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上司ではなく、今度は部下の私が頑張る番です。

それは夜空に輝く赤い星のようで

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「まっ……待ってくれ!」

 悟朗が声を上げると同時に、大河はリビングルームを飛び出していた。
 当然悟朗も追いかけてきたが術式を展開した大河に追いつけるはずがない。
 二階への階段を二歩で駆け上がってふたつのドアを見つけた。手前のドアには気配がない。おそらく実家を出た皇太子妃の部屋だろう。

(奥だな)

 見当をつけた大河は奥のドアの前に駆け寄りノブに手を伸ばしたのだが――。
 ノブに指先が触れたその瞬間、バチッ!と青い火花が散って、驚いた大河は半歩後ろに後ずさった。

「つぅっ……」

 思わず声が漏れるくらい強力な火花だった。

(静電気か……)

 大河は手のひらを閉じたり開いたりしながら、気を取り直してもう一度ドアノブにの手を伸ばす。
 バチンッ!

「なっ……!?」

 だがドアノブはもう一度派手な音を立てた。まるでドア自体が結界を張っているような、そんな気配すらある。

(おかしい……)

 人体はプラスかマイナスの電荷を帯びている。優れた伝導体であるドアノブにふれることによって、体内にたまっていた電子が一気に放出されて静電気が発生するのだ。
 大河は右手をドアの横の壁に押し付ける。これで体内の電子は放電されるはずだ。

(同じドアノブでこれほどの静電気が起こるものだろうか……)

 戸惑いながらもう一度、三度目の正直でドアノブに手を伸ばしたのだが、
 バリッ!
 なんと今までで一番大きな火花が散った。

(肉眼で把握できるほどの静電気ってどういうことだ……?)

 これがただの静電気だとは思えない。迷ったのは一瞬だった。
 大河はドアから一歩引いて、腰の金剛に手を伸ばした。
 切るしかないと思ったのだ。

 するとそこに、
「ちょっ、ちょっと待ってくれ……!」
 ようやく追いついてきた悟朗が、冷や汗をかきながら近づいてくる。

「ドアの修理代は三番隊に請求してくれ」
「いやいやいや!」

 大河の発言に悟朗はぶんぶんと首を振って、背中をドアに押し付けるようにして立ちはだかった。

「ドアは切るな……! 中で子供が寝てるんだ!」
「――子供?」

 玄関の靴を思い出す。どうやらこの家に子供がいるのは事実らしい。

「そんな届は出ていない」
「あーっ、嘘つかせて悪かったよ! でもこの部屋に子供が寝てるのは本当だ!」

『嘘をつかせた』というのは、六華にわざわざそう指示したということなのだろうか。

 悟朗の嘘を前にして、大河の口からはすでに敬語が消えていた。

「家族ではないのか」
「いいや、家族だよ。れっきとした俺の身内だ。血も繋がってるよ……本当に……」

 よっぽど言いたくないのだろう。悟朗はそのまま押し黙ってしまった。

 確かに届けていなかったことは問題だが、家庭にはそれぞれ事情がある。法を犯しているわけでもない。本来ならばこれ以上家族の問題に口を出すつもりはないのだが、今は状況が悪い。

「――」

 大河はじっと悟朗を見つめながら、
「矢野目さん。時間がないんだ」
 と、焦りながらも低い声でささやく。

「ここに子供がいるなら話をさせて欲しい。詰め所に不審な電話をかけてきた本人なのか。そしてもしそうならどんな意図があったのか……確かめたいんだ。六華の失踪に無関係とは思えない……時間が惜しいっ……」

 金剛を握る手に力がこもった。
 目で人が切れるなら、間違いなく悟朗は切られていた。武人である彼も大河の本気を感じたのだろう。

「――わかった……すまねえ、俺もちょっと……その、急だったもんだから……六華のことも、まだ信じられなくて……」

 悟朗は貼りついていたドアから体を起こすと、ドアノブをつかんで手前に引こうとした。

「あ、あれっ?」

 だがどういうことだろう。静電気が起こらない代わりにドアがびくともしないらしい。

「な、なんでだ、どうしたんだっ!?」

 焦ったように両手でドアノブを引っ張る悟朗の横で、大河は眉根を寄せた。

「内側から鍵が?」
「い、いや、鍵なんてついてねえよ、このドア……」
「は?」

 目を丸くする大河だが、悟朗は顔を真っ赤にしてひどく焦った様子でドアをドンドンと叩き始めた。

「おい、樹っ、もう起きてるか!? ドアが開かないんだが、大丈夫か!?」

 いつき。子供の名前なのだろう。大河は玄関に置かれたマジックテープのついたスニーカーを思い出す。
 あんな小さな靴を履く子供が、この部屋でひとりで寝ていたのだろうか。
 とはいえ、自分も物心ついた時からずっとひとりで眠っていたのだが――。

「やべえ……どうなってんだ、開かねえぞ……!」

 百九十の巨体で悟朗がドアに体当たりをするが、ドアはみしりとも音がしない。

「やはり俺が切ろう。ドアの向こうでなにか引っかかっているのかもしれない」
「あ、ああっ、そうだな。頼む!」

 悟朗は青ざめたままうなずいて、邪魔にならないようにドアから少し離れて大河を見守る体勢になった。
 体全体で鞘から金剛を振り抜いてドアを切る。
 コンマ二秒先の未来が大河の脳内に間違いなく予測変換される。

(切る!)

 金剛の柄を握り、ほんの少し腰を落とす。

「ひゅっ」

 大河が息を吐いた瞬間。本当に突然だがドアが内側から唐突に開いた。

「っ……?」

 想像していなかった展開に、大河は抜刀のタイミングを見誤りバランスを崩す。
 体勢を立て直そうと一歩前に足を踏み込むと、大河の目に真っ暗の部屋の真ん中でぼんやりと光る、ふたつの光が見えた。

 ベテルギウス。火星。アンタレス。
 それは夜空に赤く輝く星のようで。

(なんだ……?)

 本来ならばもっと警戒心を持つべきなのに、大河はその赤い光に見入ってしまった。さらに腰のあたりをドンッと後ろから押されて、大河は目を見開く。

「えっ……?」

 悟朗の仕業かと振り返ったが、彼は手が届かないほど後ろに立っていた。
 そして触れてもいないのに、バタンとドアが閉まる。

 なんということだろう。
 夜明けを迎えているはずなのに、大河は漆黒の闇の中に閉じ込められてしまった。


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