上 下
36 / 117
【原作】始動

二人確かに…

しおりを挟む
 冷えきった身体をのそりと起こし、水を含んで重くなったタオルを浴槽の縁(ふち)に掛けて新しいタオルで体を拭く。

 まだ若干の水分をしたらせたまま、私は等身大の鏡に向かった。大きなバスタオルにくるまれて不恰好な自分の姿が醜く映える。無駄に煌(きら)めいた私の『色』が涙の跡を掻き消している。

 そっと鏡に手を移せば冷えた体には馴染みがいい。女性が憧れる体型と言えば聞こえはいいが、要(よう)は『不健康』な健全なのだ。透かした体から見えるのは骨ばかり。服を着れば美しく、脱げばおぞましい私の身体。

 嫌気が差す…。こんな身体今すぐ脱ぎ捨ててしまえば、私は楽になれるというのに。私はこの身体がある限り、伴(とも)に互いを縛られ続ける運命(さだめ)だとと思い知らされる。

 望んで手に入れた訳じゃない。気づいたら手にあったのだ。捨てたくても、それを許してくれなかったのはこの世界じゃないか。

 最初は死にたいなんて考えてなかった。どこか遠い田舎で静かに暮らしていけたらなんて、夢を抱いていたこともある。

 だけどあまり時が経たない内にそれを『救われたい(死にたい)』に変えたのはこの世界だ。私を磨耗(まもう)させ、苦しめたのはこの世界だ。私じゃない…。

 どうしようもなかった。抗う術さえ教えてくれなかった。この世界はどこまでも私を弄(もてあそ)んで嘲笑(あざわら)った。

 月明かりを覆い隠す宵(よい)に呑まれ、もういっそ全て消してしまえれば…、そんな思考が頭をよぎる。だけどそれと同時に浮かぶおじさんの存在に、どうしてもそれを踏み切ることができない。

 私が『私』を守るために作った存在に、守られているのか縛られているのか、今となってはもう分からない。

 おじさんがいるから今の私があって、おじさんがいたから私は死ねずにこんな地獄を生きている。どこまでも愛(いと)おしくて憎(にく)ましい…、私の大切な人。この世界で貴方の息吹(いぶ)きだけが私の生きる理由だから、お願いだから生きていてください…。

 渇(かわ)いた瞳からまた一筋の涙が床に染み込んだ。ポタリ、ポタリと水滴を落としながら浴槽近くに用意してある着替えまで手を伸ばす。

 身体の芯から凍えるような冷たさは多少緩和され、そのままソファに腰を着いた。ボーッと意識を浮遊させ、もう誰も信用できないことを改めて噛み締める。

 いや、そもそも最初からそんなものはなかった…、はずだ。いつから私はそんな当たり前の子とを忘れていたんだろう。

 神殿の人間は特に、その傾向が強かった。名ばかりの『聖女』に尽くすより、実績のあるオルカに盲信するのだ。人心掌握(じんしんしょうあく)に長(た)けているからこそ成せる技であり、私にはその才はなかった。

 私の護衛騎士はここ数年と変化はなく、全員同じ顔ぶれで馴染みも深い。と言っても彼方(あちら)があまりにも凝視してくるため嫌でも顔を覚えさせられるのだ。

 別に彼らを味方だと勝手に思い込んでいたわけでもないが…、やはり心の奥どこかで失笑(しっしょう)しているのは少なくとも情の一つでも残してやくれなかったことへの何かしらに対する思いだろう。

 ため息を溢す余力さえない。…私に残されたもの。此処にあるもの。あぁ、そういえばあの子がいた。私が今日連れ帰ったあの子。あの子なら、…まだ奪われてない。

 チリンチリン…

 机に置いてあるベルを鳴らす。それに合わせて現れる神官達に、私は今どんな目で見つめているのだろうか。せめて、少しでもこの完璧な仮面からヒビ割れて出たものがあればいいのに…。そう思いつつも『聖女』を必死に取り繕う私に、途方もない矛盾を感じる。

 「御呼(およ)びでしょうか、聖女様」

 「…今日保護した子を此処に呼んでください」

 「畏まりました」

 一子乱(いっしみだ)れぬ動きに人間味は感じさせない。あの男の駒と言うには納得しかない身のこなしだった。

 気を利かせた一人の神官が温かいミルクティーを注ぐ。だけど私はそれに一切手をつけることなく、これから訪れる客人を待った。

 ガチャ…

 ものの十分も経たない内に連れてこられたあの子は、随分と見違えて綺麗に整えられていた。部屋に入るときは緊張か僅かに震えていたらしいその姿は私を確認すると消えていた。

 「せいじょ様っ」

 まだ栄養が不足した未発達の体で一生懸命此方に向かって走ってくるその様はなんとも言えない感情を私に残した。程なくして私のすぐ傍まで到着した彼はキラキラとした瞳で私を映している。

 「貴方の元気な姿が見れて嬉しいわ。…貴方達はもう下がってください。今日はもうお休みいただいて結構です」

 「しかしこの子どもは…」

 彼と表面上だけでも二人だけの話がしたいので神官達を下がらせようとしたが彼らもこの子のことで扱いを考え抜いている。

 「彼はもう少し私との談話がありますので。どうぞ、早くお下がりに」

 「失礼致(しつれいいた)しました」

 少し強めの口調で言うとそれ以上は何も言わず退室していった神官達にそわそわとする彼。私は用意されていた焼き菓子やミルクティーを彼の前に差し出した。

 「好きなだけ食べていいわ。神力で外傷は治したでしょうけど、栄養不足は変わらないのだから沢山食べないと」

 「あ、ありがとうございますっ」

 私が急(せ)かすとパクパクと口に頬張る彼。両手にそれぞれ茶菓子を持って必死に詰め込んでいる姿に苦笑してしまった。

 「…ンッ?!、ゴホッ、ゴホッ…ッ!」

 「あぁ、ほら。そんなに慌てなくても大丈夫よ」

 喉に詰まって咳き込んでしまった彼にミルクティーを飲ませて落ち着かせる。みっともない姿を見せてしまったとショボンと項垂(うなだ)れる彼がまたなんとも可愛い。

 「ごめんなさい、せいじょ様…」

 「謝ることなんて何にもないわ。貴女はこれから好きなものを好きなだけ食べていいのよ。焼き菓子は気に入ったかしら?」

 「はいっ! すごく美味しいですっ」

 「それは良かったわ。それと、今さらだけど貴方の名前を聞いてもいいかしら?」

 「ノースです。由来はいんちょう先生が北のみちばたで捨てられていたからだって言ってました」

 「…ノース。今まで頑張ったのね。貴方はとても偉い子よ」

 優しく抱擁(ほうら)してノースの頭を撫でる。誰かに褒めてもらうことなど、通常の孤児にはあまり経験がなく、小さな子程憧れを抱いていた。

 ノースはそんな子達をまとめる立場にいたからこそそれを常日頃からやってきたのだろうけど、どうも自分がされたことはなかったようだ。最初はなんの反応もなかったノースだったが、次第に鼻声混じりの嗚咽が聞こえてきた。

 「ぅ゛っう゛…、ぅう゛ぅううっ゛」

 まだ六歳という年で、声を上げて泣くことさえ出来ずその胸の内を服を掴む手で表現するノースがどうしても自分と重なる。大人の顔色を伺(うかが)ってばかり。自分を押し殺して押し殺して、歪んだ形のまま成長してしまった不完全な私達だ。

 一通り落ち着いてからハンカチでノースの顔を拭(ぬぐ)う。目元を真っ赤に腫らして、まるでついさっきの私みたいだ。

 思い切り泣いたからかうとうとと眠そうなノースの手を引いて一緒にベッドに上がった。いつもは酷く物寂しいと感じていた大きなベッドも他人(ひと)の体温があるだけでまるで変わることを知った。

 「寒くない?」

 「はい。とてもあたたかいです。それにせいじょ様が手をにぎってくださりますから」

 「…ノース。私が生きている限り貴方を幸せにすると誓うわ。此処はあの孤児院よりずっと幸せになれる場所よ。だけど、…忘れないで。神殿が安全という保証はどこにもないわ。絶対に誰にも心を許しては駄目よ。此処は、人を信じた者から喰われていく魔の巣窟(そうくつ)なの」

 とても幸せそうにはにかむノースの頬に手を添え、私は誓いの言葉を紡いだ。それと同時に吐露(とろ)した警告にノースは素直に承諾(しょうだく)する。

 「わかりました。そしたらぼくはきっと強くなってせいじょ様をお守りしますね」

 無邪気な笑顔と共に出された子どもの口約束、されどその言葉がどれほど私の心を満たしたのか、まだ彼は知らなくていいだろう。そうして私達は初めて孤独でない夜を、誰かに怯えずに眠る夜を越した。二人確かに、強く手を握って…。

しおりを挟む

あなたにおすすめの小説

一宿一飯の恩義で竜伯爵様に抱かれたら、なぜか監禁されちゃいました!

当麻月菜
恋愛
宮坂 朱音(みやさか あかね)は、電車に跳ねられる寸前に異世界転移した。そして異世界人を保護する役目を担う竜伯爵の元でお世話になることになった。 しかしある日の晩、竜伯爵当主であり、朱音の保護者であり、ひそかに恋心を抱いているデュアロスが瀕死の状態で屋敷に戻ってきた。 彼は強い媚薬を盛られて苦しんでいたのだ。 このまま一晩ナニをしなければ、死んでしまうと知って、朱音は一宿一飯の恩義と、淡い恋心からデュアロスにその身を捧げた。 しかしそこから、なぜだかわからないけれど監禁生活が始まってしまい……。 好きだからこそ身を捧げた異世界女性と、強い覚悟を持って異世界女性を抱いた男が異世界婚をするまでの、しょーもないアレコレですれ違う二人の恋のおはなし。 ※いつもコメントありがとうございます!現在、返信が遅れて申し訳ありません(o*。_。)oペコッ 甘口も辛口もどれもありがたく読ませていただいてます(*´ω`*) ※他のサイトにも重複投稿しています。

マイナー18禁乙女ゲームのヒロインになりました

東 万里央(あずま まりお)
恋愛
十六歳になったその日の朝、私は鏡の前で思い出した。この世界はなんちゃってルネサンス時代を舞台とした、18禁乙女ゲーム「愛欲のボルジア」だと言うことに……。私はそのヒロイン・ルクレツィアに転生していたのだ。 攻略対象のイケメンは五人。ヤンデレ鬼畜兄貴のチェーザレに男の娘のジョバンニ。フェロモン侍従のペドロに影の薄いアルフォンソ。大穴の変人両刀のレオナルド……。ハハッ、ロクなヤツがいやしねえ! こうなれば修道女ルートを目指してやる! そんな感じで涙目で爆走するルクレツィアたんのお話し。

つがいの皇帝に溺愛される幼い皇女の至福

ゆきむら さり
恋愛
稚拙な私の作品をHOTランキング(7/1)に入れて頂き、ありがとうございます✨ 読んで下さる皆様のおかげです🧡 〔あらすじ〕📝強大な魔帝国を治める時の皇帝オーブリー。壮年期を迎えても皇后を迎えない彼には、幼少期より憧れを抱く美しい人がいる。その美しい人の産んだ幼な姫が、自身のつがいだと本能的に悟る皇帝オーブリーは、外の世界に憧れを抱くその幼な姫の皇女ベハティを魔帝国へと招待することに……。 完結した【堕ちた御子姫は帝国に囚われる】のスピンオフ。前作の登場人物達の子供達のお話に加えて、前作の登場人物達のその後も書かれておりますので、気になる方は是非ご一読下さい🤗 ゆるふわで甘いお話し。溺愛。ハピエン♥️ ※設定などは独自の世界観でご都合主義となります。

[R18] 18禁ゲームの世界に御招待! 王子とヤらなきゃゲームが進まない。そんなのお断りします。

ピエール
恋愛
R18 がっつりエロです。ご注意下さい えーー!! 転生したら、いきなり推しと リアルセッ○スの真っ最中!!! ここって、もしかしたら??? 18禁PCゲーム ラブキャッスル[愛と欲望の宮廷]の世界 私って悪役令嬢のカトリーヌに転生しちゃってるの??? カトリーヌって•••、あの、淫乱の••• マズイ、非常にマズイ、貞操の危機だ!!! 私、確か、彼氏とドライブ中に事故に遭い•••• 異世界転生って事は、絶対彼氏も転生しているはず! だって[ラノベ]ではそれがお約束! 彼を探して、一緒に こんな世界から逃げ出してやる! カトリーヌの身体に、男達のイヤラシイ魔の手が伸びる。 果たして、主人公は、数々のエロイベントを乗り切る事が出来るのか? ゲームはエンディングを迎える事が出来るのか? そして、彼氏の行方は••• 攻略対象別 オムニバスエロです。 完結しておりますので最後までお楽しみいただけます。 (攻略対象に変態もいます。ご注意下さい)   

孕ませねばならん ~イケメン執事の監禁セックス~

あさとよる
恋愛
傷モノになれば、この婚約は無くなるはずだ。 最愛のお嬢様が嫁ぐのを阻止? 過保護イケメン執事の執着H♡

義兄様に弄ばれる私は溺愛され、その愛に堕ちる

一ノ瀬 彩音
恋愛
国王である義兄様に弄ばれる悪役令嬢の私は彼に溺れていく。 そして彼から与えられる快楽と愛情で心も身体も満たされていく……。 ※この物語はフィクションです。 R18作品ですので性描写など苦手なお方や未成年のお方はご遠慮下さい。

今日も殿下に貞操を狙われている【R18】

毛蟹葵葉
恋愛
私は『ぬるぬるイヤンえっちち学園』の世界に転生している事に気が付いた。 タイトルの通り18禁ゲームの世界だ。 私の役回りは悪役令嬢。 しかも、時々ハードプレイまでしちゃう令嬢なの! 絶対にそんな事嫌だ!真っ先にしようと思ったのはナルシストの殿下との婚約破棄。 だけど、あれ? なんでお前ナルシストとドMまで併発してるんだよ!

【R18】少年のフリした聖女は触手にアンアン喘がされ、ついでに後ろで想い人もアンアンしています

アマンダ
恋愛
女神さまからのご命令により、男のフリして聖女として召喚されたミコトは、世界を救う旅の途中、ダンジョン内のエロモンスターの餌食となる。 想い人の獣人騎士と共に。 彼の運命の番いに選ばれなかった聖女は必死で快楽を堪えようと耐えるが、その姿を見た獣人騎士が……? 連載中の『世界のピンチが救われるまで本能に従ってはいけません!!〜少年聖女と獣人騎士の攻防戦〜』のR18ver.となっています!本編を見なくてもわかるようになっています。前後編です!! ご好評につき続編『触手に犯される少年聖女を見て興奮した俺はヒトとして獣人として最低です』もUPしましたのでよかったらお読みください!!

処理中です...