母ナキ鳥籠

蛇狐

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episodio.1「Incontro con lui(彼との出会い)」

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 この世界なんてどうでもいい。
こんなオレを産んだ世界、こんなオレを受け入れない世界。
そんなものどうでもいい。

ザ​───。

 強い雨が体に打ち付ける。冷たい。寒い。……いや、もはや何も感じない。空を見上げる気すら起きない。真っ暗な路地裏で、ただ小さく蹲って時間が過ぎるのを待った。
 どうかどうか。こんなオレが早く消えますように。こんな世界が無くなりますように。ぱっと消えてそれで終わればいいのに。全部一瞬で、あっという間に。

 ふと、雨の音が変わる。何かが遮る音。体に当たる雨が、何かに遮られている。
 つられるように見上げると、そこにはこの場に不釣り合いな上等なスーツをその身にまとった男。その男が、自分に傘を差し出していたのだ。

「……なに」

 今さら。虚ろな目が男を捉えて、すぐにまた汚い地面を眺める。すると頭上から明るい声が聞こえた。

「やっと見つけた、私の宝物イルミオテゾーロ

 もう一度見上げると、そこにはにっこりと笑う男の顔。


その男との出会いが、オレの短い人生を変えた。
それが幸か不幸かなんて、オレにもわからない。








「ああ体が冷えきってしまっている。ほら、暖炉の前に座りたまえ。お茶を用意させよう」

 男に促されるまま暖炉の前に腰を下ろす。どこかの貴族なのだろうか?それはそれは広い屋敷だ。それにしては人の気配が少ないのだが。
 恐らく使用人であろう背の高い男からカップを受け取ると、ふわりと甘い香りがした。そして、暖かい。
ほぅ、と思わず息が漏れる。暖かいものなんて、生まれてこの方口にしたことがない。どんな味なのだろう?どんな飲み物なのだろう?口をつけようとして──カップを床に投げ付けた。音に驚いて、貴族の男は目を丸くして振り返る。オレはただ、その男を睨みつけていた。

「お前なんか信用しない。何が目的だ」
「……じゃあどうして来たんだい?」
「それは……」
「どうでもよかったんだろう?何もかも」

 男は目を数回瞬かせてから優しく微笑んだ。そしてゆっくりこちらに歩み寄ってくる。なに、なんだ。咄嗟に後ずさると、後ろのソファに引っかかって思わず倒れ込んでしまった。ぼふ、と優しく柔らかい感触が体を包む。それに一瞬ほっとしてしまったのも束の間。男の手が音を立てて顔の横に付いた。咄嗟に体が強ばる。

「あーあ、紅茶を無駄にしてしまって」

 男はそう言いながら床を見ると、カーペットに紅茶と呼ばれた液体が染みていくのが見えた。それに怒っているのだろうか?だがどうやら、怒っているのとも少し違う。変な男だ。

「ブルーム、もう一度紅茶を」

 ブルームと言われた背の高い男は、少し困ってから部屋の奥へと消えていく。部屋に二人きりになってしまった。その震える瞳を逃すまいと貴族はじっと見つめてきた。

「怖いかい。そうだろう、それが正しいさ。知らない男の屋敷に上がって、組み敷かれて…男の君でも怖いだろう。だがそれが正しい」

 何が言いたいんだ、なにがしたいんだ。震える体を隠すように拳に力を入れて睨み返す。貴族はそれを見てか少し笑って上から退いた。そして手を差し出してくる。

「……変なやつ」

 ん?と貴族は首を傾げて、オレの手を無理やり掴むとぐいっと上体を起こさせた。手袋越しでも分かる暖かい手。こんな奴の手なのに、安心してしまう。
 男は改めて、と言うと被っていた帽子を胸に当てた。

「私はこの屋敷の主、アェルド。アェルド・ルチア・ヴィヴァルディ。お前を拾った大人だよ」

 さて君は?とわざとらしく目を細めながら無言で問いかけてくる。だが……。

「名前なんてない。気づいたら外で……記憶も無い」

 一番最初の記憶は、路地裏で目を覚ました時だった。それ以前の記憶は全くない。どこから来たのか、自分が何者なのか……は少しわかるけど、とにかくほとんど何もわからなかった。
 そう聞いた男──アェルドはふむと小さく零してから「では」と口を開いた。

「ジェシー。君はジョシュアだ。いいね?」
「勝手に決めるなよ……」
「はい決定。拒否権はなし、だ」

 アェルドは小さく笑うとブルームから紅茶を受け取り、再び差し出した。暖かそうで、美味しそうなもの。思わず喉がこくりと音を立てた。はっとして喉を抑えたが、既にアェルドは笑っていた。……腹立つヤツめ。

「ほら、飲むといい。ブルームの淹れた紅茶は美味しいんだ」
「……」

 そっと受け取ると再びあの温かさが手に染みる。じわ、と熱が移っていくこの感じは、嫌いじゃなかった。
 もう死んでもいいのなら、なんでもいいのなら。とカップに口をつけた。そしてゆっくり傾けると、やがて甘い味が口に広がる。ふわぁ、と思わず声が漏れた。

「おいしい……」
「だろう?」

 アェルドは満足そうにこくこくと頷いて、ソファへと腰掛ける。そして指を絡めて手を組むと、じっと見詰めてきた。

「さてジェシー。お前が気になっていることもここに居ればやがて分かるだろう。どうだい?ひとまず、ここに住むというのは。
お前は住む場所が欲しい。私は君を保護したい。利害は一致している」

 嫌になればいつでも逃げ出せばいいさ、なんて嫌味ったらしく笑ってから「おいで」と手袋をした手を差し出す。自分よりも大きい手。大人の手。今までは、その手に何度傷付けられた事だろう。理由もなく殴られ、打たれ、蹴られて、時には変なやつに体を撫で回されたりした。
 だがここは暖かい。温度だけじゃなくて、空気というか……雰囲気というか。そうだ、嫌になればいつでも出て行けばいい。だから……。

 少年、ジョシュアは、そっとアェルドの手を取った。







 ピチチ。チュンチュン。
そっと目を開けると、鳥のさえずりが聞こえてきた。大きく広いベッドの上で小さく身じろいで、窓に目を向ける。誰かが開けたであろうカーテンから、日差しが漏れている。こんな爽やかな朝は初めてだ。こんな落ち着いて寝れたのも……。
 昨日のは夢じゃなかったらしい。心地よい眠気がまだ残ったまま上体を起こした。そしてゆっくりとベッドから降りると、部屋を出てみる。やはりかなり広い。自分は貴族など詳しくなどないが、おそらくかなり上層階級の人間なのだろう。でもやっぱり、人は全然居ない。人気ないのか?あいつ。

「わあ」
「わあ」
「わあ」

 同じ声が聞こえて振り返ると、またまた同じ顔の自分より幼い少女が三人並んでいた。おそろいのケープを羽織って不思議そうにこちらを見ている。そして怖がりもせず少女たちは近寄ると二人が片手ずつを取り、一人は背中を押し始めた。

「こっち」
「あっち!」
「そっち」

 今度は全く揃ってない言葉を口にして、だが同じ方向へとオレを連れていく。「わかった、わかったって」と言うがまた「こっち」「あっち!」「そっち」と言うだけで全く止まってくれない。はあ、とため息をついて連れて行かれるままある一室に入る。
そこには、使用人のブルームが居た。

「おはよう、ジョシュア」

 さ、こっちへ。そう言うとブルームは真っ白な綺麗な布をばさっと広げた。ハサミを片手に、にっこりと微笑んで。










「ほら、出来たぞ」

 あれから髪を切られて、風呂に入れられて、服をさんざん着せられた。そして鏡の前に連れて行かれて見えたのは、生まれて初めて見る自分の姿だった。あれ?案外悪くないのでは?と思うほどには、綺麗に整えられていた。

「すごい」
「すごーい!」
「すごいー」

 少女たちがはしゃぎ周囲を歩き回る。ブルームがそれを見て「こら」と優しく声をかけた。

「リァハ、ユゥア、シュア。ジョシュアが驚いているだろう。先にルチアの元へ行っておいてくれ」

 三人はそう言われると「はーい」と同時に返事をしてそそくさと部屋を後にした。
 ブルームは一息ついてからオレを見ると「説明しながら、ゆっくり行こうか」と微笑む。どうやら優しい大人だがやはり信用は出来ない。まだ、したくない……。
 そんな不安なオレの気持ちを他所にブルームは俺の背を押すと、部屋を出て廊下を歩き始めた。ルチア……あの男は不思議なやつだろう。そう言って、ブルームは話し始める。

「君を拾った理由は私も分からなくてね。ただ、悪い様にはしないさ。まあ信じてくれと言っても難しいだろうが……とにかく、そんな奴じゃない」

 たしかに難しい。なんというか、信用出来ない人間とはああいうやつの事を言うのだろう。強く数回頷いているとブルームは、ははっと笑った。

「分かるよ。私も最初はそうだった。……家の事情で使用人になることになってね。あいつがわざわざ私を指名したんだよ。有り得るか?親友を従者になんて」

 ムッとした表情から一変、懐かしむように微笑むブルーム。

「……でも、あいつはただ私を引き取ってくれただけで、使用人らしい事なんて何一つ望まなかった。「お前は一緒に居てくれるだけでいい」と何度言われたか。まあその度に反抗して鍛えているのだがね」

 よく見ずともブルームは鍛えられた体をしている。元々身長はあるだろうが努力の結果なのだろう。だからこそ威圧感もあるのだが。
 さて、とブルームは目の前の扉に手をかける。あっという間に着いていたらしい。この先にはあの男、アェルドがいる……。表情が強ばったことに気づいたブルームがふっと柔らかく微笑んだ。

「昨日ルチアが言った通り、都合が悪くなれば出て行けばいい。ただ、ここに居ることによって君の得にはなると思う」

 そしてゆっくり扉を開くと、アェルドがソファに座って紅茶を飲んでいる姿が見えた。相変わらずどこか気に食わない。なぜだろうか?……もしかしたら、どこかお高くとまってそうだからかもしれない。ともかく気に食わないのだ。

「おはよう、ジェシー」
「その呼び方やめろ。女みたいでやだ」
「そこに座りたまえ」

 やめる気ないな。わざとらしくため息をついて向かいのソファへと座り、じっと見つめる。左右で色の違う瞳。綺麗な顔立ち。どこをどう見たってムカつく男だ。

「昨日はよく眠れたかい」
「……まあまあ」

 実はぐっすり眠れたのだがなんとなく素直には言いたくない。あんな柔らかいところ、あったんだな。
 やがてブルームと三つ子が料理を運んできて、食卓は賑やかになった。パンにスープにお肉……食べきれないほどある。誰が作ったか知らないが、とにかく美味しそうだ。

「お腹も空いたろう。話はそれからにしよう。安心したまえ、毒など入っていない」

 そう言われる前にはがっついていた。手で掴んでは口に入れていく。勿論食器の意味も使い方も知らなかった。だがアェルドは怒ることなく「そのうち教えねばな」と言うだけで、(今日のところは)好きに食べさせてくれた。







 すっかりお腹も膨れた頃。アェルドがさて、と口を開いた。

「色々気になることもあるだろうから情報交換といこうか。なに、まあ簡単に言えば自己紹介をし合うのさ」

 とはいえ昨日名前は言ったけどねと口を拭きながらアェルドが言う。

「改めて、私はアェルド。ヴィヴァルディ家の次男さ」
「ヴィヴァルディ家は公爵家なんだよ」

ブルームが食器を片付けながら教えてくれた。公爵家……よく分からないけど、偉いお金持ちと言うのは分かる。やっぱり凄いやつなんだな……こう見えても。

「お前はどうなんだい?本当に何も覚えていない?」
「覚えてること……」

暗い。冷たい。人の声……。

「……暗くて冷たくて、人の声がした……そんな記憶はあるけど、夢かどうかもわからない」
「……ふむ」

アェルドは少し考えて腕を組んだ。

「よし、ならば私が知ってる情報を教えよう。私も最初は信じ切れなかったが……聞いた話は正しかったようだ」
「聞いた話?」
「実は私の大切な人が君を探して欲しいと頼んできてね」

拾われたのは偶然じゃなかったのか。それに、オレを知ってる人がいる……?

「それ誰……」
「その人が言うには」
「いや聞けよ!その人って……」

アェルドが口に人差し指を当て「Shh...…」と言葉を遮る。その真剣さに思わずこくりと生唾を飲んだ。アェルドは「いい子だ」と言うと再び腕を組んで話を続ける。

「その人が言うには……君たちは作られた存在」

は?と思わず声が漏れる。だってそうだろ、そんなまさか。

「ホムンクルスのダンピール……人と吸血鬼ヴァンピーロの混血……ダンピールだ」
「……ダンピール……?」

ちょっと待て、と顔を押える。オレが作られた存在で、ただの吸血鬼でなく中途半端なダンピール?人間と、吸血鬼の……。

「頭が痛くなってきた……」
「落ち着いている方だよ。……ショックかい?」

アェルドが眉を顰めて優しく問い掛ける。

「君たちは研究によって作られた存在だ。人間の我儘でね。人間を恨んでも、仕方のないことだ」
「……確かに、恨みたい気持ちはあるけど……」

だが、それよりも。

「…………ってどういう事?」

アェルドが口を噤む。あいつはさっき、「君たち」と言った。考えなくても、それはオレと似た存在が他にも居るということだ。そうなれば気になることがいくつも出てくる。
なぜオレはそれを知らない?なぜ一緒に居ない?今そいつらはどこに?オレたちは何のために作られた?

「……答えろよ」
「……すまない。お前がもう少し落ち着いてからと思っていたんだ」

目を伏せてから少し考えると、アェルドは顔を上げて真っ直ぐ見てきた。やはり信用ならない。コイツはどこまでを知っていて、オレを使って何をしようとしてる?

「……話すよ。君たちが生まれてきた訳を。研究の意味を」

アェルドは眉を顰めて、言葉を紡いだ。

「君たちは、戦争の道具として作られた」

ドクン、と心臓が大きく動いた。

「君はそのホムンクルスたちの十三番目。末っ子だよ」








 爆音。銃声。悲鳴。断末魔。
焦げた匂い。火薬の匂い。鉄の匂い。……血の匂い。


ウノ!」
「ああわかってるさドゥエ!」

 二人で敵を追いつめると同時に手で喉を引っ掻いた。鋭い爪で割かれた喉からは血飛沫が上がり、やがて人間は呆気なく倒れた。足元には、先程まで動いていたただの物体。
 返り血を袖で拭って、二人で手を叩く。ぱちん、とこの場に合わない音が響いた。

「やったな。これで二人で百人殺した事になる」
「ああ、君のおかげだドゥエ。ありがとう」
「こっちこそ」

 二人でにっと笑い合う。幸せだ。大好きなドゥエと一緒に笑い合える時間。
 だからだろうか?オレはそんな幸せに慢心して、油断していたのだ。

 ドン、という音と共に、目の前のドゥエが何かに撃たれて倒れた。目を見開いたその瞬間、そのドゥエの体が何かに引っ張られていった。よく見ると、体に何かが巻き付いているようだった。

「──ドゥエ!!!」

 咄嗟に手を伸ばしたその腕が一瞬で無くなった。どうやら撃たれて吹っ飛んだらしい。続けざまに足も撃たれてそのまま地面に倒れ込んでしまう。
 動けない。なぜ?いつもなら動けるのに、体が痺れて動かない。

 ふと、ドゥエに近づく複数の人間に気が付いた。その内の一人が足でドゥエの肩を蹴り、意識が無いことを確認している。
 待って。言葉にならない声を上げる。必死で、ドゥエの体を抱える人間達に叫んだ。
 待って!!!
それでも言葉にならない。人間たちはもはや振り返ってもくれない。
どんどんと離れていく。
 なんで、どうして。待ってよ。待ってくれよ!!!
言葉にならない叫び声だけが、ただ響いた。







報告書。

ウノのミスにより、本日十九時十六分。

ドゥエが何者かに拉致される。

行方は見当もつかず、今後も重要項目として捜索を続ける。




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