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プロローグ

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 独楽が死にそうなくらいの空腹を感じたのは、彼女がまだ幼い子供の頃の事だった。


 この世界が継ぎ接ぎ世界となってまもなくの、とある区画の山道を、半獣姿の独楽は妹の手を引いて走っていた。


「こっちへ逃げたぞ! 追え!」

「待て、化け物め!」


 独楽達の背後からは、鬼のような形相を浮かべた人間達が、刀を振り上げて追いかけてくる。独楽は彼らに切られた左目から血を流しながら、妹を守るために必死で走っていた。

 独楽も、独楽の妹も、体のあちこちが傷だらけである。身を隠し、逃げ回っていたために、数日干からびそうなくらいに何も食べていない。いくら獣人が身体能力に優れているとしても体力的に逃げ続けるには限界があった。

 どんどん近づいてくる人間に、恐怖で顔を強張らせながら、独楽は妹の手を握って必死で走る。すぐ後ろに息遣いが聞こえるまでに距離を詰められた独楽は、死を覚悟した。けれど、せめて妹だけはと、力を振り絞って妹の腕を引っ張り、前へ向かって力一杯背中を押す。


「ねえさま!?」

「はしって!」


 悲鳴を上げる妹に、強い口調でそう言うと、独楽は振り返る。妹が逃げる時間を稼ぐために、独楽は人間達に立ち向かった。

 だが、力の差は歴然だ。簡単に蹴り飛ばされて、独楽は地面に倒れ込む。

 独楽は痛みで滲む視界の端で、自分の頭上に振り上げられる刀を見た。

 こんな所で死ぬのか、と独楽は思った。


――――死にたくない。


 死を覚悟した独楽は、同時にそう思った。まだこんなところで死にたくなんてない。何でこんなところで死ななければならないのかも分からない。


――――死にたくない。


 ギラリ、と不気味る光る刃が不快だった。刀は真っ直ぐに独楽に向かって振り下ろされる。


――――死にたくない。


 強く、強くそう思ったその時、振り下ろされた刃が、金色の錫杖によって受け止められた。

 金属と金属のぶつかる音が辺りに響く。

 独楽が恐る恐る見上げると、そこには一人の女性が立っていた。


「――――何を黙っているんだい」


 女性は振り向かずに独楽に言う。言葉の意味が分からず、独楽は目を瞬く。


「え……」

「助けてほしいなら、ちゃんと言葉にしな」


 女性は言う。独楽がよろよろと体を起こした。


「黙っているのが美徳ってのは時と場合さ。本当に、心の底から助けが欲しいと思ったんなら、ちゃんと言葉にしな。でなきゃ、誰にも分かるもんかい」


 独楽が目を見開いた。女性の言葉に促され、自然とカラカラに乾いた口が動く。


「……た」


 自分でも驚くほどに声は掠れていた。これでは聞こえないと、独楽は無意識に腹に力を込める。


「たす……」


 カラカラの口、カラカラの喉。腹に入れた力は空腹に奪われて行く。それでも独楽は必死に、ただただ必死に声を出し、叫ぶ。


「たすけて、ください!」

「もちろんさ!」


 独楽の言葉に、女性は弾かれたように笑った。


「てめぇ、誰だ!」


 怒鳴る人間を、女性は錫杖を振るって一人ずつ地面に沈めて行く。時折、錫杖についた硝子の玉が光を帯びて輝き、美しかった。


 襲って来る人間は怖かった。だがその人間の女性には怖さの欠片もなく、ただただ綺麗で独楽は魅入ってしまっていた。いつの間にか妹も独楽の傍にやって来ていた。


 そうしてあっという間に人間達を倒してしまった女性は、独楽の所へ戻って来た。

 そうして独楽の顔を覗き込むと、目から血を流す独楽を痛々しそうに見て、懐からハンカチを取り出して傷に当てる。


「たすけてくれて、ありがとう、ございます。わたしは、こまといいます……えっと」

「真頼まよりだよ」

「まより、さま。どうしたら、こまはおかえしが、できますか?」

「困ったときはお互い様さ、気にしなくていいよ」

「きにします」

「いいって、いいって」

「きにします」


 首を横に振り、硬くなにそう言う独楽に、真頼は小さく噴き出した。


「……強情だね。それなら、ああ、そうだそれなら、あんたがあたしの孫の友達になっちゃくれないかい?」

「まご?」

「ああ。寂しがり屋で、意地っ張りな子でねぇ。あたしに似ちまって、変なものが見えるせいで、友達が一人もいないんだ」

「こまのみみやしっぽみたいなものですか?」

「あっはっは。おかしなことをいう子だね。あんたの耳も尻尾も、あんた達だって変なものじゃあないさ」


 独楽と妹の頭を撫でながら、真頼は微笑む。


「……頼めるかい?」

「はい。わたし、まよりさまの、まごの、おともだちになります」


 独楽が力強く頷くと、真頼は嬉しそうに笑った。すると真頼は錫杖から硝子の玉を一つ取り外すと、独楽の手に握らせる。

 独楽は真頼を見上げた後、宝物を貰ったかのように、大事そうにぎゅっと握りしめたのだった。
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