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上司から誘惑されています。
車中にて
しおりを挟む時計を見る。
夜の九時半近くになっていたが、やはりそこまで遅いというほどではない。
長い廊下を出て駐車場へと向かう。
「まだそれほど遅くないから大丈夫ですよ……!」
「くどいな」
大河はそう言って助手席のドアを開けて、振り返った。
「ここまで来たんだ、乗れ」
「う……」
大河の顔はいつもの不機嫌顔で、これ以上断ると自分のほうが空気を読めていない感じがする。
もう車の前だ。ここまで来て、断るのはもう無理だろう。
「では……すみません。お世話になります」
六華は小さくなりながら、助手席に乗り込んだ。
大河の車に乗るのは今日二回目だ。
今度はシートベルトをうまく締めることができた。
ちらりと横目で大河の様子をうかがう。
シャワーを浴びた彼の髪が、さらさらと額にこぼれている。
仕事中はもう少し整えているので、実に新鮮だ。
(ちょっと若く見えるかも……)
六年前の彼は長髪だったのでまるきり同じというわけではないが、無造作な雰囲気はいつもの彼とは違ってあの日の大河をほうふつとさせた。
するりとシートベルトを締め、大河はふと思いついたように六華に視線を向けた。
「あ……」
目が合った。
というか、見ているのがバレてしまった。
咄嗟にごまかさなければと思った六華は、カーナビに手を伸ばす。
「あの、私の家の」
「ああ……。そうだな。頼む」
六華はとりあえず自宅の住所を入力した。
ゆっくりと動き出した車の中から、窓の外を見つめる。
夕方と違って暗いせいかそれほど緊張しない。
スピードが増していくにつれ、背後に流れていく明かりがその尾を長くする。
眺めていると少し不思議な気分になった。
(まさか久我大河の車で家に送ってもらうなんて……)
送ると言われたときは焦ってしまったが、そもそもこの時間なら、樹も起きて待ってはいないだろう。
寝ている彼を大河に見られることはない。
(そうよね……心配しすぎるのはやめよう。かえって怪しまれてしまうわ)
六華はゆっくりと息を吐き、じっと窓の外を見つめた。
六華は夢を見ていた。
夢の中で夢だとわかっている。
なぜなら六年前からずっと、繰り返し同じ夢を見ているからだ。
(名前も知らなかった……あなた)
六華をシーツの上に押し倒してうめき声をあげていた。
「お前みたいな女、大嫌いだ……殺してやりたいよ……」
押し殺した苦しそうな声でそう言われて心臓を打ち抜かれた。
脅しなのか、呪いの言葉なのか。
いや、本当は苦しみから漏れた助けの言葉だったのではないだろうか。
あの時からずっと彼は六華の特別な人だ。
『大河』
今日はいつもの夢と違った。
夢の中の六華は十八歳で、彼の名前は知らないはずだけれど、これは夢だから彼の名前を呼べる。
六華は乱暴に押し倒された状態でも、おびえた表情一つ浮かべなかった。
『大河、苦しまないで……』
六華の幻の言葉が彼に届くはずがない。
けれどまだ未熟な青年の顔が、かすかにゆがむ。
「うるさい……女のくせに……!」
ぎゅっと目をつぶり体をこわばらせる大河の顔が揺らいで、大人の大河にすり替わる。
今日見た、血に濡れた大河だ。
彼が辛そうだと六華はなによりも辛い。
樹と同じだ。
(この人は私の心の一部だ……大事で大事で……いとおしい)
◇ ◇ ◇
「――寝てるのか」
大河は路肩に車を停めて、運転席の六華を見つめた。
工事中の道があって迂回したら小道に入ってしまった。
案内してもらおうと六華を呼びかけたのだが、返事がないので見てみれば、六華は気を失うように眠っていたのである。
「おい……」
大河はため息をつきつつ自分のシートベルトを外すと、六華に顔を近づける。
素顔の六華は、目を閉じると十代にしか見えない。
(無防備だな……)
男の車の中だということを忘れているのだろうか。
呆れると同時に、他人を信じてしまうその無邪気さが少しうらやましいとも思った。
大河は六華が分からない。
剣の腕は確かだが、子供っぽくて危なっかしい。
そのくせなぜか肝が太くて、いざとなるとひるまない強さがある。
そう、大河は六華から目を離せないのは、彼女に自分にはないなにかを見たからだ。
戯れのように口づけた今日の晩さん会のことを思い出す。
我ながら、らしくないことをしたし、そもそも上司と部下の関係であれはよくなかった。
とはいえ、六華もそれほど気にしたわけでもなさそうだが――。
「――」
見つめているが、六華は目を覚ます様子がない。
「ぐっすりだな」
いたずら心と好奇心半分で、そっと六華の頬に手を伸ばす。
まとめきれなかった髪が頬にかかっていた。それを指先で取り除いて耳にかける。
なるべく触れないようにと気を付けたのに、指先が一瞬耳にかすったらしい。
「ん……」
六華はかすかに身じろぎする。
目を覚ましたかとじっと様子をうかがっていると、
「大河……」
六華の唇がかすかに動いて、大河の名を呼んだ。
薄桃色の唇が、妙になまめかしく見えて、大河の腹の奥がぞくっと震えた。
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