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東雲の商人と夏祭りの準備 7
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「若様、これを使えますか」
独楽はそう言うと、錫杖についた烏玉を若利に見せる。
若利は驚いて目を見張った後、独楽が何を考えているのか分からないため、やや戸惑い気味に頷く。
「ああ。神雷壁ならば、使えるが……」
「それでは、守りを頼みます。魔獣はわたしが」
言いながら錫杖から烏玉を外して若利に手渡すと、独楽は魔獣に向き直った。
人型では倒せない。天津もいない。ならば迷っている暇など独楽にはなかった。
独楽は魔獣に視線を向けたまま信太に言う。
「信太、甘栗さんの匂いは覚えていますか?」
「はいー」
「よろしい。それでは、呼んできてください」
「おまかせくださいですー!」
信太は力強く頷くと、独楽の肩からぴょんと飛び降り、駆けて行く。
小さくなっていく信太の背中を見送りながら、若利はぐっと烏玉を握った。
「皆! こちらだ!」
そして区画の住人達の避難誘導に動き出す。
若利の呼びかける声に、魔獣によって行き場を失っていた住人達は直ぐに集まり始めた。
「お見事」
独楽は小さく笑った。危機的な状況で、リーダーのひと声で直ぐに統制が取れるのは、きちんとした信頼関係が築かれている証拠である。
羨ましかった。出来ればここにいたかった。
その望みがすでに、自分の中で過去形になっている事に気がついて、独楽は一度だけ目を閉じた。
「――――さて」
そして次に開けた時には、その金色の目は静かに凪いでいた。
独楽が獣人である事を隠すのは、ここにいたいと思ったからだ。
獣人であるという事がバレれば、今までの積み重ねがゼロになる。少なくとも、独楽の今まではそうだった。
イナカマチ区画が独楽は好きだった。好きになった。だからここにいたくて、獣人である事を隠してきた。
言えなかったのだ。
だが。
だが、それだけだ。それだけの事だ。いたい場所がなくなるのと比べたら、いてほしい人がいなくなるのと比べたら、本当に、ただそれだけの事だ。
「独楽!」
焦ったような若利の声が響く。
見れば独楽の殺気にあてられたか、魔獣たちはじりじりと独楽を取り囲み始めている。
だが若利の声とは正反対に独楽は酷く落ち着いていた。月のような金の目が魔獣たちを一匹ずつ捉える。
「大丈夫ですよ、何たってわたしは」
独楽の口がうっすらと笑う。
すると独楽の体に獣の耳と尻尾がふわりと現れ、風に揺れる。
「――――番犬ですからね」
月明かりに照らされた人でないその姿は、まるで夢から切り取られたかのようにそこに在った。
人々が息をのむ音が妙に大きく聞こえた。
独楽はフードを被らなかった。隠さなかった。彼らが見せてくれた信頼関係を前にして、失礼だと思ったからだ。
「ちょいと暴れ過ぎですよ、魔獣ども」
ギラリと目を光らせ、独楽は魔獣たちに錫杖を向ける。
「さて、覚悟はよろしいか」
問いかけるように言った後、独楽は強く地面を蹴って、魔獣たちに向かって行った。
「若様、皆、無事でござるか!」
天津が信太を肩に乗せ、広場に戻って来たのは程なくしての事だった。
全力で走って来たのだろう。苦しげな息遣いと、滝のように流れる汗がそれを物語っている。
だが天津が戻って来た時にはすでに戦いは決着がついていた。
壊れた屋台、破れて垂れ下がった提灯、倒れた無数の魔獣。それから少し離れた場所で呆然とした表情を浮かべる若利とイナカマチ区画の住人達。そして。
――――その中央に、真っ白な獣の耳と尻尾を生やした独楽が、血に濡れた錫杖を手に立っていた。
「これは、一体……何が」
天津は自体が呑み込めず、戸惑うように辺りを見回す。
ひと言で言えば異様な光景であった。
何が起きたのかは天津には分からなかったが、イナカマチ区画を襲ってきた魔獣を独楽が倒した事だけは理解した。
そんな独楽の表情は天津からは見えない。ただ髪と尻尾が風に吹かれ、揺れていた。
「独楽さまー」
そんな天津の肩から、信太がぴょん、と飛び降りた。そしてテトテトと独楽の方へと駆け寄って行く。
信太は独楽の足元まで来ると、その足にそっとすり寄った。
「……独楽?」
若利の声が静まり返った広場に響く。確認するような若利の声に独楽は決して振り返らず、
「はい」
と、一言だけ答えた。
独楽はそう言うと、錫杖についた烏玉を若利に見せる。
若利は驚いて目を見張った後、独楽が何を考えているのか分からないため、やや戸惑い気味に頷く。
「ああ。神雷壁ならば、使えるが……」
「それでは、守りを頼みます。魔獣はわたしが」
言いながら錫杖から烏玉を外して若利に手渡すと、独楽は魔獣に向き直った。
人型では倒せない。天津もいない。ならば迷っている暇など独楽にはなかった。
独楽は魔獣に視線を向けたまま信太に言う。
「信太、甘栗さんの匂いは覚えていますか?」
「はいー」
「よろしい。それでは、呼んできてください」
「おまかせくださいですー!」
信太は力強く頷くと、独楽の肩からぴょんと飛び降り、駆けて行く。
小さくなっていく信太の背中を見送りながら、若利はぐっと烏玉を握った。
「皆! こちらだ!」
そして区画の住人達の避難誘導に動き出す。
若利の呼びかける声に、魔獣によって行き場を失っていた住人達は直ぐに集まり始めた。
「お見事」
独楽は小さく笑った。危機的な状況で、リーダーのひと声で直ぐに統制が取れるのは、きちんとした信頼関係が築かれている証拠である。
羨ましかった。出来ればここにいたかった。
その望みがすでに、自分の中で過去形になっている事に気がついて、独楽は一度だけ目を閉じた。
「――――さて」
そして次に開けた時には、その金色の目は静かに凪いでいた。
独楽が獣人である事を隠すのは、ここにいたいと思ったからだ。
獣人であるという事がバレれば、今までの積み重ねがゼロになる。少なくとも、独楽の今まではそうだった。
イナカマチ区画が独楽は好きだった。好きになった。だからここにいたくて、獣人である事を隠してきた。
言えなかったのだ。
だが。
だが、それだけだ。それだけの事だ。いたい場所がなくなるのと比べたら、いてほしい人がいなくなるのと比べたら、本当に、ただそれだけの事だ。
「独楽!」
焦ったような若利の声が響く。
見れば独楽の殺気にあてられたか、魔獣たちはじりじりと独楽を取り囲み始めている。
だが若利の声とは正反対に独楽は酷く落ち着いていた。月のような金の目が魔獣たちを一匹ずつ捉える。
「大丈夫ですよ、何たってわたしは」
独楽の口がうっすらと笑う。
すると独楽の体に獣の耳と尻尾がふわりと現れ、風に揺れる。
「――――番犬ですからね」
月明かりに照らされた人でないその姿は、まるで夢から切り取られたかのようにそこに在った。
人々が息をのむ音が妙に大きく聞こえた。
独楽はフードを被らなかった。隠さなかった。彼らが見せてくれた信頼関係を前にして、失礼だと思ったからだ。
「ちょいと暴れ過ぎですよ、魔獣ども」
ギラリと目を光らせ、独楽は魔獣たちに錫杖を向ける。
「さて、覚悟はよろしいか」
問いかけるように言った後、独楽は強く地面を蹴って、魔獣たちに向かって行った。
「若様、皆、無事でござるか!」
天津が信太を肩に乗せ、広場に戻って来たのは程なくしての事だった。
全力で走って来たのだろう。苦しげな息遣いと、滝のように流れる汗がそれを物語っている。
だが天津が戻って来た時にはすでに戦いは決着がついていた。
壊れた屋台、破れて垂れ下がった提灯、倒れた無数の魔獣。それから少し離れた場所で呆然とした表情を浮かべる若利とイナカマチ区画の住人達。そして。
――――その中央に、真っ白な獣の耳と尻尾を生やした独楽が、血に濡れた錫杖を手に立っていた。
「これは、一体……何が」
天津は自体が呑み込めず、戸惑うように辺りを見回す。
ひと言で言えば異様な光景であった。
何が起きたのかは天津には分からなかったが、イナカマチ区画を襲ってきた魔獣を独楽が倒した事だけは理解した。
そんな独楽の表情は天津からは見えない。ただ髪と尻尾が風に吹かれ、揺れていた。
「独楽さまー」
そんな天津の肩から、信太がぴょん、と飛び降りた。そしてテトテトと独楽の方へと駆け寄って行く。
信太は独楽の足元まで来ると、その足にそっとすり寄った。
「……独楽?」
若利の声が静まり返った広場に響く。確認するような若利の声に独楽は決して振り返らず、
「はい」
と、一言だけ答えた。
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