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22 音は言葉ほどに物を言う

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 翌朝、ニコロ・ヴァイツはリチェとの約束通り、教会へと向かっていた。
 時間は五時を少し回ったくらいだ。朝の肌寒い空気の中、大通りを歩く人の数はまだ少ない。

(……まったく、厄介な)

 歩きながらニコロは心の中でそう呟く。
 フィガロの死の事で自分を調べ回っている人間がいるのは、ニコロも承知していた。
 その筆頭がフィガロに作曲を依頼したマーヴェルと、オルトノス教の神官リヒトだ。その他にも現場を調べに来ていた警察の中に数人、自分へ疑いの目を向けていた事もニコロは気付いている。
 相手は事件の捜査に関してはプロだ。どれだけニコロが対策をしても、必ず穴を見つけてつついてくる。

(――だから早めに王都から、引っ越そうと思っていたのに)

 元々の予定では、勇者達が王都を発ったら直ぐに、引っ越しの手配をするつもりでいた。
 フィガロを殺害した犯人が自分だと一部に勘づかれている今、王都に住み続けるのは得策ではない。いっそアーネンコール自体から離れた方が良いくらいだった。
 なのでニコロは別の国へ引っ越そうと考えていたのだ。

 しかし、そうなってくると困るのが荷物だ。
 家財のほとんどは置いて行っても問題がないが、その中に絶対に手放せないものがある。
 家で保管している大量のフィガロの楽譜だ。
 あれはフィガロの形見で、ニコロにとっても宝物のようなものなのだ。
 フィガロの楽譜を置いて行く、もしくは手放すという選択肢は、ニコロにはなかった。

 それなのに、と思いながらニコロは手に鞄に目を落す。その中にはフィガロが最期に作曲した楽譜が入っている。
 これを一週間、オルトノス教の教会へ貸し出す事となってしまったのだ。
 馬車と護衛の手配は済んでいたので、後は荷造りをして出発日を待つだけだったのに、予想外の邪魔が入ってしまったとニコロは苦々しく思う。

『うーん、仕方ないねぇ。のんびり行こうか』

 ふと頭の中で、ニコロが殺した恩人の声が聞こえた気がした。

「……フィガロセンセイ」

 ぽつりと、ニコロはその名前を呟く。
 こういう時はいつもフィガロは困ったように笑って、それでも前向きに「何とかなる」と言うのだ。
 フィガロが色々と不幸が続いていたせいで、そういう受け入れ方をするのが自然と身についていたようだ。

「…………」

 頭にフィガロの笑顔を思い浮かべたら、鞄を持つ手に力が籠った。
 あんな諦めたような笑顔をもうさせたくない。そのためにニコロはフィガロを来世に送った殺害したのだ。

 フィガロの運の悪さは、恐らく神が関わってそうなったものだ。
 だから本に書いてあった通り、今世ではどうする事も出来ない。
 けれどもその運の悪さのせいでニコロが好きなフィガロの音楽が、お人好しで優しいあの人の世界が、誰にも認められないまま消えて行く。
 それだけは我慢出来なかった。

 国から依頼が来たのは珍しく幸運な事だったが、それでもきっとダメだとニコロは思う。
 フィガロが最後に作曲したあの曲は、魂が込められた素晴らしいものだった。
 実際に自分で弾いて、観衆の反応を見れば分かる。

 ――けれど、それはニコロが弾いたからだ。

 フィガロが自分で弾いたとしても、話題になるのは一瞬。
 運の悪さが再び発揮され、きっと誰にも見向きをされなくなっていただろう。

(許せない)

 そんな事は、あってはならない事だ。
 だからニコロは、自分がフィガロの曲を広げるのだと決意した。
 例えそれがフィガロの名前ではなかったとしても、彼女の曲だと知っているのが自分だけでも、その曲はずっと残り続ける。

(センセイ、もう少しですよ。あなたの音楽が、世の中に認められるのは)

 そのために、この一週間を無事過ごさなければ。
 そう思いながら歩いていた時、ようやく目的地が見えて来た。
 清廉さを感じさせる白で統一された、オルトノス教の教会である。



 ◇ ◇ ◇



 ニコロが教会へ到着した頃、フィガロ達もまたその建物の中にいた。
 教会の、礼拝堂の二階。そこに三人と一柱は身を潜めている。
 何故こんな事をしているのかと言うと、マーヴェルのところへ報告に来た彼女の部下から、ニコロがここへやって来ると聞いたからである。
 別にニコロへ復讐したいとか、そう言うのが理由ではない。
 フィガロ達の目的はニコロの持つ楽譜だ。人間だった頃のフィガロが最後に作ったあの曲の楽譜である。
 あの楽譜を回収し、曲を作ったのがフィガロであると証明する事。
 フィガロが音楽の神ルクスフェンの力で、シュテルンビルトに妖精として転生したと伝える事。
 そして、そんな事になったのはルクスフェンが両国の争いが終わると望んでいる、というでっち上げをアーネンコール側へ示す事。
 この三つをこれから、マーヴェルやリヒトの協力の元で行うのである。

「ううう、胃がキリキリしてきた……」
「お嬢さん、顔色があまり良くないけど大丈夫?」
「た、たぶん……」

 トバリが心配そうに聞いてくれたので、フィガロは顔を若干引き攣らせながら何とかそう答えた。
 胃が痛い理由は、今回の作戦を遂行するにあたって、フィガロが重要なポジションについてしまったからである。
 
「お前よぉ、意外と度胸がないんだな」
「度胸と言うか、この場合は責任感が半端ないので……」
「それが本来のフィガロなら、本物らしさが増すからいいんじゃないか? 胃を押えて頑張れ」
「こんなに嬉しくない応援は初めてですよ。ありがとうございます……」

 何一つ良くないと訴えたいのに、オボロの言った通りこの方がボロが出なさそうな気がするのでどうしようもない。
 フィガロが諦めて、言われた通り胃の辺りを手で押さえていると、

「……そろそろ時間だな」

 オボロが懐から懐中時計を取り出して時間を確認した。
 
「さて、ちゃんと来るかどうか」
「ニコロは約束を守る子でしたので、大丈夫だと思いますよ」

 一緒に暮らしている間、ニコロが約束を守らなかった事は一度もなかった。
 危ない時は連絡を欠かさないし、マメな性分なのだ。フィガロがそう話すと、

「へぇ~。約束は守っても、約束をする相手は裏切るんだから、そいつは大したもんだ」
「アハハ。狼君は上手い事を言うねぇ」

 グレイは悪態を吐き――恐らくフィガロの事情を知って怒ってくれているのだろう――トバリはくすくすと笑った。
 そんなやり取りをしながら、フィガロ達は手すりの下に屈んで階下の様子を伺う。
 すると少しして、ギィ、と音を立てて礼拝堂のドアが開き、顔の半分を前髪で隠した少年が中へ入って来た。

「……ニコロ」

 ニコロ・ヴァイツだ。
 魔導受像機ごしには姿を確認していたが、実際に自分の目で見るのは久しぶりな気がする。
 ニコロは笑顔を浮かべて平静を装っているが、少々緊張しているようにフィガロには見えた。

 フィガロの弟子は自分の感情を隠すのが上手い。
 路地裏で見つけて、家に連れ帰って一緒に暮らすようになってからもそうだった。
 ニコロは笑顔こそ向けてくれていたが、一年くらいずっとフィガロの事を警戒していたのを知っている。話をするたびに、声にそういう感情の音が僅かに混ざっていたのだ。
 少々寂しくは思ったが、それは自分を守るために大事な事だ。突然現れた赤の他人が、急に自分をその人の家に連れ帰ったのである。警戒しない方がおかしい。
 フィガロのようにホイホイ他人を信用していれば、どんなトラブルに巻き込まれるか分からない。他人に対しては確実に信用できると思えるまで、警戒していた方が安全なのだ。

 ――まぁ、フィガロはなかなかそれが出来ないのだが。

 ニコロの声から警戒の音が消えたのは、出会ってから一年ほど経った頃の事だった。
 朝起きて来て「おはようございます」と挨拶をしてくれたニコロの声から、混ざり気のない信用の音だけが聞こえた時、フィガロは本当に嬉しかった。何ならちょっと泣いて、ニコロからぎょっとされたくらいだ。
 もう一度、家族が出来た。そう思えて嬉しくてたまらなかったから。

(……あっ、まっずい。考えれば考えるだけ落ち込みそう)

 とりあえず今は想い出に浸るのはやめよう。そう思いながらフィガロはニコロの様子を伺う。

「おはようございます、ニコロさん!」

 そうしていると、元気な声が礼拝堂に響いた。マーヴェルの部下のリチェだ。
 軽く手を振ってニコロに近付いて行く彼女の後ろには、マーヴェルとリヒトの姿もある。
 三人の姿を確認したニコロは軽く目を開いた。それから殊更笑みを深めて、

「おはようございます、リチェさん。大勢でお出迎えをありがとうございます。驚きました」

 なんて若干嫌味を混ぜて挨拶を返している。これにはフィガロも、おや、と意外に思った。
 ニコロは基本的に人好きのする振る舞いを意図的に取る方だ。だから今のように、親しい相手以外に分かりやすく嫌味を言うのは珍しい。察するに、あまり機嫌が良くなさそうだ。
 ニコロの言葉を向けられたリチェは、

「すみません。早起き出来るか心配で、どうしてもって頼んで来てもらったんですよ。ね、マーヴェルさん!」

 なんてニコロの嫌味をさらりと流し、右後ろにいる上司へ話を振る。マーヴェルは眼鏡を押し上げつつ、

「ああ。まぁ杞憂だったがな」

 と笑って頷いた。

「そうでしたか。……リヒトさんは今日出発でしたよね? お時間は大丈夫ですか?」
「ええ。仲間とは教会前で待ち合わせになっていますからね」
「なるほど」

 四人共、にこにこと笑いながらは和やかな会話をしている。
 表面上は・・・・
 言葉の裏から殺伐とした感情が伝わって来て、 フィガロ達は「うわぁ……」と半眼になった。

(すごくピリピリしてる……)
(カグヤが機嫌悪いとあんな感じだな……)
(ヒィ……)
(大変だねぇ、生き物って)

 こそこそとそんな話をしながら見守っていると、まずニコロが動いた。
 彼は鞄から封筒を一つ大事そうに取り出した。ちょうど楽譜が入るくらいのサイズのものだ。

「では、こちらが先日の楽譜になります」
「ありがとうございます。念のため中身を確認させていただいても?」
「どうぞ」
「では」

 リチェはニコロから封筒を受け取ると、紐を解いて中身を取り出す。
 一部が血で変色した楽譜が現れた。
 リチェは軽く頷くと、その楽譜をマーヴェルに差し出す。

「マーヴェルさん、楽譜、読めますか? そう言えば私、読めなかったなぁって」
「自信満々に任せてくださいと聞いた覚えがあるが?」
「いやぁ、あっははは」
「まぁ、良い。…………ああ、メロディーが合っている。確かに、お借りする」

 楽譜を軽く口ずさんだマーヴェルは、ニコロの方を向いてそう言った。

「大事なものですので、そのように扱ってくださいね」
「ああ、もちろん。すまなかったね、手数をかけて」
「いえ……」

 受け渡しは問題なく終わりそうだ。
 ならば、そろそろ自分達のタイミングではないだろうか。
 フィガロがオボロを見上げると、

「それじゃあ、行くか」

 とオボロ言ってフィガロに手を差し出した。乗れ、と言う事らしい。
 フィガロは頷いて、オボロの手にひょいと移動する。

「お嬢さん、頑張ってね」
「オボロ様、ガツンとかましてやってください!」
「頑張ります!」
「まかせとけ!」

 トバリとグレイから応援を受け、オボロは立ち上がると、タン、と床を蹴り。
 そのままニコロ達がいる礼拝堂の方へと飛び降りた。
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