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扉の外
48話 安らぎの我が家
しおりを挟む小森たちは約四日ぶりの帰宅に成功し、慣れ親しんだ我が家の空気に安堵していた。
「ただいまーって感じだなぁ」
「そっ、そうですね!」
しかし、あかりは帰宅してから急にそわそわとし始め、小森たちから一定の距離を取るようになっていた。
「……なんでそんなに離れているんだ?」
「うぅぅ……。じつは、おふろに入りたく……」
「おお! すまない。もう何日も入っていなかったもんな。別に俺はあかりの匂いならどんな匂いでも――ふごっ」
ヌーの容赦の無い肉球パンチが小森の顔面に突き刺さる。
「へんたい。ころす。」
が、ヌーのふわふわハンドは小森の快感ゲージを高めるだけである。
「うへへへへへ」
「まだ落ち込んでるときの方が可愛げがあったな。」
「あのあの、それでおふろのほうは……?」
あかりはとても深刻な表情をしていた。にもかかわらず半笑いなので、小森とヌーは「器用だなぁ」と心の中で思った。
「うーん……川は前回のことがあるから、三人一緒でないと行きたくないな。かといって、一緒に水浴びなんかするのはハレンチである」
小森は家長なので、倫理に厳しかった。
「……ぬっふっふ。」
「なんだヌー。気味のわるい笑い方をするじゃないか」
「小森。さっそく出たな。水の問題が。」
ヌーはにやにやと笑いながら、大切に抱えていた『やかん』をこれ見よがしに撫で上げた。
「おおっ……そうか、それで浴槽を満たせるな!」
「そのとおり。ちょっと水は冷たいかもしれないけど。はい。」
浴槽を満たすのはお前の仕事だ、といわんばかりに小森へとやかんを渡すヌー。
「水が冷たいだって? いいや、ヌー。俺はあかりをそんな冷たい風呂に入れさせるつもりは無いぞ。そもそも、やかんとは何のためにあると思う?」
「ま。まさか……。」
小森の行動は早かった。
外に出て木の枝とクリオネを集めて着火。この間3分。
そして、やかんを焚き火にかけて中の水を沸騰させるまでが3分。合計6分で小森の実験の準備は完了していた。
「アーティファクトが燃やされてしまった。」
「いや燃えてはいないだろ……」
底の方が少し焦げた熱々のやかんを持って風呂場へと向かう。
小森は浴槽へ、煮え立つ湯を注ぎ始めた。
「さーて、この場合どうなるんだろうな? アツアツの熱湯が出てくるのはやかんの体積分なのか、それとも……?」
「たしかに。気になるな。」
ヌーもなんだかんだで興味津々に尻尾を振っていた。
「おお……おおお……! まだまだお湯が出ていますっ!」
やかんから出る湯は、最初の温度を保ったまま、どこまでも勢いよく浴槽に注がれ続ける。
やがてそれが浴槽いっぱいまで満たされる頃には、風呂場中が白い湯気で包み込まれていた。
「実験結果――無限に水が出る魔法のやかんは、温めると、中の水ぜんぶに適用される! 良かったな、ヌー。名誉挽回だぞ」
「ぬぬぬぅ。隠し効果だ……。」
「伝説のやかんですね! ばんざーいっ」
そのあとあかりは、たっぷり一時間の長湯を済ませ、後の二人も溜まりきった疲労と苦労を温かな湯で洗い流した。
食事はやはり備蓄品の缶詰が主体となったが、ワイルドな食事ばかりだった小森たちにとって、現代日本で作られた繊細な缶詰食はありがたいものだった。
下層の夜は上層よりも早く訪れる。食事を済ませたあと、三人は明日の冒険に備えて就寝することになった。
それぞれが自分の自由な時間を過ごし、使い慣れた自室のベッドで十分な睡眠をとる。四日間に及ぶ大冒険を振り返りながら、深い睡眠へと落ちていった。
安らぎの時間が通り過ぎる。
もうこれ以上無いくらいに睡眠欲を満たした小森は、夢見心地でリビングへ出ると、すでにあかりとヌーがいた。
「おはよう。みんな起きてたのか」
「おはようございますこんばんは! まだ夜ですっ」
「まだ夜なのか。しかしテンション高いな……」
「二日間起きっぱなしでいられるくらい寝溜めしました!」
「俺ももう眠れないなぁ。適当に時間潰すか」
たっぷり何時間も寝たはずが、一向に夜が明けない。夜が明けなければ霧も晴れない。となれば出発する事もかなわず、暇をもてあそぶことになってしまった。
地上付近と下層とでかなり日照時間のズレがあり、小森たちの時間感覚に大きな狂いが生じ始めていた。
「どうせ全部持ち出せないなら、朝食をもっと豪華にしてみるか。倉庫のストックをすべて解禁するぞ!」
「おおー! わたしも一工夫いたしますね」
「雑用はまかせろ。」
小森がストックから食材を選び、あかりが玄関先の臨時キッチンで簡易的な調理をし、ヌーが配膳する。長い時間を三人で過ごすうちに、自然と自分の役割を理解するようになっていた。
「今更ですが、勝手にこれだけ使ってしまって良かったのですか? 元の世界に戻ったら社長さんに怒られませんか?」
「まあ、理由を話せば納得するしかないだろ。こっちは命かかってんだ。というか、戻った時には一攫千金のお宝を俺たちは持っている事になるんだからな。いくらでも挽回できるぞ。むしろ無限に水の出る魔法のやかんだけでも温泉とか立ち上げられそうじゃね? どうよ、ヌー」
「厳密には無限に出るわけじゃないけど……。でもそうだな。使い方次第では温泉もできそう。」
食卓にのぼる料理の数と比例するように、話題も活気のある明るいものになっていく。
燃費の悪くなった小森とあかりは大食らいになっていたので、作りすぎという心配もあまりなかった。
そして──
「じゃーん。こんなお宝がうちにもあったぞ」
「おぉぉおぉっ……その容器はっ」
「? なんだそれ。」
小森が倉庫の奥から引っ張り出してきたのは『くまころし』とラベルの貼られた、透明のビンだった。
「んー……ヌーはオトナか?」
「ぬ? おとなだぞ。」
「俺とあかりは20歳を超えているが、ヌーは20歳を超えているか?」
「ぬぅ。たぶん。超えてる。」
「よしよし、その心意気や良し。 ……ヌーくん、あかりくん。晩酌といこうではないか。我々は大人なのでなんの問題もあるまい」
小森は酒瓶を傾けて、三人のグラスにその中身を注いでいった。
ぱっと見は真水のように清んだ色をしているが、注がれる液体の動きがとろとろとして、ほんのわずかに粘り気を感じさせる。
「わたしはあんまり詳しくないですけど、小森さん。これって割って飲むやつでは……」
「実は俺もわからん。缶チューハイしか飲んだことないからな。でもこういうのって初めはストレートでいくもんだろ」
「これが……酒。」
「怖いか? ヌー」
「怖くないぞ。小森はガソリンの味とか知らないだろ。」
「分かった分かった。お前は野生のグルメ王だったな。さあ、ケンカはなしだ。俺たちの大冒険に向けて祝杯をあげるぞーっ!」
小森はグラスを高らかに掲げる。あかりとヌーもそれにならった。
「お宝いっぱい見つけるぞぉ! かんぱーい!」
「無病息災! かんぱーいっ!」
「かんぱーい。」
それぞれのグラスが空中で割れそうなほど勢い良くぶつかる。
そして、そのまま全員が一気にグラスの中身を腹の奥へと流し込んだ。
「フッホォ! 胃が焼けそうだぜ」
「はぁぁぁぁっ……スゴイですこれっのど」
「ぬっ。鼻がっ……。」
それぞれが目をしばたいて、全身を暴れまわるアルコールに翻弄された。
「この酒すげえ……」
「もう体がぽっぽしてますぅ」
「しんかんかく。」
珍酒『くまころし』は大好評で、三人の宴会はさらに大きな盛り上がりを見せた。
飲み方を知らないヌーが一気飲みしようとするのを小森が抑え、あかりがそれを見て爆笑する。というループを何度も繰り返し、結局、小森はヌーの面倒見係となってしまっていた。
「おい、ヌー。そろそろ外の様子を見に行きたいのだが」
「んぬぅ~~。もちっと~~。こもりぃ。まだあるんらろ~。」
「あははは! ヌーさんかわいいかわいいですねぇ」
「くそっ……地獄だ……」
それから、ヌーが完全に潰れるまで小森は席を離れることが出来なかった。
宴会が終わり、ヌーを寝室に運んだ後、なかば諦め気味に外を確認する。
「出発、明日でいっか……」
ちょうど日没となる瞬間を目撃した小森は、二次会を決意した。
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