机、椅子、机、椅子と移動させる。
和泉忍の指示で動かした後は、別の場所で白縫音羽に頼まれ力仕事を行う。そうかと思えば時時雨香澄に呼ばれてまた移動だ。
「…………これ、僕を選んだのは人選ミスなのでは……ッ!?」
三人娘に引っ張りダコな織田流水は、最初こそ頼られて嬉しかったものの、三人分の力仕事を一手に引き受ける形になったことに思わず口走る。
<力士>の鬼之崎電龍、<足軽大将>の美ヶ島秋比呂と、武闘派は他にいるのに何故自分なのだ、と不満に近い自問をする。
ひと段落して椅子に腰かける織田流水の傍で、ジャラジャラジャラと金属のぶつかる音が聞こえた。
織田流水が音をする方向を見ると、和泉忍がすぐ傍の床を調べ廻っていた。
彼女はいつの間にか、四つん這いで移動しながら調べているため、スカートが小刻みに揺れ、それで手錠同士がぶつかり音を出しているようだった。
織田流水は“あること”に気が付き、指摘するかを悩んだが、黙っている方が悪いかと思い直し、和泉忍に伝える。
「…………和泉さん、パンツ見えるよ」
「…………」
和泉忍は聞こえているのかいないのか、織田流水の発言を歯牙にもかけない。
織田流水も気にしない。和泉忍は調査に集中すると結構な割合で無視をするのだ。
ふと、織田流水は思い出し、和泉忍に聞く。
「――ところでさ。和泉さんの仕込んだ発信機って、いつまでも分かるの? それって――死んだ後でも?」
「この島にいるなら対象が死んでいても追える。無論、発信機が破損したら無理だが。発信機はそれ単体で動くものだから、本体の生死、健康状態には依存しないぞ」
「そうなんだ」
「ああ。生きていようが死んでいようが、私の両親には変わりないからな」
「…………」
和泉忍の思わぬ持論に閉口する織田流水。<探偵>の口から聞くと、印象が変わる。
「……あ!」
織田流水はふと気が付く。
「これ、机と椅子をいちいち移動させるよりも、部屋の外にいっぺんに出した方が楽じゃない?」
「えー?」
「外か」
和泉忍は無視したまま、他の2名――白縫音羽と時時雨香澄は互いに目配せする。
「……え、ダメなの? 4人で――もちろんお手伝いの僕が一番頑張るけど、4人でやればすぐじゃない? それで、終われば元に戻すでもすればさ」
織田流水の質問に白縫音羽が返す。
「ダメじゃないけど、この机と椅子の量をどかすのって、大変じゃない? ザッと見ただけでも机は20台以上あるし、椅子も60脚はある。廊下に出すのも、キチンと並べないと全部出せるか分からないわ」
「……そ、それは」
――それに、と時時雨香澄が続ける。
「非常事態の脱出口として用意されている以上、その開錠に手間が掛かるとは思えない。だが、開錠のトリガーに“ものの重さ”や“ものの位置”が関係する可能性がある。でなければ、ふとした拍子に我々の誰かが見つけてしまうかもしれないからだ。なにしろ、<探偵>や<冒険家>がいるのだからな」
「……う、う~ん」
――そもそも、と和泉忍が最後に言う。
「一台一脚ずつ少し動かして済む方が、総合的に見れば楽じゃないか?」
「……き、聞いていたんだね」
「当然だ。どれだけ小さい手掛かりでも見落とし、もとい聞き逃しをしないためにな」
和泉忍がそう言い終わると、織田流水の腹部を指さす。
――ぐうううぅぅぅぅ。
「……っ」
自分の空腹の音が出た織田流水は恥ずかしさに顔を赤らめる。時時雨香澄が訝しむ目で彼を見る。
「……もしかして、まだ昼食を摂っていないのか?」
「あっ、うん……というか、寝起きだったからまだ何も食べてなくて――」
「なにっ、そうだったのか!?」
時時雨香澄が驚愕する。
「ああ……自室にいたのは直前まで寝ていたからか……それは済まなかったな」
和泉忍は椅子を運びながら、納得の声を出す。
「いや、そういえば言ってなかったしね」
「食事も摂らずに肉体労働とは、身体に毒だわ。お手伝いはここまででいいから、食事を摂りに行きなさい」
室内の写真を撮りながら白縫音羽が優しく言う。
「あっでも……」
食い下がる織田流水に時時雨香澄がハッキリと言う。
「我々のことは気にするな。あと、他の者を呼ぶこともしなくていいぞ。[学習室]はもう調べ終わるからな。我々はこの後、休憩する予定だ」
「う、うん…………あっでも! 南北さんに聞いてみようか? 『透視』で非常口を見てるかもしれないし!」
「……南北、だと?」
織田流水の提案に時時雨香澄の顔色が変わる。若干、怒りの色が見えた。
「え? え? そんなおかしな話だった?」
「…………」
時時雨香澄が無言になるのを受けて、白縫音羽が代弁する。
「雪花にはギリギリまで頼らないことにしてるのよ。“お願い”も回数を重ねると価値が下がるから。だから、今はいいわ。どうしても頼らないといけない“お願い”を断られないためにも、ね」
白縫音羽が織田流水にウインクする。織田流水は、わかった、と力強く頷いた。
織田流水は、南北雪花の<超能力>で非常口の有無をすぐに調べられることに言及したわけだが、白縫音羽の説明を受け、織田流水は素直に聞き入れることにした。
「う、うん、わかった! 途中で抜けてごめんね!」
エレベーターで降りて行った織田流水を、廊下で見送る三人娘。
「…………」
「…………」
「…………」
ふっ、と鼻で笑う和泉忍。
「時時雨。私も頼らないことには同感だが、お前は態度が露骨すぎだ。お前が南北を嫌悪する理由も分からなくはないが、建て前を学んでおけ。<官僚>になるなら、なおさらな」
時時雨香澄は鼻を鳴らす。
「……貴様に言われるのは心外だが、その忠告は概ね受け取っておこう」
白縫音羽がクスリと笑う。
「でも、私は貴方の気難しさは好きだわ。気難しさは”感情”のなせる業だから」
三人娘は互いの顔を見合わせる。
「……これで、布石は打たれた、と考えていいのか?」と、時時雨香澄。
「コバヤシはいざというときは役に立つ助手だ」と、和泉忍。
「その“いざという時”が来ないといいわね。さて――」と、白縫音羽。
白縫音羽に視線を向ける時時雨香澄と和泉忍。
「――じゃあ、本題に入りましょうか。言うまでもないけれど、他言無用よ?」
三人娘はお互いに頷き、[学習室]に姿を消した。
現代人が朝起きた時、まずは何をするだろうか。
カーテンを開けて朝陽を浴びるだろうか。顔を洗ったり水を飲んだりするだろうか。身体を目覚めさせるためにストレッチを行うだろうか。
彼――織田流水が朝起きてまずしたことは、時間の確認だった。
織田流水は枕元に置いてある目覚まし時計を見て固まる。
「…………」
ここでの生活は分刻みでスケジュールを組まれていた。
8時に朝食、12時に昼食、15時に間食、19時に晩食、22時に夜食と決められている。15時の間食と22時の夜食は選択制だった。
その習慣から8時に朝食会を行うと考えていた織田流水は、間に合うように目覚ましを掛けていた、が――。
――時計は12時を差していた。
織田流水は寝ぼけて頭が動いていないのか、時計の針を見てもリアクションを起こさない。
数秒、時間が止まったような沈黙が流れた。
「……っ!? なっ! やばっ!? しまった! 目覚まし掛けていたはずだったのにっ!?」
織田流水は慌ててベッドから飛び上がる。
昨日、食堂で晩御飯を摂りつつ、自分が気絶したあとの情報収集をしていた。解散する頃には満腹感から派生する眠気により、記憶は混濁していた。彼は自室で寝支度を済ませたところで記憶が終わっている。
ただ、もう織田流水の頭の中には次の事実だけ反響していた。
――明朝に話の続きをする。
「どうして誰も呼びにきてくれないのさッ!?」
織田流水は急いで身支度を済ませる。
仲間たちが病み上がりの織田流水に対して気遣いをしたからだとは、彼には知らぬことだった。
織田流水は慌てて自室を出た。
「おっと――」
「あっ、ごめんッ!」
自室の目の前で和泉忍と遭遇した。
慌てて外に出た織田流水の勢いに、和泉忍がぶつからないように綺麗に躱す。
「ごめんねッ、今急ぐから……って、なんで和泉さんがここに?」
食堂に向かおうとした織田流水が我に返り、和泉忍に聞く。
「ああ、お前を呼びに来たのさ。呼び鈴を鳴らす前に出てきたものだから、驚いたぜ」
「え……僕に何か用事?」
「当然だ。でなければ、わざわざここまで来ないだろう?」
「そ、それもそうだね」
ハッキリと言う和泉忍に織田流水はなんとなくイヤな予感がしてタジタジになる。
和泉忍は、逃げるか迷った織田流水の一瞬の硬直を見逃さず、彼の手を取りどこかに向かって歩き出す。
「ど、どこに向かうの!?」
「少しついてきてもらいたくてな」
有無を言わせぬ彼女の様子に気圧されて、織田流水はおとなしく従った。
振り払うこともできるが彼女の真意が読めない以上、無闇に拒否するのはあとが怖かった。
「――ここだ」
織田流水と和泉忍はC棟5階『学習階層』にある[学習室]に来た。
[学習室]は座学の自習室として用意されている。
<再現子>が19名いるが、収容人数はその3倍以上あり、全<再現子>の共有部屋としては最大級の部屋だ。おそらく『肉親係』も同席して使用することを想定しているのだろう。
その名の通り、学習机と椅子が何組、何列にも置かれているだけの殺風景な長方形の部屋だ。
「あ、織田くんを連れてきたんだね」
「……もっと体力と腕力のある男を連れてこないか……」
その場所にいたのは、白縫音羽とクールビューティの美女――時時雨香澄だった。
「な、なにしてるの?」
白縫音羽と時時雨香澄が待っていたその[学習室]では、机や椅子が彼女らによって動かされており、本来の姿ではなかった。
「見ての通り、諸事情で備品を動かしている。人手が欲しくて和泉に人を呼ぶよう頼んだんだ」
時時雨香澄が状況説明をしてくれた。しかし、肝心の理由には触れられていない。
「どうしてそんなことを?」
織田流水が当然の質問を尋ねた。
「<再現施設>には非常事態に備えられた非常口があることは知っているな?」
和泉忍が冷静に返す。
<再現施設>は各棟各フロアに一ヶ所ずつ、非常口が設けられ、それに従うように外壁に非常階段がある。
「え……でもそれって、もう相手に抑えられているんじゃないかな……?」
テロリストに自由行動を承認されているが、人質として認識されている以上、”出口”を放置しているとは到底思えない。
「いや、それは“囮”の非常口だ」
「囮?」
時時雨香澄が和泉忍の言葉を引き継いで、丁寧に説明をする。
「<再現施設>に非常口は複数ある。今回のように外敵がここまで深く侵入してくることを想定していなかったために、我々<再現子>の間でも周知されていない。おそらく事前に我々に知られていると我々に悪戯をされる可能性があると判断したからだろう。きっと、いざという時は職員が率先して導くつもりだったのだ。私も存在は知っているが、場所は知らない。その候補としてこの[学習室]が挙がり、こうして探しているのだ」
織田流水は相槌を打ち素直に聞くが、疑問が浮かぶ。
「……あれ? 非常口ってことは……ここから出るためのものだよね?」
「そうだが?」
「……いや、だって……」
堂々とした時時雨香澄に織田流水が苦笑する。
「――だって、“むい”にバレたら大目玉を食らうのに、かな?」
白縫音羽がニヤリと笑い、織田流水の心の中を当てる。
織田流水は見事に図星を突かれ困惑する。
「う、うん、そうだよ。大丈夫なの?」
時時雨香澄がそんなことかとばかりに鼻で笑う。
「”見つけておくだけ”だ。ヤツは施設から出ることを禁じただけで、出口を見つけることは禁じていない」
「…………そ、そんな屁理屈で」
織田流水は時時雨香澄の理屈に納得していないようだが、彼はひとまず情報を聞き出すために呑みこんだ。
「でも、どうして机や椅子をどかすの?」
「通常の非常口と違い、第二の非常口は見つけづらいことだろう。なぜなら、その非常口を使用するときは囮の非常口が使えない、より非常な状況だという前提があるからだ。常識的な探し方ではまず見つからないと考えるべきであり、となると、隠し扉の形式は“横軸”よりも“縦軸”の可能性が高い」
「……え? なんだって?」
織田流水の頭に?マークが出る。
「隠し扉の形式は“横軸”よりも“縦軸”の可能性が高い」
時時雨香澄がそっくりそのまま言い直す。
「あ、ごめん。聞こえてはいたんだけど……聞こえなかったからではなくて、その……もう少し分かりやすく噛み砕いてもらえると……」
織田流水が頭を掻く。
白縫音羽が携帯端末をイジり、地図の画像を2種類表示して織田流水に見せる。
「壁に扉が付いている場合、その奥に人が通るスペースが必要でしょう? でも、施設から支給された施設内マップにはそのスペースがありそうな場所がない。これは以前、葉高山くんが趣味で自作した施設内マップにも同様なことが云えるから、間違いないわ」
つまり、再現施設側が隠している、または、施設側も知らない扉がある可能性が潰れている――ということらしい。
「平面の地図が我々の手に2種類あり、その2種類ともが同じ答えを出している。となると、平面的な非常口ではなく、立体的な非常口であると考えるべきだろう。つまり――」
時時雨香澄の会話中、出し抜けに和泉忍が床をコンコンと叩き説明を締める。
「非常口の出入り口は、“床”か“天井”だ。さて、お喋りはもういいだろう。調査を始めよう。コバヤシ、お前には大きめの机や椅子の移動をお願いしたい。私たちは非力なのでな」
「そ、そうだね。分かった……織田だけど」
織田流水よりも背が高いどころか、<再現子>全体でも高身長な部類の時時雨香澄と白縫音羽に力仕事を頼まれるのは、彼にとっては複雑な心境だった。
だいいち――、
「香澄ちゃんは身体が弱いから分かるけど、和泉さんは調査が本業の<探偵>なんだから、この程度の力仕事は楽勝なんじゃないの……ブツブツ」
「――何か言った?」
「いえ、なんでもないですッ!」
頼まれると断らない性格である織田流水だが、些か腑に落ちないまま作業を手伝った。
さて、時時雨香澄は上品さと妖艶さを兼ね備えている、<花魁>の<再現子>である。
見た目は全身白づくめの貴人だ。白のつば広帽子、白いヴェール、白い日傘、白のフェザードレス、白のハイヒール。そして眼皮膚白皮症を患っており、全身の色素が薄く病弱である。<再現子>から和装がイメージされるが、彼女は自身の“将来の夢”のためにそれに反抗している。彼女の気の強さと覚悟が窺える。その将来の夢は、<官僚>だ。
――そして、作業を始めること数十分。
「ふうっ、ふうっ、ふうっ」
織田流水は右に左に、机、椅子、机、椅子と移動させる。
和泉忍の指示で動かした後は、別の場所で白縫音羽に頼まれ力仕事を行う。そうかと思えば時時雨香澄に呼ばれてまた移動だ。
「…………これ、僕を選んだのは人選ミスなのでは……ッ!?」
三人娘に引っ張りダコな織田流水は、最初こそ頼られて嬉しかったものの、三人分の力仕事を一手に引き受ける形になったことに思わず口走る。
<力士>の鬼之崎電龍、<足軽大将>の美ヶ島秋比呂と、武闘派は他にいるのに何故自分なのだ、と不満に近い自問をする。
ひと段落して椅子に腰かける織田流水の傍で、ジャラジャラジャラと金属のぶつかる音が聞こえた。
織田流水が音をする方向を見ると、和泉忍がすぐ傍の床を調べ廻っていた。
彼女はいつの間にか、四つん這いで移動しながら調べているため、スカートが小刻みに揺れ、それで手錠同士がぶつかり音を出しているようだった。
織田流水は“あること”に気が付き、指摘するかを悩んだが、黙っている方が悪いかと思い直し、和泉忍に伝える。
「…………和泉さん、パンツ見えるよ」
「…………」
和泉忍は聞こえているのかいないのか、織田流水の発言を歯牙にもかけない。
織田流水も気にしない。和泉忍は調査に集中すると結構な割合で無視をするのだ。
ふと、織田流水は思い出し、和泉忍に聞く。
「――ところでさ。和泉さんの仕込んだ発信機って、いつまでも分かるの? それって――死んだ後でも?」
「この島にいるなら対象が死んでいても追える。無論、発信機が破損したら無理だが。発信機はそれ単体で動くものだから、本体の生死、健康状態には依存しないぞ」
「そうなんだ」
「ああ。生きていようが死んでいようが、私の両親には変わりないからな」
「…………」
和泉忍の思わぬ持論に閉口する織田流水。<探偵>の口から聞くと、印象が変わる。
「……あ!」
織田流水はふと気が付く。
「これ、机と椅子をいちいち移動させるよりも、部屋の外にいっぺんに出した方が楽じゃない?」
「えー?」
「外か」
和泉忍は無視したまま、他の2名――白縫音羽と時時雨香澄は互いに目配せする。
「……え、ダメなの? 4人で――もちろんお手伝いの僕が一番頑張るけど、4人でやればすぐじゃない? それで、終われば元に戻すでもすればさ」
織田流水の質問に白縫音羽が返す。
「ダメじゃないけど、この机と椅子の量をどかすのって、大変じゃない? ザッと見ただけでも机は20台以上あるし、椅子も60脚はある。廊下に出すのも、キチンと並べないと全部出せるか分からないわ」
「……そ、それは」
――それに、と時時雨香澄が続ける。
「非常事態の脱出口として用意されている以上、その開錠に手間が掛かるとは思えない。だが、開錠のトリガーに“ものの重さ”や“ものの位置”が関係する可能性がある。でなければ、ふとした拍子に我々の誰かが見つけてしまうかもしれないからだ。なにしろ、<探偵>や<冒険家>がいるのだからな」
「……う、う~ん」
――そもそも、と和泉忍が最後に言う。
「一台一脚ずつ少し動かして済む方が、総合的に見れば楽じゃないか?」
「……き、聞いていたんだね」
「当然だ。どれだけ小さい手掛かりでも見落とし、もとい聞き逃しをしないためにな」
和泉忍がそう言い終わると、織田流水の腹部を指さす。
――ぐうううぅぅぅぅ。
「……っ」
自分の空腹の音が出た織田流水は恥ずかしさに顔を赤らめる。時時雨香澄が訝しむ目で彼を見る。
「……もしかして、まだ昼食を摂っていないのか?」
「あっ、うん……というか、寝起きだったからまだ何も食べてなくて――」
「なにっ、そうだったのか!?」
時時雨香澄が驚愕する。
「ああ……自室にいたのは直前まで寝ていたからか……それは済まなかったな」
和泉忍は椅子を運びながら、納得の声を出す。
「いや、そういえば言ってなかったしね」
「食事も摂らずに肉体労働とは、身体に毒だわ。お手伝いはここまででいいから、食事を摂りに行きなさい」
室内の写真を撮りながら白縫音羽が優しく言う。
「あっでも……」
食い下がる織田流水に時時雨香澄がハッキリと言う。
「我々のことは気にするな。あと、他の者を呼ぶこともしなくていいぞ。[学習室]はもう調べ終わるからな。我々はこの後、休憩する予定だ」
「う、うん…………あっでも! 南北さんに聞いてみようか? 『透視』で非常口を見てるかもしれないし!」
「……南北、だと?」
織田流水の提案に時時雨香澄の顔色が変わる。若干、怒りの色が見えた。
「え? え? そんなおかしな話だった?」
「…………」
時時雨香澄が無言になるのを受けて、白縫音羽が代弁する。
「雪花にはギリギリまで頼らないことにしてるのよ。“お願い”も回数を重ねると価値が下がるから。だから、今はいいわ。どうしても頼らないといけない“お願い”を断られないためにも、ね」
白縫音羽が織田流水にウインクする。織田流水は、わかった、と力強く頷いた。
織田流水は、南北雪花の<超能力>で非常口の有無をすぐに調べられることに言及したわけだが、白縫音羽の説明を受け、織田流水は素直に聞き入れることにした。
「う、うん、わかった! 途中で抜けてごめんね!」
エレベーターで降りて行った織田流水を、廊下で見送る三人娘。
「…………」
「…………」
「…………」
ふっ、と鼻で笑う和泉忍。
「時時雨。私も頼らないことには同感だが、お前は態度が露骨すぎだ。お前が南北を嫌悪する理由も分からなくはないが、建て前を学んでおけ。<官僚>になるなら、なおさらな」
時時雨香澄は鼻を鳴らす。
「……貴様に言われるのは心外だが、その忠告は概ね受け取っておこう」
白縫音羽がクスリと笑う。
「でも、私は貴方の気難しさは好きだわ。気難しさは”感情”のなせる業だから」
三人娘は互いの顔を見合わせる。
「……これで、布石は打たれた、と考えていいのか?」と、時時雨香澄。
「コバヤシはいざというときは役に立つ助手だ」と、和泉忍。
「その“いざという時”が来ないといいわね。さて――」と、白縫音羽。
白縫音羽に視線を向ける時時雨香澄と和泉忍。
「――じゃあ、本題に入りましょうか。言うまでもないけれど、他言無用よ?」
三人娘はお互いに頷き、[学習室]に姿を消した。
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