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盛夏の夜の魂祭り(第四話)草迷宮の開く宵

8 永遠を生くるもの

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 明くる早朝、詠たちとともに清涼殿に練兵へ向かう途中、詠が不安そうに清矢に視線を送った。

「あのさ。清矢くん。清涼殿への潜入だけど……俺じゃだめ?」
「どうしたんだよ、詠」
「だって危険だろ。そんな目に合うのは俺でいいよ」

 充希も冗談めかして同調する。

「それもそうだよね。この中じゃ一番強いし、いっそ俺にしない?」

 清矢は不機嫌になって口をつぐんだ。清矢のプライドからすれば許せない選択だった。大切な詠や充希を危険にさらして、後方から手柄を独り占めだなんてありえない。たとえ夜空であっても、そんな清矢を批判するだろう――やつは一応、祈月氏の将来を憂いて国すら捨てたのだ。

 清涼殿に到着すると、兵士たちは神殿の周囲を走り込みながら基礎訓練に励んでいた。汗をかきながらも真剣な眼差しで、号令を聞き、整然と動いている。清矢は意を決して、新発田に殊勝な態度で近づいた。

「新発田隊長、昨日の件ではご迷惑をおかけしました。反省の意を込めて、俺たちも牡丹さんのように魂祭りの儀式をお手伝いさせていただきたいと思います」

 新発田は昨日の怒りが嘘のようにニコニコと上機嫌になった。

「牡丹ちゃんのようにか、それは、それは、素晴らしい……! 祈月源蔵殿にも感謝しないといけないね」

 だが、その場にいた隊員のひとり、坂井が口を挟んだ。盆踊りの日、清矢が治療してやった猫亜種の優美な兵士だ。

「魂祭りの手伝いなんて部外者はやめておいたほうがいいと思うけど……」
「おい! 不謹慎なことを口にするな!」

 叱責する新発田の目は血走っていた。
 詠と充希は儀式当日の護衛として配置され、清矢は神官たちとともに儀式の手伝いを命じられた。清矢は内心の不安を押し殺したまま、白装束に着替えさせられ、寝殿の中で斎戒に当たることになる。まずは、体を清める潔斎が行われた。

 風呂場に案内されて、湯舟に張られた水を使って身体を清めるよう命じられた。二拍一礼し、掛け水をしてから湯舟に浸かって、白の手ぬぐいで身体をこする。その後拝殿に移動し、見守りの神職とともに末座に座って、大祓儀式に参加した。常春殿で耳に馴染んだ大祓詞が唱えられる中、清矢は警戒心を募らせた。今までは神道に則ったただの神聖な儀式。尻尾を見せるとすれば、ここからだ。

 次に、担当につけられた神官から言い渡された。

「ただいまから『参籠』に入ります。戒律を守ること。音を立てない。刃物等の光り物を避ける。声高に話さない、頭髪も爪も伸ばしたままで。もちろん女人との接触も、飲食も慎みます。喪人のようにお過ごしください」

 見守りの神官はそう告げて、ふすまを閉じた。外側から南京鍵がかけられたことに気付く。
 生贄の証拠をつかむはずだったが、軟禁されてしまった。
 戒律を守るには、じっと座っているか寝ているかしかなく、その茫漠さはまさに精神修行であった。居室には明かり取りの窓が手も届かない上部に設けられているだけで、ぼんやりと薄暗い。

 清矢はため息をついて畳の上に寝転んだ。

 『永帝』のことを考える。嘉徳親王に位を譲られた弟宮。かれは退位ののちに『春夏秋冬の宴』を催して、平穏に逝ったのだと思っていた。それなのに『日の輝巫女』と似たような魔物に堕したとは、永遠なる権勢でも望んでいたのだろうか? ここ清涼殿草迷宮は永帝廟だといわれている。だが、近隣に廟らしき場所は見えなかった。

 夜は布団にくるまってみたが、ろくに動かないせいで、目がさえてしまって眠れなかった。

 牡丹はどこにいるのだろうか。大祓儀式に彼女の姿は見えなかった。魔法は使えそうだったから、事を起こして脱出するという手もあったが、もしかしたら錦の考えは本当に杞憂で、牡丹は無事なのかもしれない。その場合、強硬手段に出てしまえば、軍閥と清涼殿の関係は甚だしく悪化してしまう。それに今は、武器も防具もなく完全に丸腰である。神兵隊員や神官や術師隊が無傷で詰めている拠点から、安全に脱出できるとは思えない。

 軟禁が三日に及ぶと、疑惑はだんだん確信に変わってきた。

 清涼殿には裏がある。年に一度の大祭に、参籠が必要なほどの大役を余所者の清矢に任せるとは、いかにも不自然だ。詠と充希のことが心配になった。彼らは自分の身代わりを申し出たが、もし同じように捕まってしまっていたらどうしよう。清矢が帰ってこないことは味方も分かっているだろうが、果たして動いてくれているのだろうか? 信じて待つことはできたが、退屈と食事の粗末さで、焦れる身からも心からも、どんどん精気が失われている感じがした。

 三日目の夜に、零時が現れた。南京錠が外され、紙燭を持った栗色の髪の少年が、悲壮な顔つきで入ってくる。同じく白装束姿で、布団を運び込んできた。閉じ込められた後、清矢は声をひそめて聞いた。

「一体、何があったんだよ。詠や充希や牡丹さんは?」
「彼らは無事です。母さんとは、たぶん男女の別で部屋を分けられているだけ」

 ほぼ真っ暗な部屋の中、膝がぶつかる。「すまない」と謝る声が、異様に大きく響いた。零時は内緒話のために近寄ってきて、耳元でささやいてくる。

「これは『永帝』への生贄の儀式で当たりのようですよ。僕の家にある清涼殿関係の資料に全容がありました」
「……穏やかじゃねぇな。魔物に食われるなんてごめんだ」
「それで、僕が自分も母とともに『永帝』の供物となりたいと申し上げたら、あっさり通りました。本当なら生贄は多ければ多いほどいいんでしょうね」

 零時は薄く微笑んだ。暗がりの花のようなその笑みに、清矢は不安をかき立てられる。

「きっと外のみんなが助けてくれるよ。諦めちゃダメだぜ」

 相変わらず、カラ元気の励まし。零時は膝をかかえてうずくまった。

「そうだね。でも僕も、もしもの時には母さんと一緒がいいから。たとえ愛されない息子でも……」
「何を話している! 破戒は懲罰だぞ!」

 引き戸の奥に人がいたのか、ガチャガチャと錠が外された。年寄の神兵隊が見張っていたようだ。清矢の首根っこを力任せに引き回して、したたかに壁へと打ち付ける。肩が芯まで痛んで、よっぽど魔法を使おうかと思ったが、兵は剣をぞろりと抜いた。鎧の金属音がして、新発田が走ってくる。鬼の形相だった。

「何度も何度も手間取らせやがって……下手なことをすると吉田牡丹を殺すぞ!」

 清矢は屈辱に歯噛みした。二人がかりで手錠をかけられ、尻を蹴とばされる。尾をぐいっと引っ張られ、痛みで背骨から宙づりにされた気分になった。

「このガキは今生帝・・・にとって最上の獲物だ。どこまでも我らの信仰を馬鹿にした奴らめ……当日まで監禁しておけ!」

 そして地下牢に連れていかれた。

 今度は完全に罪人扱いだった。地下牢は常春殿と同じく拷問にも使われる石造りの部屋で、拘束のための鎖や枷を取り付けるフックがひどくおぞましかった。石壁にはところどころ苔が生え、床も冷たく湿っていた。血や排泄物のにおいがぬぐい切れずに残っていて、呼吸すら不快だった。魔法も封じられたこの場所では、ただ時間が過ぎるのを待つことしかできない。

 あぐらをかいて眠らないように祓詞を唱えて努力していたが、一度落ちてしまうと途絶は深かった。ハッと目を開けると、ツートンカラーの鎧と兜をつけた神兵隊員が外に立ち尽くしていた。『永帝』の前に引き出されるのかもしれない。溜息をついて座りなおすと、神兵隊員がこちらを振り向いた。面貌を上げて、語りかけてくる。

「坂井です、覚えていらっしゃいますか?」

 清矢は助けだと直感して、鉄格子までにじり寄る。彼は小声で言った。

「今日は儀式前日です。自分が身代わりになりますから、あなただけでも逃げてください」
「それは……!」

 願ってもない助けだったが、清矢はとまどった。

「あなたを騙して犠牲にしたら、『永帝』を討つ機会は失われるでしょう。逃げて、御父上とともに国軍退魔科と組み、鷲津もいつか説き伏せて、あの魔物を倒してください」
「坂井さん、あんたは……『永帝』の信者じゃないのか?」
「今が未だ『永帝』の世だなんて信じている者たちと一緒にはしないでください。それでは魔物に仕えているのと同じです。私は断じて、そうではなかった」

 坂井は澄んだ瞳で清矢を見据えた。彼は実に心ある兵のようだった。

 口惜しさに声が震える。坂井はしゃがみこんで一つずつ脚絆から鎧を外し、格子ごしに清矢に渡した。受け取りながら、清矢は尋ねる。

「零時や牡丹さんはどうなるんだ?」
「ふたりは助からないでしょう、おそらく自分も隊律違反で……」

 彼は綺麗な顔でそれだけ言った。清矢は迷ったが、外には仲間がいることに思い至って気を取り直した。

「……絶対に助けにくるから信じていてくれ」

 彼はうなずき、腰に付けた鍵束で牢を開けてくれた。
 鎧を身に着けて兜をかぶり、今度こそささやき声で尋ねる。

「脱出経路は?」

「ここまでの道はすべて鍵を開けっぱなしにしてあります。できるだけ急いでください!」

 清矢は生唾を飲み込み、面貌をとりつけて静かに歩き出した。
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