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盛夏の夜の魂祭り(第三話)嫉妬の業火は諸刃の剣

03 Magic of Tactics

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 その男の第一印象は、擦り切れた麻布。

 その男の眼光は、半ば死んでいた。

 漣に知らされた日時に陶春魔法大学・結城研究室に赴くと、犬亜種と思しき存在感の薄い男がソファに座っていた。詠は中学校の用務員を思い出した。実直そうではあるがどこか影がある。

「伊藤敬文さんと言います。年を経て学問を収め、軍学を学ばれたとか。その後は恵安県で役人をなさっていたらしい。祈月と鷲津が恵安県三枝で小競り合いをしたときに、祈月軍勝利を決定づけた参謀……でよろしかったでしょうか」
「ああ、そんなものでいいよ」

 結城教授が概略を説明する。鷲津に降ろうとしている男、伊藤敬文は、覇気などなくしきっているように見えた。

 ローテーブルをはさんだ反対側のソファには、清矢とその祖父、草笛宗旦が座っている。うす紫の小袖に、鶯色の羽織を着こんだ宗旦は、意外なことにはなから本題を切り出した。

「敬文さん。源蔵軍が頼りないのはわかるが、すでに鷲津は各地に難癖をつけているだけだぞ。和睦をするにも、鷲津に源蔵を国軍で使う意思はないだろう。どうか、考え直してくれまいか」
「俺にできるのも戦のあとせめて源蔵さまたちのために鷲津側から奔走するだけだ。恵安県知事は国からの叱責を恐れて自前の軍は手放す。虎雄と結んで再び居候すると言ってもこのままじゃその先の当てがない……」

 伊藤敬文は源蔵の義父である草笛宗旦を真っ直ぐは見なかった。いかにも憔悴した感じだ。宗旦も現状、同じような認識らしく、結城教授の表情も浮かない。祈月軍閥が追いやられた苦境の色がありありと見えるようだった。

 清矢は礼儀正しく一礼をして、尋ねた。

「父さんは国軍には戻れないんですか?」
「そのためのルート作りのために、鷲津に降ろうと思う。まあ、清隆は俺のことなんか一介の小役人としてしか評価してないんで、望み薄だろうけど……ともかく私戦で勝たなくちゃ説得力がないってのが今の国軍の風潮だからな。間違っていると思うけど」

 敬文は清矢に声がけされて、ようやく研究室内を見回した。清矢に詠、それに充希と、若者が多いことに驚いたらしい。

「この子たちは……?」

 結城教授は後ろ頭をかきながら答えた。

「ええと、源蔵さんの息子です。清矢と、友達の詠。そっちの君は誰かな? えーっと、望月さんとこからの使者、そうか~。それで透波漣さんは、菊池神社に勤めてる方でしたよね。ごめんなさい、みんなの行く当ても源蔵さん次第なものですから」
「そうか。ご子息にはお会いしたことがなかったな。伊藤敬文です」

 役人をしていたとの経歴にたがわず、伊藤敬文は清矢にも律儀に頭を下げた。弱冠十五歳の少年に、三十くらいの男が低頭したことに、詠は驚いた。

「父さんは旧海軍大社基地跡での血戦で遠山参議を守れなかったもんな。今度の戦もツライのかな?」
「国軍に父親の代から勤めてる虎雄っていう派閥が、反鷲津を貫いて独立の風だ。その本拠地、遠海地方に行けば変わるだろう、ってのが今の祈月軍閥の判断。でも、虎雄が軍閥の人をどれだけ国軍に戻せるかわからないし、鷲津がその逃亡をやすやすと許すとは思えなくてね……」
「じゃあ父さんたちは単に別の地方に転任するだけなのに、追われて命を狙われるってことか」
「……そんなのおかしいぜ。常春殿から頼んでもらって、源蔵サマを匿ってもらおうよ! 清涼殿の言うことなら鷲津も聞くんじゃねーか?」

 詠も焦る気持ちで議論に参加した。伊藤敬文は気おくれした様子だ。驚くことに、地元では賢人として名高い草笛宗旦も同意した。

「詠、お兄さんやお父さんにそう頼めるか? 昔からだが、鷲津は白燈光宮家のことなんか何とも思ってないからな。耀さんも源蔵も、帝にまで拝謁したことがあるってのに」

 伊藤敬文の表情はうなだれたままだったが、会話の流れにひっかかることがあるようだった。

「宮家どうこうってのはそんなに効力があるものかな?」
「えっ……?」

 詠は逆に伊藤敬文の物言いのほうに驚いた。詠にとっては、祈月家は白燈光宮家の直系だという、そのことだけが重要だった。祈月源蔵は父である耀を若くして亡くし、新聞配達をするなど苦労しながら国軍に勤め、今の名声を得ている。

 だが、ほとんど帰ってこないので会ったことがない。彼個人の考えなど、まったく知らないままだった。

「だ、だってさ! それが一番重要じゃん! 白燈光宮家は嘉徳親王の子孫で、魔力も高けーし、音曲でまで術が使える。渚村は宮家領の跡地で、親衛隊たちの子孫が今だってふるさとを守ってるんだ! 草笛だってその雅楽官だし、『日の輝巫女』とか三島とか、魔物だって悪い術師だってみんなまだこの日ノ本に残ってるってのに……!」
「血筋のことなんか源蔵さまは何一つ口にしたことがない。鷲津でも、それを評価する人はいない。門閥に拠らない完全実力主義の世の中ってのが、鷲津清隆の志だ。その網目にかかれるかどうかってのが帝都でみんなが考えてることさ」

 この敬文の認識には清矢の表情も少し動いた。血筋でいえば白燈光宮家傍系である結城教授も面白くはなさそうだ。

「父さんは術とか、嫌いだしな」

 清矢は詠をなだめて、とりあえず敬文の顔を立てる方向性をとったようだ。結城教授がつけたした。

「えっと、清矢たちも意外だとは思うけど、源蔵さんってあまり宮家の後継ぎだってことを誇らないんだよね。たぶん、伊藤さんたちも源蔵さんのそこに惹かれて集まっているわけじゃないと思う。単に反鷲津の勢力で、簡単に乗り換えたりしないっていう義侠を認めてる人のほうが多いんじゃないのかな?」

 前提のあまりの違いに、詠はうなった。望月充希も首をひねっている。

「あの……そんなだからこそ、敵対勢力には私戦を起こして皇位簒奪を狙ってるってまで言われてるんだけど……祈月軍閥の旗印っていったい何なわけ? 反鷲津ってだけ?」
「源蔵さまは皇位簒奪なんか狙ってないよ。世を正すためって志はあるけど、俺たちではうまく支え切れていないんだ。鷲津の世になること自体は嫌ってる者も多い。だけど時流ってのには俺も逆らえないのかもしれない」

 自信のなさげな伊藤敬文の物言いに、詠は困惑した。

 こいつ、結局何なんだ? ホントは源蔵さまに味方したいのが見え見えだ。なら、貫き通して戦場で道を切り開く覚悟見せろよ。

 この場で一番発言に重みのある人物、草笛宗旦がため息をついた。

「清矢はどう思うんだ。ほかならぬお前の家のことだぞ」
「……遠山さんを守れなかった以上、今までみたいに三下で単なる勢力争いをしててはダメだと思うけどな」

 父の業績をすべて笑い飛ばすような見解を述べる清矢を、敬文はにらみつけている。清矢は物怖じせずに続ける。

「俺のご先祖様である、白燈光宮家の季徳は、たんに『春夏秋冬の宴』で遊んでただけじゃねえ。音楽術で気候まで操ったあれは、戦が終わってすたれていくだろう国産の術を大規模に発展させて保存しようという試みだ。この国立魔法大学を立てたのも、海外から汎用系魔法の技術を取り入れようとしたから。そのプロセスで生まれた『日の輝巫女』みたいな間違いもあった。おやじは耀が早死にしたせいで家の歴史から逃げたいんだろうけど、鷲津に対しては何か説得力を出していかねえと、マジで地方の勝手な軍閥だよ」

 詠は驚いていた。清矢は頭がいいし口がうまい。だけどこんなにきちんと大人に対して意見ができるなんて!

 普段、詠は清矢とは剣術の練習だとか神兵隊員の近況だとかの会話をするばかりで、世のなかについて話し合ったことなんてなかった。耀の日記はどんなに頼み込んでも読ませてもらえないし、『新月刀』を持ち逃げした夜空についても、腫れ物に触るようで話題にはできない。ピアノについて熱っぽく語られることこそあれど、詠も剣や術についてやり返していた。それが詠たちが青春をかけている芸事だった。

 そして次第に、楽しくやれればそれで満足だなんて思い込んでいた。日常が満ち足りすぎていて、それが壊れるのが嫌だったのだ。

 詠は自分の幼稚さを反省した。

 望月充希も話に乗った。

「俺もそう思う。常春殿には『日の輝巫女』がいるけど、うちんとこの月華神殿だって何を隠してるか分かったもんじゃないんだ……。でも、ただ潰せばいいかっていうと、それはそれで数世代分の後退なわけ」
「すべての果実を鷲津に総取りさせるわけにはいかねーよな。俺も父上の戦に参陣する」

 それは決定のひとことだった。

 しかし、今度こそ伊藤敬文は簡単に認めなかった。今までのぼそぼそした感じとは打って変わって、切れ味よく否定する。

「子供が何人かはせ参じても焼け石に水でしかないよ」

 清矢はニヤリと笑った。

「まぁ、それは分かってっけど。父さんが死ぬかもしれねーって時になよなよと匿われてるってのも、カッコ悪いだろ?」
「格好いいとか悪いとかじゃないだろう。おとなしくしててくれ」
「……敬文さん。あんたも男なら勝負しようよ。俺が勝ったら、鷲津に降るっていう気の迷いも無しにして、一緒に心中してくれない?」

 その生意気な物言いが気に食わないらしい。伊藤敬文は挑発に乗って、死んでいた目を輝かせた。草をはむ驢馬のようだった無害な瞳が、今や漣辣な獣だ。

「……いきがるガキにはきついお灸をくれなきゃダメだな」

 本性をあらわにしたと思しきセリフに、なんだかんだで荒事好きな透波漣の口元も笑んでいる。結城疾風教授も顔をほころばせてうなずいた。

「うん、いいですね。前線で戦術指南するほどの勇士に清矢がどれほど通用するか。試してみたいです」

 そして、前哨戦の幕が上がった。

 詠は、神兵隊の装備も貸さないでどうするんだろうと思った。他でもなく伊藤敬文にである。草笛宗旦は透波漣に使いに立ってもらい、家から清矢の装備を持ち出させるらしい。

 敬文は魔法大学に魔物退治用として備えられていた一振りの剣を持った。体育館に集まった結城教授が腰を低くして聞いている。

「すみません、それ、一応魔法剣ですけど安物で……」

 伊藤敬文は戦闘のこととなると頼もしい答えを返した。

「構わない。普通の両刃剣だから、かえって扱いやすいくらいだ」

 成り行きを聞いたのか、ほかの教授たちも集まってきていた。

「ロッドを使いますか? それなら大学で開発したちょっといい奴が!」
「剣だけで戦うんなら、常春殿の神兵隊でやってもらいたいが」

 炎術と魔法軍事学を専門とした沢渡マルコ、錬金術などを教えるというサニー・エン・サチパス、ロンシャンからクライスト教由来の補助魔法を教えているベネディクト・リリー。詠たちはみな、この教授陣に魔法を習ったことがあった。

 日ノ本からグリーク魔法大学に留学した医者の愛野京や、ロンシャン出身だという学長の姿まであった。

「清矢くん、詠唱をちゃんと完了できるでしょうか……? あと、魔法だと手加減って難しいんだよなぁ。ワタシ、ついにこの日ノ本でも復活に手を染めるんですかね……?」
「魔法防御の守りだけは貸し出したほうが良いぞ。いくらなんでも死者はまずい」
「ワクワクしますね! 詠くん! 本物の決闘が見られるなんて」

 愛野京が楽し気に語り掛けてくる。

 詠は言った。

「俺も参加して、清矢の詠唱時間を稼いだ方がいいんじゃ……?」
「いや、清矢は『ライトニングボルト』も『マギカ』も呼称詠唱まで行ってる。『リュミエールドイリゼ』だけは発動式が必要だが、単独相手に系統最高術を使うのは隙を晒すようなもんだ。どのみち、基礎魔法の詠唱すら戦闘中に完成させられないようじゃ、普段神兵隊で鍛えてるのは何だって話になるからな。愛野先生、もしもの時は頼みます」

 沢渡マルコは清矢の勝利を確信しているようだ。一方、充希と漣は清矢のほうを心配していた。

「大丈夫なの? あの敬文さんて人、剣筋を見るになかなかの達人みたいだけど」
「本物の戦を経験した者と、芸事だけの半可通は違う……ピアノでの対決ならば楽だったのだがな」

 詠は半々だった。清矢の剣は、べつに弱くはない。だけど師匠たちにしたら赤子の手をひねるようなものだし、非力だ。現れた清矢は、詠の見たことのないような恰好をしていた。

 真っ白な革でできた立襟のロングコート。手は黒手袋で保護され、袖の中にひそむように鋼の小手をつけている。インナーは、おそらく鋼を織り込んである黒の鎖帷子。急所を守り暴行を防ぐため、黒いベルトが縦横に体を這って、白いズボンの太ももまで締め付けている。足元は無骨なロングブーツ。そして、首にはこの地方で特産する桜色の魔法石のペンダントをしていた。背には、新円の右舷をすこしだけ太らせた新月紋が染め抜かれている。無骨さとは程遠い、祈月家次代にふさわしい美々しい戦衣だ。

 手には細身の両刃剣と、柄に魔法石が組み込まれたマンゴーシュがあった。

 淡雪のような白肌に、母譲りと褒めそやされる、虹彩の大きな曇り眼。細くさらりとした黒髪は、端正な衣装によく似合っている。軍装には何の不足もなく、そのまま戦に行けそうだった。普段はピアノしか弾かせてないくせに、母方の祖父、草笛宗旦が、どんなにか娘の忘れ形見を大切にしているかがよく分かる。

「清矢くん、きれいだ……!」

 詠は思わず嘆息した。相手取るはずの伊藤敬文もまじまじと清矢を見つめている。

「二刀流は源蔵さま譲りか。だけど、にわか仕込みはすぐバレるよ」

 清矢はただ笑うだけで返答をしなかった。

 闘いはあっけなく終わってしまった。

 結城教授による「はじめ!」の声とともに、伊藤敬文が攻めかかる。彼の動きは素人ではなかった。力を貯めて飛び上がり、剣気を発散させてその衝撃で敵を打ち上げんとする。両手剣を逆手に持って軽々と扱い、その剣筋は美しく円を描いて、誰か師匠についていたことが知れる。

「こんなに剣気って使っていいんだ……!」

 詠は果敢な攻めにほれぼれとつぶやいた。望月充希が意外そうに言う。
「当然だと思うけど? まぁ神兵隊での習い事ってんならそれでも間に合うんだろうけど……」

 剣気は特別な武器で出せる風圧のようなものだ。原理は結城教授によると魔法と同じで、詠唱なしで発現できる術の一種だともいう。剣筋に従って魔力を消費し、相手を圧して時に切り裂くまでいく剣気は、普段の練習では禁じられていた。

 清矢は剣を交錯させて身を守り、いったん攻撃をはじくと高らかに吠えた。

「Lightning Bolt!」
「……決まったな」

 沢渡マルコがつぶやく。

 清矢の呼び声と同時に、左手のマンゴーシュの柄にはまった魔法石が輝き、何もないところから光撃の矢が降った。

 八連発。光系統の基本魔法、「ライトニングボルト」。電撃がきらめき、素早い敵を魔法が追って、単発のレーザーで打ち抜く。詠だって喰らったらしばらく動きが鈍るくらいの強烈な魔法だった。伊藤敬文はすばやく直線上に後ずさったが、それは不正解の動きだった。清矢は術での追尾をやめず、脳天に、光の矢が降り注ぐ。

「くっ……!」

 剣気まで扱える勇士があっさりと魔法の直撃を喰らう。

 詠は不思議に感じた。あんなにも動けるひとが、どうしてこんな基礎魔法の対処すら知らないんだろう。ぐるぐる逃げれば当たらないのに。もっと厄介な魔法だって数多い。

「マルコ先生、このままだと危なくね? 『リュミエールドイリゼ』はともかく、『ライトニングカッター』だってあるし……あれ、剣気より大げさに切れちまう」
「だから光系統の術師と相対するのはつらいんだ。見るに、あの人は基本的な防御魔法の心得すらないな。さて、ここからどう攻め切るかだが……」
「Reflect!」

 魔法剣の先で独特な図形を描き、清矢は待った。これは単純な物理防御の魔法で、一度だけほぼ同量の反作用を返す。勇んで切り込むと思わぬ反撃を受けて危うい。

 しかし、伊藤敬文はそんな単純な試合運びにはしなかった。力を貯め、思いきり踏み込んで剣を遠心力で振り払う。すると、明らかに剣筋より三寸先に複数の剣気が発生し、かまいたちのように連続して切り刻んだ。その衝撃をなんなく跳ね返した清矢は残りを走って避け、ぶつぶつと詠唱を続けている。どうやら、剣でまともに応対する気がないらしい。

「四元素の根元たる水の元素よ応じたまえ、すべてを母なる海へと流す、清らな雫よ濁りたまえ、魔風をはらみて水泡となりて、触れ包みしものを、もろともに崩壊させよ……水魔法・Bubble!」
「うわ。卑怯……」

 普段実験台にされる詠にはそれしか言えなかった。この魔法は魔素を含んだ泡を発生させるもので、足元置きなどされると非常に厄介だ。破泡のたびに魔素ダメージを与え、滑るだけでなくじわじわと効いてくる。『置きバブル』と言って海外の魔術師間でも争いになると聞いた。清矢はセオリー通り敬文の下半身に濃い気泡をまとわりつかせた。

 グリーク魔法大学出身、サニー・エン・サチパス先生が気の毒そうにこぼす。

「うーん、バブル喰らっちゃったかぁ。魔素水で注ぐぐらいしか対応できないし……いっそ僕がシールド張ってあげたいよ」

 敬文は機動力を封じられてしまったが、その場で腰を落として剣を振り回し、奥に飛んでいく鈍く光る剣気で空間を縦横に切り裂いた。

「すまない!」

 恐るべき気迫は謝罪どおり清矢の黒髪をわずかに斬った。だが、悠々と下がった清矢は最後のダメ押しをする。かなり間合いを離しても攻撃できるのが魔法や術の利点だ。

「究極にして深淵たる、真のことわりの名のもとに! 魔術師としての資格と共に、我にあだなす全てを滅せ! 究極魔法・Magica!」

 これは本当に基本的な魔法なんだと、詠ですらも思う。

 多分原理としては剣気と同じようなものなんだということも分かる。四属性に拠らないただの魔力圧だと沢渡マルコ先生は言う。「無属性なだけに、退魔には使い勝手が悪いがな」。詠はどうしても炎属性の衝撃波しか出せず、案外習得に苦労したものだ。

 器用な清矢はなんなく詠唱と印とを完成させる。数ある術のなかで、清矢がこの魔法を選んだのには意味がある。『魔法』という名の魔法。それを知らないお前は、絶対に俺に敵わない。まさに、皮肉な勝利宣言。

 魔術は壊れず完成した。術者の招きに応じて、強大な魔力圧がメガホン状に放出される。伊藤敬文はこらえきれずバブルもろとも吹っ飛ばされる。

「そこまで!」

 一方的な戦況を見かねたのか、学長が号令した。清矢は誇りかに剣を収める。透波漣も意外な展開に眉をひそめた。

 伊藤敬文も信じられないといった顔だ。

「嘘だろう、太刀打ちすらできないなんて……!」
「だから日ノ本には汎用系魔術の指導者が必要なんだ。こんなもの、海外の魔術師にとってはどれも基本装備に過ぎない。『マギカ』なんてロンシャン軍では兵卒だって使えますよ」

 ベネディクト・リリー教授があきれかえって沢渡マルコに言う。

 日本は国軍にまだ汎用系魔術を導入できていなかった。術にはある程度才能が必要だし、退魔法として神道や仏教に紐づけられて運用されているだけだったからだ。

 魔法軍として存在していたのは嘉徳親王率いる皇帝直属退魔軍であったのに、その存在は帝国化をよしとしない度重なる政変によって解体された。固有術の数々も今や分化した軍事施設が独自に残しているだけだ。

 日ノ本の魔術政策は他国に比べて立ち遅れていた。

「敬文さん! 大丈夫ですか!? 『バブル』って後からジワジワ来ますよ。はやく治療魔法だけでもかけましょう!」

 愛野京が駆け寄って手当てをはじめたが、敬文は虚を突かれてぼんやりとしていた。

「これは……いや、戦術的だけでなく、戦略上すら優位をとれる」
「は? ええと、頭打ったりはしてないですよね?」
「勝ち筋が見えたってことですよ」

 伊藤敬文は魔法で手当てされる間、清矢をこのうえなく痛切に見つめていた。
 そして自嘲するようにつぶやく。

「……だけど源蔵さまの若君をわざわざ前線に出すっていうのはよくないな。魔法が使える兵を今のうちに厳選するから、訓練をつけてもらえないか?」

 結城教授は頼み込まれて「ええ、まぁ」と半笑いであいまいな受け答えをしている。結城教授は詠たちに魔法を教えるにしてもテキスト片手だし、実際は実験だの物づくりのほうが得意らしい。本職の軍人たちを相手取るのは苦労そうだ。

 清矢は近寄ってきて抗弁した。

「いや、あくまで俺が参陣することに意味がある。故郷でピアノだけ弾いてても父上たちとは距離が離れるばっかりだ。女の子だって思われてたくらいだもん、戦で生還するくらいのことしねーと認めらんねーだろ?」
「じゃー俺が護衛に付きますか。危なかったらヨメ決定だからね?」

 望月充希は笑いながら清矢の脇を小突いた。清矢もまんざらでもなさそうで、詠には面白くない空気だ。
 結城教授はひいふうみい、と指折り数えながら言った。

「若い兵が圧倒的な魔力で敵をねじ伏せるならば、鷲津も祈月との戦に二の足踏むでしょうね。兵力差が絶望的なら、他の手を講じる必要があるけど」
「できるだけ鮮烈にいきたい」

 伊藤敬文が前のめりに言う。敗北した悔しさなどまるで問題にされていない。

 ――その横顔からすでに迷いは払拭されていた。
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