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24 人と魔族と神様と

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 トバリがニコロの記憶の一部を眠らせた後。
 しばらくして目を覚ましたニコロは、断片的にしか自分自身の事を覚えていなかった。
 特にフィガロが関係している記憶はすべて封じられていて、楽譜を見ても「誰のですか、これ?」と言うだけで、特に関心を示さなかった。
 ニコロに残った記憶は孤児院での事と、音楽学校での事、それからピアノの演奏だけだ。
 念のため検査が必要だろうと、病院へ運ばれて行く彼を見送りながらフィガロは、

(また家族がいなくなっちゃったなぁ……)

 なんて、ぽつりと思った。
 ニコロに刺された時、すでに色々とショックではあったが、それとは違う寂しさが胸の中に広がっている。
 教会の屋根に座って、ニコロを乗せた馬車が遠ざかって行くのをぼんやり眺めていると、

「お嬢さん、大丈夫?」

 いつの間にか隣に来ていたトバリが、そう心配してくれた。
 フィガロは、あはは、と笑いながら、

「何だか、胸にぽっかりと穴が空いたみたいな気分です」

 と正直に答えた。
 それから少しだけ間を開けて、

「……自分を殺した相手の事が、まだ大事なのかって思います?」

 とトバリに尋ねる。

「僕は神だからね。この世の生き物の、一般常識はよく分からないねぇ」
「そうですか」
「うん」

 肯定も否定もしないトバリの言葉に、何となく心が軽くなる。
 自分で聞いておきながら、明確な答えが返ってこなかった事に、フィガロは少しホッとした。
 単純に吐き出したかっただけかもしれない。そう思いながらフィガロは空を見上げた。
 アーネンコールの上空は、どこまでも澄んだ青色が広がっている。
 その空に薄桃色のスリジエの花が、ひらひらと舞っていた。

「ここは霧が出ないねぇ」
「出ませんねぇ。自然に発生する霧ならたまにはありますけれど、シュテルンビルトほどじゃないです」
「そっかぁ」

 神と並んで、そんな他愛のない会話をする。
 人間だった頃は考えられない事だ。

「オボロ様とグレイさん、上手くやっていますかねぇ」
「アーネンコールの人間と話し合いをするんだよね」
「そうです、そうです」

 ニコロが犯行を自供した事で、勇者の出立を祝うパーティーで演奏したあの曲が、フィガロのものであると証明された。
 実はあの時の会話はすべて、音を記憶する『魔導蓄音機』で録音されている。オボロが「こんな事もあろうかと」と持って来ていたものを、マーヴェルに貸したのだ。
 その魔道具とフィガロの事情を使って、シュテルンビルトとアーネンコールの争いを終わらせるための話し合いに、彼らは向かったのである。

 ちなみにフィガロが同行しなかった理由は、少し休んだ方が良いとオボロ達から言われたからだ。
 ニコロから自分の記憶がなくなった後のフィガロは、だいぶ酷い顔色をしていたらしい。

(まぁ、自分ではあまり自覚がないんだけどな)

 なので少し休んで、時間を置いてから来てくれとの事だった。場所は聞いているし、何なら眠りの神トバリが一緒ならば、色んな意味で安全に合流できるだろうとも言っていた。

「…………」

 シュテルンビルトとアーネンコールが平和になって、人間だった頃のフィガロの汚名も返上出来て、良い事が色々と起きているのだけれど。
 ――本当に、胸にぽっかりと穴が空いたようだ。
 ニコロに刺されて死んだ事よりも、忘れられる方が辛く感じるとは思わなかった。

「お嬢さん」

 そう思っていると、トバリの指がそっとフィガロの頭に添えられた。
 トバリはそのまま、親が子にするように、よしよし、と撫でる。

「え、え、トバリ様?」
「この世界の子達の元気がない時は、こうするんだってルクスフェン様が教えてくれてね。そうなんでしょ?」
「…………」

 トバリはそう言ってフィガロの頭を撫で続ける。
 フィガロは小さく笑って、家族がする分には問題がない奴ですよ、なんて言いかけた時。
 なぜか喉から声ではなく、は、と息が漏れた。
 それに合わせてポロポロと目から涙が落ちる。

「……ッ、……、……!」

 言葉が出なかった。その代わりに嗚咽が漏れる。
 トバリが何の裏もなく優しくしてくれたからだ。
 フィガロの目から涙が堰を切ったようにあふれ出す。
 神の前で泣くのは二度目だ。一度目はルクスフェンの前だった。あの時のフィガロは、これまでの人生を嘆いていた。
 そして今は――。

「悲しかったんだね」

 トバリは優しい声でそう言う。
 そう、悲しかったのだ。ただただ単純に、悲しかった。
 感情を自分で止める事が出来なくて、フィガロは子供に戻ったようにわんわんと泣いた。
 その間ずっと、トバリはフィガロの頭を撫でてくれていたのだった。



 ◇ ◇ ◇

 

 シュテルンビルトとアーネンコールの間に和平が結ばれたのは、それから程なくしての事だった。
 もちろん最初は突然現れた魔王の姿に、アーネンコールの役人達は大慌てとなった。
 まぁ、それはそうだろう。長年争っている国のトップが、堂々とアーネンコールへやって来たのだ。パニックにもなる。
 しかし彼らがより混乱したのは、その後だった。
 オボロの口から、

「音楽の神ルクスフェン様は和平を望んでいらっしゃる。だからこそ我が国は、アーネンコールとの争いを終わらせたい」

 との言葉が出たのだ。
 ルクスフェンはアーネンコールを守る神だ。なのに何故シュテルンビルトの魔王から、その名が出るのか。そして何故ルクスフェンは自分達ではなく彼らに言葉を伝えたのか。

「もしかして自分達は、ルクスフェン様に見限られたのではないか……?」

 誰かがそう呟いた。
 ――まぁ、これはマーヴェルの仕込みだ。彼女の考えに共感している役人のが、気付かれないようにこっそりと、わざとそんな発言をしたのである。
 この一言で役人達は一気に青褪め、恐怖した。神が守るこの世界で、神に見放されるという事はとんでもないくらいに恐ろしい意味を持つからだ。
 アーネンコールはこれからどうなるのかーーそう危惧して唖然とする彼らに向かって、オボロはさらにこう言った。

「ルクスフェン様はそのために、とある人間をシュテルンビルトへ転生させた。フィガロ・ヴァイツという音楽家だ」
「フィガロ・ヴァイツ? それは確か……勇者達のために曲を依頼した音楽家の、家族……だったか」
「家族どころか犯罪者だぞ? は、犯罪者を転生させたのか!? ルクスフェン様が……!?」
「……いいや、彼女は冤罪だったのだよ」

 今度はマーヴェルがその言葉を引き継いだ。
 そして持っていた魔導蓄音機から、先日の礼拝堂でのやり取りを流し始めた。
 
「ルクスフェン様はフィガロ・ヴァイツを気に入っていた。だからこそニコロ・ヴァイツの凶行で命を落とした彼女を不憫に思い転生させた。けれど何故アーネンコールではなかったのかーーそれは今、魔王オボロ殿が言った通りだ」

 マーヴェルがそこまで言うと、次はリヒトが前に出た。

「彼女を両国の懸け橋にするため。そのためにルクスフェン様は彼女をアーネンコールではなく、敢えてシュテルンビルトへ転生させたのです」

 オルトノス教の神官である彼の言葉が、今の話により信憑性を増した。役人達の目に光が灯る。
 しかしそんな話を聞いても、一部ではシュテルンビルトの陰謀を疑う者や、自分達の不利益や保身を考えて渋る者もいた。
 そこでオボロ達は最終手段を使った。フィガロと眠りの神トバリの存在である。
 眠りの神であるオボロに、フィガロの事を「ルクスフェン様が転生させた子だよ」と証明してもらったのである。
 そしてこれが決め手となった。
 神からそう言われてしまっては「ルクスフェンが和平を望んでいる」という言葉を信じるしかない。
 そうして件のでっち上げは、和平のきっかけとして、両国の歴史に刻まれたのだった。

 ――そんな話をトバリは自分の上司に話していた。
 
 諸々が落ち着いてから、トバリは自分の上司である闇の神モントシュテルの元を訪れた。ここ最近の色々を報告……と言うか、謝罪をするためである。

「……と言う事がありまして。少々、干渉し過ぎたかなとお詫びに来ました」

 神が人の世に関わり過ぎると、大きな問題になりかねない。だからこそなるべく干渉をしないのが、神々の間の決まり事だった。
 なのだが、トバリはどうにもフィガロ達に情が移ってしまって、その「なるべく」を越えて手を貸してしまった。
 その事を上司に黙っているわけにもいかなかったので、トバリはこうして報告にやって来たというわけだ。
 もちろん手土産付きである。シュテルンビルト産の葡萄を使ったワインだ。トバリも飲んだ事があるが、魔力を持った葡萄から作られているので、なかなか美味しい。これならばモントシュテルも気に入るだろうし、何ならちょっとお説教が減るといいな……なんて思惑もある。
 そんな事を考えながら手土産を渡しつつ話すと、

「ああ、いいよ、いいよ。レテとリュセイノスの後始末をさせて悪かったね。大変だったでしょ、ありがとね」

 モントシュテルからはお叱り一つなく、逆に労われてしまった。
 トバリは、おや、と意外に思った。

「あれ、良いんですか?」
「ま、あのくらいは許容範囲だよ。あの二国の関係が良くなった方が、レテの仕事が減るからねぇ」
「ああ~レテ様」
「そうそう。仕事が減ったら、今回みたいに雑な仕事はしないでしょ。……まぁ、そうでなくても、しばらくはキリキリ働かせるけどね。リュセイノスもだけど」

 モントシュテルはそう言って、若干、怖い笑みを浮かべた。
 ……この分だと、レテとリュセイノスはモントシュテルから相当絞られたのだろう。
 報告、連絡、相談は神の仕事においても大事な三要素である。それを怠ったのだから自業自得だ。

(そのせいで、お嬢さんも泣いちゃったしなぁ)

 二柱に同情心は湧かないが、フィガロに対しては少しそれを感じている。
 何だかんだで、やはり情が移っているなぁとトバリは思った。
 そう思っていると、

「あ、そうだ。そう言えばさ、ルクスフェンの加護の子はどう? 大丈夫そう?」

 とモントシュテルからそのフィガロの事を聞かれた。

「今のところは安定していると思います。ただ感情が強く動くと、少々影響が出ているように見えましたから、もうしばらくは様子を見た方が良いですね」
「なるほど。それじゃあ悪いんだけど、これからもお願いして大丈夫?」
「ええ、いいですよ。僕、そこまで仕事ないですし」
「いやいや。それはトバリがきっちり仕事をしてくれているから、溜まっていないだけだよ。本当にあの二人に見習わせたいもんだ」

 そう言ってモントシュテルは、ハァ、とため息を吐いた。だいぶお疲れである。

「お疲れ様です」
「ありがと……。あーあ、本当に疲れるよ。俺もあの子の演奏で癒しが欲しい……」
「あ、じゃあ、一緒に行きます? ルクスフェン様の加護もあるおかげで、僕にもだいぶ効きますよ」
「えっ、マジ? うーん、行っちゃおうかな……。今ちょっとだけ時間あるし」
「行きましょう、行きましょう」

 呑気にそう話しながら二柱はシュテルンビルトへ向かって移動を始める。
 この二柱からすれば、空いた時間にちょっとだけ、みたいな感覚である――が、この二柱は大事な事を忘れている。
 自分達が神だという事だ。
 神が目の前にひょいと現れたら、騒ぎになるのが普通である。
 トバリもモントシュテルは真面目で仕事熱心な神だが、疲れもあってかその事を失念している。
 そんな二柱のうっかりをフィガロ達が目の当たりにするのは、その少し後の事だった。
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