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上司ではなく、今度は部下の私が頑張る番です。
大河の決意
しおりを挟む時計の針は朝の七時を過ぎていた。起きていてもいい時間だ。
「清川君、実家?」
「いえ。一人暮らしです」
「じゃあ実家にかけてみなさい。緊急だからと」
「了解しました」
加地はうなずいて事務方のデスクへ「清川の緊急連絡先もらえるかー!」と向かっていった。
大河も自分のパソコンから隊長権限でデータベースにアクセスする。
すぐに隊服を身に着けた玲のバストアップの写真と、彼の来歴が画面いっぱいに表示された。
清川玲。二十六歳。炭鉱経営で成功し、その後業績を認められて男爵の爵位を授爵した、元士族の祖父を持つ。父は初代の立ち上げた企業を継ぎ、経済界でも名を知られている。そして玲の兄は海外展開もしている清川紡績のアメリカ支社長。
玲自身、名門私立を卒業した後はストレートで竜宮警備隊に入隊し、以降、優秀な隊士の一人として長く勤めている。
「清川……男爵家の次男ですね。履歴書的にはまったく問題ない」
「まぁ、少々出来すぎなくらい、非の打ち所がない優秀な青年だね。だからこそ素顔が見えないということもない」
山尾は顎先を指で撫でながら渋い顔をする。
「久我君。清川君は今日、出勤してくると思うかい?」
山尾の問いは、大河の呼吸を一瞬止める。
言いたくない。そうだと思いたくない。だがそんなことを言っても仕方ない。
大河は心を決めて、首を振る。
「いえ、疑われていなくても、常に意識してカメラの死角に車を停めるような男です。来ないでしょうね」
そして六華を車の中に引きずり込むときだけ、見せつけるように姿を現した。
自分たちはそういう仲ですよと、言い訳に使うために。
清川玲。温和な顔をして恐ろしく頭が切れる男だ。
おそらく六華も――そして自分も、彼の言葉や態度にうまく誤魔化されて、大事なことに気づけないままここまで来てしまったのだろう。
(だがもう同じ手は使えないぞ)
たとえば彼が出勤して、『六華と一夜を共にしたが、彼女とはそのあと別れた』と言い逃れしたとしても、大河は絶対に玲を疑うことを止めない。
六華が樹を優先しないはずがないからだ。
どんな手を使ってでも、玲を締め上げて居場所を吐かせようとするだろう。
「まぁ、そうだろうね……」
山尾はふうっと息を吐いて、それからその目を細めて、大河を見下ろす。
「でもね久我君。今の段階ではことを荒立てることはできない」
「っ……どうしてですか!?」
「まだ犯罪は起きていないからだ」
きっぱりと言い切る山尾に、大河は言葉を失った。
「警察だって取り合わない」
「けっ、警察じゃなくても、俺たちが!」
「私たちは竜宮警備隊だよ。しかも来週には新嘗祭を控えている。人員を割く余裕はない。隊長の君は当然、ここにいなければならない」
「……」
黙って聞いていた大河の瞳に、さーっと深く影がよぎる。
「だったら、見捨てろとでも……?」
まさか六華をあれだけかわいがっていた山尾が、そんなことを口にするとは思わなかった。
大河の腹の底からふつふつと怒りのような感覚がこみあげてくる。
「彼女が……傷つけられているのかもしれないのにっ……!?」
激情が足元から駆け上がってくる。ぞわぞわと全身が震える。頭に血が上って、どうにかなりそうだった。
「久我君」
わなわなと震える大河を見て、山尾が眉を顰める。
怒りに我を忘れてはいけない。感情に支配されてはいけない。
幼いころからそう彼に叩き込まれた。
自分はツノナシだから、あまり人と深くかかわらず、感情を揺らさないようにと意識して生きてきた。
(ああ、わかってるさ……!)
物心ついた時からずっとお役目が欲しかった。
父に、兄に、認められたかった。
愛されたかった。
「……だがそんなこと、些細なことだったんだ」
今自分がやるべきことは決まっている。
愛されたいともがくことではない。
愛するものを護るのだ。
「久我君?」
「すみません。先生。ご迷惑をおかけします」
大河はすうっと息をのみ、深々と頭を下げる。
山尾はなにか不思議なものを見たように、目を見開いたのだが。
「お世話になりました」
大河は下げていた顔を上げると同時にコートを脱ぎ、着ていた隊服の上着の合わせを両手でつかんで、左右に開く。
バリッ……!
美しい細工が施されたボタンがはじけ飛ぶ。
そして大河は上着を自分のデスクに叩きつけると、そのまま身をひるがえすようにして事務方のデスクへ向かった。
「加地、それが住所か」
「あ、はい。清川の自宅と実家と……」
「よこせ」
パッと手に取ってさっと一読した後、それを押し返す。
「よし」
「隊長?」
なぜ大河が上着を脱いでシャツ一枚になっているのか、住所を見て返してくるのか意味が分からない。加地は首をかしげたが、大河は用は済んだといわんばかりに、そのままスタスタと詰め所を出て行ってしまった。
「――まったく……もう」
残された山尾は苦笑いしながら、はじけ飛んだ隊服のボタンを床から拾い上げる。
そこには刻まれた尊い竜の紋章は、今までずっと大河の人生を縛っていたものだ。
そして今、竜の血を引く若い彼は自分の意志で道を選ぼうとしている。
逃げるのでもなく、見ないふりをするのでもなく――。
「ようやく自由になられたようだ……」
よかったですね、陛下と、つぶやいた声は、朝の詰め所の喧騒に消えてしまっていた。
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