1 / 47
プロローグ
しおりを挟む
独楽が死にそうなくらいの空腹を感じたのは、彼女がまだ幼い子供の頃の事だった。
この世界が継ぎ接ぎ世界となってまもなくの、とある区画の山道を、半獣姿の独楽は妹の手を引いて走っていた。
「こっちへ逃げたぞ! 追え!」
「待て、化け物め!」
独楽達の背後からは、鬼のような形相を浮かべた人間達が、刀を振り上げて追いかけてくる。独楽は彼らに切られた左目から血を流しながら、妹を守るために必死で走っていた。
独楽も、独楽の妹も、体のあちこちが傷だらけである。身を隠し、逃げ回っていたために、数日干からびそうなくらいに何も食べていない。いくら獣人が身体能力に優れているとしても体力的に逃げ続けるには限界があった。
どんどん近づいてくる人間に、恐怖で顔を強張らせながら、独楽は妹の手を握って必死で走る。すぐ後ろに息遣いが聞こえるまでに距離を詰められた独楽は、死を覚悟した。けれど、せめて妹だけはと、力を振り絞って妹の腕を引っ張り、前へ向かって力一杯背中を押す。
「ねえさま!?」
「はしって!」
悲鳴を上げる妹に、強い口調でそう言うと、独楽は振り返る。妹が逃げる時間を稼ぐために、独楽は人間達に立ち向かった。
だが、力の差は歴然だ。簡単に蹴り飛ばされて、独楽は地面に倒れ込む。
独楽は痛みで滲む視界の端で、自分の頭上に振り上げられる刀を見た。
こんな所で死ぬのか、と独楽は思った。
――――死にたくない。
死を覚悟した独楽は、同時にそう思った。まだこんなところで死にたくなんてない。何でこんなところで死ななければならないのかも分からない。
――――死にたくない。
ギラリ、と不気味る光る刃が不快だった。刀は真っ直ぐに独楽に向かって振り下ろされる。
――――死にたくない。
強く、強くそう思ったその時、振り下ろされた刃が、金色の錫杖によって受け止められた。
金属と金属のぶつかる音が辺りに響く。
独楽が恐る恐る見上げると、そこには一人の女性が立っていた。
「――――何を黙っているんだい」
女性は振り向かずに独楽に言う。言葉の意味が分からず、独楽は目を瞬く。
「え……」
「助けてほしいなら、ちゃんと言葉にしな」
女性は言う。独楽がよろよろと体を起こした。
「黙っているのが美徳ってのは時と場合さ。本当に、心の底から助けが欲しいと思ったんなら、ちゃんと言葉にしな。でなきゃ、誰にも分かるもんかい」
独楽が目を見開いた。女性の言葉に促され、自然とカラカラに乾いた口が動く。
「……た」
自分でも驚くほどに声は掠れていた。これでは聞こえないと、独楽は無意識に腹に力を込める。
「たす……」
カラカラの口、カラカラの喉。腹に入れた力は空腹に奪われて行く。それでも独楽は必死に、ただただ必死に声を出し、叫ぶ。
「たすけて、ください!」
「もちろんさ!」
独楽の言葉に、女性は弾かれたように笑った。
「てめぇ、誰だ!」
怒鳴る人間を、女性は錫杖を振るって一人ずつ地面に沈めて行く。時折、錫杖についた硝子の玉が光を帯びて輝き、美しかった。
襲って来る人間は怖かった。だがその人間の女性には怖さの欠片もなく、ただただ綺麗で独楽は魅入ってしまっていた。いつの間にか妹も独楽の傍にやって来ていた。
そうしてあっという間に人間達を倒してしまった女性は、独楽の所へ戻って来た。
そうして独楽の顔を覗き込むと、目から血を流す独楽を痛々しそうに見て、懐からハンカチを取り出して傷に当てる。
「たすけてくれて、ありがとう、ございます。わたしは、こまといいます……えっと」
「真頼まよりだよ」
「まより、さま。どうしたら、こまはおかえしが、できますか?」
「困ったときはお互い様さ、気にしなくていいよ」
「きにします」
「いいって、いいって」
「きにします」
首を横に振り、硬くなにそう言う独楽に、真頼は小さく噴き出した。
「……強情だね。それなら、ああ、そうだそれなら、あんたがあたしの孫の友達になっちゃくれないかい?」
「まご?」
「ああ。寂しがり屋で、意地っ張りな子でねぇ。あたしに似ちまって、変なものが見えるせいで、友達が一人もいないんだ」
「こまのみみやしっぽみたいなものですか?」
「あっはっは。おかしなことをいう子だね。あんたの耳も尻尾も、あんた達だって変なものじゃあないさ」
独楽と妹の頭を撫でながら、真頼は微笑む。
「……頼めるかい?」
「はい。わたし、まよりさまの、まごの、おともだちになります」
独楽が力強く頷くと、真頼は嬉しそうに笑った。すると真頼は錫杖から硝子の玉を一つ取り外すと、独楽の手に握らせる。
独楽は真頼を見上げた後、宝物を貰ったかのように、大事そうにぎゅっと握りしめたのだった。
この世界が継ぎ接ぎ世界となってまもなくの、とある区画の山道を、半獣姿の独楽は妹の手を引いて走っていた。
「こっちへ逃げたぞ! 追え!」
「待て、化け物め!」
独楽達の背後からは、鬼のような形相を浮かべた人間達が、刀を振り上げて追いかけてくる。独楽は彼らに切られた左目から血を流しながら、妹を守るために必死で走っていた。
独楽も、独楽の妹も、体のあちこちが傷だらけである。身を隠し、逃げ回っていたために、数日干からびそうなくらいに何も食べていない。いくら獣人が身体能力に優れているとしても体力的に逃げ続けるには限界があった。
どんどん近づいてくる人間に、恐怖で顔を強張らせながら、独楽は妹の手を握って必死で走る。すぐ後ろに息遣いが聞こえるまでに距離を詰められた独楽は、死を覚悟した。けれど、せめて妹だけはと、力を振り絞って妹の腕を引っ張り、前へ向かって力一杯背中を押す。
「ねえさま!?」
「はしって!」
悲鳴を上げる妹に、強い口調でそう言うと、独楽は振り返る。妹が逃げる時間を稼ぐために、独楽は人間達に立ち向かった。
だが、力の差は歴然だ。簡単に蹴り飛ばされて、独楽は地面に倒れ込む。
独楽は痛みで滲む視界の端で、自分の頭上に振り上げられる刀を見た。
こんな所で死ぬのか、と独楽は思った。
――――死にたくない。
死を覚悟した独楽は、同時にそう思った。まだこんなところで死にたくなんてない。何でこんなところで死ななければならないのかも分からない。
――――死にたくない。
ギラリ、と不気味る光る刃が不快だった。刀は真っ直ぐに独楽に向かって振り下ろされる。
――――死にたくない。
強く、強くそう思ったその時、振り下ろされた刃が、金色の錫杖によって受け止められた。
金属と金属のぶつかる音が辺りに響く。
独楽が恐る恐る見上げると、そこには一人の女性が立っていた。
「――――何を黙っているんだい」
女性は振り向かずに独楽に言う。言葉の意味が分からず、独楽は目を瞬く。
「え……」
「助けてほしいなら、ちゃんと言葉にしな」
女性は言う。独楽がよろよろと体を起こした。
「黙っているのが美徳ってのは時と場合さ。本当に、心の底から助けが欲しいと思ったんなら、ちゃんと言葉にしな。でなきゃ、誰にも分かるもんかい」
独楽が目を見開いた。女性の言葉に促され、自然とカラカラに乾いた口が動く。
「……た」
自分でも驚くほどに声は掠れていた。これでは聞こえないと、独楽は無意識に腹に力を込める。
「たす……」
カラカラの口、カラカラの喉。腹に入れた力は空腹に奪われて行く。それでも独楽は必死に、ただただ必死に声を出し、叫ぶ。
「たすけて、ください!」
「もちろんさ!」
独楽の言葉に、女性は弾かれたように笑った。
「てめぇ、誰だ!」
怒鳴る人間を、女性は錫杖を振るって一人ずつ地面に沈めて行く。時折、錫杖についた硝子の玉が光を帯びて輝き、美しかった。
襲って来る人間は怖かった。だがその人間の女性には怖さの欠片もなく、ただただ綺麗で独楽は魅入ってしまっていた。いつの間にか妹も独楽の傍にやって来ていた。
そうしてあっという間に人間達を倒してしまった女性は、独楽の所へ戻って来た。
そうして独楽の顔を覗き込むと、目から血を流す独楽を痛々しそうに見て、懐からハンカチを取り出して傷に当てる。
「たすけてくれて、ありがとう、ございます。わたしは、こまといいます……えっと」
「真頼まよりだよ」
「まより、さま。どうしたら、こまはおかえしが、できますか?」
「困ったときはお互い様さ、気にしなくていいよ」
「きにします」
「いいって、いいって」
「きにします」
首を横に振り、硬くなにそう言う独楽に、真頼は小さく噴き出した。
「……強情だね。それなら、ああ、そうだそれなら、あんたがあたしの孫の友達になっちゃくれないかい?」
「まご?」
「ああ。寂しがり屋で、意地っ張りな子でねぇ。あたしに似ちまって、変なものが見えるせいで、友達が一人もいないんだ」
「こまのみみやしっぽみたいなものですか?」
「あっはっは。おかしなことをいう子だね。あんたの耳も尻尾も、あんた達だって変なものじゃあないさ」
独楽と妹の頭を撫でながら、真頼は微笑む。
「……頼めるかい?」
「はい。わたし、まよりさまの、まごの、おともだちになります」
独楽が力強く頷くと、真頼は嬉しそうに笑った。すると真頼は錫杖から硝子の玉を一つ取り外すと、独楽の手に握らせる。
独楽は真頼を見上げた後、宝物を貰ったかのように、大事そうにぎゅっと握りしめたのだった。
0
お気に入りに追加
17
あなたにおすすめの小説
アルゴノートのおんがえし
朝食ダンゴ
ファンタジー
『完結済!』【続編製作中!】
『アルゴノート』
そう呼ばれる者達が台頭し始めたのは、半世紀以上前のことである。
元来アルゴノートとは、自然や古代遺跡、ダンジョンと呼ばれる迷宮で採集や狩猟を行う者達の総称である。
彼らを侵略戦争の尖兵として登用したロードルシアは、その勢力を急速に拡大。
二度に渡る大侵略を経て、ロードルシアは大陸に覇を唱える一大帝国となった。
かつて英雄として名を馳せたアルゴノート。その名が持つ価値は、いつしか劣化の一途辿ることになる。
時は、記念すべき帝国歴五十年の佳節。
アルゴノートは、今や荒くれ者の代名詞と成り下がっていた。
『アルゴノート』の少年セスは、ひょんなことから貴族令嬢シルキィの護衛任務を引き受けることに。
典型的な貴族の例に漏れず大のアルゴノート嫌いであるシルキィはセスを邪険に扱うが、そんな彼女をセスは命懸けで守る決意をする。
シルキィのメイド、ティアを伴い帝都を目指す一行は、その道中で国家を巻き込んだ陰謀に巻き込まれてしまう。
セスとシルキィに秘められた過去。
歴史の闇に葬られた亡国の怨恨。
容赦なく襲いかかる戦火。
ーー苦難に立ち向かえ。生きることは、戦いだ。
それぞれの運命が絡み合う本格派ファンタジー開幕。
苦難のなかには生きる人にこそ読んで頂きたい一作。
○表紙イラスト:119 様
※本作は他サイトにも投稿しております。
なろう370000PV感謝! 遍歴の雇われ勇者は日々旅にして旅を住処とす
大森天呑
ファンタジー
〜 報酬は未定・リスクは不明? のんきな雇われ勇者は旅の日々を送る 〜
魔獣や魔物を討伐する専門のハンター『破邪』として遍歴修行の旅を続けていた青年、ライノ・クライスは、ある日ふたりの大精霊と出会った。
大精霊は、この世界を支える力の源泉であり、止まること無く世界を巡り続けている『魔力の奔流』が徐々に乱れつつあることを彼に教え、同時に、そのバランスを補正すべく『勇者』の役割を請け負うよう求める。
それも破邪の役目の延長と考え、気軽に『勇者の仕事』を引き受けたライノは、エルフの少女として顕現した大精霊の一人と共に魔力の乱れの原因を辿って旅を続けていくうちに、そこに思いも寄らぬ背景が潜んでいることに気づく・・・
ひょんなことから勇者になった青年の、ちょっと冒険っぽい旅の日々。
< 小説家になろう・カクヨム・エブリスタでも同名義、同タイトルで連載中です >
5年も苦しんだのだから、もうスッキリ幸せになってもいいですよね?
gacchi
恋愛
13歳の学園入学時から5年、第一王子と婚約しているミレーヌは王子妃教育に疲れていた。好きでもない王子のために苦労する意味ってあるんでしょうか。
そんなミレーヌに王子は新しい恋人を連れて
「婚約解消してくれる?優しいミレーヌなら許してくれるよね?」
もう私、こんな婚約者忘れてスッキリ幸せになってもいいですよね?
3/5 1章完結しました。おまけの後、2章になります。
4/4 完結しました。奨励賞受賞ありがとうございました。
1章が書籍になりました。
冤罪で山に追放された令嬢ですが、逞しく生きてます
里見知美
ファンタジー
王太子に呪いをかけたと断罪され、神の山と恐れられるセントポリオンに追放された公爵令嬢エリザベス。その姿は老婆のように皺だらけで、魔女のように醜い顔をしているという。
だが実は、誰にも言えない理由があり…。
※もともとなろう様でも投稿していた作品ですが、手を加えちょっと長めの話になりました。作者としては抑えた内容になってるつもりですが、流血ありなので、ちょっとエグいかも。恋愛かファンタジーか迷ったんですがひとまず、ファンタジーにしてあります。
全28話で完結。
どーも、反逆のオッサンです
わか
ファンタジー
簡単なあらすじ オッサン異世界転移する。 少し詳しいあらすじ 異世界転移したオッサン...能力はスマホ。森の中に転移したオッサンがスマホを駆使して普通の生活に向けひたむきに行動するお話。 この小説は、小説家になろう様、カクヨム様にて同時投稿しております。
僕の兄上マジチート ~いや、お前のが凄いよ~
SHIN
ファンタジー
それは、ある少年の物語。
ある日、前世の記憶を取り戻した少年が大切な人と再会したり周りのチートぷりに感嘆したりするけど、実は少年の方が凄かった話し。
『僕の兄上はチート過ぎて人なのに魔王です。』
『そういうお前は、愛され過ぎてチートだよな。』
そんな感じ。
『悪役令嬢はもらい受けます』の彼らが織り成すファンタジー作品です。良かったら見ていってね。
隔週日曜日に更新予定。
転生先は盲目幼女でした ~前世の記憶と魔法を頼りに生き延びます~
丹辺るん
ファンタジー
前世の記憶を持つ私、フィリス。思い出したのは五歳の誕生日の前日。
一応貴族……伯爵家の三女らしい……私は、なんと生まれつき目が見えなかった。
それでも、優しいお姉さんとメイドのおかげで、寂しくはなかった。
ところが、まともに話したこともなく、私を気に掛けることもない父親と兄からは、なぜか厄介者扱い。
ある日、不幸な事故に見せかけて、私は魔物の跋扈する場所で見捨てられてしまう。
もうダメだと思ったとき、私の前に現れたのは……
これは捨てられた盲目の私が、魔法と前世の記憶を頼りに生きる物語。
30代社畜の私が1ヶ月後に異世界転生するらしい。
ひさまま
ファンタジー
前世で搾取されまくりだった私。
魂の休養のため、地球に転生したが、地球でも今世も搾取されまくりのため魂の消滅の危機らしい。
とある理由から元の世界に戻るように言われ、マジックバックを自称神様から頂いたよ。
これで地球で買ったものを持ち込めるとのこと。やっぱり夢ではないらしい。
取り敢えず、明日は退職届けを出そう。
目指せ、快適異世界生活。
ぽちぽち更新します。
作者、うっかりなのでこれも買わないと!というのがあれば教えて下さい。
脳内の空想を、つらつら書いているのでお目汚しな際はごめんなさい。
ユーザ登録のメリット
- 毎日¥0対象作品が毎日1話無料!
- お気に入り登録で最新話を見逃さない!
- しおり機能で小説の続きが読みやすい!
1~3分で完了!
無料でユーザ登録する
すでにユーザの方はログイン
閉じる