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プロローグ マロウ家の引きこもり娘
しおりを挟む事の発端は、兄フレデリクからの頼み事だった。
「なぁイングリット。明後日、王族主催の昼食会があるんだけど、出てくれない?」
まるで買い物にでも行ってきてよ、というような調子で言われ、首をぶんぶん横に振る。
「嫌だよ普通に無理だよ。どうしてそんなめちゃくちゃ怖いお誘いをよこしてくるの兄さん、私メンタル的に死んでしまう!」
そしてノンブレスでそう言い切った。
そんな私へ、四つ年上の兄は残念なものを見る目を向ける。
「屋敷に引きこもっているのに、その肺活量はどういう事なんだい、イングリット。兄さん不思議だよ」
「不思議でもなんでもないよ。人が来ると息を潜めて通り過ぎるのを待つから、自然に鍛えられるんだもの」
「うん、そこは胸を張る事じゃないね、妹よ」
兄は呆れた様子でめ息を吐いた。
実のところ私は人と接するのが苦手だった。
知らない相手と、お互いの顔を見ながら話をするのは、どうにも怖い。
いわゆる人見知りという奴だ。もしかしたら人間不信という方が合っているかもしれない。
どうしてそうなったかと言うと、十年前に遡る。私が五歳の時だ。
当時の私は今の真逆で、誰に対しても警戒心ゼロで話しかけに行くような子供だった。
両親や兄からは「ちょっとは警戒して!」と注意されるくらいである。
十年前のその日、家族と街へ買い物に出かけ、その道中で誘拐されかけた。
困っているから助けて欲しい、なんて話しかけられてついて行ったら、麻袋に放り込まれて馬車の中。
街を出る寸でのところで両親によって助けられたのだ。
五歳の子供とは言えど、警戒心の無かった私の自業自得でもある。
しかしながら、それがトラウマになってしまって……。
だから知らない人を前にすると、その時の感情が蘇って、挙動不審になってしまうのだ。酷い時には過呼吸にもなった。
そんなわけで、私は極力、人前に出る事は避けるようになったのだ。
それでもあれから十年も経つし、今では挙動不審くらいで落ち着いてはいる。
だが十年間外へ出たがらなかった事もあり、今でも可能な限りは出たくない気持ちが強い。
「そもそも兄さん、マロウ家に来た招待状でしょう? 普通は家長が行く奴じゃないの?」
「いや、これは僕とイングリットが行く用なの。僕も行くからさ」
兄と一緒と聞いて、私は目を瞬いた。
そしてまぁ一人じゃないなら……なんて思っていると、
「あと父さんと母さんも、今回は特にイングリットに頼みたいんだって。僕は付き添いみたいなものだよ」
と兄は言った。
「父さんと母さんが?」
「そう。今ちょっと判断に迷っているから、イングリットに任せてみたいって」
「もしかして『幸運』の聖痕関係?」
「そうそう」
私が聞くと、兄はしっかりと頷いた。
◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇
私の名前はイングリット・マロウ。歳は十五歳。
国から魔術伯と言う称号を賜っているマロウ家の末っ子だ。
魔術伯というのは国から与えられる称号のひとつ。
他に騎士伯、学者伯、技術伯の三つがあり、全部まとめて四伯と呼ばれている。
選出基準は家ごとの実績。そこに能力や人柄などを加味し、相応しいと判断された場合にバッジと共に与えられる。
そんな四つの称号の中で、我が家は魔術を評価され『魔術伯』を与えられていた。
マロウ家は祖父母も両親も、もちろん兄や私も魔術が大好きで魔力も豊富。ゆえに周囲からは『魔術オタク』なんて呼ばれていた。
ただ、我が家に関しては、もうひとつ理由がある。
それが『聖痕』と呼ばれる、生まれた時から体にあるアザだ。
マロウ家のほとんどの人間はこの聖痕を持って生まれてくる。
高い魔力持ちにしか現れない聖痕には、それぞれに意味があった。
私の場合はそれが『幸運』だったのである。
幸運と言ってもギャンブルで儲けられるとか、そういう類じゃない。
それが私や家族にとって『良い』か『悪い』かが分かるくらいのものだ。
しかも残念なことに、この聖痕に上手く適応が出来ていなくて、その判断が『食べ物』に限られる。
例えば美味しそうだな、食べたいな、と思ったら『幸運』の聖痕が「良いものだよ!」と教えてくれている証拠なのだ。
まぁ何が良いかどうかは調べてみないと分からないんだけどね……。
ちょっと使い勝手が悪いけれど、実はこれが私が誘拐された理由だったりする。
私は家族と一緒に誘拐される一カ月前に、王妃様の昼食会に呼ばれていた。
親しい者やその家族だけを集めて行われた食事会で、王妃様の学生時代の友人だった母の繋がりで私達はお邪魔した。
その時に私は、テーブルの上に並んでいた料理を見たとたん嫌な気持ちになって「これ嫌!」って叫んでしまったのだ。
……いや、王妃様の昼食会で何て事を叫んだんだろうね、私……。
ちなみに料理に毒は盛られていなかった。問題があったのは料理が盛られていた食器にあった。
調査したところ、食器を贈った人が、違法な魔術具を売りさばく組織と繋がりがあったらしい。
確か『黒靴』って名前だったかな……。名前の通り黒いねって思った。
当時の事を聞くたびに、王城の料理人の皆さんに申し訳ない気持ちになる。
私が料理に向かって「嫌!」なんて言ったものだから、彼らも尋問されたそうだ。
後でお詫びの手紙を送ると「大丈夫ですよ。むしろ、王妃様や皆様を守って下さってありがとうございます」という返事を頂いた。
良い人達なんだ、本当に。
だからとても申し訳なくて。
お詫びに何か贈りたいと両親にお願いして買い物に出かけた。
そこで私は、逆恨みした組織の人間に誘拐された……というわけである。
「……うん、分かった。聖痕が必要なら、が、頑張ってみる」
「ありがとう。まぁ、僕も一緒だからさ。何かあったらフォローするよ」
兄はそう言ってにこりと笑った。
たぶん兄が一緒ならば大丈夫だと思う。完全に知らない人ばかりの中にいるよりは、安心感が段違いだ。
正直に言えば、兄が一緒の昼食会より、今年の春から通うアカデミーへの不安感の方が強い。
屋敷にずっと引きこもっているから、友達どころか知り合いも碌にいないし……。
……考えるのはやめておこう。その辺りは、その時に考えよう。
そう思って私は兄に「ありがとう」と礼を言った。
「それじゃ行くとして……何か前情報は入れておくべき?」
「参加者の名前くらいは頭に入れておいて欲しいって。……あ、大丈夫だと思うけど、王族の名前は覚えているよね?」
「そこは一応……やっぱり出るの?」
「当然でしょう。そうそう、母さんからだけど、正装していけって。アカデミーの制服ついでに新調したでしょう?」
正装と聞いて私は固まった。だらだらと汗が流れる。
い、いや、その……確かに制服のついでに、正装用のドレスを新調するようにとは言われた。
正装する場所に出ないだろうな~なんて思ったし、前のドレスを直せばまだ着れるサイズだったから、その代わりにちょうど欲しかった魔術具の機材を買ってしまっていて……。
私の様子が変わったのを見た兄がひくっと頬を引き攣らせた。
「……イングリット? まさか……」
「新しいドレスはまだいらないから……欲しかった機材をちょっと……その……えへ」
笑って誤魔化そうとしたが、兄に頭を掴まれて、
「おーまーえーはー!」
と怒られ、ついでに両親にもバラされて、長時間の説教を食らう事になってしまったのだった……。
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