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あかり
19話 希望の糸
しおりを挟む異世界への電話はすぐに反応し、呼出音を鳴らし始めた。
当たり前だと思った。俺がこれだけ強い想いをこめてかけているんだから。超常現象の一つや二つ、起きても不思議じゃない。そう確信するほど俺は集中している。
『はい花丸印刷』
そして聞こえてきたのは、機嫌の悪そうな野太い男の声だった。
別の人が出る事は想定内だったのだが、一発目からのつっけんどんな応対に不信感が湧く。
「小森と申します。朝倉あかりさんはいらっしゃいますか?」
『はい?』
何だこいつ。何に対しての『はい?』なんだ?
まともな受け答えができないのか。
「……朝倉あかりさんに急用があります。電話を代わってもらえませんか?」
『朝倉とどういう関係の人?』
俺の中で何かが切れた音がきこえた。
「勝手に呼び捨てにすんじゃねえよ。俺はあかり君の彼氏だ。いいから小森からだと伝えろ!」
『は? 朝倉に彼氏……? そんなはず──』
『呼び……た……?』
『いや……森……人から……』
『……!……っ……て……さいっ!』
途中から聞き覚えの声がかすかに聞こえて、通話先の音が途絶え途絶えになった。
向こうとの繋がりが悪くなっているのか。
というか言い争っているような声が聞こえる。まずい。
『……お腹……痛……休……っ』
この声はあかり君で間違いない。電話の先にいるというのに!
俺ができることは……ひとつしかない。
強く意識だ。強く意識して、あかり君を呼び戻すんだ!
「あかり君! あかり君! 俺だ小森だ! 返事をしてくれっ」
周囲の雨音をかき消して声がこだまするくらい、めいいっぱいに叫んだ。
『うわわっ! 小森さん小森さん小森さんっ! よかったぁ……』
「あかり君! 大丈夫なのか? あの男に変なことされなかったか!?」
『え? あっ、はい! 途中で子機を引っ手繰ってトイレに駆け込んだので大丈夫です! 乙女のトイレ休憩は不可侵なのです!』
あれ。なんかすごい乱暴されてるのかと思ったけど早とちりだったか。
視界の端でヌーが口角を釣り上げているのが見えたが、無視だ無視。
「そうか、無事で何より。ところで、その……えっと」
『帰りたいですっ……! 私、留守電を聞いて、もうすぐ帰れるんだと思いました。それで毎日、毎日、電車であの日みたいに寝過ごそうとして……ダメでっ、だんだん諦めの気持ちが強くなってきて……。そうなってくる私が本当に嫌で……うううぅううぅぅぅう』
向こうのあかり君は、泣くまい声に出すまいとして、うなるように泣いているのがイヤでも伝わってきてしまう。
しかし、いくつか確認しておかなければいけない。
「あかり君、留守電聞いたって本当か? 俺がそれを入れたのは10分ほど前なんだが」
『ええっ!? 私が小森さんの声を最後にきいたの、一ヶ月以上も前なんですよぉっ!』
──時の流れが同じとは限らない。
朝とか昼とかのレベルじゃないぞ……。
「いいか、あかり君。俺もヌーも、あかり君を少しでも早く連れ戻そうと行動している。時間の流れがズレていただけなんだ。だから、放置してたわけじゃないからな。すぐに戻ってきてもらうぞ」
『はいっ……はいっ……! 私もすぐ電車のりま゛ずぅ……っ』
言うやいなや、トイレの扉が閉まる音が聞こえた。
あかり君が使っている電話の性能は良好なようで、環境音がよくこちらに伝わってくる。
『……生理用品買いにいくんでずぅ……ずぐ戻りまずぅ……泣いてないでず』
反応に困りそうな言い訳をしてエレベーターにのり、会社を出て道路をわたり、駅の改札を抜ける音までばっちりと聞こえてくる。
「ってあかり君、電話の子機持ったまま移動してるの!?」
『あっ……! でもまだ繋がってますね。不思議です!』
確かに、普通なら接続が切れてもおかしくない。そんな長距離を通信する子機など聞いたことがない。
となると、これは電話本来の機能というより、ヌーの言うような強い想いが機能しているということだろう。
「あかり君。俺とヌーと、この世界のことを強く思い出してくれ。日数がたって曖昧になっているかもしれないけど、恐れずに思い出せるだけ思い出すんだ」
『やってみます!』
この通話は、言うなれば希望の糸だ。絶対に手放してはならない。
手放さないどころか、引き寄せるんだ。その先にあかり君はいる。
『今、電車の中で目を閉じています。小森さんの声が聞こえるたび、頭の中の小森さんの口が動いて、本当に喋っているみたいです!』
「いいぞ、その調子だ。その世界こそが本物だ。今までいた世界は夢だ。そう思い込め」
悪夢から目を覚まさせてやる。
だからその糸をしっかり掴んでろ……!
どこからともなく、電車の走る音が聞こえてくる。
スマホからの音じゃない。どこか遠くから、この廃駅に向かって走っている。
「あかり。なりたい自分を想って。最後の仕上げ。」
『ヌーさん! この感じ、いけそうです!』
3人の気持ちがひとつになったと感じた。
ゲームをしながら夜ふかしをした、あのときと似た感覚。
糸を手繰り合って、大きな音をたてて到着した列車は見たこともない不思議な造形をしていた。
木彫りでしか成し得ない複雑怪奇なシルエットに、金属でしかあり得ない宵闇に輝く光沢感。
まさに現実とは乖離した存在。
その客車から、目をつむったままあかり君が降りてきた。
よたよた、と足場がおぼつかないあかり君を正面から抱きしめた。
「あかり君……っ」
「ああっ! ああっ! わたし、帰ってこれたんですね!」
いつの間にか雨は上がり、朝日が空を塗り替えようとしていた。
奇妙な列車は、まるで初めから存在しなかったかのように静かに消えていく。
そして、あかり君がよく見えるようになって気付いた事がある。
「なんか……背、縮んだ?」
「えっ? ……あっ! これ中学のときの制服きてますわたし!」
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